『日韓断交』 日本からしてはならぬ     ―― 名ではなく実を取る詰将棋の詰め方

私のメルマガ読者の皆様には、よくよくお分かりの事ですが、韓国の建国以来の反日政策は、文在寅政権になって、体裁すら取り繕わない酷いものになりました。

昨年秋以降だけを見ても、

10月11日 済州島海軍基地の国際観艦式で、韓国政府は日本の自衛艦に対し、国際慣習法に反して「旭日旗」を掲揚しないように要請。

10月30日、11月29日 韓国大法院(最高裁に相当)が日本企業に対し、相次いで自称元徴用工らへの損害賠償を命ずる判決。同判決自体が日韓請求権協定に違反。

11月21日 韓国政府、2015年12月の「日韓慰安婦合意」に基づき設立された慰安婦財団を解散すると一方的に宣言。

12月20日 日本の排他的経済水域内で韓国海軍駆逐艦が海自P1哨戒機に対し火器管制レーダーを照射、
その後、照射を否定したり、「日本側が低空威嚇飛行をした」と虚偽の主張をし、逆に日本側を非難する等、狂った様な行動を繰り返す。

本年2月7日、韓国文喜相国会議長が、天皇を「日王」「戦犯の息子」などと侮辱し、自称元慰安婦らへの直接謝罪を要求。
その後、侮辱を否定したが、発言テープを公開され、開き直り侮辱発言を繰り返す。

など、韓国の行政府、司法府、立法府と軍部が、それぞれ日本に対して、通常の二国間関係が維持できないレベルの不法・不当・侮辱行為を謝罪もなく続けてきました。
まさに、国を挙げて反日行為を際限なくエスカレートさせていると言える状況です。

例えば、徴用工判決について、文在寅大統領は「司法判決は三権分立の中で尊重しなければならない」などと言っていますが、

韓国も批准している「条約法に関するウィーン条約」は、

第二十六条(「合意は守られなければならない」)
効力を有するすべての条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない。
第二十七条(国内法と条約の遵守)
当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない。この規則は、第四十六条の規定の適用を妨げるものではない。

と定めており、条約を遵守しない文氏の言い訳は通用しません。

ここに挙げた直近の事例のみならず、これまでに積み上がった様々な韓国の我が国に対する敵対行為から、従来から我が国の中で一部の人達の間では、「日韓断交」を求める声が存在してきましたが、特に徴用工判決以降、かなり影響力のある有識者、或いは政府・与党の中からも
「日韓断交」を求める声が出てきています。

私は多分、30年以上前という、日韓関係について関心を持つ人の中でもかなり古い時代から、韓国の日本敵視政策について、正確に把握し、これに対して最も厳しい対応を主張してきた者だと思います。

しかし、私は、日本側から韓国に対し「断交」(国交断絶)を行なう事は、全く得策ではないと考えます。

よく、韓国に対し憤っている人達(私も憤っていますが)の中で、「非韓三原則」なるものが提唱されています。

筑波大学大学院教授の古田博司氏もその一人で、「韓国に対しては『助けない、教えない、関わらない』を『非韓三原則』にして日本への甘えを断ち切ることが肝要」と説いています。

私は、このうちの「助けない」「教えない」には同意です。
日本側の呆れた間抜けさ愚かさにも重要な一因がありますが、これまで「助け」「教え」た事が、何も良い結果を生み出しませんでした。

しかし、「関わらない」はどうでしょうか。

私は、この発想に、平均的日本人の国際社会に対するナイーブさが端的に現れていると考えています。

「ナイーブ」は褒めていません。
ナイーブは、フランス語と英語に由来しますが、
「生まれたままの」「素直な」「無邪気な」といった好意的な意味と共に、
「世間知らず」「何も知らない」「無知な」「馬鹿正直」「騙されやすい」「鈍感」といった否定的な意味の両方があります。

「関わらない」の深刻な問題の第1は、「動向を把握しない・できない」事です。
第2は、「相手の意思と行動を、こちらに不利益が無い様に、或いは利益が有る様に変えさせる様に働き掛ける」事を放棄している事です。

