2014/10/08 2:36

毎日新聞「朝日報道が国際社会に誤解を広める」(9月11日)という検証記事に、25日、朝日新聞と連携している米国の反日勢力が、捏造「強制連行」への非難を「関与」に議論をすり替える等、朝日新聞と同じ姑息な共同弁明。毅然として反論しなければなりません。

《朝日の慰安婦記事「訂正」で動揺する米国の反日活動家たち
日本はこの機を逃さず世界に真実の発信を》
2014.10.01 JBpress 古森義久

 朝日新聞の慰安婦問題に関する訂正はついに米国側の関係者たちに直接届くに至った。朝日側の記事の訂正や取り消しのインパクトが、慰安婦問題で日本を糾弾してきた米国側の当事者や関係者にも及んだことが確認されたのである。

 2007年7月の連邦議会下院で、慰安婦問題に関して日本糾弾決議を推した米側の活動家たちがいる。彼らがこの9月25日、「同決議の作成は吉田清治証言にも朝日新聞報道にもまったく影響されなかった」という苦しい弁明を発表したのだ。

 慰安婦問題で日本側を批判してきた米国の特定勢力も、ついに日本での朝日新聞の誤報訂正の重大さを認めるに至った、ということだろう。これまで表面的には無視する態度ばかりだったのだから、これは大きな変化である。日本にとっては好ましい変化だと言えよう。

 その上、この弁明は、同決議推進勢力が最大の標的としてきた「日本軍による組織的な女性の強制連行」への非難を後退させ、焦点を日本軍の慰安所への「関与」や「運営」にシフトさせるものであった。言ってみれば議論のすり替えである。

 米側関係者は明らかにうろたえている。今後、日本側が国辱を晴らすための対外発信を重ねていけば、必ずや効果を上げることになるだろう。

■ 毎日新聞の検証記事を受けて苦しい弁明

 9月25日、ワシントンのアジア関連のニュース・評論サイト「ネルソン・リポート」に、朝日新聞の誤報訂正に関する長文の声明が載った。下院の慰安婦決議案の作成に関わったアジア関連活動家のミンディ・カトラー氏やジョージワシントン大学教授のマイク・モチズキ氏など4人の連名による声明だった。

 タイトルは「米国議会と慰安婦決議に関する毎日新聞の記事への共同対応」とされていた。具体的には「毎日新聞」(9月11日付)の「朝日報道が国際社会に誤解を広める」という見出しの検証記事への反論だった。

 この毎日新聞の記事は、慰安婦についての吉田清治氏の虚偽証言を朝日新聞が全世界に向けて長年報じ、米国の大手メディアもそれに追随し、その結果、国連や米国で日本の名声がいかに傷つけられたかを詳細に調査した内容だった。朝日新聞の誤報と訂正に多角的な光を当て、秦郁彦氏ら専門家の意見も載せ、客観性を求める姿勢を見せていた。記事の量はほぼ1ページ全体に及ぶ力の入ったものである。

 同記事は米国のニューヨーク・タイムズやAP通信、NBCテレビなどが吉田証言を事実として報道した記録を明示していた。2007年7月の下院決議については、「この決議案の議員説明用の資料にも途中段階で吉田清治氏の著書が出てくる」と短く記していた。

 米国側の今回の声明は、毎日新聞記事のこの短い記述を取り上げて、決議案の作成や審議に当たって吉田証言も朝日新聞報道も「なんの考慮の要素にもならなかった」と断言していた。

 しかし現実には、議員たちが最大の参考資料とした当時の議会調査局の慰安婦問題報告書2006年4月版には吉田清治証言が主要な根拠として列記されている。

 2007年4月版の修正版報告書では吉田証言への言及は落とされていたが、議会での日本の慰安婦問題は2006年の段階ではすでに議員たちの審議対象となっていた。だから、今回、カトラー氏らが吉田証言を「なんの考慮の要素にもならなかった」と断定するのはいかにも無理がある。

