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2015/05/22 2:40
中国軍機、沖縄本島と宮古島の間を通過 初の西太平洋往復の遠海訓練「今後も実施する」》 2015.05.21 産経新聞 【北京=川越一】中国国防省は21日、同国空軍機が同日に沖縄本島と宮古島の間の宮古海峡上空を抜け、西太平洋上空で訓練を終えて帰還したことを明らかにした。空軍機が同海峡を抜け、西太平洋で訓練を行ったのは初めてとしている。 中国空軍機は3月にも台湾とフィリピンの間のバシー海峡を通過し、初めて西太平洋に入るなど、対米防衛ラインとして設定する第1列島線(九州-沖縄-台湾-フィリピン)を越える訓練を活発化させている。 同省公式サイトに掲載された写真から、21日の訓練に使われたのは、中国軍のH-6K爆撃機とみられる。中国空軍の申進科報道官は「航空部隊による遠海での機動作戦能力を高めた」と主張した。 カナダの中国語軍事専門誌は最近、中国空軍が第1列島線を突破し、小笠原諸島やグアムを結ぶ第2列島線まで作戦行動範囲を拡大するため、新型の長距離爆撃機を開発する方針を決めたと報じた。 申報道官は「訓練は特定の国や地区、目標に対するものではない」と“脅威論”を牽制しつつ、「今後も状況を見ながら、第1列島線を越えて展開する遠海訓練を実施する」と述べた。 http://www.sankei.com/politics/news/150521/plt1505210030-n1.html
2015/05/22 2:37
《中国不法漁船を爆破 インドネシアが「弱腰」から「見せしめ」に》2015.05.21 産経新聞 【シンガポール=吉村英輝】インドネシアは20日、領海内で不法操業をしていたとして拿捕(だほ)した中国漁船を海上で爆破した。地元メディアが21日、一斉に報じた。「海洋国家」を目指すジョコ政権はその一環として、不法操業船の取り締まりを強化、「見せしめ」として外国籍の違法漁船を爆破してきたが、中国漁船への対応には慎重だった。 スシ海洋・水産相は20日、植民地時代のインドネシアで最初の民族団体が結成された日にちなんだ「民族覚醒の日」の演説で、「大統領の命令で、法に基づく措置を執行する」と述べ、違反が確定した外国漁船41隻の爆破を発表した。 爆破は船から乗組員を下ろした後で海軍などが行った。報道によると、うち1隻は中国漁船(300トン)で、カリマンタン島西沖で少量の爆発物で沈めた。 インドネシア近海は豊富な漁業資源に恵まれ、外国漁船の違法操業が野放し状態になっていた。ジョコ大統領は取り締まりを指示、今年3月までに外国漁船計18隻を爆破した。だが、20隻以上摘発した中国籍の船は爆破せず、議会などから「弱腰」との批判が出ていた。中国漁船の爆破は今回が初めてとみられる。 今回、他に爆破した漁船は、ベトナム5隻、タイ2隻、フィリピン11隻など。 ジョコ氏は、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一部加盟国が中国と領有権を争う南シナ海問題で「法に基づく解決」を主張。インドネシア自身は中国と領有権問題はないとしているが、中国が領海域と主張する「九段線」がナトゥナ諸島を含めている可能性が強く、警戒を強めている。 中国外務省の洪磊報道官は21日の定例記者会見で、中国漁船爆破について、「建設的に漁業協力を推進し、中国企業の合法で正当な権益を保証するよう望んできた」と不満を示し、インドネシア側に説明を求めたことを明かした。 写真:インドネシア海軍によって爆破される不法操業の漁船=20日(ロイター) http://www.sankei.com/world/news/150521/wor1505210055-n1.html
2015/05/22 2:30
