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09/23/2016 07:46:32 AM

2016/09/23

今月5日、中国社会科学院財経戦略研究院は「流通青書・中国商業発展報告(2016~17)」を発表。今後5年以内に、中国全国の「商品交易市場」、つまり百貨店やスーパーやショッピングセンターなどは、約3分の1が淘汰されていくと予測。 — 《【石平のChina Watch】中国小売業は「死屍累々」の惨状 閉店ラッシュはネットの影響でなく中国経済そのものの低迷が原因だ》 2016.09.22 ZAKZAK  今月6日、北京商報というビジネス専門紙は「2016年、広がる百貨店の閉店ラッシュ」とする記事を掲載し、中国の百貨店を襲う「閉店ラッシュ」の実態を克明にリポートした。  記事はまず、8月末に山東省青島市の大型百貨店、陽光百貨と全国展開の百貨大手である百盛集団の重慶市万象台店、さらには大連で有名な久光百貨が相次いで閉店したことを取り上げ、深刻な業績不振が閉店の原因であると分析している。  大連久光百貨の場合、今年上半期の売り上げが前年同期比で48・8%も激減した。重慶市万象台店のオーナーである百盛集団全体の売上総額も前年同期比で12%減となったという。その結果、百盛集団は万象台店だけでなく、今年に入ってから西安市の東大街店と重慶市の大坪店も閉店させることとなった。  記事によると、売り上げ急落・業績不振は今、全国の百貨店業が直面する共通の問題となっている。たとえば全国展開の新華百貨は今年上半期の純利益が69・2%も減り、杭州解百集団のそれは20・5%減となった。  こうした状況を踏まえて、北京商報記事は今後、全国における百貨店の「閉店ラッシュ」はさらに広がっていくだろうと予測している。  中商情報網というビジネス専門サイトの掲載記事も7月20日、今年上半期における中国小売業の「閉店ラッシュ」を取り上げたが、その中で、中国流のブラックジョークであろうか、「2016年上半期、“陣没(閉店)店舗”最新リスト」まで作成して掲載した。  「陣没」に追い込まれた大型百貨店の中には、摩爾百貨の成都店、友誼商店の南寧店、南京八百半の南京店、世紀金花の銀川店などがあり、まさに「死屍累々」の惨状である。  「閉店ラッシュ」に襲われたのは百貨店だけではない。スーパーマーケットも同じである。  中国最大の検索サイトである「百度」は、「百度百科・閉店ラッシュ」の項目を設けているが、それによると、スーパー業の場合、華潤万家という全国チェーンが今年に入ってから727店舗を閉店させ、「閉店ラッシュ」の最高記録を更新したという。有名なカルフール・グループも中国全土で18店舗を閉店し、人人楽というスーパー大手は11店舗を閉めた。  上述の「百度百科・閉店ラッシュ」によると、中国小売業の閉店ラッシュは昨年からすでに始まっている。2015年の1年間、全国の小売業界で約865店舗も閉店の憂き目にあったが、今年に入ってから、この勢いはさらに増しているという。  「閉店ラッシュ」が来襲した理由について、一部のメディアや専門家は、近年盛んになったネット販売や通販との市場競争の激化を挙げているが、前述の北京商報や「百度百科」の分析では、それは一つの原因であっても、一番の原因ではない。最大の原因はやはり、特に昨年から顕著となった中国経済そのものの低迷である。  経済の低迷は人々の消費意欲と購買力を低減させ、結果的に小売業の業績不振と閉店ラッシュを招いたが、閉店ラッシュの広がりは失業の拡大や収入の低減につながる。悪循環はすでに始まっているのである。  今月5日、中国社会科学院財経戦略研究院は「流通青書・中国商業発展報告(2016~17)」を発表したが、その中で、今後5年以内に、中国全国の「商品交易市場」、つまり百貨店やスーパーやショッピングセンターなどは、約3分の1が淘汰されていくと予測している。  小売業の暗澹たる未来ひとつを取ってみても、中国経済は今後ますます、大不況のどん底に陥っていくことが分かるであろう。  ◇ 石平(せき・へい) 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。 http://www.sankei.com/column/news/160922/clm1609220004-n1.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/645971075570432

