03/02/2017 11:11:47 PM

長谷川幸洋氏「『施錠されると入手できない情報』とは何か。ずばり、盗み見と書類をパクって得た情報である」。取材能力の無い「記者」と「メディア」は自分の都合だけで「言論の自由」を振りかざす。

外国のスパイが我が国政府の情報を盗取し国益を損なう問題を一顧だにできないのです。

《経産省「執務室閉鎖」に反対するマスコミを、みっともないと思う理由 取材力のなさを自白してるようなもの》
2017.03.03 長谷川幸洋 ジャーナリスト 東京新聞・中日新聞論説委員

■ 取材力のなさを明かしているようなもの

経済産業省が2月28日から庁舎内の執務室に鍵をかけた。これに対して、一部のマスコミや識者は「情報公開に逆行する」などと批判している。いまどき何を言っているのか。こんな調子だから、記者が世間からバカにされるのだ。

役所の事情に詳しくない読者に説明すると、経産省はこれまで大臣室などを除いて、各課執務室への記者の立ち入りが基本的に自由だった。そもそも記者たちは国会が発行する記者パスさえ持っていれば、庁舎にノーチェックで入れる。

一般人は庁舎の玄関で出入りをチェックされているから、これは記者の特権である。それに加えて、記者は各課への出入りも自由だったのだ。一般人が各課を訪問しようと思えば、最初の玄関で申請しなければならない。

新聞やテレビの記者には「記者クラブ」の部屋も用意されていて、経産省担当の記者たちは毎日、そこに出勤する。記者たちはクラブの隣にある会見室で日常的に開かれる記者会見に出席して記事を書いている。

記者が特定のテーマを取材しようと思えば、どうするか。まずは担当課に連絡し、課長や課長補佐に取材面談の約束をとって出向く。だが、事前のアポイントなしでいきなり出向いたとしても、相手が応じてくれさえすれば、取材が可能だった。部屋に鍵はかかっていなかったからだ。

ところが今回、執務室が施錠されてしまった。そこで記者たちは「それじゃ部屋に入れないじゃないか。取材制限だ」と騒いでいるのである。

たとえば、毎日新聞は施錠に加えて、取材対応する職員も限定するなどの新しい措置について「情報公開に逆行するとの懸念の声も出ている」と報じている(http://mainichi.jp/articles/20170226/k00/00m/020/117000c)。信濃毎日新聞も「ドアに鍵がかかると報道機関の取材が制約され、憲法が国民に保障する『知る権利』が損なわれる」(http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170301/KT170228ETI090002000.php)などと社説で批判した。

だが、冷静に考えてもらいたい。

そもそも施錠と情報公開に何の関係があるのか。公開されるべき情報は公開を求め、記者は取材を申し込めばいい。経産省は取材に応じると言っているのだから、拒否されたらそこで初めて「取材制限」と批判できる。

物理的に部屋に鍵がかけられたら、とたんに情報が出なくなるわけではない。

それなのになぜ、こんな話になるかといえば、実は記者たちが「施錠されたら入手できにくくなる情報がある」と心配しているからだ。「施錠されると入手できない情報」とは何か。ずばり、盗み見と書類をパクって得た情報である。

テレビ朝日の報道ステーションは、経産省が施錠したのは「日米首脳会談に向け、アメリカへの投資に日本の年金基金を使うという案が事前に漏れたためと指摘されている」と報じている(http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20170227-00000047-ann-bus_all、ただし経産省は否定)。

つまり、経産省は「記者が机の上の書類を盗み見したか、パクってしまったのではないか」と疑っていて「施錠しないと今後も情報が漏れかねない」と心配しているのだ。

読者は「まさか、そんなことがあるのか」と思われるかもしれない。ところが、記者が役人の机の上にある書類を盗み見したり、丸ごとパクってしまうというのは実際にある。

それは良くて偶然、悪ければ犯罪にも等しい行為だ。残念ながら、取材の現場では、そんな記者が往々にして「優秀」と誉められこそすれ「取材倫理に反する」とか、まして「犯罪だ」などと非難されることはない。

■ 「特ダネが書けなくなる」心配はない

一部マスコミは「取材相手に会いにくくなる」とか「居留守を使われる」などと批判している。だが、それは建前だ。本音は「部屋に入れば雰囲気も分かるし、なんとかなる。もしかしたら、紙が手に入るかも…」と期待している(笑)。

実際に私が経産省を担当していた30年前には、だれかに話を聞くわけでもないのに部屋の中で、ただぼ〜っと立っているだけの記者がいた。たまらず、課長が「あなた、そこで何をしているの。用がないなら出てってくれないか」と注意したくらいだ。

実は「立っている」だけでもマシなのだ。担当課の部屋にまで来る記者はほんのひと握りで、大部分の記者は記者会見に出てオシマイだった。

そういう現場を見てきた私からすれば、今回の「施錠は取材制限だ」などという言い分はチャンチャラおかしい。「会見以外の独自取材をしている記者がいったい何人いるのか」と言いたくなる。

それはともかく、いまどき「事前のアポなしで取材させるべきだ」という要求が無茶ではないか。そんな面談は世間で通用しない。話を聞きたいなら、事前に申し込んで、了解を得たうえで取材するのが当たり前である。

押しかけていっても聞きたいなら、それなりに工夫しろと言いたい。記者クラブに所属せず、したがって役所の出入りも自由でない雑誌記者たちは、自分たちで知恵を絞って取材している。それで独自の特ダネを書いているではないか。

2012年10月19日公開コラム(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33842)で紹介したように、膨大な関連資料を読み込んで、復興予算流用の内幕を描いたフリーランスの記者もいる。彼女が著した『国家のシロアリ』(福場ひとみ著)は小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞した。彼女は官僚を「電話で」取材したのだ。施錠は関係ない。

工夫もせず、施錠されたくらいで取材制限と騒ぐ記者たちは、たいした取材能力がない証明である。

それに、記者たちは「特ダネが書けなくなる」などと心配する必要もない。「特ダネ」というのは、役所が記者たちに書いてもらいたい話を、役所が選別した特定記者に流した情報である。役所はいつだって記者に書いてもらいたい、世間に宣伝したい情報がある。

だから、役所のおメガネにかなった記者は施錠されようがされまいが、これからも特ダネにありつける。そんな特ダネのおすそ分けにあずかろうと、官僚にゴマすりたいポチ記者候補はせっせと電話で取材を申し込めばいい。

そうではなく役所が秘匿する、あるいは宣伝したくない情報を取材しようとするなら、それなりの工夫と取材力が試される。「施錠されたら取材できない」などという記者は、盗み見かパクリくらいしか思いつかないのだろう。

結局、施錠されようがされまいが、新聞やテレビに出る情報はたいして変わらない。雑誌記者が独自取材にしのぎを削る状況も変わらない。情報公開に逆行する? 30年前に比べれば、役所情報は飛躍的に公開されている。ホームページを見れば一目瞭然だ。

だいたい「報道の自由」や「言論の自由」を錦の御旗のように振り回す輩に限って、実は自由の本質をまるで分かっていない。それは、私が「ニュース女子」問題で東京新聞論説副主幹から論説委員に「降格」された件でも証明された。あ、これは余計な一言だった(笑)。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51107

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