2015/02/21 13:53

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「当時の尾張には、石垣の城は存在していなかった」「小牧山城跡で出土した3段目の石垣は発掘担当者も驚く発見だった」。

《「絶対にない」はずのものが…信長の初めての城》
2015.02.13 読売新聞

小牧山城の復元図。今回発掘した北東側は矢印の方向。左の赤い帯の部分に3段目の石垣が巡っていると推定される(絵・富永商太、監修・千田嘉博)
史跡公園整備が計画されている小牧山(小牧市提供)

 「絶対にないと思っていたものが見つかった」――。

 愛知県小牧市の小牧山城跡で出土した3段目の石垣は発掘担当者も驚く発見だった。石垣の調査は今年度で終え、12年にわたる城の中心部(主郭、のちの本丸)の発掘調査を新年度に完了する予定だった。しかし、今回の発見で、「信長の初めての城」が想定よりも一回り大きい可能性が高まり、今後、調査範囲や期間の拡大が予想される。

 今年度の調査は、主郭を囲む「2段」の石垣が周回することを確認するために、北東側約200平方メートルを発掘するものだった。2段の石垣の下は急斜面で、当時の技術では石垣が築けないと考えられていたが、今年1月に3段目が出土した。

 3段目は、高さ2メートルのうち下半分(約1・0~1・2メートル)を石積みで腰巻き状にした「腰巻き石垣」で、小牧山城では初めてのタイプだった。

 発掘を担当する同市の小野友記子・文化振興課主査は「さらに斜面の下に4、5段目の石垣がある可能性もある。正面の南側の斜面なども詳しい調査が必要になるかもしれない」と驚く。

 当時の尾張には、石垣の城は存在していなかった。千田嘉博・奈良大学長(城郭考古学)は「信長にとって初めて造る城であるし、当時の技術水準からすれば、せいぜい2段でとどめてもおかしくない。ところが信長は少しでも1歩先を目指した。時代を切り開く信長像が反映されている城だ」と指摘する。

     ◇

 今回、最上段の1段目の裏側の構造も初めて明らかになった。表面の大型の石、その裏に排水のための大量の小石(裏込石(うらごめいし))があることに加えて、主郭を造成した土が流れ出さないように中型の土留(どど)め石が埋設されていることが判明したのだ。

 中井均・滋賀県立大教授(日本城郭史)は「見えない部分の工夫と技術の高さに驚かされた。実際の工事を行った技術者集団を信長はどこから招いたのか、非常に興味深い」と話す。

◆小牧山城=織田信長が1563年、美濃攻めのために小牧山に新たに築いた城。本拠の清須から家臣団や町人などを移住させ、麓には城下町を整備した。岐阜へ移った後に廃城となり、信長の死後の84年の小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉と戦う徳川家康が本陣を置き、堀をつくるなど改修した。江戸時代になると、尾張徳川家が家康ゆかりの地として入山を禁止した。1927年に国の史跡に指定。天守閣はなく、現在、山頂にある小牧市歴史館(通称・小牧城)は1968年に完成した鉄筋コンクリートの建物。(岡本公樹、大隅清司)

左:小牧山城の復元図。今回発掘した北東側は矢印の方向。左の赤い帯の部分に3段目の石垣が巡っていると推定される(絵・富永商太、監修・千田嘉博)

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20150213-OYT1T50047.html