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2014/12/19 17:14
平沼赳夫 次世代の党党首より御挨拶。 — 第47回衆議院議員総選挙を戦い抜いて 第47回総選挙において、小選挙区39名、比例単独9名、合わせて48名の候補者を擁立し、総力を挙げて闘いましたが、小選挙区での2議席に留まり、改選前より大幅に議席を減らすこととなりました。ご支持、ご支援をいただいた皆さまに深く感謝申し上げますとともに、ご期待に応えきれなかったことをお詫びいたします。 次世代の党は、党是である自主憲法の制定を柱に、次世代のための日本を考える政策を訴えてまいりました。また、慰安婦問題や拉致問題、外交、防衛、社会保障の分野において、既成政党が出来なかった「タブーに斬り込んでいく」ことを積極的に行いました。しかし、結党から4か月という状況の中での短期決戦だったこともあり、次世代の党の政策や主張を浸透させることができませんでした。 それでも厳しい戦いの中、比例代表において141万3,419票を頂くことができました。皆さまのご支援の賜物と深く感謝申し上げます。来春の統一地方選挙に向けての大きな励みにするとともに、党の再建・再生の原動力としていきます。 次世代の党は歩みを始めたばかりの党であり、国民の皆さまから信任を得るためには、様々な艱難辛苦が待ち受けていると思います。しかし、私達はこれからも新保守の灯をともし続けてまいりますことを誓います。 平成二十六年十二月十九日 次世代の党 党首 平沼 赳夫 http://jisedai.jp/news/20141219.html
2014/12/18 23:09
2014/12/17 21:56
この記事を鵜呑みにして日中関係が好転する等と考えてはいけません。明確なのは、中国では国民が共産党政府を動かすのではなく、共産党政府が国民を動かす、という独裁政権の事実だけです。 — 《サンゴ密漁者たちは今、中国で国賊扱いされている》 2014.12.16 SPA! 小笠原諸島近海に突如、出現した中国の大漁船団。赤サンゴの密漁を行う彼らの存在が報道されると、両国の政府間のつばぜり合いも激化した。しかし、このまま深刻な国際問題に発展するかと思われた矢先、中国側の方針転換もあり、事態は沈静化した。日本では、その後、この事件に関する続報はほとんど聞かれなくなったが、実は中国では思わぬ“その後”を迎えている。 サンゴ密漁者たちは今、中国で国賊扱いされている 9月頃より中国の赤サンゴ密漁船団が小笠原諸島近海に出現。中国当局は密漁黙認ともとれる静観の態度を示していたが、APEC後は一転、中国側も「断固たる措置」を表明。大きな外交問題にはならずに事件は一旦収束 「まさか帰国したら犯罪者、国賊扱いにされるなんて思ってもみなかった」 こう語るのは小笠原諸島へ赤サンゴ密漁に参加したという劉鄭氏(仮名)。浙江省杭州出身の劉氏は、帰国後は当然、「日本の鼻をあかした男」という好待遇を得られると信じていたという。 「しかし、港に戻ると市民に囲まれて国の恥だとか罵りを受けました。逃げ帰ると家で待っていたのは杭州市の行政管理官ですぐに連行されたんです。結局、船も没収、3年の党員資格停止と漁業権剥奪を言い渡されて……」 このような処置をとられたのは劉氏だけでない。福建省福州市の「愛国漁民」を自称していた朱光氏(仮名)も周囲からの猛烈な吊し上げにより、家族ぐるみで移住を余儀なくされたという。 「漁業権も船も没収され、赤サンゴ漁獲での換金も、一時停止される始末です。地元紙や会報誌で海賊野郎とか反共産党の鼠だの顔出しで書かれて生きていけない」 中国では反日活動といえば、「愛国無罪」が半ばまかり通っていたイメージがあるが、なぜ今回に限り、このような事態になっているのか。密漁に関与した漁民たちが過酷な法的、社会的制裁を受ける理由を新華社通信福建支局員のT氏はこう説明する。 「密漁は反日感情を煽る意味で黙認という形を夏までは当局がとっていたんです。乱れがちな国内の結束を図る意味で必要な“ガス抜き”だった。ところが、11月のAPEC後に日中関係改善の模索をとった途端に法的処置も厳格化し、梯子を外したんですね。現在、党自ら火消しに躍起。これまで“活躍”していた反日扇動家もなりを潜めてしまっています」 日中関係改善の動きの裏で、ここ数年、過激化していた反日運動が「なかったこと」にされる日も近いのかもしれない。 http://nikkan-spa.jp/766568
2014/12/16 23:06
相変わらずNHKは、我が党の石原最高顧問が、今回の衆院選で自ら比例東京ブロックで名簿最下位の順位とし、後進に議席を譲る決意であった事について、衆院選に於いて異例のニュース性の高い事実であったにもかかわらず、「報じない自由」を行使しました。この様にして、石原最高顧問の「滅私」の行為を只の引退ニュースとして報じ、「次世代の党」に好感や関心・注目が集まらない様にします。 — 《石原慎太郎氏が政界引退を表明》 2014.12.16 NHK 次世代の党の石原最高顧問は日本記者クラブで記者会見し、今回の衆議院選挙で議席を得られなかったことを受けて、「引退を決心した。仲間への義理は果たせたと思うので、晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と述べ、政界を引退する意向を表明しました。 この中で、次世代の党の石原最高顧問は、今回の衆議院選挙で次世代の党が2議席にとどまったことについて、「次世代の党という党名が浸透しにくかったことと選挙までの時間がなかった」と述べました。 そのうえで、石原氏は、みずから比例代表の東京ブロックに立候補したものの議席を得られなかったことを受けて、「引退を決心した。解散をきっかけに引退するつもりだった。仲間への義理は果たせたと思うので、晴れ晴れとした気持ちで政界を去れる」と述べ、政界を引退する意向を表明しました。 また、石原氏は、これまでの政治活動について、「参議院議員から始まり、衆議院議員を務め、東京都知事にも就任して、できるだけやったつもりだ。歴史の十字路に何度か自分の身をさらして立つことができたのは、政治家としても物書きとしても、非常にありがたく、うれしい経験だった」と振り返りました。 そして、石原氏は「心残りは、憲法が1字も変わらなかったことだ。今後は、国内外の若い芸術家を育てる仕事をしていきたい。言いたいことを言い、やりたいことをやって、人から憎まれて死にたいと思う」と述べました。 石原氏は、昭和43年の参議院選挙で初当選し、参議院議員を1期、衆議院議員を9期務め、運輸大臣などを歴任しました。 平成11年からは東京都知事を務め、有害物質を排出するディーゼル車の規制などに取り組みました。 そして、東京都知事を4期目の途中で辞任し、おととしの衆議院選挙で、日本維新の会から立候補して国政に復帰し、ことし8月からは次世代の党の最高顧問を務めていました。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141216/t10014025461000.html