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2014/09/09 18:20
吉田清治の捏造「慰安婦強制連行」は、まず国内に大きく広がっていった。朝日新聞が昭和57年9月に取り上げてから、社会党等の衆参議員が国会で何度も採り上げ、平成7年度検定の中学校の歴史教科書から、一斉に「慰安婦」「従軍慰安婦」が登場し、子供に教え込まれていった。 — 《【慰安婦偽証「吉田証言」とは何か】 吉田清治の嘘が国内に与えた影響 国会、中学歴史教科書、指導書に》 2014.09.08 産経新聞 吉田清治の朝鮮半島における「強制連行」証言が、政治や教育の現場に与えた影響は計り知れない。朝日新聞が昭和57年9月に吉田証言を取り上げてから、ほどなく吉田の名前は国会にも登場する。 60年2月14日の衆院予算委員会。質問に立った社会党の佐藤観樹は、戦時中に泣き叫ぶ若い朝鮮人男女を連行した元山口県労務報国会動員部長として吉田を紹介した。吉田が韓国で「謝罪の碑」を建てたことに言及し、こう続けた。 「新聞では『たった一人の謝罪』というふうに報道され、ここに吉田さんが地べたに手をついて謝っている写真があるわけでありますけれども…」 佐藤が紹介した報道とは、吉田が私費を投じて韓国・天安市に「謝罪の碑」を建てたことを、現地で土下座する吉田の写真とともに伝えた58年12月24日付の朝日新聞の記事を指す。 当時の首相、中曽根康弘は、佐藤が示した吉田の言動を“真実”と受け止め、次のように答弁している。 「…それから、吉田清治さんがおやりになっていることは非常に尊いことであると思います。今初めてお聞きいたしましたので、よく調べてみたい」 吉田が国会質疑に登場したのはこれにとどまらない。国会議事録によると、佐藤の質問の後、平成4年4月までの間に吉田清治の名前を挙げて質問した衆参の議員は計4人いた。4年2月19日の衆院予算委員会では社会党の伊東秀子が「彼自身が約千人近くの女性を下関から、朝鮮人の女性を従軍慰安婦に強制連行した」と指摘し、吉田の参考人招致を求めた。 国会の議論の対象となった慰安婦問題は、義務教育の現場でも扱われるに至った。7年度検定の中学校の歴史教科書に一斉に「慰安婦」「従軍慰安婦」が登場したのも、吉田証言が影響している。 「多くの朝鮮人女性なども、従軍慰安婦として戦地に送り出された」 教育出版発行の『中学社会 歴史』の慰安婦に関する記述だ。教科書に限れば慰安婦に関する記述はこれだけだが、この教科書を使って授業を行う教師に向けて同社が作成した「教師用指導書」は、「従軍慰安婦に関する書籍」として6冊を列挙した。そのうちの一冊、『朝鮮人従軍慰安婦』(鈴木裕子、岩波ブックレット)は、吉田証言を紹介している。 この教科書と指導書は9年度から5年間使用された。指導書に忠実に従った教師の授業を受けて、吉田証言を信じた生徒は数多くいたことだろう。(敬称略) http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140908/plc14090814480009-n1.htm
2014/09/09 16:07
ケント・ギルバート氏、しっかり物事を見ている方だったんですね。 — 《【ケント・ギルバートの知ってるつもり】これって空耳?安倍政権批判デモ》 2014.09.06 ケント・ギルバート 安倍政権批判 「戦争させない」 東京で5千人以上 http://www.47news.jp/CN/201409/CN2014090401001825.html http://youtu.be/5lWTp21SvFA あれっ? なんだろう。上の記事を読んでいたら誰かの声が聞こえた気がするんだけど…。 空耳かな? 一応、メモっとこう。 『 親愛なる同志諸君、日々の活動ご苦労である。今後も精力的に「戦争させない」「安倍は辞めろ」運動を日本各地でガンガンやってくれたまえ。憲法9条は何としても守り抜くのだ。諸君の働きには大いに期待している。我々の急所を次々にピンポイントで衝いてくる安倍政権は、一日も早く打倒しなければならない。 