08/25/2017 12:55:18 AM

裁判官にも、愚かで歪み切った偏向した思想に凝り固まった者がいます。異常な判決もあります。我が国の司法がまともに機能する様に、取り組んで参りましょう。

なお、この論説記事で言及している「チマチョゴリ切裂き事件」は自作自演の捏造であった事が判明しています。

《朝鮮学校無償化 公金は国家に資すべきものだ》
2017.08.25 産経新聞

◆ おかしな大阪地裁判決

 朝鮮学校を高校無償化の対象外とした国の措置について、7月末、大阪地裁が違法とする判決を出した。

 おかしな判決である。

 その10日ほど前には、同種の訴訟で広島地裁が適法とする逆の判断を示している。

 大阪地裁判決は、司法解釈以前に、公金は何のために使われるべきかという常識から逸脱している、といわなければならない。

 無償化制度は平成22(2010)年に導入された。しかし朝鮮学校については24年、「拉致問題に進展がなく朝鮮総連と密接な関係にある」(当時の下村博文文科相)などとして、適用が見送られた。

 これに対して朝鮮学校側から5カ所で訴訟が起こされた。広島、大阪に続き東京、名古屋などでも判断が示される。

 大阪地裁は、国の措置は外交的、政治的意見に基づいており教育の機会均等とは無関係とした。

 しかし、その教育の内容はどんなものなのか。それを不問にして機会均等をいってよいのか。さらに、そこに日本の公金を投じることは許されるのか。これらの点こそが問われるべきだろう。

◆ 極端に偏った歴史教育

 以下、『現代朝鮮歴史』という本から一部を引用する。

 序言によると、高校に相当する朝鮮高級学校の現代史の教科書を、体裁も含めて原著に忠実に訳したとのこと。朝鮮学校は教科書を秘密文書のように扱って、公表を抑えているという。3分冊で平成22年発行。

 反日・反米史観があちこちに見られる。

 「悪らつな日帝植民地統治から解放された朝鮮人民」

 「敬愛する金日成(キムイルソン)主席様におかれては、会議で朝鮮人をみくびり刃向かう米国のやつらに朝鮮人の根性を見せてやらねばならないとおっしゃりながら…」

 後者は、1950(昭和25)年の朝鮮戦争勃発の際の記述。ミサイル発射をめぐる現在の指導者の、「愚かで哀れな米国」といった表現が重なって見える。北朝鮮の国民も、似たような表現をしていた。

 ちなみに、ここにあるように「主席様」や「将軍様」には、「敬愛する」という言葉が付く。

 自己正当化も顕著である。1987(昭和62)年の北朝鮮工作員による大韓航空機爆破事件は、「でっち上げ」と書かれる。

 「南朝鮮当局はこの事件を『北朝鮮工作員金賢姫(キムヒョンヒ)』が引き起こしたとでっち上げ、大々的な『反共和国』騒動をくり広げ…」

 さらに見過ごせないのは、拉致事件に関する次のような記述だ。

 「日本当局は『拉致問題』を極大化し、反共和国・反総連・反朝鮮人騒動を大々的にくり広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった」

 その厚顔無恥ぶりには、憤りすら覚える。

 このように極端に偏った歴史教育に日本の公金を投入すべきかどうか、明らかではないか。

 朝鮮学校と朝鮮総連との関係も見過ごせない。

 公安調査庁は『内外情勢の回顧と展望』平成28年1月版で、朝鮮学校の無償化の問題と総連の関係について触れている。

 すなわち総連は、「(無償化不適用の)『不当性』などを訴える抗議・要請活動や街頭宣伝活動を展開した」「活動家らを裁判の傍聴に動員したり、日本人支援者らと連携して報告集会や学習会を開催したりして、機運の醸成に努めた」。

 一連の訴訟には総連、さらに本国の思惑が絡んでいると見るのが自然である。

◆ 日本の国益になるのか

 当然のことだが筆者は、朝鮮学校をめぐるヘイトスピーチのたぐいや、差別を容認しない。

 平成21年から翌年、京都の朝鮮学校にヘイトスピーチを行った団体側は、最高裁で損害賠償と周辺での街宣活動の禁止が確定した。

 北朝鮮の核開発疑惑で朝鮮半島が危機に面した平成6年には、朝鮮学校の女子生徒が着ているチマチョゴリが切られるなどのいやがらせが相次いだ。このような行為は、何も解決しない。

 わが国に危害を及ぼしかねない国に対しては、その根本から手立てを講じるべきだ。朝鮮学校無償化の是非は、この観点から考えられるべきだろう。これは教育の機会均等や、生徒の人権といった問題とは次元が異なる。

 公金は、日本という国家に資すべきものである。外国人学校への公的支援もあってよい。しかしそれは、当該国の子供の教育が日本の国益に資するかどうか、という基準でなされるべきだ。日本の国益を害しかねない教育への公金投入は、国家への背信である。海外への支援なども同様だろう。

 今回の大阪地裁判決が、どのような国家観の上に立って書かれたものか、筆者は知らない。

 従って今回の判決を離れて一般論として書く。この国を損ねかねない判決が戦後、あまりにも多い。米軍駐留を違憲とした砂川事件判決(昭和34年)しかり、自衛隊を違憲とした長沼ナイキ基地判決(同48年)しかり。最高法規たる憲法が国家主権の制限という脱国家的な方向を持っているからである。

 憲法学者の大石義雄は『裁判の危機-偏向判決批判』という昭和44年の論集に寄せた「常識をこえた違憲裁判」で、こう書いた。

 「憲法あっての国家ではなく、国家あっての憲法だ」

 憲法に限らない。この国の常識から考える姿勢が大切となる。
(論説委員・河村直哉)

http://www.sankei.com/west/news/170825/wst1708250011-n1.html

https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/833019173532287