我が国伝統の捕鯨、イルカ漁を、断固、支持します。—《【捕鯨問題】「変態民族め」「虐殺者」和歌山県太地町に送りつけられる嫌がらせFAX…常軌逸したイルカ漁批判に町民「うんざり」》2015.05.21 産経新聞 イルカ漁が行われている和歌山県太地町への悪質な嫌がらせが絶えない。2010年に同町を題材にした映画「ザ・コーヴ」が米アカデミー賞を取り、国内外の注目を浴びて以来、抗議の便りは世界中から寄せられるようになった。町役場や町漁業協同組合に届くFAXの量は増え、「変態民族め」「大虐殺は日本の文化」などと内容もますます過激に。英語表記のものだけでなく中国語、韓国語のメッセージも目立ち、戦時中の南京大虐殺と関連づけた残忍な写真の添付も散見される。 太地が捕獲したイルカの水族館展示は内部の倫理規範に違反するとして、世界動物園水族館協会(WAZA、本部・スイス)は、日本動物園水族館協会(JAZA)に改善・除名通告を行った。海洋に根ざす日本の地域社会と食文化を海外に効果的に情報発信することができない戦略のつたなさが、こうした事態を招いているとの指摘は根強い。 太地町では毎年9月から翌年3月まで、食用のためのイルカを捕獲しているほか、イルカをそのまま生け捕りして、国内外の水族館へ提供している。イルカたちは、子供たちに海洋保護や命あるものの大切さを教える貴重な存在。しかし、多くの水族館にとって人気のイルカショーは太地町の捕獲がなければ、実施できない状況にある。 町への抗議は、イルカを頭の良い特別な生き物として捉える人々や動物愛護団体、反捕鯨団体のメンバーが送付しているとみられる。どんな理由にせよ、イルカを捕獲することは「人殺し」や「拉致」と同じとの趣旨が目立つ。 WAZA資格停止問題が表沙汰になった後の5月5日、太地町漁業協同組合に、差出人不明の抗議のFAXが寄せられた。送り主はもしあなたがイルカだったらと無理やり仮定し、「あなたは刺し殺されたり、誘拐されて水族館に売られて生涯奴隷になったりされたいのか」と訴える。そうして、太地の漁師たちは「邪悪な虐殺」を行っているとし、その言い訳のために「伝統」という言葉を使うなと強要する。 イルカの擬人化は抗議する人たちの共通項だ。別の便りには「捕獲は想像を絶する苦痛をイルカに与える」とし、漁師が捕獲する際、「イルカたちは仲間が殺されるのを見て悲鳴をあげている」とイルカをまるで囚われた無辜の民のように比喩して、情緒的に訴える。 さらには、イルカ漁は「ジェノサイド犯罪」としたり、「日本人は生まれつき残忍」と一方的に罵ったり、イルカ漁を戦時中の南京大虐殺とこじつけて、旧日本兵が殺戮を行っている残虐な写真を一緒に送りつけたりしてくる。漁協組合の関係者は「もう慣れたが、気味悪い写真やメッセージにもううんざりしている」と話す。 中には、町民に送付しているはずなのに、韓国語や中国語表記もあるほか、たとえ日本語表記だとしても、ネット上で自動翻訳したとみられる文章のおかしいメッセージもある。 反捕鯨団体シー・シェパードが騒動を起こしたり、捕鯨論争が世界的なニュースになったりした際は抗議の量も増える。昨年1月、米国のキャロライン・ケネディ駐日大使がツイッターで「イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念している」というメッセージを発表し、騒動になった際は漁協には1日当たり300通以上の抗議FAXが寄せられた。中には脅迫めいたものもあり、漁協は電話番号の変更を余儀なくされた。 一方、世界動物園水族館協会(WAZA)資格停止問題では、日本動物園水族館協会(JAZA)に加盟している日本の動物園、水族館の152施設が20日、「WAZA離脱」か「WAZA残留」を決める会員投票を行った。多数決の結果、WAZA残留の方針を決定。今後、JAZA加盟の施設は、太地町の追い込み漁で捕獲したイルカを入手することができなくなる。 今回の騒動の背後でも、オーストラリアのイルカ保護団体が動いていた。