カテゴリ:facebooklog

2014/10/28 17:36

2014/10/28

この様な共産党独裁政権の支配する国との友好や経済協力など、恥ずべき事でしかありません。 — 《中国の「大後退」》 2014.10.27 夏業良 中国共産党の指導部は10月20~23日に、1つのテーマを中心とする全体会議を開いた。「法の支配(法治)」がそれだ。  だが、最近、中国の人気ソーシャルメディア「微信(ウィーチャット)」の複数のグループが、香港での抗議活動を支持する中国人活動家が50人近く逮捕されたと伝えている。  一方で、香港のデモや人権活動、法の支配を支持する著者の書籍の出版や販売を禁止する官命について伝える人たちもいる。このことは、政治の近代化という明示された目標に対する政府の決意の信憑性に大きな疑問を投げかける。 ■ 「法治」をテーマとした全体会議の前に起きていたこと  書籍の出版・販売を禁止された著者の1人が、2012年に「ミルトン・フリードマン自由賞」を受賞した茅于軾氏だ。  茅氏の著作が禁止されたのは、これが初めてではない。2003年には、1989年の天安門広場でのデモに参加し、その民主化運動が大虐殺で終わった学生たちを無罪とすることを政府に求める嘆願書に署名した後、同氏の著作が発禁となった。  中国は多くの場合、検閲の正式公示を出すことさえしない。政府機関からのものと理解される、出版社あての「匿名」電話一本で事足りる。筆者自身の著作でもいくつかの項目が正式な説明もなしに削除されたし、定期刊行物や新聞に寄せたコラムや解説でも、一部のフレーズやセンテンス、パラグラフがよく削られた。  やはり尊敬されている論客で84歳の余英時氏も、香港の抗議活動を支持しているために、厳しい立場に立たされている。米アイビーリーグの複数の大学で教鞭をとった余氏は50年以上にわたって、共産党を批判する著作をたくさん記してきた。  余氏はその著作で、中国の伝統的な文化と古典的な哲学を批判し、西側の学術的な伝統に基づく普遍的価値観を推奨してきた。同氏の著作は現代の政治問題に直接言及していないが、中国政府はそれらを共産党支配に対する批判と見なし、ひいては社会の安定を害するものと考えている。  そして、慎重にして良識的な学者で中国憲法学会の副会長を務める張千帆氏がいる。  政治分析に対する張氏の穏健なアプローチ――北京大学で同僚だったころ、同氏は現政権に対して過度に軽蔑的だとして、筆者の立場を批判することがあった――からすると、政府の標的としては、張氏はいくらか意外な人物だった。  張氏は、香港の抗議を支持する多くの同輩(筆者を含む)の決断に反対している。1989年当時のように、政府が暴力的な抑圧に訴えることを恐れてのことだ。そう考えると、張氏の著作の発禁はきっと、抗議活動に対する同氏の見解ではなく、同氏の憲法研究が持つ意味合いが理由なのだろう。  それと比べると全く意外ではなかったのが、この10年間、いわゆる「微妙な」問題の多くに関与してきた著名活動家、人権運動家の郭玉閃氏が最近逮捕された一件だ。例えば2012年、同氏は世界的に有名な盲目の活動家、陳光誠氏が自宅軟禁から脱出するのを助けるうえで重要な役割を担った。脱出劇は中国にとって国際的な大恥だった。  とはいえ、今月の全体会議の直前にあたった郭氏の逮捕のタイミングは、ことが法の支配に及んだ時の共産党の誠意の欠如を浮き彫りにしている。 ■ 反体制派に対する忌むべき処遇  国内外にいる中国の反体制派の扱いは、忌まわしいものだ。彼らは罪とされる行為で投獄されるか、あるいは、中国の家族の元を訪れるのを禁止される。時として、それは20年、30年に及ぶこともある。  これは、声高に反共産党を掲げる人だけの運命ではない。学者や研究者――元プリンストン大学教授のペリー・リンク氏やコロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授、チベットの近代史を専門とする著述家兼歴史家の李江琳氏ら――のみならず、ビジネスマンでさえ、中国へ帰国することを禁じられている。  中国で人権運動に共感したり、共産党の立場に相反する見解を表明したりするだけで、ビザの発給を拒否されたり、ビザを取り消されたりするのだ。  中国市民は、その政治的信念にかかわらず、自由に母国を出たり入ったりできるべきだ。それを正当化する法的な理由もなくこの権利を奪うことは、近代の国際的規範に明白に違反している。 ■ 経済的には中国を前進させようとしている習主席だが・・・  習近平国家主席の前例のない汚職撲滅運動は、法の支配に基づく、より透明な制度への移行を象徴するはずだった。  しかし、実際は、これまでに粛清された政府関係者は皆、習主席の政敵であり、この取り組み全体が同氏の権力基盤を固める役目を果たしてきた。  この二枚舌は、現在中国で繰り広げられているに対する締め付けにもはっきり見て取れる。習氏は、中国を経済的に前進させようとする一方で、政治的には後ろへ引っ張っているように見える。 ■ 夏業良(Xia Yeliang)北京大学の元経済学教授、現在は米ケイトー研究所の客員研究員 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42058

