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2014/08/24 5:49

2014/08/24

朝日新聞は、今回記事を取り消した吉田清治の捏造話を、91年、連載「女たちの太平洋戦争」でも採り上げ、同連載は92年、日本ジャーナリスト会議賞を受賞、96年、『女たちの太平洋戦争』(朝日文庫)として刊行しました。朝日新聞は、受賞を返上し、同書を回収すべきです。—《【歴史戦第5部「朝日検証」の波紋(上)3】信じたくない「吉田の嘘」》2014.08.23 産経新聞  平成3年5月22日付朝日新聞朝刊(大阪版)は連載記事「女たちの太平洋戦争」で、自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長、吉田清治が朝鮮半島で行ったと証言した女性の強制連行を取り上げた。記事は、吉田の述懐を事細かに紹介している。  「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を九百五十人強制連行したことです」  「若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣を持っていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、一つの村から三人、五人、あるいは十人と連行していきます」  反響は大きく「読者から驚きの電話が何十本も届いた」という。数日後には、吉田証言に対する読者の感想が掲載された。  「加害者としての勇気ある証言に接し、厳正な軍紀の下に統制されているものと確信していた旧軍隊への信頼感が、根底から覆されました」(5月28日付、和歌山市、81歳男性)  「ショックを受け、読み終えてしばらくぼうぜんとした。(中略)若い女性を強制連行し、軍人相手の慰安婦にしていたとは、記事を目にするまでは知らなかった。何とも破廉恥なことをしたものだ」(5月31日付、兵庫県、40歳主婦)  これら吉田の証言や読者の感想を伝えた連載は『女たちの太平洋戦争』(朝日新聞社)として刊行され、4年、日本ジャーナリスト会議賞を受賞した。 ■16本の記事いつ掲載  吉田証言の虚偽性は現地調査をした現代史家、秦郁彦によって4年4月の時点で提起され、産経新聞も報じた。  朝日新聞元ソウル支局長で現在は東京本社報道局長の市川速水は、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘との対談『朝日VS.産経 ソウル発』(朝日新書、平成18年)で、3~4年に慰安婦問題取材班の中心的存在だったことを明らかにしている。市川は「貧乏な家で、女衒にだまされて、気がついたら戦地に行かされて、中国などで慰安婦をさせられた」との証言はあったとしながらも「僕の取材でも、腕を引っ張られて、猿ぐつわはめられて、連行されたという人は一人も現れていません」と語った。  だが朝日新聞が吉田証言を虚偽だと判断し記事を取り消したのは、秦の指摘から22年以上もたった今月5日。朝日新聞は5日付朝刊の特集記事「慰安婦問題を考える」で、吉田について「確認できただけで、16回、記事にした」と説明したものの、具体的にどんな記事だったかほとんど明らかにしていない。  産経新聞は朝日新聞社に対し、16本の掲載期日や紙面上でそれらを示す予定があるかなど書面で質問した。同社広報部は18日、産経新聞の福島第1原発事故をめぐる「吉田調書」報道に対する抗議書のなかで回答を保留するとした。重ねて見解を示すよう求めたが、提示した期限までに回答はなかった。  元朝日新聞編集委員の川村二郎は語る。  「朝日新聞は国民の知る権利と二言目には言うが、読者の知る権利もちゃんと保障すべきだ。報道機関として間違っている」 ■ 疑問にコラムで反論  以前、朝日新聞は吉田証言をめぐる読者の声に反応した。4年1月23日付夕刊1面コラム「窓 論説委員室から」で、吉田証言を無批判に紹介。読者から「(強制連行について)そんなことは見たことも聞いたこともない。軍律、兵隊の心情にてらしても、それはありえない」との疑問が寄せられると、3月3日付の同コラムでこう反論した。  「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」  吉田の嘘は朝日にとって「知りたくない、信じたくない」ことだったろうが、いま朝日は「その思いと格闘」しているだろうか。(敬称略)http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140823/plc14082312100007-n1.htm

