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2014/04/02 0:22
産経新聞が、慰安婦問題がいかに出鱈目に国際的に作り出されていったか、国連人権委員会に提出されたクマラスワミ報告書の出鱈目を含め、よく追っています。以下、記事抜粋。 — 《【歴史戦 第1部 河野談話の罪(1)後半】「奴隷狩り」というフィクションから始まった誤解の連鎖、日本攻撃の材料に》 慰安婦問題が今日のような国際問題となった発端は、フィクションをまるで事実であるかのように描き、「私は奴隷狩りを行った」と書いた昭和58年の吉田清治の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』にある。吉田の証言は1996年に国連人権委員会に提出されたクマラスワミ報告書でも引用されている。 この本は後に現代史家の秦郁彦による韓国・済州島での現地調査や地元紙の済州新聞の報道などで全くの虚偽だったことが判明する。だが、それまでに朝日新聞など多くのメディアが事実だとして取り上げ、「慰安婦強制連行説」や「性奴隷説」、全く関係のない女子挺身(ていしん)隊との混同が広まっていく。
2014/04/01 23:46
現実的な新三原則が決まりました。 — 《【防衛装備移転三原則】武器輸出新原則を閣議決定 国際共同開発を促進》 政府は1日、実質的な全面禁輸方針とされる武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。防衛装備品の第三国への移転に際し、政府に義務付けられている事前同意の手続きで例外を設け、国内企業の国際共同開発・生産への参加を促進する。 新原則は(1)国連安保理決議の違反国や紛争当事国には移転しない(2)平和貢献・国際協力の積極推進や我が国の安全保障に資する場合に限定し移転を認め、透明性を確保しつつ厳格審査(3)目的外使用および第三国移転について適正管理が確保される場合に限定-の3本柱で構成される。 慎重な審議が求められる重要案件は政府の国家安全保障会議(NSC)で輸出の可否を判断。輸出する場合は結果を公表する。それ以外の装備品の輸出件数や輸出先などの全体像も年次報告書として公表し、透明性を確保する。 (関連) 《防衛装備移転三原則の要旨》 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/plc14040110540024-n1.htm 《新原則で3つの前進 飛行艇輸出、国際共同生産、国連に提供…》 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/plc14040121270032-n1.htm
2014/04/01 22:54
インターネットを活用される方は、知っておいた方が良いかもしれません。以下、記事抜粋。 — 《YouTubeを観て著作権違反!?》 川原 俊明 既にご存じの方も多いと思いますが、著作権法の平成24年改正により、違法なインターネット配信から、販売や有料で配信されている音楽や映像を違法配信と知りながらダウンロードする行為が刑罰の対象となりました。 今回はこの「改正のポイント」について解説したいと思います。 1 平成24年改正までは、販売や有料配信されている音楽等を違法にアップロードする行為が刑罰の対象とされ、これを私的利用目的(自宅鑑賞のため等)でダウンロードする行為については、刑罰の対象にはなりませんでした。 しかし、今回の改正によって、たとえ、私的利用目的であっても、違法にアップロードされたものであると知りながらダウンロードする行為も、刑罰の対象になりました。 具体的には、 2年以下の懲役若しくは200万円以下の罰金に処し、又はこれに併科するものです。 ただし、親告罪とされていますので、誰かから告訴されない限りは、処罰されません。 では、私たちがYouTube等の動画投稿サイトで、音楽や映像を観る行為は処罰の対象になるのでしょうか。 動画投稿サイトでは動画をダウンロードしながら再生するという仕組みにより、動画を閲覧できるもの(プログレッシブダウンロードと呼ばれている)があります。 文化庁の見解によれば、この仕組みでの閲覧は、電子計算機における著作物利用に伴う複製にあたり、著作権を侵害しないものとして処罰の対象にならないと解釈されています。 2 また、家庭内で使用する目的であっても、アクセスコントロール技術の施されたDVDやCDからデータを吸い出すことは、規制されることになりました。 ただし、この点については、刑事罰は規定されていません。 なかなかややこしいですね。
2014/04/01 22:36
