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《清の朝鮮地歴書 竹島なし》
2015.02.07 読売新聞

 ◇官僚が編纂「東藩紀要」

 ◇旧称「于山」は別の島 研究会指摘

 清国の官僚が朝鮮の地歴をまとめた公文書「東藩紀要」(1882年)の地図に、竹島の記載がないことが県竹島問題研究会の調査で分かった。韓国側は、竹島が古くは「于山島(ウサンド)」と呼ばれていたと主張しているが、同書では、竹島とは別の島を于山島と示している。同会は「朝鮮王朝と朝貢関係にあった清国が、現在の竹島に朝鮮の支配が及んでいないと認識していた可能性を示す史料」と指摘している。(寺田航)

 同会によると、同書は「朝鮮志」とも呼ばれ、1882年の内乱後に朝鮮入りした清の官僚が、軍事的な目的で編纂した。地図を交え、朝鮮の歴史や風土、地形などを詳細に記録しており、内容の信頼性は高いという。

 同書は、本文で「鬱陵島旁有于山(鬱陵島(ウルルンド)の傍らには于山島がある)」と記載。さらに、地図中では鬱陵島のすぐ東側に島が描かれ、「于山」と説明されている。

 しかし、韓国が領有権を主張して不法占拠する竹島があるのは、鬱陵島の約90キロ南東。同書に記載された于山とは、鬱陵島の東約2キロにある「竹島(チュクト)」を指しているとみられる。

 于山島について、韓国側はこれまで、鬱陵島が新羅に編入された512年から領土になった、と主張してきた。

 同会は「日韓以外の第三者である国際社会が当時、竹島の帰属をどう見ていたか今後も検証を進めたい」としている。

 竹島を巡っては、韓国が1952年のサンフランシスコ平和条約の発効前に「李承晩ライン」を設定し、一方的に領有を宣言、現在も不法占拠を続けている。

http://www.yomiuri.co.jp/local/shimane/news/20150206-OYTNT50027.html