2014/10/28 4:46

2014/10/28

「洋紙は100年、和紙は1000年」。日本の和紙とその技術がユネスコの無形文化遺産に。嬉しいですね。—《日本の「和紙」技術、無形文化遺産に ユネスコ補助機関が登録を勧告 11月下旬にも正式決定》2014.10.28 産経新聞  文化庁に28日入った連絡によると、政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に提案している「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」について、事前審査を担うユネスコの補助機関が登録を求める「記載」の勧告をしたことが分かった。過去の事前審査で記載勧告された提案が覆されたケースはなく、ユネスコの政府間委員会が11月下旬にも登録を正式決定する見込みだ。  記載勧告された「手漉和紙技術」は、「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)、「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)、「細川紙(ほそかわし)」(埼玉県小川町・東秩父村)の3紙の技術で構成。原料に「楮(こうぞ)」の樹皮のみを用いる伝統的な製法により、丈夫で風化しにくいなどの特色がある。  このうち石州半紙は、平成21年に無形文化遺産に登録されているが、政府は25年3月、本美濃紙と細川紙を加えた「和紙」の技術として登録し直すよう、拡張提案していた。  すでに登録されている無形文化遺産に、類似の文化を加えるなどした拡張提案を日本が行ったのは今回が初めて。  日本の無形文化遺産は、昨年登録の「和食 日本人の伝統的な食文化」のほか、「能楽」、「歌舞伎」、「京都祇園祭の山鉾行事」など22件ある。http://www.sankei.com/life/news/141028/lif1410280004-n1.html—(関連)《和紙と洋紙の違い》美濃・美濃和紙資料館 古川紙工株式会社 江戸時代以降に海外から入って来た、木材パルプを原料とした機械生産による紙を、和紙と区別して言います。ここでは、和紙と用紙との違いを、歴史背景も絡めて紹介します。 「洋紙は100年、和紙は1000年」 「洋紙は100年、和紙は1000年」という言葉があります。文字通り、和紙と洋紙では紙の耐久性に大きな違いがあります。木材パルプとインクを使用した洋紙は、多くの薬品を使い、ほとんどが酸性であるため、100年も経つと黄ばんでボロボロになってしまいます。しかし、和紙は天然の植物繊維を、漉くことによって繊維を絡ませることができるため、強靭で保存性に富んでいます。日本で漉かれた紙で最も古いものは、正倉院に保管されている、大宝2年(702年)の日付のある美濃、筑前、豊前で作られた戸籍に使われたもので、洋紙は、19世紀中ごろに作られた本の3分の1が、今では補修もできないほど劣化してしまっていたといいます。 見た目の美しさも、大きな違いです。洋紙では白くするために薬品などを使います。和紙の中にも化学薬品を使っていて、時間がたつと黄ばむものがありますが、そうでない和紙は逆に時間とともに光線にあたって白くなる性質があります。和紙は長く大事に使うことによって、時間とともに味わいが出てくるもの。手に取るとすっと手になじむ触感。手漉きのため一枚いちまい違った持ち味の和紙は、天然素材で地球に優しく、美しい和紙は、世界からも注目されています。 加工しやすく、強靭であるという点でも、和紙が勝ります。洋紙は、低コストで大量生産するために、木材の繊維をすり潰して粉末のようにして使いますが、和紙は繊維をすり潰さず、漉すことでそのまま生かすため、繊維が持つ本来の強靭さを失わず、加工性に富んだものができます。 江戸時代では、洋紙は記録用にすぎませんでしたが、和紙は加工用として、雨傘・提灯・行灯・下駄の泥よけ・着物・食器など、私たちの生活と密着な関係にありました。現代では、国内だけでなく世界中で、美術品や文化遺産の補修など、さまざまな用途で和紙が使われています。http://www.furukawashiko.com/minowashi/washi.html

