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05/05/2016 10:44:15 AM
《浦和西川がごみのポイ捨て黙認できなかった理由とは》 2016.05.04 日刊スポーツ <ACL:浦和1-1浦項>◇1次リーグH組◇3日◇埼玉 プロアスリートとして、どうしても許せなかった。試合終了直後。ピッチに倒れ込んでいた浦項の選手が、腕に巻いていたテーピングをピッチに投げ捨てた。サポーターにあいさつをするため、ピッチ中央で整列しようとしていた浦和GK西川周作(29)は、その行為にすぐ気づいた。 浦項の他の選手が拾ったものを、主将DFキム・グアンソクがわざわざもう一度、芝の上に投げた。これを見た西川は、弾かれたような勢いでテーピングを拾いに走り、相手選手に握らせようとした。これに激高した浦項の選手が詰め寄り、あっという間に乱闘寸前のもみ合いになった。 「一度拾ったものを、韓国の選手がまた捨てたので、自分が拾って手渡ししようと思いました。持って帰るようにと、ジェスチャーしたんですけど…。怒ったように見えたかもしれませんけど、自分は冷静というか、ただごみを持ち帰ってほしかった」。 苦しい試合のさなかでも、連戦の疲労がたまっていても、いつも笑顔で振る舞う。それは後ろ向きな姿をファンに見せるべきではないという、高いプロ意識ゆえのことだ。だからこの時も、プロとしてあるまじき行為を、黙認する訳にはいかなかった。 「サポーターのみなさんの中には、子どもたちもいる。絶対に見習ってほしくない。2人の娘の親としても、そこは強く思います。いい選手ほど、ああいうことはしない。勝てなかった悔しさは分かるけど、気持ちは抑えてやってほしかったというのはあります」。 チームメートに範を示すべき主将が、こうした振る舞いをしたことも、同じサッカー選手として残念がった。 「主将はチームをまとめるべき選手。そういう選手が、ああいうことをしてしまえば、チームはうまくいかないと思う。それは基本的なところ。あんな行為は、日本ではまずないし、海外の試合でも見たことがない。フェアプレー精神がない選手は、絶対に上にはいけない」。 アジアの頂点を争う大会で、このようなことが行われれば、アジアサッカーのレベルもそれまでということにもなってしまう。埼玉スタジアムのピッチが汚されたという怒りもあるが、それ以上に同じアジアサッカーの一員として、どうしても意識をあらためてほしかった。 残念な行為でおとしめられた、アジアチャンピオンズリーグの価値は、試合内容で取り返すしかない。この日の結果で、決勝トーナメント1回戦では、F組首位のFCソウルと当たることが決まった。Kリーグでも首位を独走し、アジア最大の難敵と目されるが、西川はこれを歓迎した。 「すごくいいチームなので、必ずいい試合になると思う。広島で一緒だった(高萩)洋次郎と戦えるのも楽しみ」。アジアの強豪同士で、子どもたちに胸を張れる試合をする。その上で勝利という結果を出し「フェアプレー精神を持ってこそ上に行ける」と実証してみせる。【塩畑大輔】 写真:試合終了後、ピッチに再度テーピングを捨てたキム・グアンソク(左端)に怒る浦和イレブン(撮影・江口和貴) http://www.nikkansports.com/soccer/news/1641600.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/582529445247929
05/05/2016 09:35:50 AM
示唆に富みます。朝鮮戦争により日本海軍の再建を望み1950年夏に日本側に提案した米政府。保身の為にこれを忌避した吉田茂。海上警備隊の創設が遅れた為に韓国に占領された竹島。 非武装と呪文が平和をもたらすのではなく、国防力が他国の侵略を抑止し、国民と国土の安全を維持する。そして、私利より公益を優先できる政治家の資質。残念です。 — 《吉田茂が邪魔をしなければ竹島問題は今日存在しなかった説》 2016.05.05 ZAKZAK 有馬哲夫 早稲田大学教授 竹島をめぐる、現在の日本と韓国の間に横たわる問題は、1952年の日本の総理大臣が野村吉三郎だったら、存在していなかったかもしれない。戦後史家・有馬哲夫氏が新たに公開された機密文書から戦後秘史を読み解く『SAPIO』の連載から、吉田茂に代わりCIAが日本の総理大臣になることを望んでいた男について綴る。 * * * 野村吉三郎といえば、日米開戦回避のために日米交渉にあたりながら果たせず、不手際から宣戦布告文も真珠湾攻撃の後にコーデル・ハル国務長官に渡してしまった駐米大使(もともとは海軍大将)として知られる。その野村が戦後なにをしていたのか、アメリカとくにCIAとどんな関係を築いていたのかを知る人はまずいないだろう。 