カテゴリ:facebooklog

2014/04/01 22:11

2014/04/01

「南京虐殺」をでっちあげた東京裁判(極東国際軍事裁判)の違法性、出鱈目さについて、知らない人がまだ多いですね。偏向したマスメディア、政治家のだらしなさのせいでもあります。以下、記事抜粋。 — 《「南京大虐殺はなかった」を読む②》 平井 修一 また裁判の運営についても、   (1)偽証罪の無い裁判であったこと。 (2)検事側の証言は明瞭な偽証であっても無批判に採択し、弁護側の証言は多くは抹殺されたこと。 (3)公正なるべき判事が安易に検事に同調し、検事と全く同じ立場で運営していること。 (4)弁護人の原爆投下の責任追及、ソ連の不法参戦の追及を、裁判長が「本裁判に関係無し」として発言を封じたこと。 (5)判決は11名の全判事合議によるべきにも関わらず、一部多数派の偏見的意見のみにより判決を強行しております。   「南京大虐殺」に関する検事側証人のデタラメな証言は、偽証罪が無いのですからことさらに被害を大きく、いわゆる白髪三千丈的証言がなされ、弁護人の反対尋問によってそのウソが暴露され、証言した証人や、それを採用した検事がむしろ恥をかき、失笑をかったという事さえありました。   (1)アメリカ人牧師マギーの証言は、日本軍の殺人、強盗、強姦、放火など、聞くに耐えない証言を1日半かけて行いました。 これに対してアメリカ人のブルックス弁護人が反対尋問したところ、マギーの証言は、実際目撃したのはわずか2件で、ほとんどが噂を伝え聞き、憶測、はなはだしきは自分勝手な想像に過ぎない事が暴露されています。   (3)中国人の証言に至っては、全く白髪三千丈という証言であります。宗教団体の紅卍字会副会長の許伝音という者の証言は、「自分は4万3千人の死体を運搬して埋葬した」と言い、また「34万人が殺害され、4千軒の家屋が焼き払われた」とも言っております。   しかし南京城内には、平時は100万人位の人口があったらしいのですが、大部分は戦禍を避けて避難をしておりまして、当時は精々15万人位であったろうというのが、割合確実な数字です。それを34万人殺害されたと言っている。 家を4千軒焼かれたと言いますが、12月13日に占領した南京に、私は15日に入りそれから約1ヶ月余りいたわけですが、その間に1件の火事も焼け跡も見ておりません。 (4)崇善堂という慈善団体が、約15万から20万の死体を埋葬したと証言しています。   だいたい戦闘が終わりますと、作戦をした軍隊は一応「戦場掃除」といって、敵味方の区別なく戦死者の遺体を片付けるのが軍事常識なのです。我が軍がそういう片付けをしているのに、そんなに多数の死体を埋葬したということはとても考えられないのであります。 同時に、そんなに多数の死体を埋葬するには、一体どんなに大きな穴を、あるいはどんなにたくさんの穴を掘れば良いと言うのでしょうか? 考えただけでもウソだとお分かりになるのでしょう。 さらに東京裁判の判決は、全くデタラメ、支離滅裂のものでした。 第一に広田弘毅という方が軍事参議官の職にあったということで絞首刑になっております。軍事参議官というのは軍人の、しかも大将、元帥の古参の人だけが任じられる職であるのに、外務大臣であった文官の広田弘毅がその職にあったということで処刑されている。 あるいは陸軍大臣であった荒木貞夫という方は、なったことのない総理大臣の肩書きで判決をされております。 またインドのパル判事は裁判中から「日本無罪論」を唱えておりましたが、判決では一切無視されたばかりか、これを印刷することも頒布することも禁止されました。 このように東京裁判の不当な事は、後になって裁判の管轄権者であったマッカーサーでさえ、解任後帰国して大統領トルーマンに対し、東京裁判は誤りであったと告発し、又主席検事であったキーナンも東京裁判論告や判決は厳しすぎたと言っております。 その他、英国国際法権威ハンキー卿、米連邦裁判所ダグラス判事、米国際法学者マイニア博士を始め、独・英などの国際法学者、哲学者などもその不当性を厳しく批判をしており、今やそれは近年国際法学界の共通の認識になっております。 然るに現在の日本の状態はどうですか。 半世紀以上経ってすでに独立国であるにも関わらず、いわゆる進歩的と称する学者、文人、評論家、マスコミの多くは依然として「東京裁判史観」という麻薬に犯されたまま、「東京裁判は正しかった、南京大虐殺はあったのだ」と言っているのです。