「偽」東京裁判を強行した連合国が出鱈目であったのと同様、朝日新聞、東京日々新聞、京都新聞といった新聞、森村誠一をはじめとする作家の、戦前・戦後を通じた捏造作文も出鱈目でした。以下、記事。 — 《「南京大虐殺はなかった」を読む③》 平井 修一 ■虐殺論者とそのウソ(1) 日本人で「虐殺はあった」と主張する人を一応「虐殺論者」と呼ぶ事に致しますが、この中には新聞記者、学者、評論家という人達、それともう一つは戦争に行った兵隊、下士官、将校がおります。 そういう人達の虐殺論がいかにウソでありデタラメであるかをこれからご説明します。 (1)まず、当時の従軍記者の例をあげます。当時南京には、新聞各社の記者が100名以上もおりました。 イ)朝日新聞の今井正剛記者という記者が「南京城内の大量殺人」という本を書いております。大阪毎日(当時)の後藤記者が、 「あなたはとんでもない事を書いていますね」とただしたところ、今井記者は「あれは興味本位で書いたのだ」と白状しています。朝日の同僚の記者は、「今井君は危険な前線に出て、目で見てものを書く人ではなく、後方で人の話を聞いて記事を書くのが上手であった」と批判をしております。 ロ)東京日々新聞の鈴木二郎という記者は「私は12月12日に中山門より入城した。後続部隊が次々に中山門上で万歳をし、写真を撮っていた。中山門の上では盛んに捕虜が虐殺されていた」と証言しております。 作家の阿羅健一氏が「あなは12月12日に中山門に入られたのですか。それは13日の間違いではありませんか」と問い正したのにも拘わらず、「いや、私は12日に入って、現実に捕虜が殺されるのを見たんだ」と譲らない のです。 12月12日には、私は先ほどお話したように、中山門正面約2キロ手前の溝山の山頂にいました。双眼鏡で中山門の城壁がやっと見えたのですが、敵兵がいっぱいおりました。 一体いつになったらあれを占領できるのかと、その時思ったことを私ははっきり覚えています。 そんな時期に、一新聞記者がどうして中山門に入るのでしょうか。中山門の高さは約10メートル、厚さ20センチの扉はったり閉まっており、しかも門の内側には土嚢(どのう)がいっぱい積み上げられてありました。 13日の未明、我が歩兵20連隊が砲撃によって崩れた城壁をよじ登って占領し、私は15日に中山門に入ったのですが、ここで捕虜が虐殺されたような形跡は全くありませんでした。 要するに、鈴木二郎という記者の証言は、全くのウソであります。 ハ)東京日々新聞の浅海一男という記者が「百人斬り」という記事を書いています。 京都の9連隊の野田、向井の2人の少尉が、上官から「どちらが早く百人を斬ることが出来るか競争せよ、勝者に賞を与えよう」と命じられ、2人が百人斬りを競ったというものでありますが、これが全くのウソであります。 第一に、軍隊で戦争の真っ最中に、上官が将校にかかる競争を命じ、勝った方に賞をやろうなどと言うこと、また将校もそんなエサで釣られるようなことは、軍隊の常識としてあり得ません。 その時の上官であると言われている富山大隊長も「そんな馬鹿なことがあるものか」と、ハッキリ否定しておられます。 さらに野田少尉は大隊副官、向井少尉は大隊砲小隊長であり、両方とも部下が銃剣を持って敵陣に突入する部隊の指揮官ではありません。そういう将校に、敵に突入して百人斬りを命ずる馬鹿がいるでしょうか? そういう作り話がまことしやかに書かれ、そのために両少尉は戦犯にされ、処刑されたのです。 東京裁判の最中に、向井少尉の家族が、浅海記者にあの記事はウソである、作り話であるということを証言して欲しいと懇願していますが、浅海記者は逃げ回ってその証言を回避しております。 私は、彼が2人の若い将校を殺したのも同然だと考えております。 (2)次に、戦後に参戦者の手記、日記、インタビュー等から、盛んに「虐殺」を言っている記事で、その取材の仕方が全く偏向したものである例を挙げます。 まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。 場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨している例もあります。 また、証言者が「中隊の軍紀は非常に厳正でありました」などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。 自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。 宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮で買ったものであると、読者が抗議しています。 また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。 そのような記事について「そんなことはあり得ないことである」と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段なのです。 都城連隊関係者が、朝日新聞に対して名誉毀損の抗議訴訟を起こして朝日が敗訴した件(平井:後日詳報)、京都新聞の無責任な記事に対する歩兵20連隊第3中隊の抗議に対する態度、また「平和のための京都の戦争展」の朝日新聞の記事に対し私が抗議しましたが全く無回答、これが新聞の態度です。全く礼儀知らずと言うほかありません