 さらに、最大焦点の強制連行については、今回の共同声明は「日本帝国が軍隊用の性的奴隷システムを組織し、運営したことを示す書類上と口述の証拠はインド・太平洋地域に十分に存在する」と述べるだけだった。慰安婦問題で日本側が最も強く否定する「日本軍による強制連行」にはなにも触れず、「性的奴隷システムを組織し、運営した」としか述べていないのである。

 周知のように米国側も当初は「日本軍による強制連行」こそを糾弾の対象としていた。同決議を主唱したマイク・ホンダ議員(民主党)らは、当時、日本側の「罪」を「日本軍による強制連行」だけに絞っていたのである。それが今回の共同声明ではがらりと変わって、強制については「連行」を指摘せず、「組織」や「運営」だけを強調する。しかもその証拠さえも具体的には提示しない。ただ、たくさん証拠はある、と述べるだけである。これまた苦しい弁明という印象が否めない。朝日新聞のように旗色が悪くなったので、いかにも議論をすり替えたとしか思えない。

■ 日本叩きの場となっていた超リベラルメディア

 カトラー氏と言えば、安倍晋三首相を「右翼の危険な軍国主義者」などと断じ続け、下院の決議案審議の公聴会にインドネシアの「スマラン慰安所事件」の被害者女性を登場させた張本人である。この事件は、日本軍の末端の将校が軍の方針に反して女性を強制連行し、2カ月後に上層部に見つかって中止させられ、戦後は死刑になった戦争犯罪だった。「日本軍の組織的な強制連行」がなかったことを証する実例なのに、背景が隠され、正反対の目的に利用されたのだった。

 なおカトラー氏支持勢力の間では、「朝日新聞に対する今の攻撃は、ジャーナリズムとは無縁の歴史糊塗を狙う右翼の策謀だ」(東洋経済新報社系の英文サイトのピーター・エニス記者)という主張も盛んである。

 そもそもこの共同声明を掲載した「ネルソン・リポート」自体が、米側の超リベラル派が歴史問題で日本を攻撃する格好の場となってきた。今回もネルソン・リポートは、朝日新聞の慰安婦誤報をめぐる日本での論議は「安倍首相の朝日新聞に対する戦争」だと評している。

 こうした日本糾弾勢力でさえも、朝日新聞の誤報問題での日本での重みをついに感知した。だからこそ毎日新聞の検証記事に対して、こんな苦しい弁解として響く「共同声明」をぶつけてきたのだろう。

■ 国際第三者委員会の設置を

 もちろん米国側の反応は一枚岩ではない。ブッシュ前政権の高官だった知日派の法律家がこんなことを述べていた。

 「日本政府の河野談話検証の結果に加えて、吉田清治証言の虚構、朝日報道の虚偽、そしてインドネシアでの事件の意味を対外的に丁寧に説明していけば、『慰安婦の強制連行は日本の国家犯罪』だとするこれまでの国際的な日本への濡れ衣も晴らせるだろう。ただし、そのためには、日本側の主張や記録を公正に理解する新たな国際第三者委員会を設置すべきかもしれない」

 日本側としては注視すべき提案である。安倍政権も、慰安婦問題での日本への明らかな国辱を晴らしたいと願うならば、こうした米側の識者の見解を真剣に考える必要があるだろう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41849


(関連)
《朝日「慰安婦報道・点検」をめぐって:吉田清治証言 国際社会に誤解広める 国連報告などが引用、朝日は影響に触れず》
2014.09.11 毎日新聞

 過去の従軍慰安婦報道について朝日新聞が掲載した自己点検(8月5、6日)とその続報(8月28日)への批判が収まらない。問題の中心には、「慰安婦狩り」を行ったとする吉田清治氏(故人)の証言がある。朝日は今回、「証言は虚偽と判断し、記事を取り消す」と表明したが、吉田証言は韓国や国連など国際世論に無視できない影響を及ぼしてきた。この問題をめぐる混乱は、人間の尊厳と歴史認識が絡む慰安婦問題の解決を遠ざけ、日本の立場に対する国際社会の理解を妨げている。