2014/10/28 3:48

2014/10/28

ブラジルの低成長は続きそうです。親日国なので残念ですが。 — 《ブラジル大統領選 ルセフ氏が再選》 2014.10.27 NHK 南米ブラジルの大統領選挙は、決選投票の結果、現職のルセフ大統領が再選を果たし、2年後にリオデジャネイロ・オリンピックの開催を控えるなか、手厚い貧困対策を取りながら低迷する経済の立て直しに取り組むことになります。 ブラジルの大統領選挙は、26日、左派・労働者党の現職ルセフ大統領と、中道左派の野党・ブラジル社会民主党の上院議員、ネーベス候補との間で決選投票が行われました。 選挙管理委員会によりますと、開票はほぼ終了し、得票率はルセフ大統領が51.6%、ネーベス候補が48.4%で、ルセフ大統領が3ポイント余りリードして再選を果たしました。 ルセフ大統領は、貧困家庭に現金を支給したり、労働者の最低賃金を大幅に引き上げたりするなど手厚い貧困対策を進めたほか、サッカーのワールドカップ開催といったこれまでの実績を強調しました。 しかし、ブラジル経済はワールドカップ後に低迷しており、ことしの経済成長率は0.3%に落ち込む見通しで、野党などからはルセフ政権による企業活動や為替市場への過剰な介入が景気を悪化させているなどと批判されていました。 ルセフ大統領は再選を果たしたことで、2年後のオリンピックの開催を控え、これまでの貧困対策の継続とともに、経済をいかに立て直すのかが問われることになります。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141027/k10015715251000.html — 《ブラジル金融市場急落、ルセフ大統領再選を嫌気》 2014.10.28 ロイター [サンパウロ/リオデジャネイロ 27日 ロイター] – 27日のブラジル金融市場は急落し、主要株価指数は約7カ月ぶりの安値に沈んだ。26日実施のブラジル大統領選で、現職ルセフ氏が再選を決めたことで、政策変更への期待が後退し失望売りが広がっている。 主要株価指数ボベスパ指数.BVSPは一時6.2%急落。その後は安値拾いの買いが入り、やや持ち直している。 通貨レアルBRL=は約2.7%安の1ドル=2.525レアル。市場では、米金利の先高感などを背景に、レアルは今後数年は弱含むとの観測が出ている。 ルセフ大統領の政策が業績に悪影響を及ぼすとの懸念から、国営石油会社ペトロブラスの優先株は15.6%安まで売り込まれた。 製糖、エタノール企業のコサンも約6.0%値を下げた。 クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場では、ブラジルの債務保証コストが上昇。マークイットによると、ブラジルの期間5年のCDSスプレッドは、前週末取引終了時から10ベーシスポイント(bp)拡大し、172bpとなった。 RBS証券のストラテジスト、フラビア・カッタン・ナスロスキ氏は「ルセフ氏の勝利演説は、変革や議論に前向きな姿勢を示すなど歩み寄りの姿勢も垣間見られたが、大統領として信任を再び得るには言葉だけでは不十分」と指摘した。 RBSは、ルセフ氏が具体的な政策を示し、財務省や中銀の重要人事を発表するまで市場が安定化する公算は小さい見込みとしている。 http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPKBN0IG1IS20141027