太地町のイルカ漁を止めさせることを活動理念に掲げるこの団体は今年3月、JAZAをWAZAから除名するよう、WAZAの本部のあるスイスで法的手段に打って出ていた。 さらに豪団体は昨年、太地町を相手に訴訟も起こしている。豊富な資金力をもとに運動を多方面に広めており、太地町と姉妹都市にある豪北西部のブルーム市にも圧力をかけ、草の根の交流を続けてきた太地町との提携を破棄するよう迫っている。 この問題は世界中の注目を浴びており、メディアが大きく報じる度に、太地町への嫌がらせは勢いを増すことになる。 反捕鯨団体シー・シェパード創設者のポール・ワトソン容疑者(国際指名手配)はこの問題に関して声明を発表し、WAZAが今後もJAZAに圧力を強めていくよう要請した。 ワトソン容疑者は逃亡先のパリから、53万人の支持者がいる自身のフェイスブック公式サイトに声明を発表。2003年から団体が太地町に活動家を派遣してイルカ漁の「監視」活動を続けてきたことを主張し、WAZAが今回の決定を下したのはあくまでシー・シェパードの行動があったからだとその成果をアピールした。 ワトソン容疑者はこれまでも日本の捕鯨やイルカ漁に関して度々声明を発表、過激な言葉で状況をあおって、寄付金集めを行っているとの批判が出ている。 今回の発表でも、ワトソン容疑者は2020年の東京五輪開催を拒否するようを呼びかけており、支持者から「東京五輪をボイコットすべきだ」「五輪は日本に面目を失わせるための格好の機会になる」との声が寄せられている。(佐々木正明) 写真:太地漁協へ送られてくる嫌がらせのFAX。中国語、韓国語表記のメッセージもあるほか、「南京大虐殺」の残忍な写真の添付も目立つ http://www.sankei.com/premium/news/150521/prm1505210007-n1.html
2015/05/21 2:47
その通りです。 — 《「大戦の結果ロシア領」根拠ない…菅長官が反論》 2015.05.20 読売新聞 菅官房長官は20日の記者会見で、ロシアのラブロフ外相が北方領土が第2次大戦の結果としてロシア(旧ソ連)領になったと述べたことについて、「日露間において第2次世界大戦の結果は確定しておらず、ロシア側の主張に根拠はない。米国も日本の立場を支持しており、北方領土に対する日本の主張を認めていると認識している」と不快感を示した。 日本と旧ソ連は1956年に「日ソ共同宣言」に調印し、戦争状態を終結させたが、北方領土問題は解決できなかった。菅氏は「領土問題の全面的解決が困難であったために、平和条約の締結交渉を継続することとし、日ソ共同宣言という国際約束が締結された。そういう意味で、日露間で第2次大戦の結果は確定していない」と述べ、ラブロフ氏の主張に反論した。 www.yomiuri.co.jp/politics/20150520-OYT1T50122.html
2015/05/19 2:49
《北から連行された女性たちが韓国兵の「性奴隷」になった過去》 2015.05.11 NEWS ポストセブン 韓国政府が旧日本軍の慰安婦関連史料を永久保存し、ユネスコの世界遺産登録を目指しているという。だが、そこに自国による「韓国軍慰安婦」の史料は含まれない。ならば、歴史の闇に埋もれる前にここで公開しよう。 韓国軍が女性をどのように扱ってきたかという歴史的記録の数々を、在韓ジャーナリストの藤原修平氏が明らかにする。 * * * 朝日新聞が「吉田証言」(文筆家・吉田清治氏の「日本軍が朝鮮人女性を連行し慰安婦にした」という証言)の誤報を認めた昨年8月以降、強制連行のカードを失った韓国政府は、慰安婦の“人権蹂躙”を訴える戦術に舵を切った。日本政府から謝罪と賠償をもぎ取るための材料だった「強制性」の根拠が揺らいでいるからだ。 人権蹂躙は、韓国が慰安婦問題で日本を非難するうえでの基盤となっている。