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2015/10/30 15:52
歓迎します。国際世論の潮目が変わってきました。—《ハーグ裁判所、南シナ海の仲裁手続き進める決定 中国の主張却下》2015.10.30 ロイター [アムステルダム 29日 ロイター] – オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は29日、フィリピン政府が申し立てていた南シナ海をめぐる中国との紛争の仲裁手続きを進め、今後フィリピン側の言い分を検討するための聴聞会を開くことを決めた。 関係国間の交渉による解決を唱え、仲裁裁判所に管轄権はないとしてきた中国の主張は認められなかった。 中国はこれまでこの問題で仲裁手続きを一貫して拒否し、南シナ海全域の領有権を有するとしてフィリピンのほか、ベトナムや台湾、マレーシア、ブルネイなどからの異議にもことごとく耳を貸していない。 しかし仲裁裁判所は今回、フィリピンが国連海洋法条約に基づいて申請した7件の事項を取り上げる権限があり、中国が仲裁手続きをボイコットしているからといって裁判所の管轄権がなくなるわけではないとの判断を示した。 米国防当局者は、仲裁裁判所の決定に歓迎の意を表明。「南シナ海の紛争に対する国際法の有効性が示されている。各国の領有権には論争の余地がないわけではなく、国際法と国際的慣行を基礎にしたこうした判断は、紛争を解決しないまでも管理を実現できる1つの方法といえる」と述べた。 フィリピンの同盟国でもある米国は今週、南シナ海にある中国が埋め立て工事をした人工島の12カイリ以内に海軍艦艇を派遣する「航行の自由」作戦を実施した。 また米国務省のカービー報道官は定例会見で、仲裁裁判所の決定はフィリピンと中国の双方に法的拘束力を持つとの見方を示した。 米上院軍事委員会のマケイン委員長も裁判所の決定を称賛した上で、米政府は航行の自由作戦を定期的に行うことなどで今後もフィリピンなどの同盟国や連携する国を支援するべきだと強調した。 米戦略国際問題研究所(CSIS)の南シナ海専門家、ボニー・グレーザー氏は、フィリピンはこの問題で中国と十分な交渉をしていないとする中国側の主張が裁判所の見解で明確に否定された点を踏まえると、中国にとっては大打撃だとみている。 http://jp.reuters.com/article/2015/10/30/philippines-china-arbitration-idJPKCN0SO00U20151030
2015/10/30 4:50
世界が人口問題を抱える中、中国共産党独裁政府が行う唯一世界に有益な政策であった「一人っ子政策」が廃止。これは、将来の日本が受ける「中国からの移民圧力」が今の推測より高まる事を意味します。 私は、米国が移民に国家忠誠義務を課す、その様な制度もなく移民を受け入れる事には反対ですが、関連法整備の必要性が一層高まったと考えます。 — 《【中国5中総会】「一人っ子政策」完全廃止 高齢化社会の急到来に危機感 「党のご都合主義」批判渦巻く》 2015.10.29 産経新聞 【上海=河崎真澄】中国共産党は29日閉幕した第18期中央委員会第5回総会(5中総会)で、人口抑制のための「一人っ子政策」を完全に廃止することを決めた。「社会全体が豊かになる前に高齢化社会が到来し、景気後退の要因になる」(上海の大学教授)という危機感が背景にある。 共産党は2年前に開いた「同中央委第3回総会(3中総会)」で、一人っ子政策をすでに緩和し、「夫婦のどちらか一方が一人っ子の場合は2人目の子どもの出産を認める」と規定。しかし、15~59歳の人口は2012年に減少に転じた一方で、14年には60歳以上の人口比率は15・5%に達し、このままなら50年に35%前後まで増えると予測されていた。 一人っ子政策を緩和すれば出生数は安定して増加すると見込んだが、2人目の出産を申請する夫婦の数が予想より伸びず、完全廃止に踏み切った。