「動向を把握しない・できない」事は、とても危険です。
「日本もスパイ防止法が必要だ」と理解している人の中に、「関わらない」を主張している人がいる事が不思議です。

米国の心理学者ワイナーが提示した「オストリッチ・コンプレックス(駝鳥症候群)」という言葉があります。
ダチョウが、身に危険を感じた際に、砂の中に頭だけをうずめ、安全な場所に隠れたつもりになっている様子に例えたもので、目の前にある問題や危険を直視せず、何もしないでやりすごそうとする心の状態を指します。

「関わらなければ被害を受けない」という発想は、まさしくこれです。

別の歴史的失敗の事例を挙げれば、徳川幕府の鎖国です。
最新の日本史の教科書では、「鎖国」を教えなくなったそうですし、いわゆる「鎖国」の功罪、歴史的評価については、別途論じたいと思いますが、
少なくとも、17世紀初頭、長き戦国時代を経て国家を統一した日本が、当時の世界最強国家の一つであったところが、いわゆる「鎖国」をし、世界との関わりを極小に制限した結果、
2世紀半経った後では、産業革命をはじめとする世界の経済・技術等の進展から取り残され、「意外に幕僚は世界情勢を把握していた」などと言っても、植民地化寸前の後進・軍事弱小国に成り下がっていた、
これも一つの事実です。

「助けない」「教えない」は結構ですが、最低限、「動向を把握する」為、「関わる」事は必要です。

そして更に、「相手の意思と行動を、こちらに不利益が無い様に、或いは利益が有る様に変えさせるように働き掛ける」為、関わる事は重要なのです。

「お隣同士だから仲良く」という個人間の関係の様な性善説の理由ではなく、
「隣接しているから、最も戦力を投射される可能性が高い」という、国家間の現実的なリスク管理の為、「関わる」事が必要です。

国交を維持する、とは、最低限の「関わり」を維持するとの意思表示であり、国交を維持してこそ、「相手の意思と行動を、こちらに不利益が無い様に、或いは利益が有る様に変えさせる」働き掛けができます。

国際社会も、その様に認識していますので、国交を維持した上で厳しい要求をする事と、断交する事とでは、全く異なる理解・評価をします。

そして、何事にも、行為の妥当性、納得性、理解や支持をできる範囲というものがあります。

唾を吐きかけられた相手を殺してしまえば、ただの殺人犯ですが、
殺されそうになった相手を殺した場合は、正当防衛で罪に問われない。

国際社会でも同様の面があります。
まず原則的に、先に行動した者が「原因者」として、その行動の責任を問われます。
そして、その原因者の行動に対応・反応した者について、その対応・反応の妥当性・納得性について、国際社会から判断される。

やり過ぎても国際社会から支持されず、やらなさ過ぎても国際社会から信頼を失う。

また、原因者の行為に対して、対応・反応するタイミングも、妥当性・納得性が国際社会から判断されます。

例えば、韓国による竹島の不法占領は、その当時であれば、断交に値する敵対行為であり、当時、日本政府が断交したならば、国際社会の理解は得られたでしょう。

しかし、実際には、日本政府はこの侵略行為に対して、数十年、対韓断交をするどころか、経済交流を始め、二国間関係を深化させてきましたから、今になって、竹島不法占拠を理由に断交する事は、国際社会の理解を得られません。

他の韓国の不当な対日政策に対しても、殆ど何も有効な対処をしてきませんでした。

今の日本政府は、日本に対する近隣諸国の敵視政策に対処を「やらなさ過ぎ」で、国際社会から「対処能力のない国家」だとみられている面がありますから、国際的に妥当・納得性がある対処をする必要があります。

そして、その為の法制度が、諸外国に比べて整備されていない点が多くありますから、様々な法整備も急務です。

今回の徴用工判決に伴う日本企業の財産差し押さえ問題を契機に、政府・与党でも、様々な対韓対抗措置がリストアップされている様です。

聞き及ぶ範囲では、その全てを実施しても、充分に効果的な対応だとは思いませんし、韓国側の態度によっては、「ヒト」「モノ」「カネ」の全ての交流を我が国の側から止める事も有りうると考えますし、国際情勢によっては、侵略された竹島について自衛権を行使する事も有りうると考えますが、
国際社会を味方に付ける、という重要な要素を確保する為、我が国の側から断交する事は、原則としてするべきではないと考えます。

「関わらない」方が精神的には楽ですが、楽をして良い事はありません。
タフに、隙を作らずに、共産独裁中国の言う「超限戦」を戦い抜く覚悟で、「関わる」事が、国際社会で予想外の不利益を被らない為に、必要です。