2014/04/29 23:06

若い米空軍少佐が、外国のしかも軍人という立場で、非常に中庸を得ていると思える靖国論を発表しています。靖国神社に対するこの様な国際的な理解が広がる事が望まれますし、我が国官民も努力をする必要があります。以下、記事抜粋。

《「厳粛な靖国神社」米空軍少佐のオピニオン》
”Why the Japanese pray at the Yasukuni Shrine”(日本人はなぜ靖国で祈るのか)

これまでの靖国参拝批判と同じ論理に従って、アーリントン墓地参拝批判が起きるとすると、正に次の様な見出しの報道になるだろう。「米大統領、かつて奴隷制の維持を訴え、南北戦争を引き起こした3万人の反逆者(南軍)を祭るアーリントン墓地を公式参拝」。周知のことながら、かつての奴隷制や国家反逆者を讃える目的で参拝する者など殆ど皆無である。

そもそも靖国神社は、A級戦犯を讃える為の慰霊施設ではない。
多くの人々は亡くなった家族や同胞の来世での幸せを祈願して参詣しており、決して先の大戦での悪行を讃えている訳ではない。

他の民主国家同様、信教の自由が確保されている日本では、靖国参拝は他人から強制される様なものではなく、政治家の靖国参拝についても個人の問題である。したがって、如何なる場合においても、この「信教の自由」を禁止又は非難することはできないはずである。かつて、十字軍に蹂躙されたトルコや他のイスラム教国が、過去の蛮行を理由に、キリスト教徒によるバチカン巡礼禁止を要求することが認められるだろうか。バチカンへ巡礼する現代人は、過去の悪行を讃える為に礼拝している訳ではなく、この様な要求が決して認められることはない。

歴史は常に、その書き手、読み手、時代に左右され、一方的な解釈に偏向しがちな代物である。しかしながら、真実を追求する志さえあれば、「勝者」による一面的な歴史だけでなく、多面的な視座から真実を見つけ出すことは不可能ではない。日本人は、他国民と同様に祖国に究極の犠牲を捧げた人々に対し敬意を払う民族である。グローバリゼーションの深化が顕著な現代社会において、互いの違いを認め合い、尊重し合うことの重要性はより一層高まっている。もし自らの歴史解釈のみに固執してしまえば、隣人の解釈を多面的視座から尊重することなどできるはずがない。
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