世界最大の約13億6千万人を抱える中国の「いびつな人口構造」を少しでも是正し、労働力を確保するなどして経済成長を支えたい思惑がある。 エコノミストは、途上国の経済発展段階で農村部の過剰労働力がなくなる、いわゆる「ルイスの転換点」を中国は11年ごろに迎え、労働力不足の局面に入ったとみていた。労働年齢層の人口減少に歯止めをかけるため、育児支援など、追加的な政策も求められる可能性がある。 中国版のツイッター「微博(ウェイボ)」上では29日夜、「一人っ子政策見直し」が検索ワードで一躍トップとなり、関心の高さを裏付けた。しかし、「高額な2人目の教育費を政府は出してくれるのか」「労働者数確保のための、党のご都合主義の政策だ」などと反発する発言が渦巻く。 ネットサイトが立ち上げた意識調査に同日夜の段階で約3万人が回答し、「2人目の出産を望まない」との回答が約39%と、「2人目を望む」との約33%を上回った。「様子見」も約28%。共産党の決定だからといって、人民がやすやすと従わない現実が浮き彫りになっている。 http://www.sankei.com/world/news/151029/wor1510290048-n1.html
2015/10/27 21:59
中国が主張する国際法違反の人工島領海権の既成事実化を阻止する、今般の米国の国際法に基づく自由航行を当然に支持し、我が国も同調する事を強く求めます。 — 《米、中国人工島に駆逐艦派遣 南シナ海12カイリ内航行》 2015.10.27 産経新聞 号外
2015/10/27 4:50
米マグロウヒル社の教科書。米国史の奴隷を「労働者」とした記述を、黒人団体等の抗議を受け謝罪し訂正。内外の反日勢力が築き上げ、世界で日本人の安全を脅かしている「慰安婦強制連行・虐殺」「南京大虐殺」等の捏造を根絶する事はできます。その為には、世界に事実を広報すると共に、反発を恐れて愚かな「河野談話」を継承せず、廃棄しなければなりません。 — 《【歴史戦】米国の教科書に書き込まれる「史実」が危ない… ロサンゼルス支局長・中村将》 2015.10.26 産経新聞 それは、西暦1500年から1800年にかけての奴隷貿易を説明する高校世界地理の教科書に書かれていた。米南部のプランテーションにアフリカから強制的に連れてこられた奴隷が、「労働者」と記述されていることを、テキサス州の高校に通う15歳の黒人男子生徒が母親に告げた。母親は驚き、その話をソーシャルメディアに書き込んだところ、騒動に火がついた。 「労働者」だと、給料や報酬を得ていたことになる。忌まわしき奴隷制度への誤解につながる表記に、黒人団体などが猛反発し、教科書の出版社は謝罪した。誤りを訂正した記述が書かれたシールを配布し、教科書に貼ってもらうという。AP通信が今月初旬、こんな内容の記事を配信した。米マグロウヒル社の教科書だった。 迅速な対応の背景には、いまだに米社会に残る人種差別に直結する騒動との認識があったのだろう。生徒が学ぶ教科書なのだから、当然の対応といえる。 だが、同社の対応は必ずしもそうではない。高校世界史の教科書「伝統と交流」は慰安婦について「日本軍は慰安婦として働かせるために、最大で20万人にもおよぶ14歳から20歳までの女性を強制的に募集、徴用した」「日本軍は部隊に対し、天皇からの贈り物として、これら女性を提供した」などと記述していることで知られる。 安倍晋三首相が国会答弁で、教科書の記述について「本当に愕然とした」と述べたのが今年1月。外務省は数回にわたり、是正を要請したが、同社は「学者たちは慰安婦の歴史的事実をめぐって立場がぶれることはないし、私たちも執筆者の著述や研究、発表を明確に支持する側に立つ」との姿勢を鮮明にした。日本の歴史学者らも、誤りや不適切な表現の訂正を求めているが、だんまりを決め込んでいる。「強制徴用」や「天皇からの贈り物」が“歴史的事実”となって教えられている。教科書の記述を疑う生徒はどれだけいるだろうか。 国連教育科学文化機関(ユネスコ)記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺文書」が登録されたとき、1年ほど前に聞いた言葉を思いだした。