2014/04/01 22:11
「南京虐殺」をでっちあげた東京裁判(極東国際軍事裁判)の違法性、出鱈目さについて、知らない人がまだ多いですね。偏向したマスメディア、政治家のだらしなさのせいでもあります。以下、記事抜粋。 — 《「南京大虐殺はなかった」を読む②》 平井 修一 また裁判の運営についても、 (1)偽証罪の無い裁判であったこと。 (2)検事側の証言は明瞭な偽証であっても無批判に採択し、弁護側の証言は多くは抹殺されたこと。 (3)公正なるべき判事が安易に検事に同調し、検事と全く同じ立場で運営していること。 (4)弁護人の原爆投下の責任追及、ソ連の不法参戦の追及を、裁判長が「本裁判に関係無し」として発言を封じたこと。 (5)判決は11名の全判事合議によるべきにも関わらず、一部多数派の偏見的意見のみにより判決を強行しております。 「南京大虐殺」に関する検事側証人のデタラメな証言は、偽証罪が無いのですからことさらに被害を大きく、いわゆる白髪三千丈的証言がなされ、弁護人の反対尋問によってそのウソが暴露され、証言した証人や、それを採用した検事がむしろ恥をかき、失笑をかったという事さえありました。 (1)アメリカ人牧師マギーの証言は、日本軍の殺人、強盗、強姦、放火など、聞くに耐えない証言を1日半かけて行いました。 これに対してアメリカ人のブルックス弁護人が反対尋問したところ、マギーの証言は、実際目撃したのはわずか2件で、ほとんどが噂を伝え聞き、憶測、はなはだしきは自分勝手な想像に過ぎない事が暴露されています。 (3)中国人の証言に至っては、全く白髪三千丈という証言であります。宗教団体の紅卍字会副会長の許伝音という者の証言は、「自分は4万3千人の死体を運搬して埋葬した」と言い、また「34万人が殺害され、4千軒の家屋が焼き払われた」とも言っております。 しかし南京城内には、平時は100万人位の人口があったらしいのですが、大部分は戦禍を避けて避難をしておりまして、当時は精々15万人位であったろうというのが、割合確実な数字です。それを34万人殺害されたと言っている。 家を4千軒焼かれたと言いますが、12月13日に占領した南京に、私は15日に入りそれから約1ヶ月余りいたわけですが、その間に1件の火事も焼け跡も見ておりません。 (4)崇善堂という慈善団体が、約15万から20万の死体を埋葬したと証言しています。 だいたい戦闘が終わりますと、作戦をした軍隊は一応「戦場掃除」といって、敵味方の区別なく戦死者の遺体を片付けるのが軍事常識なのです。我が軍がそういう片付けをしているのに、そんなに多数の死体を埋葬したということはとても考えられないのであります。 同時に、そんなに多数の死体を埋葬するには、一体どんなに大きな穴を、あるいはどんなにたくさんの穴を掘れば良いと言うのでしょうか? 考えただけでもウソだとお分かりになるのでしょう。 さらに東京裁判の判決は、全くデタラメ、支離滅裂のものでした。 第一に広田弘毅という方が軍事参議官の職にあったということで絞首刑になっております。軍事参議官というのは軍人の、しかも大将、元帥の古参の人だけが任じられる職であるのに、外務大臣であった文官の広田弘毅がその職にあったということで処刑されている。 あるいは陸軍大臣であった荒木貞夫という方は、なったことのない総理大臣の肩書きで判決をされております。 またインドのパル判事は裁判中から「日本無罪論」を唱えておりましたが、判決では一切無視されたばかりか、これを印刷することも頒布することも禁止されました。 このように東京裁判の不当な事は、後になって裁判の管轄権者であったマッカーサーでさえ、解任後帰国して大統領トルーマンに対し、東京裁判は誤りであったと告発し、又主席検事であったキーナンも東京裁判論告や判決は厳しすぎたと言っております。 その他、英国国際法権威ハンキー卿、米連邦裁判所ダグラス判事、米国際法学者マイニア博士を始め、独・英などの国際法学者、哲学者などもその不当性を厳しく批判をしており、今やそれは近年国際法学界の共通の認識になっております。 然るに現在の日本の状態はどうですか。 半世紀以上経ってすでに独立国であるにも関わらず、いわゆる進歩的と称する学者、文人、評論家、マスコミの多くは依然として「東京裁判史観」という麻薬に犯されたまま、「東京裁判は正しかった、南京大虐殺はあったのだ」と言っているのです。