2014/10/28 2:40

2014/10/28

ホフステッド指数を活用したコグートとシンによる「国民性分析」によると、日本人と価値観や行動様式が最も近い国はハンガリー(1番目)とポーランド(2番目)。日本と同じアジアの国である韓国(39番目)や中国(47番目)は、意外にも欧州のドイツ(8番目)やフランス(28番目)よりも離れている。外交、政治を考える際にも参考になります。 — 《国民性の違いを定量化したホフステッド指数、グローバル経営に寄与》 2014.10.20 日経BizGate 波頭亮  前回は、経営学の主たるテーマがタンジブル(具体的・定量的・物理的)な対象から、インタンジブル(抽象的・定性的・心理的)な対象へと移ってきていることについて解説した。  1980年代にはポーターやコトラーにより、精緻なデータ分析と明快なフレームワークを用いることによってあたかも方程式を解くように戦略を策定することができると提唱された。しかし、90年代後半にはバーニーやプラハラードおよびハメルらによって、自社独自の組織文化や行動スタイルの特徴に根ざした戦略こそが有効である、というコア・コンピタンスの考え方が提起されるようになった。さらに2000年代になると、経営トップの属人的な資質であるリーダーシップが組織の仕組みやマネジメントルール以上に企業戦略の執行力を決定し、また企業風土自体をどう変革するか、どう醸成していくかというテーマこそが最重要経営課題であるという認識になってきている。近年の経営学の流れを大きく捉えると、このような流れである。  今回はそうしたタンジブルからインタンジブルへの流れに関連する、興味深い研究について紹介しよう。その研究とは「国民性の指数化(定量的測定)」である。 ■ 「文化・国民性の違い」を定量化したホフステッド指数  近代的経営戦略論が始まった60年代以降、大企業は事業の国際的展開を積極的に推進していったが、その際、企業は進出先の国で文化の壁にぶつかることが多かった。本国では当然のように事が運ぶようなことでも、進出先の国では全く通用しないことが多々発生した。  たとえば、期日内にやり上げなければならない仕事が残っている時は、本国では当然のように全員が残業してでも片づけるようにしていたのに、別の国では誰も残業してまで仕事をやろうとしない。何とか仕事を仕上げようと残業代を大幅に割増しして頑張ってもらうと、収入が増えた分、翌日以降欠勤する人が多数発生するというケースすらあったと聞く。  こうした例のほかにも、上司の命令が絶対の国と、上司の命令といえども部下が納得し、信頼関係が築かれた上でないと少しも働かない国がある。仕事の知識や技術を丁寧に教えても、知識や技術を身に付けると、それを売りものにしてさっさと転職してしまうというケースもよく聞く話である。  その国独自の文化や人々の行動様式は、その国の様々な社会的要素、たとえば労働法や商習慣、歴史や宗教、人生設計や家族観、社会の階層構造や経済の発展段階などが複雑に絡み合って成立しているものである。したがって、他国の企業のビジネスモデルや組織マネジメントのルール、人事制度を強引に押しつけようとしても、すんなりと受容されるものではないし、現場の実情に合致している保証もない。  こうした多様な国の文化や人々の行動様式をどうマネジメントするのか、ということが事業の国際展開における非常に重要な経営テーマとして70年代あたりから注目を集めるようになってきたのである。  そのような事情を背景に、様々な国の文化(国民性)を定量的に測定し、指数化しようとしたのがヘールト・ホフステッドである。ホフステッドは米IBMの世界40カ国11万人の従業員に行動様式と価値観に関するアンケート調査を行い、1980年にはその国の文化と国民性を数値で表すことのできる「ホフステッド指数」を開発した。