2014/10/05 0:23



日露戦争における日本の勝利、即ち黄色人種の小国による白人の世界最大の陸軍国に対する勝利は、世界に驚きを以って受け止められ、数世紀に亘って進んでいた白人による世界分割と有色人種支配という世界史の流れは、ここで日本が転換させ始めました。

《【賞賛されていた陸海軍 知られざる日本】北欧の親日国フィンランド 日露戦争の勝利が独立の精神的支柱に》
2014.10.01 ZAKZAK

 フィンランドの対日感情はすこぶるいい。1917年までロシア帝国の統治下にあった同国にとって、日露戦争(1904-05年)での日本の大勝利は、国民を熱狂させ、独立への精神的支柱となり、日本に畏敬の念を抱かせたのだ。

 パーシキビ元大統領は次のようにつづっている。

 「私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初のニュースが到着したとき、友人が私の部屋に飛び込んできた。彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して聞かせた。フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した」(名越二荒之助=ふたらのすけ=著『世界に生きる日本の心』展転社)。

 日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃ち破った東郷平八郎提督はフィンランドで英雄としてたたえられ、「東郷ビール」が生まれたのだ。

 当時日本を訪れたフィンランドの独立運動家、コンニ・ジリアスクは、日露戦争の情報戦で活躍した明石元二郎大佐と出会った。これを機に、日本の対フィンランド経済支援が開始(05年)された。そして、多くの日本製兵器がフィンランドに送られた。

 世界遺産にも登録されているスオメンリンナ島(要塞群)には日本製の120ミリ砲が保存されている。大砲には「明治参拾壱(1898)年」「呉海軍造兵廠」と刻印されており、説明書にはこう記されている。

 《この大砲は後のソ連との『冬戦争』最中の1939年12月6日に162発を撃ってソ連軍の攻撃を撃退した。そして、その後も活躍し、1940年2月19日の戦闘で砲身にクラック(ひび)が入ったが、それでもなお照準器なしで撃ち続けて敵を粉砕した。射撃弾数は648発に達した》

 その他にも、首都のヘルシンキ市内の軍事博物館には、日本の「三十三年式小銃」や「騎兵銃」なども展示されており、多くの日本製兵器がフィンランド軍で使われていたことがよく分かる。

 「親日国家・フィンランド」の近現代史は、宿敵・ソ連(ロシア)との戦いの歴史でもあった。前出の「冬戦争」でフィンランド軍を指揮し、ソ連の支援を受けた赤軍を撃ち破ったのがカール・グスタフ・エミール・マンネルハイム将軍だ。同将軍は第2次大戦でも軍総司令官として祖国を守り抜いたが、実は、帝政ロシア時代、ロシア軍の師団長として日露戦争に従軍し、乃木将軍と戦ったというから驚きだ。

 フィンランド人はいまもマンネルハイム将軍を救国の英雄として尊敬している。かつて将軍が暮らしたヘルシンキ市内の住居は現在は博物館となっており、将軍に贈られた日本の勲一等桐花大綬章も展示されている。日本とフィンランドのつながりを知ることができる。

■ 井上和彦(いのうえ・かずひこ) 軍事ジャーナリスト。1963年、滋賀県生まれ。法政大学卒。軍事・安全保障・外交問題などをテーマに、テレビ番組のキャスターやコメンテーターを務める。航空自衛隊幹部学校講師、東北大学大学院・非常勤講師。著書に『国防の真実』(双葉社)、『尖閣武力衝突』(飛鳥新社)、『日本が戦ってくれて感謝しています-アジアが賞賛する日本とあの戦争』(産経新聞出版)など。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20141001/dms1410011140007-n1.htm