2014/04/01 21:28

2014/04/01

我が国の諺に、「火の無い所に煙は立たぬ」というものがあります。正直者の国らしい諺ですね。しかし、世界では「火の無い所に煙を立たす」のが日常です。最近も、「南京虐殺、少しはあったんだよ」と調べもせずに思い込んでいる人がいました。真実を内外に知らせなければいけません。以下、記事抜粋。 — 《「南京大虐殺はなかった」を読む①》 平井 修一 産経新聞(関西版)が2014年2月6日号でこう報じている。 <松原仁氏は民主党の国会議員ではあるが、拉致問題に熱心に取り組んできたことで知られ、いわゆる南京大虐殺についても国会の場で論じてきたのは有名な話である。例えば、平成19年5月、衆議院外務委員会でこんな発言をしている。 「1937(昭和12)年11月に、国共合作下の(中国)国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置した。…南京戦を挟む1937年の12月1日から翌年の10月24日(までに)300回、毎日のように記者会見をやった。参加した外国人記者、外国公館職員は平均35名。何を言ったかというと、日本軍はけしからぬと。…にもかかわらず、そこで一回も南京で虐殺があったと言っていない。極めて不思議であります。簡単に言えば、なかったから言わなかったのであります…」 これは実に説得力のある話だ。仮にも30万人規模の「南京大虐殺」があったのであれば、戦時中に中華民国はじめ外国で問題にならなかったはずはないのである> “南京大虐殺”という嘘っぱちについては、山本夏彦翁(故人)が言うように「証拠より論」で、声の大きい方が勝つ。小生はこの件について書かないつもりだったが、たまたまネットで「“南京大虐殺”はなかった」を読み、いつか紹介したいと思うようになった。 この著者の森王琢(もりおう・みがく)氏は昭和12(1937)年12月の南京攻略戦の大隊指揮官であった。平成4(1992)年4月の岡山国民文化懇談会における氏の講演記録をまとめたのがこの本で、副題には「謹んで英霊に捧ぐ」とある。現場の体験者としての証言であり、帝国軍人としての誇りがうかがわれるので小生は第一級の史料だと判断した。何回かに分けて以下紹介する(若干整理した)――

2014/04/01 21:01

2014/04/01

台湾のひまわり運動の学生達は、馬総統と国民党の大陸臭のプンプンする妨害工作に対して、清清しく見事に戦っています。 — 《台湾のサンフラワー学生運動》 Andy Chang 馬英九政権が中国政府とサービス貿易協定(服貿協定)を作成し、国会を経ず行政命令で勝手にサイン、さらに国民党の国会優勢を使って強行採決を宣言したので、学生たちが立法院(国会)を包囲し、会議場を占拠した。国会が麻痺して10日目になる。 学生たちはこれを「太陽花学運」(ヒマワリ学運)と名付け、馬英九政府に服貿協定の撤回など4ヶ条の要求を突きつけた。馬英九は学生たちの要求に応じないので、抗議運動は長引く。 太陽花学運は馬英九独裁でサービス貿易協定(服貿協定)にサインしたあと、国会で強行通過を宣言したことだが、服貿協定が台湾の存亡に関わる問題だから大問題となり、学生の太陽花学運は全国人民の賛同と援助を受けている。 ●服貿協定と馬英九の独裁 馬英九が中国側と経済便か交流問題で協議したのち、総統の行政命令でサインし、これを国会で通そうとした。 服貿協議は二国間の条約だが、条約は国会審議を経てから総統がサインをするべきで、総統が国会に内容を隠したまま先にサインしたのは違法である。違法行為でサインした条例を国会が審議するなら総統の違法行為を認めることとなり、二重に違法となる。 ところが国会では国民党系の張慶忠主審が審議を宣告したあと、たった30秒で法案の批准を宣言したのである。これが国会議員や国民の憤怒を買い、結果として学生たちが国会に侵入、占領して協定の撤回を要求した。 太陽花学運は馬英九独裁に抗議しただけではない。服貿協議とは中国の経済乗っ取りと中国人の移住に便宜を与える実質的な台湾併呑の条約である。こんな条約を締結すれば数年内に台湾経済は中国と一体化し、中国人の大量移入で台湾は併呑されてしまう。台湾の存亡に関する協定にサインをした馬英九の大罪である。 ●ヒマワリ学運の要求 学生たちは暴力を使わず国会を占拠して会議ができなくなったので馬英九は学生代表と話し合った。学生代表は馬英九に4ヶ条の要求を突きつけた。4ヶ条とは(1)服貿協定の撤回、(2)中国と協議する前に「両岸協議の監督」を法制化し、立法してから再審議する、(3)公民憲政会議を開く、(4)朝野の議員の参与と人民の要求に答える。 馬英九は4ヶ条に返事をしなかったので、学生たちは馬英九が同意するまで国会占拠を続けると宣言した。 太陽花学運はこれまで台湾であった抗議運動とはまったく違う特徴を持っている。学生運動が冷静で平和を維持し、暴動でない。従って警察も暴力を行使できない。グループの団結と連絡が緊密で、内ゲバを起こしていない。国民全体の賛同と応援があり、食料や必需品の差し入れがある。学生たちは秩序を保ち、国会に入る人のために通路を開け、計画的な座り込みを続け、医療室、食料班、ゴミ処理なども完備している。世界に類を見ない平和な国民運動である。 ●国民党の陰謀に対抗する学生の「ヒマワリの歌」 ヒマワリ学運は全国民の支持があり、国民はこれが中国の侵略を防ぐ抗議と認識している。太陽花学運はヒマワリの如く明るく平静な公民運動である。馬英九政府はこれまでのように警察を使って強制退去を命じることもできず、陰湿な手段で学生運動を潰そうとしている。 国民党は竹聯幇ヤクザを学生の内部に混入させ、議会のオフィスを破壊したり、議員の引き出しからお菓子を盗んだりして学生たちの行為を誹謗したが、刺青のあるヤクザはすぐに身元がバレテ追い出された。次に国民党はメディアを使って学生たちが違法行動をしているとか国会の行事を妨害したなどと書きたてた。メディアは勝手なでっち上げでリーダーの誹謗記事を書いたが、たちまち学生たちに反論された。群集にスパイを混入させてデマを流し、分裂を図ったが学生たちに見抜かれて逃走した。 国民党が新しく考えたのは、ヒマワリ運動に対抗する「カーネーション運動」と名付けたグループが市内4箇所で「反・反服貿運動」デモを開始したのである。 カーネーションは母親の親愛を表す意味があるから、このグループは学生に呼びかけるのではなく母親が子供の安全を心配することを狙った運動である。学生たちよ、父母に心配させるな、早く家に帰りなさいと書いたスローガンを掲げて町を練り歩いている。国民党は資金が潤沢だから千人ほどを動員して4箇所で「反・反服貿運動」を始めたのである。 カーネーション運動に対抗して学生たちはすぐ「太陽花学運の歌:島々の夜明け」を作って楽器演奏や学生の合唱などをしている。これで学生の気勢は更に上がった。国民党の妨害は逆効果だったのだ。 お母さん、心配しないでください。 私たちは許せない人に抗議しているのです。 私たちは怖がらない。 私たちが貴女を守る日がきたのです。 私たちの夢を守るために、私たちは勇敢に戦う。 夜が明けてだんだん明るくなってきた。 希望の光がこの島のすべての人を照らすまでわれわれは歌い続ける。 今回の太陽花学運に対し、世界各国の台湾人が応援デモを行っていることと、ザ・エコノミストやビジネスウィークなど有名な雑誌がこの運動を取り上げて報道した。アメリカ国会議員も台湾の学生運動を支持する声明を出している。 馬英九が譲歩しないなら太陽花学運はまだまだ終わらないだろう。結果がどうなるかは予測できないが、世界の注目を集めた大衆運動は天安門事件のような流血惨事にならないだろう。

