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03/05/2016 11:37:56 PM
フランスの出生率上昇については、移民に起因するものではない、との研究があります。それを紹介したブログがありますので、再掲します。 — 《フランスの高出生率を支えるもの-移民の子だくさんという先入観。》 2006.01.28 fenestrae 1月14日に国立統計経済研究所(INSEE)から2005年度の国勢調査の結果が発表された。いろいろな着目点があるが、大きな話題の一つは、出生率が3年連続増加し、合計特殊出生率1.94に達したことだろう。これはEU諸国の中ではアイルランドの1.99に次ぐ第2位の水準である。これについてはINSEEも特に項目を作って解説している。 フランス国内でもたとえばリベラシオンは、 「Douce France, cher pay de la petite enfance 優しいフランス、子供たちの愛しい国」(1月18日づけ)と、シャルル・トレネのナツメロ "Douce France, cher pay de mon enfance" のタイトルをもじった見出しで紹介する。ル・モンドも「女性たちの出産年齢、結婚年齢はあがり、一方また寿命も延びる Les femmes font des enfants et se marient plus tard, mais elles vivent aussi plus longtemps」という少しひねった見出しで、女性の人生サイクルの変化に着目しながらとりあげている。 日本でも「フランスは出産ラッシュ、人口自然増27万人」(asachi.com, 1月18日)、「少子化対策が奏功?フランスで人口36万人増加」(Yomiuri Online, 1月24日)などの記事で紹介された。 出生率のこうした上昇の主な理由は、asahi.com の記事が「フランスは90年代から育児家庭への公的給付や育児休暇制度を拡充。近年は育児中の休業補償の充実にも力を入れ、こうした対策が少子化を食い止めているとみられる」と端的に指摘するようなところにある。 育児休暇制度の拡充についてもう少し付け加えれば、育児休暇を利用した女性が、そのことでキャリア上の不利益をこうむらずにもとの職務、職位に戻れることが制度的に保証されていることも大きい。 また、少子化対策というと国をはじめとする行政の問題、とくに経済上の問題と捉えられがちだが、これは、子供を産む女性や生まれた子供を育てる男女が働く組識、そこにいる皆が作る文化の問題でもある。実をいえばフランスでは日本よりもあんがい子育てに手間がかかると私は思う。中学くらいの子供でも、親かその代りになるだれかが登下校の送り迎えをするのが普通だし、多くの子供が昼食を家でとるので食事の支度をしたりやはりそのための送り迎えをしなければならない。そのために祖父母が動員されたり、アルバイトをやとったり、夫婦で勤務時間を調節したり、隣り組の友人に代わってもらったりなどいろいろなやりくりをすることになる。勤め人をしながら一人で小さな子を産み育ている女性や、夫婦じゅんぐりの子供の送り迎え当番のために会議の時間を調整してもらう、肩書きに「長」のつく男性を知っているが、たいへんだとこぼしながらそれでも何とかやっている。彼らと同じ環境の人たちが日本で同じようにしようとすればもっと精神的な苦労がいるのではないだろうかと思う。少子化対策は、出産を期待されている女性だけにかかわる問題ではなく、育児という行為を通して、女性、そして男性の生活・労働条件にもかかわるみんなの問題だという認識が、日本ではたぶんもっと必要だろう。結局、今のフランスはそうした面でも子供を作り育て安い環境になっているというのが、この高出生率の大きな要因だと私は思う。 ところで、こうしたフランスの社会状況をあまり認めたくない人々がいる。そうした人々が用いる道具がが少なくとも2つある。 一つは「婚外子」ということばに否定的な価値判断を込めて、フランスの「婚外子」の多さに高出生率の陰の部分があるようにみせかけようとする論。上記の asahi.com の記事が数字を客観的に伝えるように「2005年に生まれた赤ちゃんの48.3%が婚外子」である。が、これは現在のフランスのカップルや家族のありかたの多様性を伝えるものにすぎない。「婚外子」にさも問題があるかのように語る人は、単に自分の文化的偏見を示しているにすぎず、何が問題か客観的なデータで語ることができない。 もう一つは、フランスの出生率を押し上げているのは移民の高出生率であるという説である。