国連加盟国193か国のうち、日本は集団的自衛権を行使しないと宣言した世界で唯一の国だった。それを安倍政権はついに覆した。これは我々の立場から見ると非常に困った状況である。しかし内閣による憲法解釈の変更だけでは、まだ集団的自衛権は行使できない。法律が無いからだ。現在のこの状態を何としても維持しなけれならない。日本が近隣諸国と軍事同盟を結び、集団的自衛権を行使できるようになることだけは、何としても阻止しなければならないのだ。 そうでなければ、石油その他の重要物資の輸入ルートを東南アジアで海上封鎖して、日本の経済活動の息の根を止めるという、日本侵略時の最も重要な初動作戦が取れなくなる。加えてもし、日本がアジアの核保有国と同盟を結べば、我々の日本に対する攻撃開始は、すなわち背後から核兵器で直接狙われることを意味することになり、我々は今後、領土拡大政策を安心して行えなくなるではないか。 なに? 安倍政権はアメリカのために中東で戦うことを考えているはずだと? もしそれが真実だという証拠があるのならばありがたい。同志諸君は今すぐ集団的自衛権への反対運動をやめたまえ。自衛隊の主要部隊が中東に派遣されれば、日本国内の守りはその分手薄になるから、我々にとっては渡りに船ではないか。 いいかね、同志諸君。冷静に考えたまえ。安倍政権のターゲットは明らかに我々なのだよ。少し頭を使えばすぐに分かることではないか。そうではないかね? 我が親愛なる同志諸君よ。 とにかく日本国内にいる同志諸君、頑張ってくれたまえ。近い将来、「日本自治区」が実現したら、今すでに我々と意思を通じて行動を共にしている諸君は、一時的に幹部として迎えることを約束しよう。1年くらいは十分に甘い汁を吸わせてやる。だから本当に頑張ってくれたまえ! なに?「その後は?」だと? 祖国である日本を裏切った日本人は、将来的に我々のことも裏切るに決まっているではないか。我々は何千年も裏切りと殺りくとを繰り返してきたのだぞ! 過去の経験から裏切り者は必ず粛清する必要があると知っているのだ。少しは歴史を勉強したまえ! なに? 私たちは「戦争させない」「安倍はやめろ」運動を、「真剣に日本と日本人のためになると思ってやっています」だと? そうか。お前たちは日本を憂う「本物の愛国者」であり、その上、「本物の●●」ということか。 よく分かった。お前たちは我々の支配する日本自治区の中で、最も存在価値が無い人間だと宣告しよう。安心しろ。わが国内にも稀にいる「本物の愛国者」たちと、まったく同じように処遇してやる。 日本の将来のことは我々に全部任せろ。大丈夫だ、安心しろ! すでに優秀な若者を留学生として大量に派遣してある。彼らは日本語を十分に操れるし、日本の高度な知識や科学技術も着々と習得している。日本自治区の運営は、彼らによって問題なく行われるはずだ。それから、すでに大量の独身男を送り込む用意が整っているから、今後の日本は少子化の心配が一切無くなる。なに? 日本人の女たちが子供を産みたがらないだと? どうしてその意志を尊重する必要があるのだ。お前は●●か!? 唯一気がかりなのは、優秀な留学生が本物の日本びいきになってしまうことだが、彼らの家族の身柄を我々が管理できる限りは大丈夫なはずだ。なに? 高度人材外国人は家族を日本に呼べるのか? 最近条件が緩和されただと? これは我々の人質を奪うことが目的かも知れない。やはり安倍政権は一日も早く打倒すべきだ。「戦争させない」「安倍は辞めろ」運動を行う親愛なる我が同志たちよ。引き続き宜しく頼んだぞ! 』 私に聞こえた空耳は以上です。ちなみに、日本人の愛国心の象徴とも言える「日の丸」を、今回の抗議デモの動画の中では一本も見つけられませんでした。だから、こんな空耳が私に聞こえて来たのかも知れませんね。 これが本当に空耳で済んでくれればいいんだけどなぁ…。 http://ameblo.jp/workingkent/entry-11920875447.html
2014/09/09 14:28
