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2014/09/18 1:47

2014/09/18

藤岡信勝教授より。17日、「新しい歴史教科書をつくる会」は、朝日新聞が慰安婦を強制連行したとする吉田清治の証言を虚偽と認め記事を取り消した事を受け、「慰安婦問題」自体が存在しなかったとして、全ての高校日本史教科書から慰安婦に関する記述の削除を教科書会社に勧告するよう下村文科相に要請。 —

2014/09/17 18:25

2014/09/17

琉球大学を中心とする共同研究グループが、沖縄、宮古、八重山諸島の人々の遺伝情報を広範に分析し、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した事を、沖縄タイムスと琉球新報が報じました。沖縄県民が日本人の遺伝系統である事が確認されました。—《沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定》2014.09.17 沖縄タイムス  琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを中心とする共同研究グループは琉球列島の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来すると発表した。これまでも沖縄本島地方についての研究データはあったが、八重山・宮古地方も含め、大規模に精査した点が特徴。英国に拠点がある分子進化学の国際専門雑誌「モレキュラーバイオロジーアンドエボリューション」の電子版(1日付)に掲載された。  木村准教授は「沖縄の人々については、東南アジアや台湾などに由来するといういわゆる『南方系』との説もあったが、今回の研究はこれを否定している。沖縄の人々の成り立ちを明らかにする上で貴重なデータになる」と話している。  研究では、沖縄本島、八重山、宮古の各地方から計約350人のDNAを採取。1人当たり50万カ所以上の塩基配列の違いを分析した。  また、宮古・八重山諸島の人々の祖先がいつごろ沖縄諸島から移住したのか検証したところ、数百年から数千年と推定され、最大でも1万年以上さかのぼることはないとの結果が出た。宮古・八重山ではピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴人(2万年前)の人骨が発見されており、現在の人々の祖先なのか関心を呼んできたが、主要な祖先ではないことを示している。  一方、港川人(1万8千年前)については、沖縄本島地方の人々の主要な祖先ではない可能性が高いとみられるものの、さらなる精査が必要という。  共同研究に携わったのはそのほか、北里大学医学部や統計数理研究所など。  琉球列島内で見ると、沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が比較的離れており、八重山諸島の集団が中間に位置していることも判明した。https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83349—《現代沖縄人DNAの遺伝系統「日本本土に近い」》2014.09.17 琉球新報  琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員、木村亮介准教授、北里大学、統計数理研究所の共同研究チームが、現在の琉球列島に住む人々の核ゲノムDNAを解析した結果、遺伝的に琉球列島の人々は台湾や大陸の人々とつながりがなく、日本本土により近いという研究成果を発表した。琉球大学が16日、発表した。また、沖縄本島から宮古、八重山諸島へ人々が移住した時期をコンピューターで計算した結果、古くても1万年前以降と推定。宮古のピンザアブ洞穴人(2万6千年前)や石垣の白保竿根田原(さおねたばる)洞穴人(2万年前)は、現代の宮古、八重山の人々の主要な祖先ではないと結論付けた。 これまで、骨や一部DNAの分析から、琉球列島の人々は中国や台湾より日本本土の人々と近いとする研究成果が発表されてきたが、今回、初めて全ゲノムを網羅した解析によって同様の結果が導かれた。今後の琉球列島の人々の起源を探る研究の一助として注目されそうだ。 研究チームは、現在の沖縄、宮古、八重山諸島出身者数百人からDNAを採取し、ヒトゲノム全域に分布する60万個の単一塩基多型(SNP)を解析した。その結果、琉球列島の人々と台湾先住民は別系統の集団で、地理的に近接する八重山諸島の人々も台湾先住民との間に直接の遺伝的つながりがないと結論付けた。 港川人についても同チームは「琉球列島の人々と漢族が分岐した年代が縄文時代以降であると推定されたことから、沖縄諸島の人々の主要な祖先ではない可能性が高いと思われる」と推測し、今後さらなる精査が必要としている。 <用語>ゲノム 親と似た性質を子に伝える「遺伝」という仕組みの元になる情報のこと。細胞の核の中に、2本一組の鎖状のDNAという分子があり、鎖には塩基という物質が並んでいる。塩基はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種類で、その並び順(配列)が遺伝情報になる。配列に従って約10万種類のタンパク質や酵素がつくられ、体を形作る約60兆個の細胞の材料になったり、体の働きを制御したりする。http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231707-storytopic-1.html