09/22/2016 05:24:46 AM

2016/09/22

昭和19年、「情けない帝都の女子挺身 家庭・学校ももう一度出直そう」と、女子挺身隊への加入を呼びかけていた朝日新聞。 昭和57年頃から慰安婦と挺身隊の意図的な混同を含む反日キャンペーンを30年以上続け、平成26年8月に誤用を認めましたが、その理由を「当時は研究が乏しく同一視」と。 しかも、未だに英字版では慰安婦強制プロパガンダを続けています。 — 《朝日新聞が報じていた「女子挺身隊」》 2014.08.28 産経新聞出版書籍編集部 昭和19年6月5日朝日新聞朝刊「情けない帝都の女子挺身 家庭・学校ももう一度出直そう」 なんと、挺身隊への加入を呼びかけている記事。自社がかつて報じているのに、「当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず」慰安婦と挺身隊を混同したと言いますかね。それとも、昭和19年は「慰安婦」への加入を呼びかけたと言うのでしょうか。 〈女性が直接苛烈な戦列に参加する途(みち)、女子勤労挺身隊は続々と結成され、涙ぐましい敢闘振りを見せているが、帝都の結成状況の低調さは否めない事実で、この決戦の期に際していまだ若き女性の一部には否より以上に世の親達の頑迷さ、因循(註/旧習慣から抜け出せないこと)さは徒(いたず)らに挺身隊の結成を妨げている。先に結成された帝都「地域別女子勤労挺身隊」の結成状況を見ても、招集状を発送した挺身隊適格者数六万九千八百三十八名に対して個人就職を理由の不参加者が相当の高率に上っている〉 〈挺身隊を組織することになったのは、日本古来からの家族制度を破壊せず、安心して娘を職場に出せるよう女子の保護を目的としたものであるから、その趣旨をよく汲みとり、現下の時局を顧み女子労務の的確な運営こそ生産戦を左右することに目覚め、挺身隊こそ女性の戦列参加の最大の途であることを自覚しなければならない〉 https://www.facebook.com/sankeibooks1/posts/862140563798576 — 《「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視》 2014.08.05 朝日新聞 http://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/645449582289248

09/22/2016 03:59:40 AM

2016/09/22

「飛虎将軍廟」。台湾には、地元の人達が、集落を守り戦死した日本兵を神として祀り、守り続けている廟があります。胸が熱くなります。 — 《台湾で神になった日本兵 夢のお告げで“里帰り”》 2016.09.21 産経新聞  【台南=田中靖人】先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で神として祭られている杉浦茂峰海軍兵曹長の神像が、杉浦氏の出身地、水戸市に“里帰り”することになり21日、台湾を出発した。  戦死により少尉に特進した杉浦氏を祭る「鎮安堂飛虎将軍廟」の縁起などによると、杉浦氏は20歳だった1944(昭和19)年10月、来襲した米軍機を零戦で迎撃中に被弾。集落への墜落を避けようと機体を郊外に誘導したため脱出が遅れ、落下傘で降下中に機銃掃射を受け戦死した。  戦後、地元の人々が集落を守るために命を落とした杉浦氏を悼み、落下地点に71年に廟を建設。「飛虎将軍」と呼び、朝夕に「君が代」と「海ゆかば」の演奏を流し弔っている。  “里帰り”の計画は今年春、廟を訪れた日本人作家の夢枕で、杉浦氏が「水戸に帰りたい」と話したことから始まった。廟が所属する寺院「海尾朝皇宮」の管理委員会が占いで主神の「意志」を確認したところ、その通りだとの結果が出たという。  杉浦氏の神像は、軍刀を持って座った姿の高さ30センチ程度の木像。21日朝、祭壇からケースに移され、関係者約30人とともに南部・高雄空港から成田空港に向かった。主神が廟の外に出るのは初めてで、中華航空は神像のために座席の手配に応じた。同日中に水戸市に到着、22日に護国神社で慰霊祭が行われる。神像は再び台湾に戻るが、分祀の計画もあるという。  管理委員会の呉進池主任委員(60)は21日朝、「いつも厳粛な表情の飛虎将軍が、今日はほほ笑んでいるようだ」と話した。 写真左:台湾南部・台南市の飛虎将軍廟に祭られている杉浦茂峰兵曹長の写真(田中靖人撮影) 写真右:杉浦茂峰少尉が祭られてる台湾南部・台南市の飛虎将軍廟=21日(田中靖人撮影) http://www.sankei.com/world/news/160921/wor1609210039-n1.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/645427868958086

09/21/2016 08:01:01 AM

2016/09/21

09/21/2016 06:59:22 AM

2016/09/21

ミャンマー国防相 「『ビルマ独立義勇軍』と日本軍が英国の植民地支配を打ち倒した。ミャンマーは日本兵と日本に対し、いつも感謝している」 全ての日本人に知ってほしい事です。 — 《ミャンマー国防相「旧日本軍の独立支援にいつも感謝」 稲田朋美防衛相と会談》 2016.09.21 産経新聞  稲田朋美防衛相は21日、ミャンマーのセイン・ウィン国防相と防衛省で会談し、中国が強引な海洋進出を続ける南シナ海での法の支配の重要性について一致した。セイン・ウィン氏は「わが国の独立の歴史において、日本と旧日本軍による軍事支援は大きな意味があった」と感謝した。稲田氏は「両国は歴史的にも大変深い絆で結ばれている」と応じた。  セイン・ウィン氏は「アウン・サン将軍が『ビルマ独立義勇軍』(BIA)を設立し、BIAと日本軍が英国の植民地支配を打ち倒した。ミャンマーは日本兵と日本に対し、いつも感謝している」と繰り返した。  英国による植民地統治時代のミャンマー(旧ビルマ)は、旧日本軍から支援を受けたアウン・サン将軍らが1941年にBIAを設立し、英国軍と戦って43年に「ビルマ国」として独立。その後、再び英国領となったが、48年に「ビルマ連邦」として独立した。 http://www.sankei.com/politics/news/160921/plt1609210017-n1.html https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/645039552330251