第11号議案 中野区男女共同参画・多文化共生推進審議会条例

第11号議案 中野区男女共同参画・多文化共生推進審議会条例

討論

○議長(高橋かずちか)
これより討論に入ります。

吉田 康一郎議員、近藤さえ子議員から討論の通告書が提出されていますので、順次通告議員の討論を許します。

最初に、吉田 康一郎議員。

〔吉田 康一郎議員登壇〕
○12番(吉田 康一郎)
ただいま上程されました第11号議案、中野区男女共同参画・多文化共生推進審議会条例について、反対の討論を育児支援と防災緑地と平らな歩道の中野をつくる会の立場から行います。

予算特別委員会の総括質疑でも申し上げましたとおり、今から10年前の2010年10月16日、今も首相を務めるメルケルドイツ首相は、「ドイツの多文化主義は完全な失敗だった」と断言しました。「ドイツに多文化社会を建設するという試みは完全な失敗だった。そして、この30年から40年の失敗はすぐには穴埋めできないと訴え、その上で、移民はドイツ語を学び、ドイツ社会に融合しなければならない。すぐにドイツ語を話さない人は誰一人歓迎されない。ドイツ社会で生きていくなら法に従うだけでなく、私たちの言語を習得しなければならない」と言い切り、世界に大きな反響を呼びました。

次に、2011年2月6日、イギリスの当時の首相であったキャメロン首相は、ミュンヘン安全保障会議において、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが相次いでいることを念頭に、「イギリスでの多文化主義は失敗した」と述べました。

「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化が互いに干渉せず、主流文化からも距離を置いて存在することを推奨してきた、そうしたいわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と正反対の行動を取ることすら許容してきました」とし、「異なる価値観を無批判に受け入れる受動的な寛容社会であってはならない」としました。

本年1月31日、イギリスは正式にEUを離脱しましたが、多くの専門家が「他国からの移民の急増が大きな要因として挙げられる」としています。寛容な目的で悲寛容な人々を受け入れて、その非寛容な考え方を寛容に受け入れることが社会にあつれきをもたらしたということであります。

予算特別委員会の総括質疑では、九州大学施光恒教授の研究を紹介しましたが、本日は和光大学挽地康彦准教授の研究を紹介します。

欧州では、1970年から1980年代にかけて、リベラルな移民政策を共通して採用してきました。移民集団の文化を尊重し、ホスト社会の文化に同化させることなく、多様な文化の維持を容認する多文化主義の政策であります。多様性と平等の理念に基づく多文化主義は、人種差別を禁止する法律制定、母語教育の機会の保障、多文化教育、公費援助による、例えばムスリム学校の設立など各種の政策へと結びついていました。そして、もう一つの共通点は、永住市民権デニズン、シチズンに対してデニズン――の浸透であり、国民国家における法的、政治的、社会的権利の共有主体を国籍を保持する国民に限定することなく、永住者としての移民へと拡張していこうという政策でありました。

しかし、ホスト社会への移民の包摂に向けた多文化主義政策やデニズンシップ政策は、1980年代以降から陰りを見せ始め、1990年代になると統合政策に向けて大きく修整を迫られました。

その理由は、まず移民の人口比率の高まり、多くの移民が西欧諸国の人口構成に不可逆的な変化をもたらしたこと、次に、リベラルな移民政策による移民の包摂が期待どおりに進まず、むしろネイティブの住民との間の格差や対立の深まりが認識されるようになったこと、次に、移民に対する社会的給付がホスト社会にとっての負担となることが改めて問題視されるようになったこと、多文化共生推進の理念や政策は、ホスト国の言語習得や異文化間接触へのインセンティブを移民に与えず、主流社会の労働市場への参加を低下させ、移民の飛び地の形成を促した。移民の側でのホスト国の価値観を否定するような原理主義運動が広がった。そして、2000年代以降、移民の失業や犯罪の増加、アメリカ同時多発テロ事件による不安や不信の高まりは、各国国内における分裂の進化をもたらした。

