中野区人権及び多様性を尊重するまちづくり条例、中野区子どもの権利に関する条例

第12号議案 中野区人権及び多様性を尊重するまちづくり条例

第28号議案 中野区子どもの権利に関する条例

○議長(内川和久)
これより討論に入ります。吉田 康一郎議員、森たかゆき議員、山本たかし議員、河合りな議員、甲田ゆり子議員、いさ哲郎議員、羽鳥だいすけ議員、小杉一男議員、石坂わたる議員から討論の通告書が提出されていますので、順次通告議員の討論を許します。

最初に、吉田 康一郎議員。

〔吉田 康一郎議員登壇〕
○12番(吉田 康一郎)
「育児支援と防災緑地と平らな歩道の中野を創る会」、吉田 康一郎です。私からは、第12号議案、中野区人権及び多様性を尊重するまちづくり条例、そして第28号議案、中野区子どもの権利に関する条例、この二つについて反対する立場から討論をいたします。

この二つの条例の基礎となる、世界中が様々なこの人権、あるいは子どもの権利に関する法令のオリジン、起源となるのは、国連のあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約、通称、人種差別撤廃条約、そして児童の権利に関する条約、この二つが根拠となっております。そして、このあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約、ここにおきましては、この条文、これ、外務省に日本語の定訳が掲載されていますけれども、このように出ています。「世界人権宣言が、すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利について平等であること並びにすべての人がいかなる差別をも、特に人種、皮膚の色又は国民的出身による差別を受けることなく同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明していることを考慮し、」と挙げ、第1条において、第1条の1項、一番最初に、「この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、」こういうふうに定義され、そして2項には、「この条約は、締約国が市民と市民でない者との間に設ける区別、排除、制限又は優先については、適用しない。」このように1条の2番目に述べ、そしてさらに3項目で、「この条約のいかなる規定も、国籍、市民権又は帰化に関する締約国の法規に何ら影響を及ぼすものと解してはならない。」このように規定しています。

そしてさらに、この中で、先ほど読み上げた中で、国民的出身という言葉について、私は外務省にも確認をいたしましたけれども、まず、この外務省のホームページの人種差別撤廃条約Q&Aにはこのように書かれてあります。これも外務省の正式のホームページに記載されている事項です。「「国籍」による区別は、この条約の対象となるのですか。」という設問です。これの外務省がホームページ上で公開している回答は、「この条約上、「人種差別」とは、「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく」差別と定義されていることより、「国籍」による区別は対象としていないと解されます。この点については、第1条の2項において、締約国が市民としての法的地位に基づいて行う区別等については、本条約の適用外であるとの趣旨の規定が置かれたことにより、締約国が行う「国籍」の有無という法的地位に基づく異なる取扱いはこの条約の対象とはならないことが明確にされています。」このように外務省はホームページで公開し、そして、私が外務省の担当者、担当官に確認をしたところ、この国民的出身という言葉は国籍を意味しますかと、私がこのように聞いたら、それは意味しませんと。国民的というのは、例えば日本人が日本を、日本の国籍を維持している。あるいはアメリカの国籍を取得して、国籍が変わった。このような場合に、この国民的出身というのは、もともと日本人であったということを示すものだと、このように外務省では理解している。ですから、国籍による差別ではなくて、もとの出身の国に基づく差別はしてはいけませんよということであって、国籍による区別は行われるのが国際社会、国家を基本とした社会では当たり前のことであるということが外務省の説明でありました。

ところが、この第12号議案、中野区人権及び多様性を尊重するまちづくり条例、この第2条には、「全ての人が、性別、性自認、性的指向、国籍、人種、民族、文化、年齢、世代」うんたらと、「による差別を受けることなく、」とありますけれども、ここでどうして人種とか民族による差別はいけないということと同列に国籍というものを列挙して、「差別を受けることなく」と書いているのか非常に問題であります。

これは児童の権利に関する条約でも同じであります。日本も批准しているこの条約でも、「すべての人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしに」と、このように前文で掲げた上で、本論の第2条に「締約国は、」として、「児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する。」つまり、このどちらの条約にも国籍という言葉は差別してはいけませんという事例の中に入っていない。ゆえに、この児童の権利に関する条約のさらに前提となった人権条約、人種差別撤廃条約、一番の基礎のここにおいて、わざわざ第1条でこういう差別はいけないと列挙した上で、その次に大事なこととして、2項において国籍による区別は差別ではないと、わざわざ、そして3項にも同じように書いているわけであります。

この二つの条例にこの条約にない国籍に関する差別は駄目だというようなことが書いてある。そして、条約のほうには国籍による区別は差別でないというただし書きがあって、締約国のいかなる国籍に基づく異なった取扱いについても、この対象でありませんと言っていることに該当する条文がこの二つの条例にはないじゃないですか。この国籍による区別を差別だと規定して、それに対して何の説明も留保も、こういうところはそうではないと解しますよというただし書きに当たるものがない。たったこれだけの短い条例を読むだけでは、つまり、国籍による区別も差別とみなしますと、この二つの条例は規定していると読まざるを得ない。こういう立てつけの条例であります。これは大変な問題を、国際法上も国内のほかの法令との整合性からも問題を起こすことになります。

これは法律論ですが、具体的に国籍が異なることが潜在的に大きな問題を有し、引き起こすということは、日常的には認識できないかもしれませんが、国籍というのは、つまり、ある国において他の国籍であるということは、他の国家への帰属と、そこに伴う義務、これを有する法的地位の人であるということそのものでありますので、これを国内の自国の国籍の人と同じ取扱いをするということは、大きな問題が起きることは明らかであります。

例えば中国の国民は、国防動員法、国家情報法、日本と違って独裁国家ですから、海外における自国民に対しても非常に強い厳しい、場合によっては他国の利益を害するような法的義務を負わせています。あるいは、日本は国家として承認をしていない北朝鮮の国民、この人たちが国家の命令でもって、日本で拉致や工作や様々なことを行ってきて、今もその悲劇は解決をされていません。他国の国籍という法的地位を持つ、そしてその義務を負う者、これが時に戦争や侵略、工作やテロ、こういうことを引き起こすことが歴史上あまた繰り返されてきたので、国連、あるいは国際条約において、そういうことをきちんと留意して、国籍による区別、独裁国家もある、民主主義国家もある、いろんな国家がある中で、他国の国籍を持つ人をそのまま自国民と同じ扱いをすることは問題があるので、それぞれの国の国内法で違う取扱いをすることを、この条約では差別とは呼びませんと、わざわざ一番大事な定義の次の2番目に定義をしているわけであります。

現在も、ロシアがウクライナに対して行っている侵略、これも国籍という問題を抜きにして考えることはできません。この2国の歴史について長々と申し上げることはしませんけれども、一つの象徴的事例として、ロシアは近隣諸国のロシア系の住民、あるいはロシア系でない住民に対してもロシア国籍を与え、そして、その自国の国籍を持つ者だと自国民保護を名目に軍を派遣する侵略行為、あるいは他の国の秩序の破壊行為、これを繰り返すということを多用しています。

様々な昔のことではなく、現在も国籍の取扱いによって侵略行為が今まさに行われるような国際社会に置かれている日本の中野区の条例として、この国籍という問題についてぞんざいな取扱いをするこの条例は非常に問題がある。もうちょっと国籍について丁寧な取扱いをしなければ認めることはできない。このように意見を申し述べまして、反対の討論といたします。御清聴ありがとうございました。