これをクローズアップし国際社会からの同調を得て、自国に有利な国際世論を形成しようという算段だ。その一方で、「正しい歴史認識」が口癖の韓国政府は、自国が主導したもう一つの慰安婦の存在をひた隠しにしてきた。 韓国軍慰安婦の存在が初めて韓国メディアで報じられたのは2002年2月。慶南大学の金貴玉・客員教授(現・漢城大学教授)が「朝鮮戦争中に韓国軍慰安婦がいた」という調査報告を、立命館大学の国際会議席上で発表したのである。このことは『朝鮮日報』をはじめとする韓国の主要メディアで大きく報じられ、韓国社会に衝撃を与えた。 金教授が根拠の一つとして挙げたのが、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公式資料『後方戦史・人事編』にある記述だ。 現在、この資料を民間人が閲覧することは困難であるが、筆者はわずかな手掛かりから資料の入手に成功した。そこには朝鮮戦争(1950~1953年)時の「特殊慰安隊」設置の経緯が次のように記されていた。 「士気昂揚はもちろん、長期間の戦闘で異性に対する憧憬から惹起される生理作用がもたらしうる性格の変化、憂鬱症やその他の支障を未然に防止するために、特殊慰安隊を設置することになった」 資料では、慰安隊として活動する女性を「慰安婦」と称し、「週2回、軍医官が厳格な検診を行い、性病に対する徹底的な対策を講じた」ことも明記されていた。性病検診を定期的に行うのは、慰安婦が不特定多数の兵士と性的な関係を持つことを前提としていたためで、韓国陸軍はそうした組織を公式部隊として運営していたことが判る。 慰安隊はソウル市中区忠武路周辺と、日本海に面した江原道江陵地区にそれぞれ3部隊、そのほか江原道の主要都市である原州、春川、束草にそれぞれ1部隊が配置され、計9か所に89名の慰安婦が動員された。 慰安隊の運営開始時期については定かではない。ただ、設置目的が朝鮮戦争で戦う韓国軍のためであること、前述の『後方戦史』に1952年の特殊慰安隊実績統計表が掲載されていることから、1951年までには運営が開始されたと推定される。なお、慰安隊の廃止は1954年3月と明記されていた。 統計表には、4部隊における1952年の利用実績が月ごとにまとめられている。利用者が多くなるのは春から夏にかけてで、最も多いのは8月の約2万2000名。1年間の利用者は延べ約20万5000名に上った。慰安婦は単純計算で1日平均6名以上の兵士の相手をしていた計算になる。 金教授は、「上記9か所の固定式慰安所のほかに、移動式慰安所があった」ことも明らかにしている。後者は軍部からの要請があると、指示された部隊まで出張して特定期間テントを張り、そこで運営する形態をとっていた。 移動式慰安所については、朝鮮戦争に参加した元韓国軍幹部の回顧録にも書かれている。例えば、全斗煥政権下で陸軍第二司令部司令官などを歴任した車圭憲氏は、回顧録『戦闘』(1985年)の中で、「24人用の野戦テントの内部をベニヤ板と防水布で仕切った野戦寝室に慰安婦は収容されていた」と、当時の移動式慰安所の光景を綴っている。 また、同じ頃に首都師団の小隊長であった金喜午氏の回顧録『人間の香り』(2000年)によれば、移動式慰安所には「小隊ごとに2名(中隊全体で合計6名)の慰安婦が日中の8時間に限って宛がわれていた」という。 さらに金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた。 韓国軍の実際の軍補給品は食料や被服類、燃料など一~四種までで、慰安婦をそれに並列させるこの俗称は、慰安隊の女性たちが“物品”として扱われていたことを示している。これが「人権国家」を標榜する韓国の実態だった。 ※SAPIO2015年6月号 http://www.news-postseven.com/archives/20150511_321285.html