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08/15/2016 10:31:20 PM
共産党独裁中国は、歴史捏造を繰り返しながら、我が国の靖国神社参拝を攻撃する。 中途半端な扮装をした満州の匪賊(張学良軍の敗残兵とも)がカトリック司教ら9人を殺害した1937年の「正定事件」を、中国政府は日本軍の犯行と決めつけ、また新たな反日キャンペーンを開始。 中国政府は、新たに「中国人慰安婦も20万人いて殺害された」との捏造キャンペーンも始めています。 政府は、これらを看過せず、明確に否定する国際広報をしなければ、世界の日本への誤解が更に悪化していきます。 そもそも中国政府に靖国参拝攻撃を唆したのは、朝日新聞をはじめとする反日左翼メディアと左翼政党でした。 戦後も歴代の首相は、靖国神社に参拝してきました。しかし、中国政府からの批判はなく、いわゆるA級戦犯が合祀されても中国は問題にしませんでした。当時、批判していたのは我が国の左翼だけでした。 ところが昭和60年8月15日の中曽根首相の参拝に対し、朝日新聞が当時の社会党と連携しつつ異常な「反靖国キャンペーン」を開始。中国政府が靖国参拝への批判を始めたのは、それからです。 朝日新聞、違うと言うならば、証拠と共に反論して下さい。 — 《【歴史戦】オランダ人司教殺害の正定事件で慰安婦めぐる“史実”が独り歩き…仏外交資料に見当たらず 南京事件に関連づける動きも》 2016.08.15 産経新聞 1937(昭和12)年10月に中国河北省正定でオランダ人のカトリック司教ら9人が殺害された「正定事件」をめぐり、「日本軍が慰安婦とするために中国人女性を要求したが司教らは拒否したため殺害された」との説が“史実”として独り歩きしている。欧州では司教らが教会施設に避難してきた女性たちを命がけで守ったとして、聖者に次ぐ「福者」にしようとする列福の動きがある。しかし、当時の日仏外交当局の書簡にはそうした記述がないことが14日までに分かった。 書簡は仏西部ナントの外交史料館に保存されている37年10月23日付の在北京仏大使館員が駐中国大使に宛てた書簡から、38年5月24日付の在ローマ仏閣外相の書簡まで。スイス在住の日本人女性が入手した。 仏政府が史料を保管しているのは事件調査に関与していたためとみられる。殺害されたオランダ人のシュラーベン司教はパリの宣教会から派遣されていたうえ、フランス人司祭も犠牲になっている。 史料によると、事件から3日後に現地入りしたオランダ人神父が使用人から聞いた話として「強奪者は十数人で全員日本の軍服を着ていた。連隊の帽子ではなく、フェルト帽をかぶっていた。(中略)彼らは満州の“赤ひげ”つまり山賊だと話し、国に帰るのにお金を欲しがった」という。 教会側から仏大使館に宛てた手紙には「兵士がお金を要求したり、物を奪ったりした」とあるが、女性を要求したとの記述はない。 唯一、女性に関する記述があるのは37年12月1日付の文書。スウェーデン人神父が中国人のカトリック教会関係者から聞いた話として「10月9日、日本兵がカトリック宣教施設に来て若い女性を要求した。外国人宣教師の一人が、望むものは何でも持っていっていいが女性を差し出すことは絶対にないと答えると、日本兵は立ち去った」とある。 ところが、終戦翌年の46年5月、ベルギー人神父創刊の中国語の新聞に、襲撃グループが「若い女性300人」を要求したとの記述が登場する。この報道が影響したのか、司教殺害に関する調査を行っている「シュラーベン財団」のホームページには「司教は避難民女性を“慰安婦”として差し出すことを拒否」と記されている。 また、日本のカトリック機関紙「カトリック新聞」は2013年4月、「欧州に残る資料によると、日本軍が教会施設にいた避難民の中から200人の女性を引き渡すよう求めたことに抵抗したため(司教らは)連行された」と報じた。 中国でも正定事件は司教らが女性を守ろうとしたために殺害された「惨劇」と伝えられている。14年10月には正定がある河北省石家荘市の河北師範大学で「正定教会の惨劇と戦時における宗教の人道主義の援助」と題したシンポジウムが開かれた。 正定に進軍したのは終戦後、南京軍事法廷で「大虐殺を引き起こした」として死刑判決を受け、処刑された陸軍中将の谷寿夫氏が率いる部隊だった。このことから正定事件は谷氏の部隊が引き起こしたとして「南京事件」と関連づける動きもある。 ◇ ■ 正定事件(せいていじけん) 戦時中の1937年10月9日ごろ、旧日本軍による攻略直後の中国河北省正定でフランスのカトリック宣教会が襲われ、司教を含む9人が殺害された事件。