吉田康一郎blog

2015/11/20 19:21

2015/11/20

11月10日に投稿した、中国企業が豪州で韓国の面積に匹敵する大牧場の購入を目論んだ件、豪財務相は安全保障の観点から認めず。 我が国も同じ措置を取れる法整備が必要です。 — 《豪政府“爆買い”阻止 中国企業への巨大牧場売却を認めず》 2015.11.19 ZAKZAK  オーストラリアのモリソン財務相は19日、牧場経営会社「S・キッドマン」から外国企業への巨大牧場売却を認めないと明らかにした。中国企業が3億豪ドル(約265億円)以上を提示したと報じられたが、モリソン氏は「国益に反する」と判断した。  「S・キッドマン」が国内各地に所有する土地面積は計約10万平方キロに上り、韓国の国土面積に匹敵。規模の大きさから安全保障上の懸念が浮上し、9月に発足したターンブル政権の対応が注目されていた。  モリソン氏は、このうちサウスオーストラリア州のアナクリーク牧場の半分が、軍事的に重要な兵器実験場周辺の立ち入り制限区域内に位置することを指摘した。(共同) http://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20151119/ecn1511191531012-n1.htm

2015/11/20 18:43

2015/11/20

素敵ですね。 — 《根室湾に蜃気楼が出現。海上保安庁の巡視船が“空を飛ぶ”?》 2015.11.19 たびらい北海道

2015/11/20 7:47

2015/11/20

著名な米ジャーナリストであるマイケル・ヨン氏が、歴史捏造映画「アンブロークン」の原作の嘘に、一万ドルの懸賞金を懸けて真実を問うています。氏のジャーナリストとしての姿勢に、心より尊敬と感謝の意を表します。 — 《求む 真実!:賞金 一万ドル 進呈 「1944年にティニアン島で日本軍が五千人の朝鮮人を殺害した」というローラ・ヒレンブランドの主張を立証できた方には一万ドルを進呈しよう。》 2015.11.14 マイケル・ヨン (写真:ローラ・ヒレンブランド著「アンブロークン」) 1944年のティニアン島での出来事について書いた部分 (写真:同書抜粋) === 日本軍はこの島で5千人の朝鮮人を労働者として働かせていた。米軍が侵攻して朝鮮人達が敵に寝返ることを恐れた日本軍は、「皆殺しの原則」を実行した。5千人の朝鮮人全員を殺害したのだ。 === ベストセラー作家のローラ・ヒレンブランドは、その著書の中で、1944年、日本軍がティ二アン島で5千人もの韓国人を殺した、と二度も書いている。出版社にも連絡を取ったが、私の質問に対する回答はなしのつぶて だ。 ヒレンブランドへの取材も拒否された。10年ほど前、別件で彼女に取材したことがある。そのときのヒレンブランド女史には好感を持ったのだが。 事の次第はこうである。我々のチームが関連した別の件を調べているとき、偶然、ヒレンブランドの誤りを見つけた。 (写真:同書抜粋) === 全員殺害しろとの命令に従い、日本軍はティニアン島に徴用されていた5千人の朝鮮人全員を大虐殺した。 === 戦闘は当時、熾烈を極め、多くの日本人と一般市民が自害した。子供たちと一緒に崖から飛び降りる者や、日本兵によって殺害された例もあった。多くが崖から飛び降りたり洞穴に逃げ込んだ。 後に降伏した者も多かったが、頑として抵抗を続け、洞穴から出てこないと、火を入れられ入り口を封鎖された。 しばらくしてティニアン島はすぐに、世界で最も離発着機の多い空港となった。焼夷弾や原爆を積んだ爆撃機はこの島から日本へ 飛び立っていった。島は米軍の部隊で溢れていた。しかし侵攻前に大規模な殺人が行われた、との報告は一切無い。 当時 島には2千4百人の朝鮮人を含めて総計数千人の市民がいたとの報告がある。ヒレンブランドは、その2千4百人の倍以上の人々が殺害されたと書いているのだ。 第二次大戦直後のティ二アン島の記録。 (写真) http://catalog.hathitrust.org/Record/001150096 1957年に書かれた上記のレポートは、2015年現在における政治的・社会的圧力とは一切無縁であることに注意してほしい。戦時中の日本軍に関する中国の「言いがかり」は、戦後 数十年たってから始まった。 1944年(米軍が侵攻する前) のティニアン島の人口推計。 (写真) http://catalog.hathitrust.org/Record/001150096 我々の侵攻後に調査した人口。 (写真) ニューヨークタイムズの記事によると、当時島にはまだ多くの朝鮮人が居住していて、皆で募金した $666.35を米軍に寄付した、とある。我々はニューヨークタイムズのアーカイブを調べた。 下は1945年の報道。 (写真) ヒレンブランド女史は現実と向き合うべきだ。 彼女の本は 実話と銘打って「ノンフィクション」のカテゴリーに分類され、アンジョリーナ・ジョリーが監督した映画の原作本にもなっている。ところがその本には作り話が含まれている。そんないい加減な本はとるに足らない、と切って捨てることもできたが、一応この記述の誤りについて出版社に知らせた。しかし驚くべき事に出版社は我々の警告を一切無視している。 我々は巻末にあったヒレンブランドの参考文献や情報源リストをチェックした。 すると、一つの情報源は出鱈目であった。情報源であるとされた会社にコンタクトをとったところ、その会社はヒレンブランドのあげたレポートに関与していないと回答してきた。ヒレンブランドは「情報源」について確認を取ることをしていなかったことがわかった。 もう一つのニュースソースはただの伝聞に過ぎない。 韓国人と中国人は事実ではない歴史を事実と思い込ませる為に、世界中に記念碑を建て続けている。我々は中国の仕掛ける、日本・米国をはじめとする国々への大規模な情報戦争のまっただ中にいて、記念碑や石碑は中韓の武器の一つだ。ヒレンブランド女史は罠に落ちた。彼女は騙されたのだ。しかし出版社はそのことを認めようとしない。 それは、あたかも、米国海兵隊が行った、戦後の戦争捕虜や収容市民の調査に大規模な隠蔽工作があったとか、致命的な怠慢があった、と言っているのに等しい。 つまりヒレンブランドは、小さな島での五千人の大量虐殺を、米国海事委員会と米国海軍が共謀して隠蔽した、あるいはこの大量虐殺という戦争犯罪を知ることができないほど無能だった、と、言っているようなものだ。 また、日本への空襲と原爆投下の爆撃機はティニアン島から発進していったことを憶えておきたい。もしも当時、ティニアン島で五千人もの朝鮮人が日本兵に殺害されたと知っていたならば、アメリカは爆撃を正当化するために喜んで宣伝に使っていただろう。しかし、当時、米軍はそれについてなにも宣伝していない。 驚くべきことに、ヒレンブランド女史は情報の元となる書類をあげておらず、インチキと伝聞を元に、まことしやかに書いている。我々はヒレンブランドの言っていることを支持する記事を見つけることはできなかった。 1945年、ティニアン島で書かれてニューヨークタイムズに掲載された記事は、ヒレンブランドの記述に対するストレートな反論である。 […]