2014/09/17 4:14

2014/09/17

本16日、次世代の党結党大会が開催されました。大変な熱気でした。ご参集並びにご支援下さった皆様、誠に有り難うございました。私は東京7区支部長に選任された旨の伝達を頂きました。正式な辞令はまだですが、頑張って参ります。—《次世代の党結党大会 政権協力も》2014.09.16 NHK 次世代の党は16日夕方、結党大会を開き、平沼党首は「われわれは野党だが、日本のためになることなら積極的に賛成する」と述べ、安全保障の分野などで安倍政権に協力する考えを示しました。 次世代の党は、日本維新の会の分党に伴って先月1日に発足し、現在、衆参両院で23人の国会議員が所属しています。16日、平沼党首や石原最高顧問ら所属議員が、国会近くの神社を参拝し党の発展を祈念したあと、東京都内のホテルで支持者らおよそ2000人を集めて結党大会を開きました。大会の冒頭、石原最高顧問が「今の日本ほど大きな問題を抱えている国はない。若い人に希望がなくなり、人生に見切りを付ける人が多くなってきた。後輩たちのためにこの国を作り直し、この10年を正念場だと心得て頑張りたい」とあいさつしました。続いて、平沼党首が「改革すべきところは大胆に改革するが、先人が培った伝統や文化はしっかり守りたい。われわれは野党だが、あらゆるものに反対する野党ではなく、日本のためになることなら積極的に賛成する姿勢を貫く」と述べ、安全保障の分野などで安倍政権に協力する考えを示しました。次世代の党は臨時国会では、集団的自衛権の行使容認の立場から、独自の「安全保障基本法案」の提出なども視野に党の存在感を発揮したいとしています。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140916/k10014640761000.html

2014/09/16 16:55

2014/09/16

韓国団体、河野談話作成時の元慰安婦聞き取り調査に関し、一部を編集した映像を公開。2人分だけを編集して公開などせず、全てを公開すべきです。検証すれば、「証言」内容が出鱈目である事が白日の下に晒される事になります。 — 《慰安婦聞き取り映像を公開 韓国団体》 2014.09.15 産経新聞  韓国で戦後補償問題に取り組む市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」は15日、ソウル市内で記者会見し、慰安婦問題をめぐる河野洋平官房長官談話の作成過程で日本政府が実施した元慰安婦の女性に対する聞き取り調査の映像を公開した。  聞き取り調査は河野談話発表直前の1993年7月にソウルの遺族会事務所で行われた。遺族会は日本側と映像を公開しないことで合意していたが、「安倍政権が談話を極度に傷つけているため、証言の証拠が存在することを知らせる」として公開に踏み切った。  調査は16人の女性を対象に実施されたが、遺族会は表に出ていない人もいるなどとして、一部を編集した17分間の映像を公開した。映像では2人の女性が「日本の巡査と朝鮮人に両腕をつかまれ連れて行かれた」「言うことを聞かないからといって腕をねじ曲げられた」などと話している。(共同) http://sankei.jp.msn.com/world/news/140915/kor14091523160009-n1.htm — 《元慰安婦聞き取り映像公開=河野談話作成時の一部-韓国団体》 2014.09.15 時事通信  【ソウル時事】韓国で戦後補償訴訟などを支援する民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」は15日、日本政府が従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めて謝罪した河野洋平官房長官談話の作成に当たり、韓国の元慰安婦とされる女性に対して行った聞き取り調査の映像の一部を公開した。  遺族会は当時、聞き取り調査に深く関わり、映像は非公開とすることで日本側と合意。しかし、「日本で河野談話を傷つける動きが極度に高まっているため、証拠の存在を知らしめる」として、公開することにした。  約17分に編集された映像では、日本の総理府(当時)関係者に対し、元慰安婦だったという女性が「外出は原則禁止で、常に軍人に監視された」「給料はなかった」などと話している。 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014091500338 — 《元慰安婦への日本政府の聞き取り 映像初公開=韓国団体》 2014.09.15 聯合ニュース 【ソウル聯合ニュース】慰安婦問題で旧日本軍の関与と強制性を認めた河野談話の発表に先立ち、日本政府が21年前に韓国で実施した被害者の聞き取り調査の様子を収めた映像が初めて公開された。  市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」は15日、ソウル市内で記者会見し、聞き取り調査の様子を収めた映像の一部を公開した。  「慰安婦の強制連行を裏付ける資料は確認されなかった」と主張し、談話の作成にあたって韓日両政府が文言のすり合わせを行ったとする日本の政治家や一部メディアの主張に反論する証拠になりそうだ。  映像は1993年7月26日から5日間、元慰安婦の故金学順(キム・ハクスン)さんら16人の証言を聴取する様子が収められたもの。同日公開された映像は15分間だった。  太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任(ヤン・スンイム)会長は、日本政府の要請で21年間公開しなかったが最近、日本政府が河野談話に関連し真実を歪曲しているため、映像の一部を公開することにしたと説明。「証言者16人のうち14人は亡くなったが、証拠は生きている」と話した。  同団体は国連に映像を報告し、国際社会に広く知ってもらうほか、残りの映像についても日本政府の態度次第で段階的に公開する方針という。 http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2014/09/15/0400000000AJP20140915002900882.HTML