「フランス 移民 高出生率」などのキーワードで検索すると、まともな解説にまじって、というかそれを圧倒して、その手の説が出てくる。最近では昨年11月のバンリウ騒動にひっかけて、上の論とあわせて宣伝されたようだ。特定団体ににらまれたり、データや論理に顧慮を払わない「アンチ・ジェンダーフリー」・クルセーダーみたいな人と内容のない議論につきあったあげくに、いくらネット名とはいえ呼び捨てにされるようなめにあうのは勘弁なので、このあたりの論者に近づくのはやめるが、ただほうっておくと、そうした言が拡大再生産される気配もあるようなので、データに即したことを以下に書きとめておく。 […]
03/05/2016 04:52:27 AM
私は「出生率2.0の子育て大国を目指す」を公約の主要な柱の一つとして、フランス並みの育児支援と環境整備を実現する必要があると、2005年の都議会議員初当選の時から訴え続きてきました。 フランスでは、小学校の前に、3歳から5歳まで我が国の幼稚園と保育園の機能を併せ持つ「保育学校」があり、小学校と同様に対象年齢の児童が無料で全員入学できます。「保育園に落ちる」我が国の状況は、全くお粗末であり、政治と行政は何をしているのかと思います。 しかし、「保育園に落ちる」という不利益が自分にあったからと言って、日本全体を「死ね」と罵る、一億三千万人の不幸を願うという幼稚な短絡は全く認められません。 そしてそれをもてはやす事も社会に悪影響を及ぼします。「死ね」と言った事が良い結果をもたらしたとなれば、人々に問題が起きる毎に「日本死ね」「日本死ね」と言う事を推奨する事になる。皆が「死ね」「死ね」と呪う事を認めていては、社会全体が劣悪な状況に陥ります。 自分が不幸であっても、周りの人の幸せを願う、日本人とはその様な人々であったはずです。 https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/554401974727343
03/05/2016 02:30:09 AM
「保育園落ちた日本死ね」という思考の人や、それに賛同する人に、まともな子育てができるとは思わない。その様な言動をもてはやし利用しようとする政党や政治家に、まともな政治ができるとも思わない。 https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/554361551398052
03/05/2016 12:28:41 AM
4年前、民主党政権の時の記事です。当時、マスメディアや憲法学者達が見せた反応と、現在の安倍政権や高市総務相に対する反応の違い、示唆に富みます。 — 《「電波止めるぞ!」民主党幹部が目の敵にする表現の自由》 2012.03.13 週刊現代 「間違った情報ばかり流すなら、電波を止めてしまうぞ!政府は電波を止めることができるんだぞ。電波が止まったら、お前らリストラどころか、給料をもらえず全員クビになるんだ」 いまどき、こんな暴言を吐く政治家がいたとは驚くほかないが、これは民主党の輿石東幹事長の発言である。 「2月23日の幹事長番記者たちとのオフレコ懇談での発言でした。『野田政権が、税と社会保障の一体改革から社会保障の部分を切り離し、消費増税法案を先行させる見込み』というフジ他各社の報道を問題視し、『間違った情報を流しやがって!裏を取っていない情報を流すな!』と恫喝した」(大手メディア幹部) 輿石氏は「間違った情報」と言うが、報道の元になったのは、同じ日の前原誠司・政調会長の会見。前原氏が年金一元化など社会保障関連法案の提出を4月以降に先送りすると発言したため、前述のような報道になったのだが・・・・・・。 「民主党幹部の言うことがバラバラなんですよ。原因は党をまとめられない輿石氏の力量不足に他ならないのですが、自分のことは棚に上げ、マスコミに八つ当たりしている」(同) それにしても、野田政権幹部のメディアに対する高圧的な姿勢は悪質だ。輿石氏は2月1日にも、朝日新聞の見出しが気に入らないとして、「またやったな!政治部長を呼んで抗議するからな」と吠えている。 前原氏も、産経新聞に「言うだけ番長」と揶揄されて激怒し、同紙記者を会見から排除。与野党からの批判で撤回したが、政治家としての器量の小ささを、自ら曝け出した。 さらにポスト野田の有力候補とされる玄葉光一郎外相も、2月9日の番記者とのオフレコ懇談で、沖縄の米軍基地再編問題に関する報道が気に入らないとして、「とくに共同通信の解説が酷い」などと、くどくどクレームをつけたという。 かつて小泉進次郎議員から「自由があるのが自民党。自由がないのが民主党」と揶揄された民主党だが、意に添わない報道を目の敵にする姿勢は目に余る。 この人たちには報道や表現の自由という常識は通じないらしい。 『週刊現代』2012年3月17日号より http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31976 https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/554339634733577