2014/04/01 3:02

2014/04/01

訳:「百万人に達してるかも」!!!

2014/04/01 2:30

2014/04/01

《保育園に入れない杉並区、中野区の実情 認可園申し込みの半数が落選、職場復帰も困難に》 私の地元、中野の育児環境の現状です。 育児環境の改善が出生率の向上に結び付きます。国を挙げて、育児環境整備の3本柱、現金給付、現物給付、労働環境整備を、出生率が2を超えた欧州諸国並みに引き上げる、その中で自治体も全力で環境整備に取り組まなければなりません。 以下、記事抜粋。 —  子どもを認可保育園に預けることが認められなかった母親たちが、区役所に異議申し立ての書面を提出する抗議行動を起こしている。 「育児も仕事もさせて」「保育園を直ちに増園を」  2月25日の午後、子ども連れの母親たちが、東京の中野区役所に押し寄せた。母親たちによる異議申し立ては2月21日の杉並区に続くもので、対応した区の担当者に保育園の増設など緊急対策の実施を求めた。  地方自治体による保育実施義務は、児童福祉法第24条で定められている。つまり、自治体(市区町村)は、親の仕事などやむをえない理由がある場合、保育園で子どもを保育しなければならない。ここでいう保育園とは、国が定めた認可施設だ。そのうえで、保育に対する需要の増大などやむを得ない場合には、家庭的保育事業やその他の適切な保護をしなければならない、というただし書きが設けられている。  そのことから、自治体には認可保育園を整備する義務があるうえ、「どこにも預け先がない待機児童がいることは違法状態」(村山祐一・元帝京大学教授、日本保育学会保育政策研究委員会委員長)とされる。厚生労働省も「待機児童の存在は、児童福祉法第24条に規定されている適切な保育が行われていない状態」(保育課の担当者)とみなしている。ところが、東京都内ではここ数年、認可保育園への入園申し込みの急増に施設の整備が追いつかず、認可保育園に入園できない子どもが激増している。