「ホフステッド指数」はその国の文化・国民性を端的に表す指標として、次の4項目を挙げた。 (1)個人主義指数(Individualism) (2)権力に対する姿勢(Power Distance) (3)不確実性に対する姿勢(Uncertainty avoidance) (4)"男らしさ"(Masculinity、競争志向・自己主張の強さ)  これら4項目について、それぞれ定量的な測定を行うことによって、その国の文化と国民性を表す指標として提示したのである。 ■ 客観分析がもたらした、国民性の意外な違い  従来、定性的に判断・評価されていた国民性や行動様式というファクターが、定量的な指標として測定可能になった意義は大きい。たとえば、ブルース・コグートとハビール・シンはこのホフステッド指数を使って1988年に「国民性分析」という研究論文を発表した。この分析において、どの国の国民とどの国の国民とが価値観や行動様式がどれくらい似ているのか/違っているのかを計算し、定量的に表すことができることが示された。  それまで、「日本人と韓国人はどちらも儒教の国だから根っこのところは似ている」とか「個人主義の欧米人と日本人とでは、そもそもチームを組んでも、うまくいかない」などと、経験的に、定性的に語っていたようなテーマが、ファクター別に定量的に判断・評価できるようになったのである。  当然、似たような国民性の国では同じようなマネジメントスタイルや人事制度が通用しやすいし、大きく違った国民性の国に進出する場合には、人事・評価制度はもちろん、上司と部下のコミュニケーションの取り方まで別物に仕立てなければならないということになる。  ちなみに、ホフステッド指数を活用したコグートとシンによる「国民性分析」によると、日本人と価値観や行動様式が最も近い国はハンガリー(1番目)とポーランド(2番目)。日本と同じアジアの国である韓国(39番目)や中国(47番目)は、意外にも欧州のドイツ(8番目)やフランス(28番目)よりも離れている。マレーシア(61番目)やシンガポール(64番目)に至っては、米国(41番目)や英国(49番目)と比べても価値観や行動様式が異なっているというのが興味深い。  もちろん、このホフステッド指数の正確さやコグートとシンの計算式の妥当性が完全に正しいという保証はないのであるが、現在もこのホフステッド指数が最も信頼できる指数として広く活用されている。ホフステッド指数が1980年に提唱されて以降、国民性を計測する指数が多数提唱されているにもかかわらず、である。この現実からして、かなりの信頼性を認めて然るべきだといえよう。 ■ 会計ルールの国際統一は進んだが…  いずれにせよ、ホフステッド指数の登場以降、各国の文化や国民性の違いについて数多くの研究がなされ、国ごとの人々の考え方・感じ方や行動様式には決定的な違いがあることが明らかにされてきた。そして、この発見と検証によって国際化を図る企業の経営戦略の方針が大きく転換を遂げたのが2000年前後の頃である。  2000年前後までは、多くの企業が事業展開の国際化を図ろうとする際に求めたのは世界中で通用するマネジメントシステム、言うなればユニバーサルモデルであった。世界共通の組織運営体制、共通の人事・評価・報酬制度、共通の意思決定のプロセスによって、世界展開している自社の組織とオペレーションをシンプルかつ統一的にマネジメントしようとしていた。  そうした試みは、80年代~90年代にかけて共通の会計制度を導入するあたりまでは何とか成功していた。