読売新聞の朝日「慰安婦」報道検証。朝日新聞は、親に売られた元慰安婦を「挺身隊として強制連行された」と、日本を地獄に落とす記事を書いた訴訟原告団幹部の義理の息子に当たる朝日記者の記事が「捏造」でなく「誤報」だと強弁するが、つじつまが合わないと指摘。 — 《[検証 朝日「慰安婦」報道](2)記事と証言に食い違い》 2014.08.29 読売新聞 1991年8月11日、朝日新聞朝刊社会面(大阪本社版)にスクープ記事が掲載された。 「思い出すと今も涙」という見出しで、元慰安婦の金学順(キムハクスン)さんがソウル市内で生存していたことを確認したとして、その証言の内容を伝えたのだ。ほぼ同じ記事は、翌12日朝刊の東京本社版にも掲載された。地元・韓国メディアに先駆けた特ダネだった。 強制連行の虚偽証言をした「加害者側」の吉田清治氏を大きく取り上げたのは朝日だったが、「被害者側」の元慰安婦の肉声を初めて世に知らしめたのも朝日だった。元慰安婦が現れたことで、朝日が一連の報道で作り上げてきた「強制連行された慰安婦」という虚構は、現実味を帯びる。 ■ 数々の疑念 記事はこんな書き出しで始まる。 〈【ソウル10日=植村隆】日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり(以下略)〉 「日本軍に強制連行され、慰安婦にさせられた女性」という印象を前面に出している。 だが、この記事にはつじつまが合わない部分がある。 記事中、金さんが「十七歳(実際は16歳)の時、だまされて慰安婦にされた」と語ったと説明している。つまり、書き出しにあるように「『女子挺身隊』として連行」されたわけではないことを本人が証言しているのだ。そもそも工場などでの勤労動員を意味する挺身隊と、慰安婦はまったくの別物だ。 この記事は、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)が聞き取った金さんの証言の録音テープを、植村記者が聞いて書いたものだ。 金さんは記事中、68歳女性と匿名の扱いだが、報道から3日後の14日、実名を公表してソウルで記者会見した。韓国メディアを通じて涙ながらに訴える姿は韓国国内に衝撃を与え、一気に反日感情は高まった。 ■ 触れなかった過去 植村氏は91年12月25日の朝刊5面(大阪本社版)で再び、金さんの苦難の人生を取り上げる。 だが、植村氏は一連の報道で、金さんが母親に40円で「妓生(キーセン)を養成する家」へと養女に出された事実には触れていない。妓生は宴会などで芸事をする女性のことで、妓生から慰安婦になった人もいたとされる。 さらに、金さんは、養父から「中国に行けば稼げる」と言われて北京に連れて行かれたと証言している。植村氏の一連の記事では、金さんをだました人について、「地区の仕事をしている人」などと表現し、養父であることがわからなくなっている。 金さんらは同年12月、日本政府に補償の支払いを求める訴訟を東京地裁に起こした。金さんらの弁護団を率いた高木健一弁護士は8月、読売新聞の取材に対し、「金さんも我々も、強制連行されたとも、挺身隊だとも言っていない。彼女は妓生学校(養成所)に行ってから売られた」と述べた。 「日本軍に強制連行された慰安婦」と「親から身売りされた不幸な慰安婦」では、意味合いが全く異なる。にもかかわらず、朝日は今年8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える」の中で、「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」という植村氏の説明を紹介した。 < 記者は原告団の親族 > まだ、見過ごせない事実がある。 朝日特集記事は、植村氏が、金さんらの訴訟の原告団を組織した「韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部である梁順任氏の娘と結婚していたことを明らかにしている。植村氏は、訴訟の関係者の親族だったことになる。 東京基督教大の西岡力教授(韓国・北朝鮮地域研究)は「植村氏は、結果として身内の裁判を有利にしようとしたとみられても仕方がないのではないか」と指摘する。 朝日は、当時は大阪社会部記者だった植村氏が、ソウル支局長からの連絡で韓国に向かったと説明している。だが、ソウル支局には他の朝日記者がいるにもかかわらず、なぜ植村氏がソウルまで取材に行ったのかなど疑問点は多い。 朝日は特集記事で「義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありません」と、疑念について否定した。また、「植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません」と結論づけた。 |