「登録が認められれば、歴史教科書にも盛り込みやすい」。米カリフォルニア州サンフランシスコ近郊を拠点とする中国系反日団体「世界抗日戦争史実維護連合会(抗日連合会)」の研究会での出席者の発言だ。 ユネスコが認めた“史実”に、日本側が異論を唱えれば、「歴史修正」とのレッテルを貼り、中国側がいう「南京大虐殺」を正しい歴史として定着させるもくろみだ。 「受け皿」もすでに整っている。同州の教育当局が1998年に規定した「歴史と社会科学の教育内容の基準」で、高校2年生は「30年代に帝国主義を追求した日独伊を比較すること」とし、「『ザ・レイプ・オブ・南京』や中国における他の犠牲、独ソ不可侵条約を含む」と明記されている。 「ザ・レイプ・オブ・南京」は中国系米国人ジャーナリスト、アイリス・チャン氏(故人)によって書かれ、抗日連合会が全米に広めた本の題名だ。日本の歴史学者らが記述や写真の「誤り」や「偽り」を指摘したが、97年の出版からわずか1年で、南京事件は「ザ・レイプ・オブ・南京」として米国の教育現場に持ち込まれていたのだ。今後はユネスコのお墨付きを得た「南京大虐殺」の記述がなされたさまざまな教科書が使用されることが懸念される。 歴史認識は一度書き込まれると、修正が難しいことはマグロウヒル社の対応からも明白だ。「歴史戦」の教育現場への波及は、ユネスコの決定によって勢いを増すだろう。政府、外務省には戦略的、効果的対策があるだろうか。(なかむら かつし) http://www.sankei.com/column/news/151026/clm1510260008-n1.html
2015/10/25 13:03
反日プロパガンダに使われる「平頂山事件」は、前日にゲリラ、匪賊らの大軍が撫順炭鉱を襲撃、施設に火を放ち、日本人5人が惨殺された、いわゆる「楊柏堡(ヤンパイプ)事件」が原因ですが、語られていません。—《【満州文化物語(6)】“反日プロパガンダ”に使われる「平頂山事件」の真実 語られぬ抗日ゲリラの撫順炭鉱襲撃》2015.09.13 産経新聞 ■ 満鉄が作った未来都市 「世界一の露天掘り」と謳われた撫順炭鉱(礦)は、日露戦争(1904~05年)の勝利で採掘権を得た日本によって本格的な開発が始まった。良質の撫順炭の埋蔵量は約10億トン、ピーク時(昭和12年)の年間出炭量は約1000万トン。頁岩(けつがん)油(オイルシェール)、人造石油、金属、セメントなども生産する一大化学コンビナートであり、経営する満鉄(南満州鉄道)にとって鉄道事業と並ぶ収益の2本柱だった。 満鉄はこの地に、当時の内地(日本)から見れば“夢のような未来都市”を築いてゆく。都市計画で整備された市街地には広い幹線道路が通り、学校、病院、公園、公会堂、野球場、プール、冬はスケート場ができた。 社宅街は瀟洒なレンガ造り。炊事はガス、トイレは水洗でタイル張り、電話はダイヤル式の自動電話。特筆すべきなのは画期的なスチーム(蒸気)による「地域暖房」だ。ボイラーから各戸にパイプを張り巡らし、外気が零下10度、20度にもなる真冬でも室内はポカポカ。熱い風呂はいつでも使用可能…。東京や大阪の大都会でもこうした生活が一般化するのは、高度成長期以降のことだろう。 まだ初期の1909(明治42)年に渡満した夏目漱石が『満韓ところどころ』に撫順の街を見た驚きを書き留めている。《洒落た家がほとんど一軒ごとに趣を異にして十軒十色とも云うべき風に変化しているには驚いた。その中には教会がある、劇場がある、病院がある、学校がある。坑員の邸宅は無論あったが、いずれも東京の山の手へでも持って来て眺めたいものばかり…》 ■ 汚名だけ着せられて この近代的な炭都が抗日ゲリラの「標的」となった。今から83年前の昭和7(1932)年9月15日夜から16日未明にかけて未曾有の大事件が起きた。その6カ月前に建国された満州国を日本国が承認した日に合わせて「反満抗日」を叫ぶゲリラ、匪賊らの大軍が撫順炭鉱を襲撃、施設に火を放ち、日本人5人が惨殺された。いわゆる「楊柏堡(ヤンパイプ)事件」である。 