05/02/2017 11:38:13 PM

過日(4月14日)、私は我が国の育児・教育関連予算と制度が欧州諸国に比べ非常に貧弱であり、政府支出を増やすべきこと、その財源は、自民党が検討している「保険」構想ではなく税方式が望ましい事を投稿しました。

今回、髙橋洋一 嘉悦大教授が同趣旨で「教育国債」を提唱されています。

《やっぱり「教育の無償化」は、国債発行で賄うのが正解だ
負担の先送り?バカを言ってはいけない》
2017.05.01 髙橋洋一 嘉悦大学教授

■ 進次郎発言のズルいところ

教育無償化について、維新の党が「憲法を改正して実現させよう」と問題提起したら、自民党・公明党でも本格的な検討が行われるようになった。自民党内の動向はどうなのか。

3月29日、自民党の「2020年以降の経済財政構想小委員会」(小泉進次郎小委員長代行、村井英樹事務局長)は、幼児教育無償化の財源を保険料で賄う「こども保険」を提唱した。さすがの小泉進次郎氏、発信力は大きく、これは多方面で話題になった。

この問題は、小泉氏も含めた教育再生本部の「恒久的な教育財源確保に関する特命チーム」で検討されることとなっている。

(図:同チーム)

確かに小泉氏の発信力はたいしたものであるが、「保険」というのは詐称に近い話だ。政治家たるもの、言葉をもっと大切にしたほうがいい。学生時代に「保険数理」を勉強した筆者からみれば、これは保険でないものを保険といっているようにしか見えないのだ。

まず「保険」の意味をはっきりさせよう。

保険とは、偶然に発生する事象(保険事故)に備えるために多数の者が保険料を出し、事象が発生した者に保険金を給付するものだ。

さて、自民党若手が提唱した「こども保険」であるが、こどもの保育・教育のためなので、この場合の偶発事象(保険事故)はこどもが生まれること、になるだろう。公的年金の加入者、つまり20歳から60歳までの現役世代の人がこの保険に加入し、子育てする人が保険給付を受け取る仕組みになるだろう。

となると、矛盾が出てくる。子育ての終わった現役世代の人には、偶発事象がまず起こりえない。これらの人は「こども保険」に入るメリットはなく、保険料を取られるだけになってしまう。

すると、被保険者はこれから子育てをする若い人にならざるを得ない。しかし、それでは保険にならない。一般的に、若い人の多くがこどもを持つからだ。仮に、そういう保険を作ると、こどものいない人に大きな保険料負担を強いることになってしまう。

本音を言えば子育て支援について税金を財源にしたいが、税金では世間の反発が起こるので、「保険料」に名前を変えて国民から徴収しよう…そういう意図があるのだろうが、バレバレである。

おそらく「保険」という名称にしたのは、日本人の保険好きを悪用したのだろう。これまでの保険会社の営業努力の賜物であるが、保険契約額対国民所得比をみると、日本は5倍程度であり、先進国の2倍程度と比べるとかなり大きく、日本人の保険好きは国民性なのだ。

では、保険という名称ではなく、「こども税」ならどうか。これは政策論としてはありえる。ただし、筆者の提唱する「教育国債」との比較で、どちらがいいかを有権者がしっかり見定める必要があろう。

■ 「未来への投資が大事」というなら…

新聞などでは「教育国債」という言葉自体はよく出てくるが、まとまった考察は筆者くらいしか書いていないようだ。本コラムの読者であれば、2016年10月10日付け「日本がノーベル賞常連国であり続けるには、この秘策を使うしかない!」(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49906)を覚えているだろう。

そこでは、「知識に投資することは、常に最大の利益をもたらす(An investment in knowledge always pays the best interest.)」というベンジャミン・フランクリンの名言を引用しながら、教育を投資として捉えると、社会的な便益もコストより高いことを紹介し、そうであるなら、国債で教育の財源を賄うのがいいと書いた。

実は、この考え方が以前から財務省の中にも存在していたことをバラしてしまったコラムでもあった。

簡単にいえば、有形資産も無形資産も、経済発展のためには欠くことができないものだ。しかし、今の財政法では有形資産の場合にしか国債発行を認めていない。政治的な議論をするのであれば、この財政法を改正して、無形資産の場合にも国債発行を認めるべき、というわけだ。

しかも、統合政府の考え方を用いれば、日本の財政再建はほぼ終了という段階であり、国債発行を気にする状況でない(この統合政府の考え方は、先日ノーベル賞学者のスティグリッツ氏が来日して経済財政諮問会議の場で安倍首相の前で披露しており、筆者の思いつきではなく、世界の常識であることが明らかだろう)。

いずれにしても有形資産と無形資産を差別するなというのは、強力な正論である。財務官僚は「無形資産はうまく計れない」などという小言を言うが、後に述べるように、教育の投資効果はかなり大きく、有形資産を凌駕するので、あまり細かいことを考えなくてもいい。