東ティモール、マリオ・カネラス氏。曰く、NHKの依頼で元慰安婦の取材に同行すると、日本人の謝罪活動家と記者らが「日本軍からたくさんやらされたんじゃ」。彼女は「仕事は仕事。みんな優しかった」と繰り返すのに、「悪い人がいたんじゃ」と何度も問い詰める。カネラス氏は、そうした取材方法に「ずっと疑問を抱き続けてきた」。 東ティモールでもう一つの奇妙な光景。独立後の支援に輸送機で入った日本の自衛隊員に、空港近くで現地の若者20人と日本人数人が「自衛隊は来るな」とデモ行進。すると、デモを取り巻く現地住民から「助けに来てくれたのに、何で反対するんだ」、逆にデモ隊が詰め寄られた。謝罪活動家が現地の若者を焚き付けたものの不首尾に終わった。 NHKや朝日新聞、謝罪活動家は、なぜこの様な活動をするのか。頭と心が腐っているからとしか言いようが無い。 — 《強制連行 韓国と東ティモールの違いは活動家の工作に乗るかどうか》 2014.09.09 産経新聞 ずいぶん前に、日本軍の慰安婦“強制連行”が、「やはり、虚偽であろうな」と考えさせられる出来事があった。争乱が続いた東ティモールでのことである。独立直前の東ティモールを取材するため、2002年5月に何度目かの現地入りをした。その中心都市ディリで、NGOスタッフのマリオ・カネラスさんから意外な話を聞かされたのだ。 カネラスさんは日本のテレビ局、彼に言わせると公共放送の依頼で日本占領時代のティモール人元慰安婦の取材に同行したことがあった。日本人の謝罪活動家も加わった取材班は、元慰安婦とおぼしきお年寄りを探し当てた。 「日本軍からたくさんやらされたんじゃありませんか」 マイクを持つ記者らは、おばあさんに恣意的な問いかけをした。ところが彼女は「仕事は仕事。みんな優しかったね」と答えた。おばあさんは兵隊相手の売春を「仕事」と割り切って、とても強制的な感じがしなかったとカネラスさんはいう。兵隊は帰り際に「子供さんに」とお土産までくれた。島民はみんな貧しかったのだ。 おばあさんが、何度も「ヤマモトさんは優しかったね」と繰り返す。彼女が相手の日本兵の誰に対しても「ヤマモトさん」といっていることから、カネラスさんは「“ヤマモトさん”という日本語を、“兵隊さん”の意味だと勘違いしている」と推量した。いかにもリアルな逸話である。 それなのに、記者は「悪い人がいたんじゃありませんか」と何度も問い詰める。カネラスさんはそうした取材方法に、「ずっと疑問を抱き続けてきた」と告白した。戦場で愚かな行為があったにしても、「強制性なし」の事実は揺るがないなと感じた次第である。 テレビ記者らは、朝日新聞が何度も報じてきた日本軍の慰安婦「強制連行」なる幻想を、素直に信じてしまったのだろう。朝日は吉田某の「朝鮮半島で慰安婦狩り」をしたという虚偽証言をもとに、「村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」とまことしやかに書いたから罪は深い。そして朝日は、32年後にようやく撤回した。 東ティモールと韓国の違いは、日本人の謝罪活動家があおり立てる工作に乗るか否か、国家が元慰安婦を政治の道具に利用するか否かであるように思う。というのは、この東ティモールで忘れられないもう一つの奇妙な光景を目撃したからである。 独立後の支援のために大型輸送機で入った日本の自衛隊員に、空港近くで現地の若者20人と日本人数人が「自衛隊は来るな」とデモ行進をした。すると、デモを取り巻く現地住民から「助けに来てくれたのに、何で反対するんだ」と、逆にデモ隊が詰め寄られた。謝罪活動家が現地の若者をたきつけたものの不首尾に終わった。 戦後の日本は、サンフランシスコ講和条約に従って賠償責任が問われた。だが、日本が兵を送った東ティモールは、請求を放棄したポルトガルの統治下にあったから賠償責任が生じない。で、暫定政府のラモス・ポルタ外相は、自衛隊が到着したその日、「相手の罪悪感を利用するような姑息なことはしない」と述べた。もちろん日本は経済援助で東ティモールの国づくりを支えている。 他方、中国や韓国からの「謝罪要求」は底なしで、いつまでたっても終わらない。日本に対し、いつまでも優位に立てるからだろうか。 中国は歴史を利用し、韓国は歴史にすがりつく。欧州が冷戦の崩壊で核のストレスから解放されたのとは逆に、日本は将来とも歴史のストレスと上手につき合うしかない。(湯浅博) http://sankei.jp.msn.com/world/news/140909/kor14090912140003-n1.htm