2014/09/16 14:36

2014/09/16

中国共産党がつき続ける抗日戦の嘘。 日本の降伏文書に署名した相手国は、米、英、蘇、豪、加、仏、蘭、NZと「中華民国」。毛沢東は「力の七割は共産党支配地域拡大(国民党との内戦と人民の殺戮)、二割は妥協、一割が抗日戦」と指導し、日本軍が首都南京を陥落させると祝杯の大酒を仰いだ。 — 《【軍事情勢】目が離せない中国国家主席 まだまだ伸びる“ピノッキオ鼻”》 2014.09.14 Sankei Biz  小欄の勘違いなら御寛恕賜りたい。中国の習近平国家主席(61)の鼻が伸び続けているような気がする。過日、姪の娘に寓話ピノッキオの絵本を読んで聞かせて以来、習氏のメディア映像に目が行く。嘘をつく度に鼻が伸びる木製人形ピノッキオと、壮大なスケールで嘘を描きまくる中国が、二重写しになるのだろう。  もっとも当初「良心とは何か」を理解できず悪いことを繰り返すピノッキオは、物語の最後で「よい子」になり、妖精が人間にしてくれる。滅びるまで「良心とは何か」を理解できず、最期まで「悪い子」のままの中国と、その辺りが大いに違う。 ■ 「抗日戦争勝利」の欺瞞  習氏の鼻は8月にも伸びた。反中感情に加え資源を奪われる危機感を持つモンゴルを訪問し、熱弁を振った。  「中国は利益よりも義を重んじ続け、私が勝ってあなたが負けるということはせず、相手の利益に配慮する」  9月に入り、習氏の鼻はまたまた伸びた。しかし、この時の嘘は、捏造・粉飾された日中史を教え込まれている中国人民には見抜けない。習氏は3日《抗日戦争勝利記念日》にあたり、共産党・政府・軍の幹部を前に重要講話を行った。  「偉大な勝利は永遠に中華民族史と人類の平和史に刻まれる」  頭が混乱した小欄はインターネット上で、東京湾に投錨した米戦艦ミズーリの艦首寄り上甲板において、昭和20(1945)年9月2日に撮られた写真を探していた。大日本帝國政府全権・重光葵外相(1887~1957年)らが、艦上で行われた降伏文書署名に使った机の向こうに、聯合軍将星がズラリと並ぶ一枚を思い出したためだ。米国▽英国▽ソ連▽豪州▽カナダ▽フランス▽オランダ▽ニュージーランドに混じり、中華民国(国民党)の軍服を確認したが、共産党系軍人は見いだせなかった。  そのはずで、地球上に中華人民共和国なる国が現れるのは降伏調印後、中国大陸を舞台に国民党と共産党の内戦が始まり、共産党が勝って国民党を台湾に潰走させた前後。降伏調印後4年以上もたっていた。  1937年に勃発した支那事変が大東亜戦争(1941~45年)へと拡大する中、精強なる帝國陸海軍と戦ったのは専ら国民党軍で、国共内戦時に国民党軍の損害は既に甚大であった。これが共産党系軍勝利の背景だ。しかも、腐敗した国民党は人民の支持を喪失。地主はもちろん、ささやかな自作農の金品さえ強奪、最後は残酷なやり方で処刑し、支配者が誰かを示す《一村一殺》を行い、天文学的数字の犠牲者を積み上げた共産党系軍の方がまだ、貧者の支持を得たという。腐敗と残忍性は、時代やイデオロギーに関係なく「中華文明」の一大特性だが、敗色濃くなるや軍紀を無視し逃走する、弱兵の存在も「文明」の一端に加えねばならない。 ■ 「避戦」に徹した共産党軍  支那事変~大東亜戦争中、共産党系軍は一部が遊撃(ゲリラ)戦を行ったものの、帝國陸海軍と国民党軍の戦闘を可能な限り傍観し、戦力温存に専心。