財務官僚は、官僚社会で裁量的に自分たちに都合良く振る舞いたい。これは、本コラムで指摘してきた森友学園問題の本質を見てもわかるだろう。

その財務官僚がもっとも嫌うことは、「財政法」の改正である。ここだけは、政治家には決してふれられたくない世界なのだ。もちろん、政治家はローメーカー(lawmaker)であるが、そんな建前はお構いなく、立法も事実上支配したいといのが官僚社会の本質である。

ただし、政治はそれではダメだ。しっかりと未来をみて、必要な法改正を行うべきである。

以下では、無形資産を有形資産と差別せずに同じように扱うべきという単純な正論以外にも、教育を「良質な投資」と考えるべき理由を挙げよう。

幸いにも、安倍政権は、未来投資が重要だという立場をとっている。であれば、教育を未来投資と捉えなかったら、画竜点睛を欠く議論になってしまう。

■ 「将来への付け回し」では断じてない

OECD(経済協力開発機構)では、いろいろな教育に関するデータを国際比較の形で毎年公表している(Education at a Glance 2016 http://www.oecd-ilibrary.org/education/education-at-a-glance_19991487)。

その中で、先進国における高等教育投資の便益とコストを私的・公的に算出したものがある。私的な便益は、高等教育を受けると所得が高くなることなどである。公的な便益は高くなった所得から得られる税収増などが基となる。

私的な便益コスト比(B/C)と公的な便益コスト比をみると、ほとんどの国で私的B/Cのほうが公的B/Cより大きい。ところが、一国だけまったく逆に、私的B/Cよりはるかに公的B/Cのほうが大きい国がある。それが日本だ。

(表:先進国における高等教育投資の私的・公的B/C(2012) )

これほど、公的B/Cが大きいのであれば、日本は高等教育に公的資金をどんどん投入すべきである。

なぜ、日本だけが公的B/Cが大きいのであろうか。それは、日本の高等教育における公費負担が少ないからである。公的負担が少ないので、その便益は限界効用が低減する前であり、便益が大きいのだ。

ちなみに、初等中等教育では日本は他の先進国と比べて遜色ない公費負担になっているが、高等教育ではかなり低くなっているのだ。

(表:初等中等教育の公財政負担率 (OECD、2013))

(表:高等教育の公財政負担率 (OECD、2013))

公的資金投入にあたって、なにを財源にすればいいのか。

もちろん、税を財源としてもいい。しかし、将来への投資であり、社会的なリターンが期待できる場合には、便益が及ぶ将来にわたって税財源を均等化できる国債発行が理にかなっている。ここで、税財源に頼るのは、東日本大震災で復興財源を復興税に依存したような経済理論の誤りである。

国債発行というと、すぐに「将来へのつけ回し」「財源の先送り」という議論が出てくる。しかし、これは、経常経費と投資性経費を混同したものであり、投資性経費であれば、国債発行のほうが合理的である。

■ 潔いのはどっちだ?

実際、世界をみれば、教育を投資として捉えて、国債発行で財源を賄った例がある。この点、大災害の時に復興を増税で賄った例は、筆者の知るところではない。先例がないことがいかにデタラメであるか、先例のあることには一定の合理性があると思っていいだろう。

教育投資のための国債発行では、フランスの「サルコジ国債」が有名である。

2009年6月、サルコジ大統領は、両院(上院:元老院、下院:国民議会)合同議会において、大規模な特別国債の発行を発表した。

演説の中で大統領は、

「国土整備や教育、研究、技術革新など、我々の未来にとって極めて重要な分野が多くあり、年間予算の厳しい枠組みの中では対応できない。我々がやり方を変えない限り、優先課題を掲げるだけで実現できない状態が続く。私は投資を犠牲にしない。投資なくして未来はない」

と述べ、未来への投資のための国債発行の重要性を強調した。

まさに、安倍政権の未来投資と同じものだ。

サルコジ大統領の意向は、未来のための投資プログラム(Programme d’investissements d’Avenir:PIA)とされ、5つの優先分野(①高等教育:110億ユーロ、②研究:79億ユーロ、③産業・中小企業:65億ユーロ、④持続的な発展:51億ユーロ、⑤IT:45億ユーロ)を対象として投資することとなった。通常の予算とは別途管理し、未来のための投資プログラム委員長を任命し、実施等をフォローされている。

教育国債は決して奇策ではなく、未来投資のための王道である。しかも、今の日本は、統合政府で見れば財政再建が終了したようなものである……ということは、裏返せば、マーケットでは国債不足になっているともいえる。

そのため、先日、日銀は買いオペではなく売りオペをせざるを得なくなった。東京市場をまともな金融市場とするためにも、一定量の国債は必要である。その意味からも、教育国債が望まれる。

教育国債を否定する人は、「負担の先送りになる」というが、逆に言えば税財源で行うことは親の世代にせびっているようなものだ。

教育国債は出世払いであり、後で働いて返すという方が潔い。これは受益者負担原則にもかなっている話でもあるのだ。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51630

https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/771101166390755