2015/11/18 19:52

2015/11/18

1804年(江戸時代)のドイツの地図でも、尖閣諸島が、1609年以降薩摩藩の支配下にあった琉球の一部であると記載されています。中国の歴史改変から守らなければなりません。石井望准教授の研究成果。 なお、南西諸島の住民の先祖は、古代から日本本土から移住した人達である事が分かっており、1429年に琉球国が成立しますが、それより遥か以前から日本の一部です。—《「尖閣は琉球の一部」明記 19世紀初頭ドイツ地図》2015.11.16 産経新聞 ■ 長崎純心大・石井准教授が確認  尖閣諸島(沖縄県石垣市)を琉球領に含めた1804年作製のドイツ製地図が現存していることを、長崎純心大の石井望准教授(尖閣史)が確認した。明治政府が尖閣諸島領有を閣議決定する90年前の地図であり、石井氏は「領有前から西洋諸国は尖閣を琉球領と認識していた。無主地の尖閣が徐々に日本の勢力下に置かれていく過程を表す」と語った。(九州総局 奥原慎平) ◇  確認された地図はドイツの地図製作の大家、アドルフ・シュティーラー(1775~1836)が作成した。地図では尖閣諸島と琉球が黄色に塗られており、無色の台湾との間は、線で仕切られていた。  石井氏は今年7月、ドイツの古美術品店やミュンスター大の所蔵資料で確認した。  地図作製にあたってシュティーラーは、18世紀に琉球周辺を航海した唯一の西洋人であるフランス人のラペルーズ(1741~88)の航海日誌を参考にしたとみられる。ラペルーズは1780年代に尖閣諸島南部の与那国島(現沖縄県)海域を運航し、航海日誌に「台湾(の)東の島々の首府は琉球」と記した。  明治政府は1885年から10年かけて、尖閣諸島に清国を含むどの国の支配も及んでいないことを確認した上で、日清戦争中の1895年1月、沖縄県への編入を閣議決定した。  一方、中国側は尖閣諸島は清国が領有する台湾の付属島として、日清戦争の講和条約「下関条約」(1895年4月17日締結)によって、台湾とともに日本に割譲されたという論法で、領有権を主張する。  だが、今回の地図や、シュティーラーが創業した地図出版会社が1868年に発行した「ハンド・アトラス」でも、尖閣諸島は台湾ではなく、琉球領と記されていた。  石井氏は「今回の地図で分かるように、日本編入以前から西洋は尖閣諸島を日本領と認めていた。地図は編入に向かって進む歴史の流れを示す一つのピースだ。当時の地図は手塗りで、塗り替えも可能だ。中国の改変を防ぐには、早急にドイツで資料を収集すべきだ」と訴える。  自民党国際情報検討委員会委員長の衆院議員、原田義昭氏(福岡5区)も産経新聞の取材に「(尖閣諸島に関する)古資料のほぼ全てが中国政府の主張を否定している。中国が仕掛ける領土問題に対して、米国など第三国にて学術的に論破する場を設けたい」と述べた。 写真:1804年に出版されたドイツ製地図。尖閣諸島(中央やや上のだ円で囲んだ部分)が琉球と同じ色で塗られている http://www.sankei.com/region/news/151116/rgn1511160037-n1.html