同じく帝國陸海軍から逃げ回った国民党軍の「退嬰的戦法」をはるかに凌駕した。実際、後の初代国家主席・毛沢東(1893~1976年)は「力の七割は共産党支配地域拡大、二割は妥協、一割が抗日戦」と指導。帝國陸軍が中華民国首都・南京を陥落(1937年)させると、祝杯の大酒を仰いでいる。  従って「偉大な勝利」など有り得ない。「永遠に中華民族史と人類の平和史に刻まれる」べきは、人民大殺戮と非戦ならぬ徹底した「避戦」であった。  「避戦」は、毛が周到に打ち立てた大戦略《持久戦論》の重要構成要素だった。が、この持久戦論は図らずも、共産党系軍が最後の最後まで日本に勝利できなかった動かぬ証拠を歴史に刻んでしまう。持久戦論は以下のような前提に立つ。  《日本は軍事・経済力共に東洋一で、中国は速戦速勝できない。だが、日本は国土が小さく、人口も少なく、資源も乏しい。寡兵をもって、広大な中国で、多数の兵力に挑んでいる。一部の大都市/幹線道路などを占領しうるに過ぎず、長期戦には耐えられぬ。敵後方で『遊撃戦』を展開し、内部崩壊を促せば、中国は最後に勝利する》 ■ 正史に向き合えぬ哀れ  持久戦論によると、戦争は3つの段階を踏む。  ●(=□1)敵の戦略的進攻⇔自軍の戦略的防御  (37~38年)  ●(=□2)彼我の戦略的対峙 敵の戦略的守勢  ⇔自軍の反攻準備期間(38~43年)  ●(=□3)自軍の運動戦・陣地戦=戦略的反攻  ⇒敵の戦略的退却・殲滅(43~45年)  ところが、●(=□3)段階に当たる44年~45年にかけ、帝國陸軍は50万の兵力で対中戦争最大の作戦《大陸打通作戦》を実行し、戦略目的達成はともかく、作戦通りの地域を占領、勝利した。結局、支那派遣軍は45年の終戦時点でも100万以上の兵力を有し、極めて優勢だった。第二次世界大戦(39~45年)における帝國陸海軍々人の戦死者240万の内、中国戦線での戦死は46万人。日本敗北は毛が主唱する『遊撃戦』の戦果ではない。米軍の原爆を含む圧倒的軍事力がもたらしたのである。習氏は盧溝橋事件77年を迎えた7月、抗日戦争記念館での式典時、わが国をいつもの如く批判した。  「歴史の否定や歪曲、美化を決して許さない」「確固たる史実を無視している」  自国に問うべき言葉を日本にぶつけるのは、正史に向き合えぬ自信の無さ故。哀れだ。  ところで、戦艦ミズーリに赴く前、重光は歌を詠んだ。  「願くは 御國の末の 栄え行き 吾名さげすむ 人の多きを」  降伏文書の署名役という屈辱を一身に背負った重光は、やがて祖国が再び栄え、署名した自分を軽蔑する国民が増えるよう願いを込めたのだ。  祖国復興は成り、重光の悲願は達成された。ただし、重光が外交官人生を賭した、中国への不干渉など「亜細亜の国々」相互による主権尊重関係の樹立、即ち《対支新政策》→《大東亜新政策》は未完のまま。日本はじめアジア各国に対し、中国が内政干渉や主権侵害をやめない限り、完結はしない。  泉下の重光は、中国再建支援まで視野に入れた自らの政策を、いかに総括しているのだろう…。(政治部専門委員 野口裕之) http://www.sankeibiz.jp/express/news/140914/exd1409140000001-n1.htm