2014/10/21 23:57

ビッグデータの情報価値と監視社会の危険性について。
「広角赤外線カメラが人目につかないように設置され、イーストリバー対岸の何千ものビルを観察する。そのカメラは800段階の光のグラデーションを感知し、どこの家で何時に住人が帰宅し、室内の照明にはどんな灯りを使い、さらにどのビルはどんな大気汚染物質を排出しているかさえ知ることができるのだ」
「技術が、法の制限を超えてしまった局面を迎えている」

《街角センサーの功罪―大気汚染も一瞬に把握、でもプライバシーは?》
2014.10.21 20:11 WSJ ELIZABETH DWOSKIN

 マンハッタンの住人で平日の午後7時半前に就寝するのは4%だ。そして午前零時以後に寝室を消灯する人はわずか6%にすぎない。

 でもニューヨークのシティライフをより細かく知りたいと思えば、研究者のスティーブン・クーニン氏に聞くのが一番だ。ブルックリン地区のビルの屋上にはクーニン氏の広角赤外線カメラが人目につかないように設置され、イーストリバー対岸の何千ものビルを観察する。そのカメラは800段階の光のグラデーションを感知し、どこの家で何時に住人が帰宅し、室内の照明にはどんな灯りを使い、さらにどのビルはどんな大気汚染物質を排出しているかさえ知ることができるのだ。

 クーニン氏はまた、同地区の街灯や建物の外壁に音のセンサーを設置し、ある家で行われているホームパーティーや車のクラクションの音量を調べている。

 クーニン氏は以前オバマ政権でエネルギー省次官を務めていたが、現在はニューヨーク大学(NYU)の都市科学・発展センター長だ。同センターは、都市生活を数量化して把握しようという学術研究の最先端を走っている。

 テクノロジー企業は既に、ビッグデータの技術とテクニックを使い、ビジネス上の決定や顧客の動向を把握している。そして今、研究者らはビッグデータを公共分野で活用し始めている。生活の質向上、支出の合理化、2、3年前までは不可能だった都市生活の違う側面を理解することがその狙いだ。

 「ちょうどガリレオが望遠鏡を初めて天体に向けた時のようなもの」とクーニン氏は言う。「都市生活を全く新しいアングルから見始めた」というのだ。

各地で始まる街頭センサーネットワーク設置による公共ビッグデータ収集プロジェクト Peter and Maria Hoey

 しかし、この試みを進める上で、プライバシーと効率性のバランスをどう取るかで疑問はある。街角に設置されるセンサーネットワークは、大きなチャンスを提供する一方で、リスクも負っている。個人の習慣をデジタルデータ化するに際して、当局はそれを誤用したくなるケースも考えられる。研究者らはプライバシー保護と透明性を高めようとしているが、市民が観察されていることに警戒し始めれば、ビッグデータの利点は失われることになる。

 「スマートシティ:ビッグデータ、都市ハッカー、そして新たなユートピア」の著者のアンソニー・タウンゼント氏は「長い間、人々は都市では自分が匿名のまま生活できると考えてきた」と話す。しかし「都市生活は匿名性ではなく監視を受けることを意味することに変わった。今後は実感がともなってくると思う」と指摘する。

 このNYUのセンターは、マイクロソフトやIBMなど複数の企業や、ニューヨーク市からも資金が提供されている。全米にはこの他にも都市におけるビッグデータプロジェクトを手掛ける学術機関が複数ある。

 シカゴ大学も今後数週間で、シカゴ市のビジネス中心街などの街灯に、数十のセンサーを収めたケースを設置する。厚めのノートパソコン大のケース1個には65のセンサーが装備され、音量、風向・風力、二酸化炭素の濃度、それに加えWi-Fi(ワイファイ)使用のスマホで示される歩行者の流れなどの市民行動パターンのデータなどが収集される。

 このシカゴのプロジェクトは、連邦政府からの20万ドル(約2120万円)の補助金に加え、無線通信技術大手クアルコム、ネットワーク機器大手シスコシステムズなど複数企業の資金で賄われている。