2014/08/24 4:37

2014/08/24

朝日新聞は、22年前の1992年にはソウル特派員が「挺身隊イコール慰安婦としてとらえているものが目立ち」「挺身隊と慰安婦の混同」と指摘していたのに、敢えて今日まで混同を世界に宣伝・拡散し続けてきた。まともな報道機関ではない。—《【歴史戦第5部「朝日検証」の波紋(上)1】朝日 22年前から認識 女子挺身隊と慰安婦は別の存在 ソウル発記事で疑義提議》2014.08.23 産経新聞  慰安婦問題が日韓間で政治問題化していた平成4年1月の段階で、朝日新聞が女子挺身隊と慰安婦は別の存在だとの認識を示すソウル発の記事を掲載していたことが分かった。朝日新聞は今月5日付の「慰安婦問題を考える」と題した特集で「当時は研究が乏しく同一視」と書き、全く異なる両者を混同し、誤用してきたことを認めたが、22年以上前に社内で両用語の使用法をめぐり疑義が提起されていたことがうかがえる。  記事は4年1月16日付朝日新聞朝刊の社会面に掲載されたもので、【ソウル15日=波佐場清】の署名で、宮沢喜一首相(当時)訪韓直前の韓国世論の動向を伝えている。そこには「韓国のマスコミには、挺身隊イコール従軍慰安婦としてとらえているものが目立ち、韓国民の多くは『日本は小学生までを慰安婦にしていた』と受け止めている」と書かれている。  その5日前の1月11日付朝日新聞朝刊は、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」と両者を混同していたが、直後に「異論」が掲載された形だ。  ただ、ソウル発のこの記事は、東京本社版の早版に掲載されたが、紙面が確定する最終版からは抜け落ちていた。大阪本社版、西部本社版は同様の記事を掲載していたが、名古屋本社版(14版)が掲載した記事では、韓国内での挺身隊と慰安婦の混同を指摘するくだりが削られていた。  産経新聞は当時の朝日新聞の認識をただすため、現在、波佐場氏が上席研究員を務める立命館大学コリア研究センターを通じて取材を申し込んだが、波佐場氏は取材に応じなかった。  朝日新聞社にも、東京最終版が記事を掲載しなかった事情などを質問したが回答はなかった。同社広報部は、東京電力福島第1原発事故で、当時の吉田昌郎所長が政府の事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」に関する本紙記事の内容をめぐって、小林毅・東京編集局長に宛てた抗議書の中で「納得のいく回答が得られるまで、貴社の取材には応じられません。回答は保留させていただきます」とした。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140823/plc14082307300004-n1.htm—《【歴史戦第5部「朝日検証」の波紋(上)2】社内からの指摘を放置》2014.08.23 産経新聞  平成4年1月16日付の朝日新聞朝刊で、韓国では「挺身隊イコール慰安婦としてとらえているものが目立つ」と書いた元ソウル特派員、波佐場清は、同年3月7日付朝刊コラム「透視鏡」でもこう指摘した。  「挺身隊と慰安婦の混同に見られるように、歴史の掘り起こしによる事実関係の正確な把握と、それについての(日韓)両国間の情報交換の欠如が今日の事態を招いた」 ■「すぐ気づいたはず」  波佐場は産経新聞の取材申し込みに対し、所属する立命館大学コリア研究センターを通じ「お断りしたい。新聞紙上に自分のクレジットで載ったものがすべてです」と回答した。  社内からも慰安婦と挺身隊の混同を指摘する意見が出ていたのに、なぜ朝日新聞は今まで放置してきたのか。この混同こそが、韓国の反日団体などが主張する「慰安婦20万人強制連行」説のおおもとになったにもかかわらずだ。  今月5日付の朝日新聞は自社が女子挺身隊と慰安婦を混同し、誤用した理由について「原因は研究の乏しさにあった」と説明した。  「当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった」「参考にした資料などにも混同がみられた」などとも記した。  元朝日新聞ソウル特派員の前川惠司(現在ジャーナリスト)は首をかしげる。「研究が乏しかったというが、当時は戦時中を知る人がたくさんいた。そうした人たちに取材すればすぐ違いに気づいたはずだ」 ■「養父に連れられて」  前川は、5日付朝日新聞の特集が、韓国人元慰安婦、金学順を初めて取り上げた「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(3年8月11日付)について、「意図的な事実のねじ曲げなどはない」としたことにも疑問を呈す。  「普遍的な人権を考えれば、元慰安婦の側に立つことは大事だ。でも、本当にそうならば、例えば金さんの話が『どうも違う』となったら、確認して報じるのが金さんのためだ。結局、金さんは最後まで批判者から嘘つき呼ばわりされて亡くなった」  「誇張した被害宣伝をすると、かえって信用されないと指摘するのも記者の役目ではないか。その記者(植村隆)は、後にソウル特派員にもなっているのだから、いくらでも確認が取れたではないか」  植村は3年12月25日付朝刊(大阪版)で、金の「証言テープを再現する」として、金が慰安婦とされたきっかけをこう書いている。  「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした」  だが、金がこの記事が出る直前に日本政府を相手取って起こした慰安婦賠償請求訴訟の訴状では「養父に説得され、連れられていった」と証言している。植村が書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行」が「事実のねじ曲げ」でなくて何なのか。(敬称略)http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140823/plc14082309080005-n1.htm