各国の制度的相違を調整する経理・会計のルールを設計し、共通の基準による売り上げの計上、経費科目の共通化、利益算定基準の統一化などを行い、統合基幹業務システム(ERP)を活用しながら、世界中のオペレーションを統一的会計ルールによってマネジメントする仕組みを構築しようとしたのだ。  こうした目論見にはもちろん十分な合理性はある。国によって売り上げも利益も経費も、算定基準がバラバラだと、先月の売り上げがいったいいくらあったのか、儲かっているのか損が出ているのか、正確に分からない。これでは有効な戦略を立案するのが難しいばかりか、信頼に足る財務諸表を作ることすらままならない。  事業の国際展開を推進していく上で、会計ルールの統一化は必須であったし、またそうした事情を背景に90年代には各国政府が協調して世界共通の国際会計基準(IAS:International Accounting Standards)の制定を推進したこともあって、2000年には企業会計に関してはユニバーサルなルールがほぼ確立した。  しかし、カネと並んで重要な経営資源であるヒトのマネジメントの段階では、人事制度、評価制度、報酬制度を各国共通にユニバーサル化する試みはほとんど頓挫せざるを得なかった。 ■ もともと無理筋だった人材マネジメントの国際統一  当然と言えば当然の話であろう。ビジネス上、特に関係の深い日本と米国だけを比べてみても、大きく違う。新卒一括採用の日本に対し、新卒一括どころか個別の人材が企業と1対1の関係で雇用契約を結ぶのが米国である。採用活動、キャリアパス、評価のルール、報酬決定のプロセスが全く異なるのであるから、統一ルールで人材を採用し、配属し、モチベーションをコントロールし、育成し、昇進・代謝させるなどというのはとうてい不可能なのである。  こうしたマネジメントのユニバーサル化は無茶な取り組みではあったが、90年代いっぱいくらいまでは、統一ルールによってシンプルかつ効率的に自社の海外拠点をマネジメントしたいという企業の側の都合によって、会計ルールに続いて人事に関してもユニバーサルモデルを追求しようとする傾向が主流であった。  ユニバーサル・マネジメントルールの導入が上手くいかない経験を重ねるのと並行して、1990年代後半にはホフステッド指数やコグート&シンの研究成果の存在が広く知られるようになった。2000年前後から企業の国際化は、「インターナショナル・ユニバーサル・モデル」の追求から、各国の個性を反映した形の「マルチローカル・マネジメント・モデル」へと大きく転換したのである。  世界中をシンプルな1つのルールでマネジメントしたいという企業の強い欲望を諦めて方針転換をすることになったのも、各国の文化や国民性はかくも大きく違っているという事実を定量的に示し得たことが寄与していると考えて間違いないであろう。  文化、国民性、価値観、行動様式といった定性的なファクターを定量的な指標で表現するというタンジブルなアプローチで捉えたことが、インタンジブルなことこそ重要な経営戦略テーマであるという現代の経営戦略のトレンドを大きく進展させたのである。 ■ 1980年は経営・経済のエポックメイキングな年  ところで、余談ではあるが、文化や国民性を定量的な指標で表すという新しい研究の道を拓いたホフステッド指数が発表されたのは、前述のとおり1980年である。  この連載コラムで紹介してきた「経営や経済に新しい道を開いた歴史的研究成果」が登場した年と奇しくも合致している。  今も"戦略論のバイブル"と称されるマイケル・ポーターの『競争の戦略』が発表されたのが1980年。  同じく"マーケティングのバイブル"と称されるフィリップ・コトラーの『マーケティング原理』も1980年。  前回のコラムで紹介した、80年~90年代に世界の主要国で経済政策のキーノートとなったミルトン・フリードマンの『選択の自由』も1980年。 […]

