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《ミャンマー・コーカン紛争 色濃い中国の影…工藤年博・アジア経済研究所研究企画部長》 
2015.03.27 産経新聞

 ミャンマー北東部、中国と国境を接するシャン州のコーカン地区におけるミャンマー国軍とコーカン族武装勢力との戦闘が続いている。コーカン族はミャンマーの少数民族の一つだが、他の民族と異なり中国との結びつきが極めて強い。コーカン地区での紛争の背景などを日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の工藤年博研究企画部長に聞いた。

■ ビルマ共産党の拠点

 --今回の衝突はコーカンの武装勢力が仕掛けたといわれている。背景は何か

 「歴史的にみて、コーカン地区周辺はビルマ共産党の拠点だったところ。ビルマ共産党は、前軍事政権(SLORC/SPDC)が1988年に権力を握った翌年、党内のクーデターでコーカン族、ワ族、シャン族のそれぞれの民族勢力に分かれた。コーカン族は前軍事政権と最初に停戦合意を結んだ武装勢力だった。しかし、民政移管を前にした2009年に国軍がコーカン族武装勢力に国境警備隊への編入を求めたため、再び衝突が起きた。この時、国軍はコーカン地区を武力で占領し、リーダーのポン・チャオ・シン(彭家声)は逃亡した。彼はこの地の奪還を狙っていた」

 --ミャンマー政府には、ビルマ共産党に対する警戒感が今も強いのか

 「国軍にとって、ビルマ共産党は歴史的に最大の脅威だった。60年代に中国は革命外交を掲げ、毛沢東主義を国外に広め、なかでもヤンゴンの華人社会に大きな影響を及ぼした。このため、ミャンマー国民が反発し、反華人デモが起きた。これをきっかけに、中国共産党はビルマ共産党支援を活発化させる。中国とビルマ共産党との関係は80年代に鄧小平氏が出てくるまで続く。89年にビルマ共産党は分裂したが、これは中国がそれまでの政策を変更し、ビルマ共産党が崩壊しても介入しないとの確信を、クーデター側が得たためだ。その直後、当時の軍政の実力者、キン・ニュン第一書記が現地に飛び、コーカン族などの武装勢力と停戦協定を結んだ。停戦条件はいまだ明らかにされていないが、麻薬の生産の事実上の黙認や国境貿易をめぐる利権を軍政が認めたとされる」

■ 他勢力との連携ない

 --今回の事件をきっかけにコーカン族武装勢力が他の少数民族武装勢力と連携することはないか

 「ミャンマーの人々は『ポン・チャオ・シンは麻薬を扱う人』とみている。中国で資金ができたから、今年11月の総選挙を前にアピールする良いタイミングとみて反攻してきたのではないか。現時点で他の少数民族武装勢力が本格的に支援することはないだろう」

 --コーカン地区の戦闘では中国兵の姿があったとミャンマー側は証言している。今回の衝突に、中国の関与はあるのか

 「50年に中国はミャンマーとの国境線画定の際、ミャンマー側に大きく譲歩したが、コーカン地区はもともと中国の経済圏の一部だ。ただ、中央政府や中国共産党が今、コーカンの武装勢力を支援する意味がない。もし、中国側に今のミャンマー政府に対する不満があったとしても、国境地域の不安定化は中国にとって何の得にもならない」

 --地方政府はどうか。利権を狙っているのでは

 「雲南省などはミャンマーとの貿易を活発化させ、さらにはインド洋側にも出ていきたいと考えている。その意味では、コーカン地区での紛争は雲南省政府にとっても妨げにしかならない。ミャンマーの新政権が発足後、中国に対する態度が軍政時代に比べて冷めていると不満に思うことはあっても、少数民族武装勢力を支援しないという中国の政策に変化はないだろう」

 --今月、教育法改正をめぐって学生らのデモが強制排除された。今回のデモでも旧ビルマ共産党勢力の関係を指摘する声がある

 「ミャンマーでは故アウン・サン将軍の独立運動もそうだが、革命はいつも学生の中から始まった。今回の教育法改正を求めるデモの問題も、政府側は学生側の自治権要求などをそのまま受け入れれば、学生連盟は再び共産党の巣窟になってしまうと言っている。それほどビルマ共産党に対するトラウマが強いのは確かだ」(編集委員 宮野弘之)

写真:戦闘で死亡した国軍兵士の納骨式。ミャンマーではコーカン族武装勢力への反感から、国軍に対する支持が高まっている=2月23日、シャン州ラショーの国軍墓地(AP)

http://www.sankei.com/premium/…/150327/prm1503270003-n1.html