野村は、彼が戦後に悲願としたことのゆえに、CIAが総理大臣にと望んだ男だった。その悲願とは、日本海軍と日本の国防力の再建だった。降伏し、武装解除されたその日から、海軍であれ、陸軍であれ旧軍人は日本軍と自立的国防力の再建を悲願とした。 アメリカ側からみれば、これは日本にアジアの安全保障の一部を分担させることで、野村はそのために利用できる優良なアセット(工作に使える人材)だった。本稿では野村が悲願を達成できたのか、そこにアメリカ側、とくにCIAはどのようにかかわったのかを明らかにしていこう。 占領軍は日本の旧陸軍軍人を対共産主義国戦略のために積極的に利用したのに対し、野村ら旧海軍軍人には当初冷淡だった。というのも陸上兵力は独力で海外進出できないが、海軍力が加われば可能になるからだ。アメリカは、初めは日本に本州4島の専守防衛しか認めるつもりはなかった。 野村とは旧知の間柄のリチャード・バーキー米海軍中将が極東海軍の初代司令官として日本に赴任してきたときも、野村の「海軍再建」の打診に対して、自分個人としては野村の考えに賛成だが、アメリカ海軍としては野村の「海軍再建」を許容する気持ちはまったくないと返答している。 しかし、この態度は1950年(以下西暦は下二桁のみ)の朝鮮戦争勃発のあと劇的に変わる。アメリカはまず日本政府に警察予備隊の設立を命じ、中核を担う幹部に旧陸軍の軍人を多数起用させた。 朝鮮戦争が泥沼化し、犠牲者の数が相当な数にのぼると、アメリカ政府は、日本にも相応の再軍備をさせ、アメリカとともに戦わせるべきだという考えに傾いていった。 だが、日本本土の兵力を海外に送るためには海軍力が必要になる。最小限の海上兵力を日本が持つのを許さざるを得ないという結論に行き着く。 1950年の夏に2代目の極東アメリカ海軍司令官ターナー・ジョイ中将と吉田茂首相が会談する機会が設けられ、この席にはアメリカ海軍関係者をよく知る野村も呼ばれた。この席でジョイは、野村にこのように提案した。 “朝鮮戦争も始まったので、この際日本も海上兵力を持つべきだ、ソ連に武器貸与法で貸与し、その後返還をうけたフリゲート艦18隻が横須賀にあるが、これを使ってはどうか” これは野村にすればわたりに舟だが、この18隻を受け取るためには受け皿となる機関を作る必要がある。つまりのちの海上警備隊(そのあとは海上自衛隊)となるものだ。ところが、警察予備隊を作れという占領軍の命令さえ面従腹背だった吉田は、これに難色を示した。旧軍人が勢いづくことで自分の地位が脅かされることを恐れたからだ。 1年後の9月8日、サンフランシスコで対日講和条約が調印され、7年に及んだアメリカの日本占領が翌年に終わることが決定した。この講和条約と表裏一体をなす日米安全保障条約の調印式もそのすぐあとに行われた。 その40日後の1951年10月19日、マッカーサーに代わって連合国最高司令官になったマシュー・リッジウェイ大将は吉田首相と直々に会い、18隻のフリゲート艦に加えて50隻の大型上陸支援艇を貸与すると申し出た。吉田はこの申し出を拒否できなかった。 サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月、アメリカから貸与を受けた艦船をベースに海上警備隊が創設され、野村の悲願は一応成就したが、その3か月前に、あざとくも韓国は竹島を李承晩ラインの内側に含め、不法占拠を始めた。吉田が邪魔しなければ、また野村の動きがもう少し早ければ、竹島問題は今日存在しなかったのだ。 野村ら旧海軍関係者はフリゲート艦18隻程度の海上警備兵力で満足する気はなかった。さらに航空兵力も加え、空母も保有するような本格的海軍に発展させることを望んだ。それがかなえば、竹島問題などおのずからかたがつくはずだった。手っ取り早くこれを達成するためには野村自らが総理大臣になるしかない。そこで54年春、野村は参議院補欠選挙に出馬することになった。 驚くのは、これをCIAが支援したことだ。CIA文書は、この機関が選挙の専門家を野村のもとに遣わし、資金提供はもちろん、情勢分析から選挙対策までさせていたことを示している(詳しくは拙著『CIAと戦後日本』に譲る)。とにかく野村を国会議員にし、数年後には総理大臣にしたいと考えていたのだ。 実際、野村が当選を果たすと、CIA日本支局長ポール・ブルームが勝利を祝福する手紙を同年6月4日付で野村に送っている。 さらに、ジョン・フォスター・ダレスと野村の間の連絡役を務めていたハリー・カーン(表向きの肩書はジャーナリスト)も6月16日付手紙で野村の当選を国務省政策企画部長のフランク・ウィズナーに報告し、これで野村がポスト吉田の首相候補者になったと喜んでいる。 注目すべきことに、カーンはこの報告書のなかで、野村が50年から53年まで「われわれの機関の政治問題についての情報提供者」だったと述べている。