03/04/2016 12:15:15 PM
経済崩壊の可能性まで予期されている中国。しかし少なくとも、尖閣諸島の領土要求、歴史捏造と反日宣伝、チベット人・ウイグル人・モンゴル人等の同化絶滅政策等をやめ、南シナ海の人工島の軍事基地を撤去するまで、支援すべきではありません。 — 《G20もサジを投げた「ヤバすぎる中国経済」~選択肢は三つ。ただし、どれを選んでも崩壊の可能性》 2016.03.04 現代ビジネス 長谷川幸洋 ■ G20が出した結論 いったい中国はどうなるのか。いま世界中の企業や家計がこの1点を心配している。ところが、先に開かれた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議の結論はあいまいで、矛盾を孕んだ態度に終始した。あらためて問題の核心に迫ろう。 マスコミは「中国についてG20がどんな姿勢を示すかが焦点」と連日のように事前報道した。ところが、会議の後の報道ぶりを一言で言えば「結論はよく分からない」だった。 たとえば、2月28日付の朝日新聞は「G20『政策を総動員』 共同声明採択 市場安定化図る」という見出しを掲げて「G20の合意が市場の安定化につながるかは見通せない」と書いた。なんのことはない「どうなるか、分かりません」という記事である。 G20の声明には、景気回復のために「すべての政策手段(金融、財政および構造政策)を個別にまた総合的に用いる」と書いてある(http://www.mof.go.jp/international_policy/convention/g20/g20_160227.htm)。だがそれは、何もいまさら大げさに言わなくても、当たり前の話にすぎない。 あえて書き込んだのは、マスコミ向けに「見出しになるような文言を加えたほうがインパクトがある」と大臣たちが考えたからだろう。マスコミがそれに調子を合わせて、上っ面の言葉を見出しにするようでは、なめられたも同然だ。肝心なのは政策の中身である。 ちなみに「金融、財政および構造政策」というのは「アベノミクス3本の矢」でもある。ということは、アベノミクスは経済政策の世界標準を並べてみせただけで、安倍晋三首相のオリジナルでもなんでもない。 それを「アベノミクス」というキャッチフレーズに包んで、印象深く打ち出しただけだ。いわば当たり前の政策なのに、マスコミはあたかも新しい政策パッケージであるかのように報じてきた。言葉と中身の虚実をマスコミはきちんと分かっているのだろうか。 本論に戻す。G20が打ち出した政策の中身を見ると、目新しさはほとんどない。機動的な財政政策と緊密な為替協議、通貨の切り下げ競争回避、それに資本流出の監視強化である。あえて言えば、資本規制の検討が加わった程度だ。 ■ 激減する中国の「外貨準備高」 1つずつ順に評価しよう。まず「機動的な財政政策の実施」を打ち出したのは、世界経済の下方リスクに対応するのに、金融政策だけでは十分でないと認識したからである。現状認識はなかなか厳しい。声明はずばり「世界経済の見通しがさらに下方修正されるリスクへの懸念が増大している」と書き込んだ。 日本にあてはめれば「追加の景気対策で財政支出を増やしてくださいね」という話になる。これを見ただけでも、消費税の再増税がありえないのは明らかである。G20が財政出動を求めているのに、日本が増税では政策ベクトルが完全に逆行してしまう。増税どころか減税を考えるべき局面なのだ。 日本のマスコミではG20が打ち出した方向と消費増税がいかに相反しているか、といった解説にほとんどお目にかからなかった。経済記者たちは財務省の言い分を垂れ流しているだけなのだ。 次が「緊密な為替協議と通貨の切り下げ競争回避」。これは中国の人民元下落を念頭に置いている。人民元が下がり過ぎると、中国の輸出が有利になる。それは他のメンバー国にとって不利だから「為替安定のために連絡をとりあって、必要なら介入しましょうね」という話である。 ずばり言えば、中国に対して人民元下落を阻止するために「しっかり介入してくれ」と要求したのだ。 