 元山口県労務報国会下関支部動員部長を名乗る吉田氏の証言は「慰安婦が強制連行で集められた証拠」とされ、誤った認識を世界に広めた。1982年以来、吉田証言を最も熱心に報じたのは朝日新聞だが、今回の検証記事では吉田証言の報道に伴う影響については触れていない。

 慰安婦問題が日韓の外交課題に急浮上するきっかけになったのは、92年1月11日に朝日が報じた「慰安所 軍関与示す資料」という記事だった。政府は当時、「民間業者が連れ歩いていた」として国の関与を認めていなかったため、それを覆す文書とされた。この直後に訪韓した宮沢喜一首相は、盧泰愚(ノテウ)大統領に繰り返し謝罪せざるを得なかった。

 ただし、朝日は日本国内での慰安婦募集についての通達文書であるにもかかわらず、専ら朝鮮人慰安婦を対象にした文書のように紙面を構成した。さらに「従軍慰安婦」の説明として「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と記述したため、慰安婦が「挺身隊」の名で強制的に連行されたとの印象を強く与えた。吉田証言は、このストーリーを具体的に裏付けるものと位置づけられた。

 朝日報道をきっかけに、韓国各紙は慰安婦問題を集中的に報道し、韓国世論を憤激させた。宮沢首相が訪韓した当日の1月16日東亜日報では「(12、13歳前後で)勤労挺身隊として連行されていった幼い少女たちの一部はその後従軍慰安婦として再度差し出された」と報じた。安倍晋三内閣が今年6月に公表した河野洋平官房長官談話(河野談話)検証報告書にも「朝日新聞が報道したことを契機に韓国国内における対日批判が過熱した」という記述がある。

 国内世論の沸騰を受けて韓国政府は92年7月31日、「日帝下の軍隊慰安婦の実態調査中間報告書」を公表した。同報告書には「1943年ころから(中略)19世紀のアフリカでの黒人奴隷狩りのような手法の人狩りで慰安婦を充員することになった。吉田清治氏はその著書の第2章でそうした状況について証言している」との記述がある。吉田証言が真実であることを前提にしたものだった。

 報告書について韓国紙は「婦女子狩り」(朝鮮日報)「ドレイ狩り」(東亜日報)など、大見出しで吉田証言を強調した報道をしている。韓国国民は政府公認の解釈として慰安婦=強制連行を常識とするに至る。

 一方で、現代史家の秦郁彦氏は、吉田氏が「慰安婦狩り」の現場と称する韓国・済州島での実地調査に基づき、92年4月30日の産経新聞および「正論」6月号(5月1日発売)で証言に疑義を提起した。しかし、ただちに吉田証言が否定されたわけではない。

 朝日は同年5月24日に吉田氏が「謝罪」のために訪韓するという前触れ記事を掲載している。欧米系のメディアも吉田証言を報じた。AP通信は92年6月、吉田氏について「第二次世界大戦中に韓国の村々から日本兵に繰り返しレイプされる女性の組織的な拉致に関与したことを告白した唯一の日本人」と紹介。「ガス室を操作するナチスの当局者のようだった」という回想も取り上げ、世界に配信した。

 米NBCテレビは93年8月「慰安婦にふさわしい若い健康な女性を連行した。それは事実上の奴隷狩りだった」という吉田氏のインタビューを放映した。米紙ニューヨーク・タイムズは92年8月、吉田氏が約2000人の女性を捕らえたという話と「アジアで今世紀最大の人権侵害だったかもしれない」という本人のコメントを掲載している。一方で、「全てのマスコミは吉田にだまされている」という秦氏の警告も紹介している。