ウィズナーの当時のポストは、国務省とCIAにまたがるもので「われわれの機関」とはCIAも指している。つまり、野村は彼の悲願に対する支援と引き換えに、CIAや国務省に政治問題についての情報を流していたのだ。 結局、日米の支援者の願いもむなしく、野村が総理大臣になることはなかった。1955年の保守合同のとき、ダークホースと目されはしたが、自由民主党の初代総裁となったのはやはり鳩山だった。 その鳩山も旧日本軍人やアメリカ側に対する配慮から野村を防衛庁長官に据えようとしたが、社会党の反対を受けるとあっさりとこれを撤回した。防衛庁長官の次は総理大臣候補になり、自分の地位を脅かす存在になるのはわかっていたので、もともと乗り気ではなかったのだろう。 カーンやウィズナーは、すでに老齢の野村が入閣を果たすのを待つより、保守合同で指導力を発揮した岸信介を次期首相にする方が早く影響力を振るえると考えを変え、そのための秘密資金の提供を始めた。 こうして海上自衛隊は、野村が望んだ空母を含む機動部隊を編制できる本格的な海軍には程遠い、小規模地上部隊の輸送力と哨戒能力しか持たないものになってしまった。 ● のむら・きちさぶろう/(1877-1964) 和歌山県出身。海軍兵学校卒業後に海軍軍人となる。最終階級は海軍大将。学習院院長、外務大臣、駐米大使、枢密顧問官などを務めた。戦後は公職追放となる。日本ビクター社長を経て1954年に参議院議員になる。 ● ありま・てつお/早稲田大学社会科学部・大学院社会科学研究科教授。著書に『CIAと戦後日本』(平凡社新書)、『原発・正力・CIA』(新潮新書)、『アレン・ダレス』(講談社)など。 ※SAPIO2016年6月号 http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160505/frn1605051145005-n1.htm https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/582512048583002
05/02/2016 11:10:44 PM
第18回公開憲法フォーラム「すみやかな憲法改正発議の実現を!」に参加しています。満席です。 中山恭子 日本のこころ代表が挨拶中です。 https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/photos/a.188901204610757/581584625342411/?type=3
05/02/2016 04:46:19 PM
現状の下での訪日中国人のビザ緩和には反対です。 — 《訪日中国人のビザ緩和=岸田外相が伝達》 2016.04.30 時事通信 【北京時事】岸田文雄外相は30日、中国の王毅外相との会談で、日中両国間の人的交流を一層拡大させるため、日本を訪れる中国人に発給するビザ(査証)の緩和措置を決定したと伝えた。王氏はこれを歓迎した。 今回の見直しでは、商用目的の渡航者や文化人らを対象にした数次ビザの有効期間を、従来の「最長5年」から「最長10年」に延長。また、中国教育部直属の大学75校の学生・大学院生らに対し、一次ビザの申請手続きを簡素化する。日本政府は早期の運用開始に向け準備を急ぐ。 www.jiji.com/jc/article?k=2016043000224 https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/581479225352951
05/02/2016 02:42:54 PM
京大准教授、対北朝鮮核開発制裁で再入国禁止措置。 在日朝鮮人の科学者・技術者が、日本の国立大学で税金を使って開発された核・ミサイル関連等の先端技術を北朝鮮に大量に持ち出している。 国基研は、全ての在日朝鮮人の北朝鮮渡航を原則禁止として技術流出を止めると共に、核やミサイル技術を北朝鮮のような国家に持ち出す行為を取り締まる新たな法的枠組みを整備するよう提言。 賛成です。 — 《 国立大学研究者が北朝鮮核開発に協力》 2016.04.04 西岡力 国基研企画委員・東京基督教大学教授 日本政府は2月10日、北朝鮮への独自制裁発動を発表した。制裁内容は人的往来規制(7項目)、送金の原則禁止、北朝鮮籍船舶と北朝鮮に寄港した第3国籍船舶の入港禁止、資産凍結対象者拡大の10項目だ。このうち、人的往来規制では、朝鮮総連幹部らが北朝鮮に渡航する場合、再入国を不許可にする範囲を拡大した。注目されたのが「在日外国人の核・ミサイル技術者の北朝鮮を渡航先とした再入国の禁止」が新たに加わったことだった。 