日本は当時、調査に基づき日本軍の犯行ではないと結論づけたが、教会を管轄する仏側に正定の統治者としての責任から見舞金を支払った。仏政府も犯人を特定できないまま38年4月に「今後、問題を提起しない」と表明した。 写真:日本軍の正定(中国河北省)攻略を伝える昭和12(1937)年の「東京朝日新聞」の報道。避難しようとしていた女性や子供たちが日の丸の小旗を持って集まってきたと説明している http://www.sankei.com/premium/news/160815/prm1608150018-n1.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/627677330733140
08/15/2016 12:43:35 PM
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08/13/2016 05:41:06 AM
我が国は、周囲を同じ文化圏の友好的な民主主義国に囲まれEUを構成しているフランスとは条件が異なります。米国が、生まれながらの米国人でないと大統領になる資格がないと定めているのと同じく、我が国は、生まれながらの日本人でないと首相になる資格がない様に法律で定めるべきです。 — 《台湾から帰化した蓮舫が首相になれる条件》 2016.08.11 アゴラ 八幡 和郎 民進党の代表選挙は蓮舫氏の独走状態のようだ。しかし、閉鎖的といわれる日本人が野党第一党の党首に台湾から帰化した女性を選び、有力な首相候補とするとはずいぶんと大胆なことだと思う。 しかし、その一方で、保守派からは、少しでも親韓的な発言をすると、たちまち在日疑惑の対象となる。この落差はあまりにも大きい。 また、帰化していない外国人に地方選挙の参政権を与えようという意見もあるが、反対が強く、先般の東京都知事選挙では、鳥越俊太郎氏が10年たったら(北朝鮮国籍であってもなんでも)無条件に与えろと主張し、増田寛也氏はかつて岩手県知事時代に賛成していた経緯があるので、都道府県ごとに住民が賛成多数なら与えれば良いといったが、全面反対の小池百合子氏に圧倒的な支持が集まる原因の一つになった。 蓮舫氏の国籍については、本人から詳細な説明があったことはないと思われる。しかし、それなりに信頼性が高く本人も否定していない情報をもとにすると、こういうことらしい。蓮舫氏は、台湾人(中華民国籍)の貿易商である謝哲信氏と日本人の母・斉藤桂子の間に1967年に東京で生まれた。 その当時は父系主義だったので中華民国籍で、名前も謝蓮舫だったようだ。しかし、1985年の国籍法の改定で、日本人が母であることから日本国籍を自動的に与えられ、22歳までにどちらかを選択することになった。 そして、いつの時点かはっきりしないが、蓮舫氏は日本国籍を選択し、斉藤蓮舫になったということだろうか。このときに、中華民国籍を放棄する必要があるが、その旨を日本の役所に宣言すればよいので、その証拠を示す必要はなさそうで、二重国籍を維持していても日本の役所は把握できないはずだ(もちろん虚偽の申請をしたら法律違反だ。また、日本の国籍法は二重国籍を禁じているが法律に違反して二重国籍の人はかなりいる)。 なお、このときに、「父親から、日本国籍を取って日本人として生きろと言われた時が、人生で一番屈辱的な事だった」といったという噂が流れ、それを先般も自民党議員が引用したが、それは事実ではないようだ。 その後、蓮舫氏はフリージャーナリストの村田信之と結婚して、村田蓮舫が現在の本名のようだ。 しかし、国籍の経緯について、国会議員や国務大臣を経験しても,明確に説明することを求められないのは、日本もまことに不思議な国だ。また、日本国家に対する忠誠を誓ったり、尖閣問題のような両国間の問題について見解を厳しく問われないのも信じられない。 さらに、北京への長期留学経験もあるのだから、中国政府との関係や両国間の問題についても同様だ。 フランスの首相はスペインからの帰化人だが苦労している 私は帰化した外国人やその子孫、あるいは外国人の配偶者や縁者をもつ日本人が政治家になることにはまったく否定的でないし、移民にもいろいろ条件はつけるべきだと思うが、寛容な意見の持ち主だ。 しかし、フランスで留学と勤務で5年間を過ごし、また、世界各国の制度を研究してきた立場からすると、外国系の出自を隠すと言うこと自体が一般人についても信じられないし、まして、政治家が出自が故に忠誠を問われることがないといった状況も世界のなかで非常識きわまると思う。 