本記事で、中華人民共和国の侵略的拡張主義は49年の誕生の時からだった、と有馬哲夫早稲田大学教授は指摘しています。左翼によると中国は「平和勢力」だそうですが。そして、漢民族の侵略的拡張主義は、有史以来です。以下、記事抜粋。
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《【月刊正論】アメリカ機密文書が語る中国共産党「侵略のDNA」》
筆者にとって意外だったのは、中国のアジア各地での拡張主義的動きは、朝鮮戦争と時期が重なるということだ。筆者は朝鮮半島に約30万の軍隊を送った中国がこの戦争にかかりっきりだったと思い込んでいたが、実際はまったく違っていた。
中国は朝鮮戦争とほぼ同時進行で、ヴェトナム北部に大軍を送り、ミャンマー北部・タイ・ラオス・中国南部の国境地帯で領土拡張の浸透作戦を行い、台湾に侵攻するための艦船の供与をソ連に求めていた。
しかも、前年の49年にはすでにチベット東部を侵略していて、朝鮮戦争のさなかにも中央チベットまで侵攻し、チベット征服を完成させている。まさしく貪欲そのものだ。
こういった中国の侵略的動きの全体をみると、朝鮮戦争への中国の参戦がこれまでと違ったものに見えてくる。つまり、この参戦は、自衛というよりは、中国が周辺諸国に対して起こしていた一連の拡張主義的動きの一部だったと見ることができるということだ。事実この戦争のあと、中国はソ連に代わって北朝鮮の宗主国となる。
その後、中国はさらにヴェトナム、ラオス、ミャンマー、タイ、インドへとターゲットを変えつつ、侵略的動きを継続させていく。近年の西沙諸島や南沙諸島の島々の強奪、そして尖閣諸島への攻勢は、この延長線上にあるのだ。本論では、極東軍電報綴から、中国が建国直後からどのように周辺諸国へ侵略の手を広げていたのか、その実態を明らかにしていきたい。