2014/08/23 5:29

2014/08/23

「政府、吉田調書公開へ」。「産経、朝日両紙で報じられた内容に食い違いが多いことから、開示に踏み切らざるを得ないと」。産経、朝日、どちらが事実を報道しているのか、決着がつきますね。どっちなんだろう。 — 《政府、吉田調書公開へ》 2014.08.23 産経新聞  政府は22日、平成23年3月の東京電力福島第1原発事故に関し、政府の事故調査・検証委員会が事故発生時に所長として対応に当たった吉田昌郎氏(25年7月9日死去)に聞き取り調査してまとめた「聴取結果書」(吉田調書)を公開する方針を固めた。菅義偉(すが・よしひで)官房長官が25日にも方針を表明する。公開は9月中旬以降になる見通しだ。  これまで政府は、今年5月に第三者への公表を望まないとする吉田氏の上申書を内閣官房のホームページ上で公開するなど、不開示方針を貫いてきた。ただ、産経、朝日両紙で報じられた内容に食い違いが多いことから、開示に踏み切らざるを得ないと判断したものとみられる。  吉田調書をめぐっては、被災者ら10人が今月20日、国を相手取り、公開を求めて東京地裁に提訴。訴状では「事故の原因究明と再発防止を検討するために公開は必要不可欠」と主張している。  吉田調書はA4判で約400ページ。吉田氏への聴取は23年7月から11月にかけ、事故収束作業の拠点であるサッカー施設「Jヴィレッジ」と第1原発免震重要棟で計13回、延べ27時間以上にわたり行われた。 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140823/plc14082305000001-n1.htm

2014/08/23 5:18

2014/08/23

環境規制の杜撰な(基準が緩く、その基準も遵守されず、規制の実効性が低い)、工業生産活動の規模が大きい途上国が、排出源である可能性が極めて高いと推測できます。その筆頭は中国です。 — 《「全廃」のオゾン破壊物質、なお放出》 2014.08.21 産経新聞  オゾン層を破壊するとしてモントリオール議定書で製造が禁止された四塩化炭素という化学物質が、現在も未知の放出源から大気中に出ている可能性があると、米航空宇宙局(NASA)の研究チームが20日、発表した。  かつてはドライクリーニングの溶剤や消火剤として広く使われたが1996年以降に全廃となり、加盟国による2007~12年の排出量はゼロとされる。  だがチームが大気データを調べると、ピーク時の30%近い3万9千トンが毎年放出されていた。予期せぬ発見にチームは「何らかの工業生産過程で漏れ出るなど未知の放出源が存在する可能性がある」と指摘している。四塩化炭素はクロロホルムに似たにおいがあり、大気中での寿命は26年。  地球を取り巻いて人体に有害な紫外線をさえぎるオゾン層を破壊する物質として議定書が規制対象とする特定フロンに指定されている。(共同) http://sankei.jp.msn.com/science/news/140821/scn14082122170001-n1.htm