予算特別委員会で質疑をしたイギリスのロザラム児童性的搾取事件やドイツのケルン大晦日集団性暴行事件などはこのような中で起きた事件であり、今の欧州でこのような事件は枚挙にいとまがありません。

このような現実を受け、他国の文化、特に欧州においては、ムスリムの文化がヨーロッパの文化と対立するとみなされることで、ヨーロッパの各国、各地域でミナレットの禁止、これはスイス、ブルカの禁止、フランス、いとこ同士の結婚の禁止、オランダ、といった法律制定の動きが相次ぎました。

福祉国家が発達し、移民にも寛容であったオランダは当初、多文化主義の成功例として知られていましたが、今や多文化主義の最初の失敗例となったケースとして認識されています。

以上のような経緯から、今日、多くのヨーロッパ諸国では、移民政策を多文化共生政策から同化主義的な統合政策、より制限的な規制路線へと転換し、1、移民規制の厳格化、2、選択的な移民の受入れ、3、社会統合に向けた市民化政策の推進という相互補完的な三つの方針によって実施する傾向が強まっています。この1の移民規制の厳格化とは、新規移民の領域内への参入抑制、ビザや就労許可の発給要件の厳格化や非合法移民の入国管理の強化など、そして、国内からの非正規滞在者の排除。そして、2つ目の選択的な移民の受入れとは、新規の労働移民、これをハイテク部門、底辺部門に向けて、この確保を制限し、変えること、定住の可能性を否定した一時的、期間限定的な可処分労働力の調達、そして、3つ目に市民化政策の推進、長期滞在許可や市民権取得の義務要件としての統合テスト(市民テスト)の導入、合法的な定住者の規制強化(永住条件の厳格化や社会的コストの抑制など)、このような政策であります。

1990年代以降、登場してきたこの新しい移民政策は、ヨーロッパの要塞化、そして市民的価値を称揚する同化主義的な統合レジームの形成をもたらしている。ヨーロッパの要塞化はヨーロッパ外部からやってくる新たな移民たちの入国や権利を制限し、そうした権利対象者の制限を踏まえて、ヨーロッパ域内にいる既存の移民達の権利を擁護しようとする。ただし、新規移民を制限することで要塞化を目指すヨーロッパは、既存の移民の権利に対しても、多文化主義ではなく、同化主義的な手法で擁護するように移民政策を転換してきた。このように総括をしています。

これが多文化共生政策を進めてきたヨーロッパの現在の姿であり、多文化共生政策を推進する日本の将来の姿であるでしょう。

そもそも多文化主義は、多民族国家が分裂・解体することなく、国民国家として生き残るためのイデオロギーとして機能するものでありました。

我が国のように、世界でもまれなほど、ほぼ単一民族国家に近い国の場合、他国からの移住者を統合せず、多文化を推進するという政策が国家の解体を推進する側面をどうしても有します。我が国の場合は、残念ながら、隣に共産党一党独裁の中国があり、例えばオーストラリアでも、サイレントインベージョン、こういう政策について大変な警戒、中国系の移民に対する様々な法的な制限、こういうものが行われ始めている。そして、世界中で孔子学院、多文化共生の象徴とも考えられる孔子学院が本当は中国の文化的なあるいは政治的な、経済的な侵略の機関である、このようなことから、世界中の大学で孔子学院の閉鎖が相次いでいます。そして、そもそも中国には国防動員法という法律があって、海外における中国人が中国政府の命令の下、様々な行動、活動、工作をしなければならないことが義務づけられています。

他国の悪意ある干渉に無防備なまま、時代遅れの多文化共生推進という政策を推進することには慎重でなければならない、我々はこのように考えます。

地獄への道は善意で舗装されている、このように言いますけれども、平和で寛容な我が国が世界から失われることのないよう、外国の人々を日本に受け入れるに当たっては、ヨーロッパを見習って、多文化な歌をそのまま日本に統合しないでいさせるということではなく、日本に統合していく、このような政策を進めるべきであることを強く主張して、この審議会の条例の反対の討論といたします。ありがとうございました。

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