2015/11/18 0:32

2015/11/18

「神風とテロは違う」。有り難い事に、海外でも理解してくれる人達が出てきています。—《海外「神風とテロは違う!」 メディアの自爆テロの表現に仏人から怒りの声も》2015.11.17 パンドラの憂鬱 日本時間14日未明にフランス・パリで発生した同時多発テロ。パリ中心部の劇場やレストラン、郊外のスタジアムなどが武装グループの襲撃を受け、地元メディアによると、このテロによって130人以上の方が命を落とし、容体が安定しない重体者90人以上を含め、約300人の方が負傷をされています。 ISISが犯行声明を出した今回のテロを、一部の海外メディアが「カミカゼ」と表現。フランスのメディアも、フィガロやル・パリジャン、ル・モンドなど、ほとんどのメディアが複数の記事でやはり「カミカゼ」と表現しています。 記事のタイトルや見出しにも多く使われているくらいですので、カミカゼは自爆テロを表現する言葉として定着していると言えるようですが、そのことに違和感を覚えるフランス人の方も少なくないようで、表記の変更を求める声や、メディアの認識に対する非難の声なども散見されました。 (以下、紹介コメント)(略) http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1732.html

2015/11/15 4:40

2015/11/15

欧州のメディアやSNSで、今回のパリのテロの様な自爆テロについて、「神風」kamikaze という言葉が使われています。 宣戦布告をした戦争において、正規の軍隊が重武装して待ち構える敵軍に対して行った攻撃である神風特別攻撃と、平時に非武装の民間人に対して無差別に殺傷を行う自爆テロとは、全く異なります。 抗議し、やめさせる必要があります。 http://www.midilibre.fr/2015/11/14/attentats-a-paris-un-kamikazes-est-fait-sauter-pres-du-stade-de-france,1241566.php

2015/11/14 22:40

2015/11/14

11月9日、日本会義中野支部主催「平和安全法制から憲法改正へ 佐藤正久参議院議員講演会」に参加しました。 場所: 中野サンプラザホール (35.707320808538、139.66493085069),住所: 中野4-1-1, TokyoNakano-ku 164-8512

2015/11/14 22:27

2015/11/14

11月13日、東トルキスタン共和国独立記念行事に、ウイグル地方議員連盟副会長として参加し、挨拶を致しました。 場所: 品川区立五反田文化センター (35.622783063657、139.71690032318),住所: 西五反田6-5-1, TokyoShinagawa-ku 141-0031

2015/11/14 17:52

2015/11/14

パリにおけるテロに対する怒りと、犠牲者の方々への哀悼の意を表します。 我が国においても、万全のテロ対策が必要であるとともに、移民受入れ問題への慎重な検討と対応の必要性について認識を新たにしました。

2015/11/14 16:44

2015/11/14

慶應義塾戦没者追悼会(於 三田キャンパス)に参加しました。毎年参加しています。今年は終戦70年だからでしょうか、雨にも拘らず、例年より多くの方が参加されました。