中国はいまでも強烈なドル売り・人民元買い介入をしている。それは当局が発表しなくても、外貨準備の急落になって表面化している。2月12日公開コラムで指摘したように、中国の外貨準備はいま毎月1000億ドルペースで減っているのだ(http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/47855)。 中国人民銀行が人民元買い介入をすると、実質的に金融引き締めになってしまう。経済社会に出回る通貨量を吸収するからだ。いま中国は景気崩壊の淵に立っているのだから、本来なら引き締めでなく、逆に金融緩和しなければならない。 そこへ金融引き締めなら、中国は一段と景気が悪くなる。いわばG20は中国の景気悪化を犠牲にしても、人民元相場の維持を求めた形である。 短期的には自国の輸出を不利にしないために正解だったとしても、中期的には中国の崩壊が巡り巡って世界経済と自国の景気悪化を招くのだから、自分で自分の首を締めるようなものだ。 ■ 外貨制限のウワサも漂う 当の中国はどう認識しているかといえば、中国人民銀行がG20閉幕直後の2月29日、預金準備率を引き下げたところに本心がにじみ出ている。預金準備率の引き下げは銀行が中央銀行に強制的に預ける預金を減らして融資に回せる資金が増えるから、金融緩和になる。つまり中国当局は緩和が必要と分かっている。 G20は為替介入して人民元相場を維持せよと求めたが、緩和は逆に人民元下落に働く。実際、預金準備率引き下げ発表後、人民元は一段と下落した。これをみても、G20と中国の行動がちぐはぐなのは明らかだ。 3つ目の資本規制強化となると、何をか言わんやという話である。 国際通貨基金(IMF)を軸にした世界経済は本来、自由な資本移動が大原則だ。もともとIMFは自由な資本移動を促した結果、貿易代金の支払いに窮する国が出てくれば、危機を脱出するために緊急資金を貸し出すのが役割の国際機関である。 G20が大真面目に資本規制を検討するとは、裏返せば、それほど中国が危機一歩手前に追い込まれている証拠である。まして、中国はIMFの特別引出権(SDR)通貨入りを果たしたばかりだ。 中国はSDR通貨として人民元を危機国に貸し出すどころか、自分自身が危機一歩手前の状態に陥ってしまったのだから、ほとんどお笑いと言っていい。他国に貸すどころか、自分が借りるかもしれないはめになっている。 いくらなんでもSDR通貨国が借りるとは恥ずかしいから、その前に資本規制して流出を止めようという話になっている。資本規制すれば、市場のドル買い人民元売り圧力が和らぐので、為替の安定効果がある。 だが一方、中国に投資した海外企業は人民元で得た利益をドルやユーロに転換して本国に送金しにくくなるから、投資を冷やす結果になる。企業は「これ以上、中国に投資しても利益を送金できないなら意味はない」と考える。これがまた中国経済にダメージを与える。 中国人による爆買いもやがて終わるだろう。当局にしてみれば「外貨準備が急落しているのに、中国人が日本で買い物して貴重な外貨を消費するのはとんでもない」という話になる。すでに中国人が使える外貨に制限を加える話も飛び交っている。 ■ 結局、有効な対策は何もない 以上が、G20の描いた危機への処方箋だ。総じて評価すれば、G20は自分たちの目先の損得を優先して、中国経済の崩壊については何の有効な対策も講じられなかった。 供給過剰が顕在化している中国に一段の財政出動を求めても、ゴーストタウンが広がるだけだ。為替介入の要求は金融を引き締め、経済を収縮させる。そして資本規制は外資の中国離れを加速するのだ。 原理的に言えば、どうやったところで他国が中国を救うことはできない。それは中国自身の問題である。中国人自身が人民元を売り払って中国から脱出しかかっている。キャピタルフライト(資本逃避)が始まってしまったのだ。 資本流出が続けば、中国は結局、人民元の下落を容認するか、資本規制を導入するか、あるいは猛烈な介入を続けるか、の3つしか選択肢はない。そのどれもが崩壊への道につながっている。 著名投資家のジョージ・ソロスは事態の本質を見抜いて「中国のハードランディング(強制着陸)はもう始まっている」と語っている。ソロスは人民元下落に賭けるつもりなのだろう。中国の通貨危機というドラマの幕開けが近づいている。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48092 https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/554174161416791