2014/08/04 19:33

《黄河決壊事件 日本軍兵の救助活動》

黄河決壊事件。日中戦争初期の1938年6月9日、国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした黄河の氾濫。中国名「花园口(花園口)决堤事件」。

国民党軍劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が程潜司令官に示され、蒋介石が承認。

氾濫は河南省・安徽省・江蘇省にまたがる54,000㎢、11都市4000村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊された。水死者100万人、被害者600万~1200万人(諸説有り)。

国民党は当初から「黄河決壊事件は日本軍が引き起こした」と虚偽発表。6月11日、国民党の通信社であった中央社は「日本の空爆で黄河決壊」という偽情報を発信、13日には全土のメディアが「日本軍の暴挙」として喧伝した。

堤防の破壊により1942年から河南省で水害、旱魃、国民党の重税により飢饉が発生、餓死300万人、飢餓1500万人。日本軍が軍糧を放出し住民を救ったため、河南省民は日本軍を支持した。
http://youtu.be/4fRp_QPvok8