これまで、私を含む多くの専門家が、朝鮮総連の傘下にある在日本朝鮮人科学技術協会(科協)に所属する大学・企業研究者らが、朝鮮労働党の指示の下で、核やミサイルの技術を北朝鮮に持ち出しているから、彼らの北朝鮮渡航を止めるべきだと主張してきた。ついに、制裁項目にそれが入った。ただ、具体的に誰が不許可の対象に入ったのかについては公開されていなかった。 ●再入国禁止対象に在日技術者5人 最近になり、私は22人の再入国不許可対象者リストを入手した。それによると「核・ミサイル技術者」は5人が対象となった。マスコミは名前を報じていないが、すでに国基研はこのうち3人(次の①〜③)について2009年5月の政策提言(https://jinf.jp/suggestion/archives/1009)で告発してきたので、ここに5人の実名を明記する。 その5人は、①徐錫洪②徐判道③卞哲浩④李栄篤⑤梁徳次―である。①と②は東大生産技術研究所に勤務した経験を持つエンジンの権威で、北朝鮮に「金剛原動機合弁会社」を設立し、①が社長、②が副社長となり、ミサイルエンジンの開発をしたといわれている。③は京大で原子力を専攻し、現在も京大原子炉実験所准教授として勤務している。国立大学で税金が使われて開発された先端技術が北朝鮮の核ミサイル開発に使われている。 ●汎用技術の持ち出しを罰せよ この5人は全員、科協のメンバーだ。科協は「科学に国境はないが、科学者には祖国がある」というスローガンを掲げ、日本の国立大学などから北朝鮮の軍事に貢献する先端技術を大量に持ち出している。 国基研は2回目の核実験を受けて出した上記の政策提言ですでに「モノ、カネ、ヒトすべてを止める全面制裁を発動すべきである。特に、すべての在日朝鮮人の北朝鮮渡航を原則禁止として技術流出を止めなければならない」と主張している。 5人以外の技術者はいまだに自由に北朝鮮と日本を往来できる。再入国不許可を在日朝鮮人全員に拡大して、それをすぐ止めるべきだ。また、核やミサイル技術を北朝鮮のような敵性国家に持ち出す行為自体は現行法規では違法でないので、5人をその罪では逮捕できない。それを摘発できる新たな法的枠組みを早急に作るべきだ。(了) 【第366回】 国立大学研究者が北朝鮮核開発に協力 — 《京大准教授に対北制裁 核研究で総連系から奨励金受け取る 再入国禁止措置の対象に》 2016.05.02 産経新聞 核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮への独自制裁として、日本政府が在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部や、傘下の在日本朝鮮人科学技術協会(科協)構成員を対象に実施している北朝鮮渡航後の再入国禁止措置の対象に、京都大学・原子炉実験所の男性准教授が含まれていることが1日、複数の関係者の話で分かった。准教授は過去、北朝鮮の科学技術開発に貢献するための日本国内の団体から研究奨励金を受けていた。北朝鮮が日本の国立大の核技術に触手を伸ばしている実態が浮き彫りになった。 准教授は原子力学が専門で、京大で博士号を取得し日米韓の関係学会に所属。国際原子力機関(IAEA)の共同研究にも参加、論文引用回数が最多だったとして受賞するなど中核的な研究者として知られている。一方、北朝鮮や朝鮮総連との密接な関連がある「金万有科学振興会」から、かつて核技術に関する研究で奨励金を得ていた。 同会は平成17年に北朝鮮向けの医薬品不正輸出事件の関係先として、科協とともに警視庁公安部の家宅捜索を受けた。科協は北朝鮮やイラン向けの精密機器不正輸出事件で警視庁が14年に摘発した事件への関与が判明している。 今回、政府が准教授を「再入国禁止措置」の対象とした背景には、国立大の「核の頭脳」が北へ流出することを阻止する狙いもあるとみられる。 同実験所は先月、准教授から事情聴取。准教授は今年2月中旬に法務省から「北朝鮮に渡航した場合は再入国できない」との通知を受けたことを認める一方、北朝鮮渡航は「一度もない」とし、今回の措置については「心当たりはない」と話した。同実験所が過去の公用渡航歴の提出を求めたところ、韓国に多数回の出国歴があったほか中国、欧米への渡航歴があった。 実験所は、産経新聞の取材に当面応じないよう准教授に伝えた。 京大は朝鮮大学校の校長ら有力科学者を輩出。公安当局は、京大の朝鮮人科学者人脈が、大量破壊兵器などへの転用が可能な北朝鮮の科学技術開発と密接な関連があるとみている。 ◇ 同准教授への再入国禁止措置については、発売中の月刊「正論」6月号に西岡力氏が詳細を報告している。 http://www.sankei.com/affairs/news/160502/afr1605020005-n1.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/581447252022815