 93年に入り、宮沢内閣の退陣直前にまとめられたのが、河野談話だ。強制連行説はとらず、「総じて本人たちの意思に反して行われた」などの表現で「強制性」を認定した。談話のとりまとめにあたった当時の内閣外政審議室長、谷野作太郎氏(元駐中国大使)は、本紙の取材に対し「(吉田氏は)当時有名人になっていて、外政審議室の若い人たちが2回ほど会ったが、興奮して話にならなかったので採用しなかった」と語った。

 だが、吉田証言はその後も生き続ける。

 96年1月に出た国連人権委員会報告書(クマラスワミ報告)は、旧日本軍の慰安婦制度を「軍性奴隷制」(military sexual slavery)と定義し、日本政府に国家賠償や謝罪、加害者の処罰などを勧告した。報告書は吉田氏の著書を引用し、「強制連行を行った吉田清治は戦時中の体験を書いた中で(中略)1000人もの女性を『慰安婦』として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している」と記した。クマラスワミ報告について、慰安婦問題に長く関わってきた大沼保昭明治大教授は「不正確な引用を含み、総体的にみて学問的水準の低い報告」と指摘している。

 報告書で慰安婦制度を解説した部分は、オーストラリア人ジャーナリスト、ジョージ・ヒックス氏の著書「性の奴隷 従軍慰安婦」(95年、邦訳も同年、三一書房刊)によったが、同書も吉田氏の著書を根拠に「(慰安婦募集の)他の方法が失敗した場合は、かならず奴隷狩りが行われた」などとした内容だ。

 朝日は産経新聞に秦氏の主張が掲載された直後、東京社会部の記者が吉田氏に会い、「裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという」と今回の検証紙面に記している。また97年3月31日に慰安婦特集を掲載した際、再度吉田氏に面会を求めたが拒否され、「吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、『真偽は確認できない』と表記した」という。

 97年当時の朝日政治部長だった若宮啓文・元同紙主筆は、本紙の取材に「訂正、取り消しをすべきだとの声は当然あった。私自身もそう主張した。そうしなかったことが返す返すも悔やまれる」と語った。

 2006年9月、第1次安倍政権が発足した。安倍首相は河野談話の見直しを持論にしてきたが、翌07年1月、米下院外交委員会に慰安婦問題について日本政府に謝罪を求める決議案が提出され、7月30日に本会議で可決された。この後、オランダ、カナダ、欧州連合(EU)議会でも日本に謝罪を求める決議が相次いだ。

 米下院決議は、慰安婦制度を「強制軍事売春」とした上で、「その残酷さと規模において前例を見ないものであるが、集団強姦、強制中絶、屈従、やがて身体切除、死や結果的自殺に至る性暴力を含む、20世紀でも最大の人身取引事件の一つ」と激しい表現で日本を批判した。この決議案の議員説明用の資料にも途中段階で吉田氏の著書が出てくる。

 一方、米国内では韓国系団体などの働きかけによる慰安婦碑の設置が相次いでいる。その碑文は「日本帝国の軍により拉致された20万人以上の女性と少女のために」(ニュージャージー州パリセイズパーク市)「20万人以上のアジア人とオランダ人の女性たちが、大日本帝国軍によって強制的に性奴隷にされた」(カリフォルニア州グレンデール市)などと韓国側の主張をベースにしている。「強制連行」認識はなお生き続けている。

 ◇事実と謙虚に向き合う

 毎日新聞は常に事実に謙虚であることを肝に銘じ報道にあたってきました。朝日新聞の一連の報道で、「吉田証言」のような軍の組織的強制連行があったとの誤解が世界に拡散したとされるように、報道は社会に大きな影響を与え、外交にも不幸な事態を招きかねません。誤った報道は速やかに訂正し、納得のできる説明をするという報道機関の責務を痛感します。

 今回、毎日新聞は慰安婦問題をめぐる朝日報道の内容とその影響について特集しました。毎日新聞の報道についても報告しています。

 一方で、この問題をめぐる混乱が、日韓両国の未来構築をも阻む一因になると懸念します。女性の人権を守るため議論を重ねている国際世論の理解を得られなくなることも心配です。毎日新聞は事実に謙虚に、そして未来につなぐ報道を続ける決意です。【編集編成局長・小川一】