殺されたのは同炭鉱楊柏堡採炭所長ら炭鉱職員4人と家族の女性1人の民間人ばかり。炭鉱施設や社宅街も大きな被害を受け、一部採炭所は操業停止に追い込まれた。 撫順を守る関東軍の独立守備隊は翌16日、反撃に出る。抗日ゲリラに通じていた、とされる平頂山集落の住民らを殺害した。これがいまなお“反日プロパガンダ”に使われ続ける「平頂山事件」である。 戦後、平頂山事件を“悪名高い事件”として一般の日本人に知らしめたのは1970年代初めに朝日新聞の本多勝一記者が書いたルポであろう。中国は現場に記念館を作って日本軍の“残虐ぶり”を訴え、生き残りである住民は、日本政府を相手取った賠償請求訴訟を起こした。 だが、虚実取り混ぜて仰々しく喧伝されてきた平頂山事件に比べて、きっかけになった抗日ゲリラ部隊による撫順炭鉱襲撃、日本人殺害事件(楊柏堡事件)についてはほとんど語られたことがない。 これでは公平さを著しく欠くだけでなく、平頂山事件の全容をつかむこともできない。特に先に襲撃を受けた「楊柏堡事件」の被害者や家族にとっては平頂山事件の汚名だけを着せられたまま釈明の機会さえ満足に与えられなかった。 ■ 殺戮、放火、破壊… 濱口光恵(はまぐちみつえ、91)の父、友七郎(ともしちろう、昭和35年、69歳で死去)は楊柏堡事件当時、撫順炭鉱の楊柏堡採炭所にあった診療所の責任者を務めていた(撫順医院看護手)。 その夜、光恵は「仲秋の名月がきれいに出ていた」と記憶している。採炭所内のクラブで厄年を迎えた男たちの“厄払い”の宴席が開かれていた。やがて夜も更け、各戸に流れて2次会を楽しんでいたころに異変は起きた。 「皆さん、これは実弾の音ではありませんか…。すぐに家に帰ってください」 友七郎がゲリラの襲撃を知らせる味方の小銃の発砲音に気付く。各戸に張り巡らされた地域暖房のスチームのパイプをガンガンと打ち鳴らす「警報」が慌ただしく続いた。もう間違いない。 そのとき、銃を携帯していたのは友七郎だけ、ほろ酔い加減の男たちは防戦のため、武器を取りに走り、光恵は母親と一緒に避難所である坑道内へと向かう。 「『ヤー、ヤー』という大声、襲撃を知らせるのろし…外へ出るとあたりは騒然としていました。私たちは、炭鉱の人の先導で坑道に入り、エレベーターやトロッコを乗り継いで、地下深い安全棟の休憩室まで必死で逃げた。残してきた父のことが心配でなりませんでした」 翌9月16日付、満洲日報号外はこう報じている。《深夜の炭都はたちまちにして物凄(ものすご)き戦闘の巷と化し、炭鉱事務所、社宅は焼き払われた。死傷者多数…泣き叫ぶ男女の様はまさにこの世の修羅場》 銃、槍(やり)、太刀で武装した抗日ゲリラや匪賊は、殺戮、放火、破壊の限りを尽くす。光恵がいた楊柏堡の社宅には約80家族、約300人が住んでいた。間一髪で坑道へ逃げ込んだが、あと一歩避難が遅れていたら、全滅の危険性もあったという。 翌日、診療所の責任者だった友七郎は犠牲になった炭鉱職員や家族の検視を行っている。 「非常に惨い状態で、耳や鼻をそぎ落とされ、目までくりぬかれていた…顔が分からず、ご本人と特定するのが難しかったと聞きました」 撫順の日本人に、やり切れない思いが残った。抗日ゲリラに通じていた、とされる地元住民の多くは炭鉱で働く労働者である。これまで彼らと家族の暮らしを支えてきたのは炭鉱の日本人ではなかったのか、それなのに…。 事件の証言者は光恵だけではない。それは次回に書く=敬称略、隔週掲載 (文化部編集委員 喜多由浩) ◇ ■ 平頂山(へいちょうざん)事件 昭和7(1932)年9月16日、前夜、抗日ゲリラ部隊に撫順炭鉱を襲撃された日本側の独立守備隊が、ゲリラに通じていたとして近くの平頂山集落を襲撃し、住民らを殺害した事件。犠牲者数は中国側が主張する約3000人から、数百人とする説もある。昭和23年、中国国民党政権下の瀋陽で行われた戦犯裁判で事件とは無関係とされる元撫順炭鉱長ら7人に死刑判決が下された。 http://www.sankei.com/premium/news/150913/prm1509130026-n1.html