200px-Valls_Toulouse_2012フランスでは、バルス首相(写真、Wikipedia)はバルセロナ生まれで父親がフランコ政権に反対する活動をしてフランスに移住し、自身は20歳で帰化した。母親はイタリア系スイス人だ。それでも、人気は高く大統領候補ともいわれたのだが、思わぬところに落とし穴があった。 ヨーロッパ・サッカー連盟のプラティニ会長(イタリア系フランス人)からベルリンでバルサが出場したヨーロッパ・クラブ・カップの決勝戦に招待され、公用機で子供二人を連れて出かけたところ、非難囂々となり、それ以来、人気は低迷気味だ。 もちろん、子供を連れて行ったというのも問題だったが、移民が大統領候補といわれることへの複雑な気持ちが表面化した事件だった。本人はフランスとスペインの親善のために良いとおもったのだろうが、そうは認めてもらえなかった。ちなみに、首相の祖父の従兄弟はバルサの応援歌の作者だそうだ。 フランスではほかにも、バルトロンヌ下院議長はイタリアからの移民、イダルゴ・パリ市長はスペイン、ベルカセム教育相はモロッコから帰化しているが、やはりいろいろ厳しいこともいわれている。 女性のペルラン前文科相は韓国で捨てられていたのを施設からフランス夫妻が養子にし、ENA出身の高級官僚になったものだが、閣僚になった当時、韓国のマスコミが韓国系であることをはやしたてたところ、自分はフランス人だといささか迷惑そうだった。 先祖がというなら、サルコジ前大統領はハンガリー移民とユダヤ系ギリシャ人の子で、バラデュール元首相はアルメニア、ベレゴボワ元首相はウクライナ移民系だ。ジスカールデスタン元大統領はフランス人を両親としてドイツのコブレンツで生まれたが、ことあるごとに親独的な姿勢から「ドイツ生まれの大統領」と揶揄された。 フランス以外では、アメリカでは、ケニア人留学生と白人女性のあいだに生まれたオバマ大統領について、本当にアメリカ生まれなのかと追及があったし(生まれながらのアメリカ人でないと大統領にはなる資格がないので)、両親はアメリカ人だがカナダ生まれのクルーズ上院議員に大統領となる資格があるかトランプ陣営が問題にしていた。 ペルーのフジモリ前大統領は、ペルー生まれだが日本との二重国籍であるが、実は移民船上で生まれたので資格がないのではとさんざん疑惑を追及された。 やはり、蓮舫氏も首相候補である野党第一党党首になるのなら、遅まきながら、国籍選択の経緯を説明し、二重国籍でないことを証明し、日台・日中の懸案事項について所見を明確に述べ、台湾の親戚などの状況などについても情報を公開し、日本国への忠誠や愛国心について説明すべきだろう。 いわゆる在日疑惑について 朝鮮系の政治家と言うことで言うと、戦前の日本では、朝鮮籍であろうが台湾籍であろうが参政権はあった。ただ、選挙が実施されたのは、北海道や沖縄でも内地より遅れてのものだったし、朝鮮や台湾では将来の実施が約束されたにとどまった。 したがって、外地にいたら日本籍でも参政権がなく、内地にいたら朝鮮籍でも参政権があった。そこで、朴春琴という人が東京4区で立候補し、1932年と37年には当選している。 また、貴族院には朝鮮や台湾出身の人もいた。台湾の財界トップで北京との交渉窓口トップだった辜振甫氏の父である辜顕栄氏もその一人で、50音順で近衛文麿の隣の席にいたと辜振甫氏と食事したときに聞いた。 戦後に帰化した人のなかでは新井将敬氏が有名だが、先般の参議院選挙で三選された白眞勲さんもいる。そのほかに、民主党政権で要職を占めた某氏も帰化したときの官報告示がよく知られているが、本人は積極的に公表していないのでなぜかマスコミもそれを論じない。 そのほかに、膨大な人数の政治家が帰化したのでないかと言われているが、ほとんどは嘘だと思う。戦前に朝鮮籍の人が日本籍に変えることは難しかったから親が日本人なら帰化したわけでないはずだ。 それに対して女系で外国人の血を引いている人はかなりいると思われるし、なかには、極めて高い地位についた人もいる。また、配偶者が外国人の人も多い。 いずれにせよ、少なくとも政治家や一部の公務員については、外国とのそういう関係は、オープンにするのが国際的常識で、それを隠してよいことにしているから疑心暗鬼がひろまっているのだと思う。 蓮舫民進党代表が実現するなら、そのあたりも全員一気にオープンにしたうえで、上記で蓮舫氏について求めたようなことを実行して欲しいと思う。 http://agora-web.jp/archives/2020798.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/626379394196267