 ◇本紙はどう伝えたか

 毎日新聞は過去に2回、一般記事で吉田清治氏を取り上げている。吉田氏が1992年8月11日に「過去の謝罪」と称して訪韓した際の記事だ。8月12日朝刊社会面(東京本社版、以下同)と、翌13日朝刊社会面で、吉田氏が元慰安婦らに直接謝罪したことを報じた。いずれも2段見出しで当日の出来事だけを報じる短い記事だった。

 慰安婦と挺身隊の混同については、元慰安婦、金学順(キムハクスン)さんを取り上げた91年12月13日朝刊「ひと」欄で、元慰安婦の支援者らの説明などを基に「十四歳以上の女性が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に」と書いた。だが、92年1月22日夕刊の「アジアNOW」欄では慰安婦と挺身隊が別のものだと指摘し、以後は混同がないよう努めてきた。

 昨年8月7日朝刊1面は、ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働いた時の様子をつづった朝鮮人男性の日記が韓国で見つかったと報じた。冷静な議論をする上で貴重な資料と言えるが、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある時期の分は見つからなかった。

 一方、最近の韓国の強硬姿勢を巡り、毎日新聞は社説で冷静な議論を呼び掛けている。

 ◇関連16本、明示せず

 朝日新聞は検証の中で、吉田証言について「確認できただけで16回、記事にした」とした上で、「済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」と表明した。しかし、1982年9月2日の大阪本社版朝刊社会面が「初掲載」と説明した以外、どの記事が16本に該当するかは明示していない。

 本紙が16本の記事の掲載日などを問い合わせたところ、朝日新聞社広報部は「読者のみなさまにお伝えしなければならないと判断した事柄については、当社の紙面や朝日新聞デジタルで報道していきます」として回答しなかった。

 ◇パフォーマンスと確信−−下川正晴・本紙元ソウル支局長

 1992年8月12日に吉田氏が「慰安婦の強制連行について謝罪したい」とソウルで開かれた集会に来たので、初めて吉田氏を取材した。主催者の太平洋戦争犠牲者遺族会が用意したホールには、元慰安婦が10人くらい招かれていて、吉田氏は「業務として朝鮮人の強制連行にあたった」などと、自らの過去を直接謝罪した。

 話がとんちんかんだと思ったのは、吉田氏が「日本政府は謝罪のためにソウル−釜山間の高速鉄道をつくるべきだ」と言ったことだ。それで事実関係だけの淡々とした記事を書いて送った。

 集会が終わった後、日本の支援者が「すみません、どなたか吉田先生をホテルまで送って行ってくれませんか」と言うので、じっくり取材しようと私が手を挙げた。車に乗せてどのホテルかを聞くと、ソウルの最高級ホテルの名を口にする。そこで「いいホテルですね」と返事すると、「いや日本のテレビ局が渡航費用を出してくれた」と聞かされて驚いた。

 この時のことを後に「記者の目」で書いた。うさん臭いとは直接書けないので「まじまじと顔を見てしまった」と表現した。謝罪はパフォーマンスだと確信したからだ。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140911ddm010010044000c.html


《朝日「慰安婦報道・点検」をめぐって:朝日の点検項目を読む》
2014.09.11 毎日新聞

 朝日新聞は8月5日の朝刊1面に「慰安婦問題の本質 直視を」と訴える編集担当取締役の論文を掲載するとともに、5、6両日にわたって、同社の報道を点検し、この問題で揺れる日韓の四半世紀を振り返る各2ページの特集紙面を組んだ。朝日による点検項目に沿って、内容を分析した。

 ◇「挺身隊」との混同

 「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(1992年1月11日朝日新聞朝刊)−−。朝鮮半島出身の慰安婦について書かれた記事の一部に、「女子挺身隊」の名で動員された旨の表現があった。