2014/09/09 7:14
《【昭和天皇実録】「ご聖断」ソ連参戦で決意 報告の18分後「終戦」側近に指示 公表の「実録」時系列から判明》 2014.09.09 産経新聞 宮内庁は9日、昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。事実として確認された言動や、側近らの謁見日時が時系列で示され、これまで諸説あった終戦の「ご聖断」の経緯が明らかになった。昭和天皇が最終的にポツダム宣言受諾を決意したのはソ連軍が満州に侵攻したとの情報を得た直後で、ソ連参戦が「ご聖断」の直接原因だったとみられる。実録には幼少期の生活ぶりなども詳細に記され、公表により近現代史研究が大きく進むことになりそうだ。 実録では、連合国が日本に降伏を求めたポツダム宣言を入手した昭和20年7月27日から降伏の玉音放送が流れた8月15日までの20日間を36ページにわたり詳述。それによると、昭和天皇は広島に原爆が投下された2日後の8月8日、賜謁した東郷茂徳外相に「なるべく速やかに戦争を終結」させたいとの希望を述べた。 翌9日午前9時37分、ソ連軍が満州侵攻を開始したとの報告を受けると、直後の9時55分、木戸幸一内大臣を呼び、戦争終結に向けて鈴木貫太郎首相と「十分に懇談」するよう指示。木戸内大臣から天皇の意向を聞いた鈴木首相は、午前10時30分開催の最高戦争指導会議でポツダム宣言への態度を決定したいと答えた。 10日午前0時3分、御前会議が開かれ、鈴木首相から「ご聖断」を求められた昭和天皇は、ポツダム宣言受諾を決心したと述べた。 昭和天皇のポツダム宣言受諾決意の時期には、広島や長崎への原爆投下時、ソ連参戦時など諸説あったが、実録を分析した京都大の伊藤之雄教授(近現代史)は、広島への原爆投下時では2日後に終戦の意向を閣僚の東郷外相に伝えたのに対し、ソ連参戦時は直後に側近中の側近だった木戸内大臣に指示した点を重視。「ソ連参戦がポツダム宣言受諾を最終的に決意する原因だったことが改めて読み取れる」としている。 実録の記述により、連日の本土空襲や原爆投下などで終戦の意向を強めた昭和天皇が、ソ連参戦で万策尽きたと判断。これ以上の犠牲を広げないため、即時終戦に向けた動きを主導した当時の様子が明らかになったといえる。 また実録では、幼・少年期の手紙や作文を初めて公開。初出のエピソードも多数盛り込まれた。一方、即位後の政治的発言や側近らの謁見内容が明かされないことも多く、編纂方針をめぐり議論を呼びそうだ。 ■ 昭和天皇 明治34(1901)年4月29日、皇太子時代の大正天皇の第1男子として誕生。名は裕仁(ひろひと)、幼少時の称号は迪宮(みちのみや)。大正10(1921)年に20歳で摂政に就き、15(1926)年に25歳で第124代天皇として即位。天皇陛下をはじめ男女7人の皇子をもうけた。即位後、日本は満州事変、日中戦争を経て先の大戦に突入。昭和20(1945)年8月10日の御前会議で降伏を決断し、15日にラジオによる「玉音放送」を通じて終戦を国民に告げた。64(1989)年1月7日、十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺がん)のため、87歳で崩御した。 ■ 実録 天皇・皇族の事跡を時系列にまとめた記録。「実録」ではなく「紀」と命名された実録もあるが、本質的には変わりがない。昭和天皇実録は宮内庁が平成2年に編纂を開始。2度の計画延長を経て、24年5カ月をかけて今年8月21日に完成。宮内庁は全61巻(1万2137ページ)を天皇、皇后両陛下に奉呈(献上)した。分量は天皇の実録としてこれまで最長だった明治天皇紀の1・5倍。 http://sankei.jp.msn.com/life/news/140909/imp14090905100002-n1.htm