2014/10/27 15:42

2014/10/27

《生命線となる技術も流出、Appleを訴えた日本の部品メーカーはどれだけ悲惨な状況に立たされているのか》2014.10.25 13:00 BUZZAP!(バザップ!)shishimaru 新型iPhoneが発売される度に「日本製の部品がどれだけを占めているか」が話題となる中、部品を提供しているメーカーがAppleを訴えるという事態が発生しました。 どうやら部品メーカーは徹底的に買い叩かれるどころか、Appleにより技術を流出させられるというリスクに苦しんでいるようです。詳細は以下から。 〈日本の中小企業が訴えたアップルの“横暴”の内幕|Close-Up Enterprise|ダイヤモンド・オンライン〉http://diamond.jp/articles/-/61107 週刊ダイヤモンドが報じたところによると、電源アダプタのコネクタ部分などに使われる「ポゴピン」というピンを製造する島野製作所が今年8月、Appleを独占禁止法違反と特許権侵害で訴えたそうです。 これは「横暴」とも呼べるAppleの圧力によるもので、島野製作所が被った損害をざっくりとまとめると以下のような内容に。 ・Appleから依頼を受けて新製品用のピン開発や量産体制を構築するも、合意を無視して半年で発注激減。おまけに島野製作所の特許権を侵害する形で別のメーカーに代替ピンを製造させる・取引再開を求めるとAppleは値下げと、手元にある在庫分を値引きする形となるリベート(約1億6000万円)を要求 さらに同様のケースとして、ある部品メーカーの幹部の手元に、Appleが別の企業に送ろうとした資料が誤って届いたところ、自社技術に関するデリケートな情報が書かれていたことが挙げられています。 まさに優越的立場を濫用したやり方としか言いようがありませんが、2013年発売の書籍「アップル帝国の正体(後藤 直義、森川 潤著)」を引用したライフハッカーの記事 http://www.lifehacker.jp/2013/08/130830book_to_read.html では、Appleの部品メーカーに対する値下げ圧力の強さが浮き彫りになっています。  [「アップルが定期的に求めてくるコスト削減のターゲット(目標)は、絶対に下がらない」。ある取引先メーカーの首脳はそのように断言する。アップルの購買担当者と価格交渉をする際には、アップルの言い値に難色を示したりすると、「原価はこれくらいだから、できるはずだ」と一刀両断されたという。(62ページより)] また、今回のように日本企業の技術がAppleによって流出するケースも紹介。かつてiPodで採用されていた鏡面仕上げの裏蓋は、新潟県燕市にある中小企業の職人が手作業で磨きあげていましたが、以下のような経緯を経て人件費が安く、大量に処理できる別の国に技術が移植されてしまいました。  [しかしこの日は、小型のビデオカメラを片手に、朝から晩まで、じっと彼らの動作を撮影している男が立っていた。「ちょっと作業風景を撮影させてほしい」アップルに金属部品を収めている地場の金属加工メーカーから派遣されてきたというこの男は、職人たちに近寄ると、彼らの手元にレンズのピントを合わせていった。(中略)親方の小林は、このビデオ撮影が何を意味するのか、直感的に理解していた。(38ページより)]  [「iPodを磨く作業のビデオ撮影は3日間続きました。でも注文をくれる地場の親会社から頼まれたら、我々は断れませんからね」ビデオ撮影を受け入れてからほどなくして、小林はこの仕事から手を引いた。そしてピーク時には地元の研磨業者約20社が1日で1万5000~2万台も磨き上げていたiPodの仕事は、地元から消えてしまったのだ。(39ページより)] 歩留まり(良品率)が悪く、大手メーカーが原価割れの危機に苦しんだiPhone 5のインセル液晶 http://buzzap.jp/news/20120831-iphone5-display-sharp-difficult/ のように、製造にあたってのハードルが高いものが多いApple製品の部品。 しかしAppleはメーカーがさまざまなコストを投じてようやく実現にこぎつけた部品を買い叩くだけでなく、製造技術そのものを移転させ、安く作れるようになれば元のメーカーはお払い箱……とでも言わんばかりのやり方を採用しているわけです。 スマホやタブレットなどの最終製品で海外メーカーに太刀打ちできず、部品メーカーとして血路を見いだす日本メーカーが多い昨今ですが、完全に生殺与奪を握られてしまっている現状で、はたして浮上することはできるのでしょうか。http://buzzap.jp/news/20141025-apple-japan-technology-leak/ (関連)『アップル帝国の正体』後藤直義(著),森川潤(著) 文藝春秋http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163763804