 混同した原因を朝日は「研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった」と説明した。

 女子挺身隊とは、戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮・台湾で女性を労働力として動員するために組織された「女子勤労挺身隊」を指す(朝日点検)。歴史学者の高崎宗司さんは99年の論文で、朝鮮半島からの女子挺身隊は多くて4000人止まりと結論づけている。一方、慰安婦は、戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所などに集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことだ。

 両者が別であることは明らかだ。だが、元慰安婦の支援団体は今も「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)を名乗っている。

 朝日は誤用を認め、93年以降、両者を混同しないよう努めてきた、と説明している。

 ◇「済州島で連行」証言

 日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使い無理やり連れ出したと、「山口県労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏が証言した。朝日は吉田氏について「確認できただけで16回、記事にした」という。

 初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での吉田氏の講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と写真付きで大きく報道した。

 この記事を執筆したとみられる朝日の元記者(66)は、毎日新聞の電話取材に対し「朝日の広報に一元化しているのでコメントできない。後輩に迷惑をかけたくない」と語った。

 現代史家、秦郁彦さんの著書「慰安婦と戦場の性」によると、吉田氏が83年に刊行した「私の戦争犯罪」を読んだ秦さんは92年3月に済州島で調査した。連行の様子が描写された貝ボタン工場の元組合員らと話し合い、慰安婦狩りはなかったようだと結論づけた。

 また、吉見義明・中央大教授が93年5月に吉田氏に面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」との説明を受けた。動員命令書のことを書いたという日記の公開も拒まれ「証言としては使えないと確認するしかなかった」と、編著「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」に記している。

 朝日点検によると、97年3月31日朝刊の特集記事でも証言が虚偽だという確証が得られず、「真偽は確認できない」と書いた。その後は吉田氏を取り上げていないという。

 ◇「元慰安婦初の証言」

 元朝日記者の植村隆氏(56)は、91年8月11日の大阪本社版社会面で元慰安婦の証言を報道した。元慰安婦の一人が初めて自身の体験を挺対協に証言、匿名を条件に録音テープを朝日に公開したという記事だ。植村氏は当時大阪社会部の記者で、韓国に出張した。

 批判する側は、植村氏が元慰安婦の裁判を支援する団体の幹部である韓国人の義母から便宜を図ってもらった▽元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように記事を書いた、と主張する。

 北海道新聞が、同年8月14日にこの元慰安婦は金学順(キムハクスン)さんだと伝え、12月6日、金さんら元慰安婦3人は、多くの韓国人元軍人・軍属とともに、日本政府の補償を求めて東京地裁に提訴した。

 朝日点検によると、植村氏の義母は、挺対協とは別組織の「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部。取材の経緯について植村氏は「当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」、キーセンにふれなかった理由を「テープの中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」などと説明した。朝日点検は記事中の挺身隊と慰安婦の誤用を認める一方、意図的な事実のねじ曲げはなかったと主張している。

 植村氏は今月8日、札幌市内で毎日新聞の取材に応じた。一連の批判について「90年夏、大阪社会部の平和企画の取材で2週間韓国に出張し、慰安婦の生存者を捜したが見つけられなかった。だが、後に挺対協の共同代表になる尹貞玉(ユンジョンオク)さんに会い、取材協力してもらったことが91年の記事につながった。元慰安婦が義母の遺族会と関係するようになったのは、記事が出た後だ。彼女の証言はだまされたという内容で、記事にもそう書いた」と語った。

 ◇「軍関与示す資料」

 朝日は92年1月11日朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」と特報した。防衛庁防衛研究所図書館で旧日本軍が戦時中、慰安所設置、慰安婦募集を監督、統制していたことや現地部隊が慰安所を設置するよう命じた通達、陣中日誌を、吉見教授が見つけたとの内容だった。

 秦さんは著書で、この報道が5日後の宮沢喜一首相訪韓を狙った「奇襲」「不意打ち」だったと指摘。背景には、慰安婦問題を巡る国会答弁で、政府が90年以来、関与を認めなかった経緯がある。