2014/08/23 3:57

2014/08/23

「母に売られた」と証言した元慰安婦を、植村記者が「挺身隊の名で連行」と報じた際、日本政府を相手に裁判を起こす自らの義母には一切話を聞かなかったと。だから「意図的ではない」と強弁する朝日新聞。訴状を「強制連行」に書き換えた福島瑞穂弁護士。23年間訂正せず宣伝し続けるのは「捏造」です。 — 《朝日新聞慰安婦報道の「闇」と裁判担当した福島瑞穂氏の関与》 2014.08.20 NEWSポストセブン  8月5日付の朝刊で、朝日新聞は吉田清治氏(故人)の証言した戦時中の「慰安婦狩り」についての1991年当時の記事を取り消した。当時、朝日にはもう一つ重大な「虚報」があった。  吉田証言報道の3か月後、〈思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く〉という見出しで、元慰安婦の証言を〈女子挺身隊の名で戦場に連行された〉と“スクープ”した記事だ(1991年8月11日付)。  女子挺身隊は慰安婦とは全く別物であるという誤りに加え、吉田証言と表裏一体をなすこの「戦場に連行された」という記事にこそ重大な問題がある。  朝日報道の時点では匿名だったこの元慰安婦は3日後に金学順(キムハクスン)という実名を出して記者会見し、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあるキーセン(芸妓・公娼)の検番(養成所)に売られた」という経緯を明らかにしたのだ。西岡力・東京基督教大学教授が解説する。 「金学順さんは母がカネで売った相手、キーセンの検番の義父によって17歳の時に慰安所に連れて行かれたと証言しました。朝日が書いた国家権力による連行ではなく、母に売られ、義父に騙されて慰安婦にされたと明かしたのです」  ここに朝日報道の闇の部分がある。この記事を書いたのは当時大阪社会部に所属していた植村隆・元記者。植村氏の妻の母は韓国の旧軍人、遺族らでつくる「太平洋戦争犠牲者遺族会」会長(当時は常任理事)であり、金さんは記事の4か月後に同会メンバーとともに日本政府を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしている。 「つまり、報道は単なる間違いではなく、植村氏は親族の裁判を有利にするために、意図的に金さんがキーセン養成所出身であることを報じなかった疑いがあるのです」(西岡氏) 「母に売られ、養父に慰安所に連れて行かれた」という話よりも「女子挺身隊の名で戦場に連行された」という記事のほうが、日本政府を相手取った裁判が有利になるのは間違いない。  朝日はこの疑惑について検証記事で、植村氏がキーセン養成所の件を「意図的に触れなかったわけではない」「金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と説明したとした。また、義母が幹部を務める遺族会とは別組織である「挺身隊問題対策協議会(挺隊協)」から証言を聞き、「義母からの情報提供はなかった」とも説明した。  これはおかしい。植村氏は、金さんの記者会見後の記事でも「キーセン」に触れていない。自分が追いかけていたテーマで知らなかった重大事実が発覚したなら、改めてレポートするなり前の記事を訂正するのが常識だ。  しかも検証記事で「情報提供は当時のソウル支局長からあった」と説明しているが、この経緯もおかしい。ソウル支局長はなぜ、支局の記者に取材させずに、賠償請求を準備していた当事者の親族である植村記者をわざわざ大阪本社から呼んだのか。この点について朝日の検証記事は何も触れていないし、当時の支局長のコメントさえない。  しかも金さんはその後、「裁判の過程で、最初の会見での話や訴状にはなかった『日本軍人による強制連行』があったと証言内容を変えた」(西岡氏)のである。記事が裁判に与えた影響も少なくない。  この慰安婦訴訟の弁護を担当したのは福島瑞穂氏である。慰安婦問題の政府追及で名を上げ、その後国政に転じて社民党党首、少子化担当大臣として脚光を浴びたのは周知の通りだ。彼女も今のところ、この世紀の大虚報とデマについて何も語っていない。  朝日新聞は検証記事で吉田証言の記事は取り消したが、植村記事については「事実のねじ曲げはなかった」と強弁した。それは、韓国の反日団体、日本の“人権派弁護士”と連携して「強制連行」を国際社会に浸透させ、日本政府からカネを巻き上げる片棒を担いだという疑惑こそ、朝日が絶対認めたくない慰安婦報道の急所だからではないのか。 ※週刊ポスト2014年8月29日号 http://www.news-postseven.com/archives/20140820_271864.html