 シカゴ市の市民活動のさまざまな統計収集プロジェクトを指揮するシカゴ大学の研究所長のチャーリー・キャトレット氏は「(センサーは)シカゴ市のウエアラブル健康機器のようなもの」だと話す。

 これらのプロジェクトは、各自治体政府が市民生活をより効率化するために実施してきたデータ活用の努力をさらに進めるものだ。たとえば、テキサス州ヒューストンでは市民のスマホの信号を追跡し、道路渋滞状況の把握や交通信号切り替えに活かしている。また、スペインのバルセロナのごみ箱の中に設置されたセンサーは清掃車のごみ収集ルートの選定に役立っている。

 プロジェクトはまだ初期段階だが、既に議論に火を点けている。シカゴ市会議員で市長選出馬を予定しているボブ・フィオレッティ氏は、シカゴ市のセンサー設置について「この種のプライバシー侵犯は大変危険だ」と指摘する。同氏は全米の同様のプロジェクトについて「技術が、法の制限を超えてしまった局面を迎えている」と述べた。

 ホルダー米司法長官は最近、いわゆる「予防警察活動」の危険性を指摘した。ロサンゼルスとシカゴの警察当局は、ビッグデータのもう一つの事例である犯罪史データを使い、次にどこで犯罪が起きそうかを予測している。この予防戦略では、警官を予想犯罪者宅に訪問させ、警官が犯罪の起こる前に合法の範囲内で警告を発するというものだ。

 シカゴ、ボストン、ロサンゼルスなどの一握りの都市では、データ公開政策を採用しており、一般市民が閲覧できるようにしている。とはいえ、多くの民間や公共のセンサーネットワークはあまり規制がなく監視もほとんどない状態で作動している。今月に入り、ニューヨーク市の情報通信関連の担当部局は、公衆電話ボックスに数百ものセンサーを設置する民間プロジェクトに中止命令を出した。これらのセンサーはひそかにマーケティング用の情報を収集、発信していた。

 研究者らはプロジェクトの目的が商品を販売したり、市民に対するスパイ活動をするのではなく、市民生活を向上させると共に、都市がどう機能するかについての知識を拡充することだという。市民がハイテク監視に慣れている、あるいは少なくとも消極的に受容している現代では、このプロジェクトは相対的に害が少ないと主張する。

 さらに、プライバシー保護と透明性の確保には特に気を使っているという。たとえばシカゴは、個別の機器を特定するコードは蓄積せず、収集データはウェブ上で公開している。NYUの研究者はクーニン氏のカメラによって収集したイメージにはスクランブルをかけて家庭では見られないようにしている。

 地区ごとの大気汚染状況が分かればどこに住むかの決断に役立ち、音量データは、これまで長く無視されてきた騒音規制を実効性あるものにする、とクーニン氏は話す。大気汚染規則を既に施行している自治体は、排出状況をビルの所有者に報告を求めるより、実際に監視できるようになる。

 都市生活のビッグデータは、地域社会への潜在的インパクトを越えて、大きな経済的価値を持つ。大気汚染の低い地域の不動産価格は値上がりする可能性がある。騒音や排出規制の違反に対し自治体は罰金徴収が増えることもあり得る。また、小売業者は歩行者の道路選択データを使い、より収益の高い土地への出店も可能になると研究者や自治体担当者は話す。

 ニューヨーカーたちがいつ就寝するかについてのより正確な情報が、ビジネスになるか、資源節約に役立つか、あるいは市当局の効率性を上げられるかについては議論が分かれよう。しかし、研究者らは、ビッグデータの利点が、市民の観察に対する警戒心を掻き消してくれることを望んでいる。

 シカゴ大学のキャトレット氏は「これは”ビッグ・ブラザー”(訳注:監視社会を描いたジョージ・オーウェルの小説「1984年」に登場する独裁者)の逆を行くものだ」という。「市当局が住民を監視することをビッグ・ブラザーと理解しているなら、今シカゴ市がやっていることはさまざまなデータを市民に公開して、市で何が起きているかを市民が逆に監視できるようにしている」と話した。
on.wsj.com/1wlFGaM