 点検によると、防衛研究所図書館の文書は吉見教授が91年12月下旬に存在を確認し、面識のある東京社会部記者に連絡。取材が足りないとして年末の記事化は見送られたが、翌92年1月6日に教授は別の文書も見つけ、記者に伝えた。7日に記者が文書を確認、撮影し11日に掲載された。

 朝日点検は、記事の掲載は記者が詳細を知った5日後で首相訪韓を狙ったわけではない、と弁明。さらに今年6月に発表された政府の河野談話作成過程の検証報告書を引き、記者が図書館を訪れた同じ92年1月7日、文書の存在を政府は把握していた、と説明した。

 ◇強制連行

 朝日は慰安婦問題が注目された91〜92年、朝鮮人慰安婦について「強制連行された」と報道した。吉田氏が慰安婦狩りをしたとする証言を強制連行の事例として紹介し、宮沢首相訪韓直前の92年1月12日に社説で、「(慰安婦は)『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され」たと書いた。

 強制連行の定義は、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見方と「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含む見方に分かれ、対立している。朝日の点検はそう指摘したうえで、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳を傷つけられたことが本質だと強調した。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140911ddm008010071000c.html


《朝日「慰安婦報道・点検」をめぐって:世界へ的確な説明、反論を−−現代史家・秦郁彦氏》
2014.09.11 毎日新聞

 朝日新聞が「吉田清治氏の『慰安婦狩り』証言は虚偽だった」と認め、記事を取り消した点は、遅きに失したとはいえ、評価すべきだと思います。

 残念なのは、朝日が、なお「朝日新聞の問題意識は今も変わっていない」「本質 直視を」と主張し続けていることです。虚言や風説、意図的な情報操作に基づく「慰安婦=性奴隷」説に引き続き追随しているように見えます。

 慰安所における慰安婦の生活は「性奴隷」と呼ぶのがふさわしいほど悲惨なものだったか。慰安婦は兵士の数十倍の収入があり、廃業帰国や接客拒否の自由もあった。それを示す米軍の資料が残っています。

 対外的に事を荒立てまいという日本的な感覚が優先され、デタラメな証言、無責任な著作、報道が放置されてきた。それが積み重なって「慰安婦=性奴隷」が国際常識になりつつあるという実情です。

 慰安婦問題が日韓両国間の政治問題として急浮上した当時の盧泰愚韓国大統領が、「文芸春秋」(1993年3月号)の対談でこう言っています。

 「こうした(慰安婦)問題は(中略)日本が心からすまなかったと言ってくれれば、歴史の中に埋もれていくものだと思います。ところが実際は日本の言論機関の方が問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」

 運動団体は政治化を狙って問題を持ち出しますが、報道がなければ影響力を持ち得ない。情報の質を見極める新聞の自覚が問われています。

 誤報問題は朝日の検証記事で区切りがついたわけではない。流れが変わったわけでもない。朝日の軌道修正を見て韓国や中国が態度を変えることはないでしょう。国際情報戦は続いています。随時、的確に反論すべきだと思いますね。

 今後の日韓関係を心配する人もいますが、私は、韓国は放っておけばいいと思う。むしろ、人権問題に敏感な米国など先進国に事実を示し、理解を得るための発信が大事です。

 吉田証言は、慰安婦を性奴隷と定義し、日本に謝罪と賠償を勧告した国連のクマラスワミ報告にも登場します。報告官だったクマラスワミ(スリランカの女性法律家)は、朝日の記事撤回について「証拠の一つに過ぎず、報告を修正する必要はない」と言っていますが、他の証拠も吟味すべきでしょう。
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 ■人物略歴
 ◇はた・いくひこ
 1932年生まれ。東京大卒。「昭和史の謎を追う」で菊池寛賞。「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)など。
http://mainichi.jp/shimen/news/20140911ddm010010047000c.html