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2015/02/13 22:23

2015/02/13

《中国ウソのヒット作 南京30万人大虐殺は不可能で捏造だらけ》 2015.02.13 ZAKZAK  戦後70周年を迎える今年、中国はあの手この手で日本に歴史戦を仕掛けてくるだろう。しかし恐れる必要はない。ここに並べた最低限の知識さえあれば、中国が喧伝するデマなどあっさり論破できる。  中国のウソの中で「最大のヒット作」(評論家・黄文雄氏)が南京大虐殺だ。  中国は、1937年12月13日に日本軍が中華民国の首都南京を占領後、6週間以内に30万人以上もの中国人を殺害したと主張するが、明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏は否定する。  「当時の南京の人口は20万人であり、30万人以上殺害するのは不可能。しかも、陥落から1か月後の人口は25万人に増えている。血なまぐさい大虐殺のあった町で人口が増えるはずがない」  その証拠も捏造だらけだ。例えば、虐殺報道に熱心な朝日新聞が1984年8月4日の大阪版夕刊で大虐殺の「動かぬ事実」として掲載し、中国が国際社会に広めた生首写真は、中国軍が切り落とした馬賊の首だった。  亜細亜大学の東中野修道教授の調査では、大虐殺の証拠とされた写真143枚すべてに加工や事実と異なる点が認められた。  さらに衝撃的な事実がある。日本軍による南京大虐殺の様子を記述した書物『戦争とは何か』の著者で英紙特派員だったハロルド・ティンパーリーの「正体」についてだ。  「実はティンパーリーは中国国民党中央宣伝部の顧問であり、党から資金提供を受けていた。『戦争とは何か』は東京裁判に証拠として提出され、裁判の行方に大きく影響したが、その実体は日本の国際的な地位を低下させるために国民党が仕組んだプロパガンダ書です。  実際、国民党国際宣伝処の処長だった曾虚白は自伝で同書について、『宣伝の目的を達した』と自賛しています」(勝岡氏)  ※SAPIO2015年3月号 http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150213/frn1502131540005-n1.htm

2015/02/13 21:46

2015/02/13

《ワルシャワに日本通りができました。》 2015.01.25 在ポーランド日本大使館

2015/02/13 13:41

2015/02/13

日本人が常識とすべき歴史認識をケント・ギルバート氏が解説。同意です。 — 《【ニッポンの新常識】米国人の1人としてPRCに戦勝国を自称されると腹が立つ K・ギルバート氏》 2015.02.12 ZAKZAK  日本人の歴史認識に必ず文句を言う国がある。実は、米国人である私も、日本人の歴史認識には不満がある。今日は私の歴史認識を書く。  「アジア唯一の国連常任理事国は?」と質問したら、日本人の大半が「中国」と答えるだろう。不正解とは言わないが、正確には中華人民共和国である。英語は「People’s Republic of China」。PRCは同国の略称だ。  国連常任理事国とは本来、第2次世界大戦の戦勝5カ国だった。しかし、PRCは1949年10月建国で、終戦時には存在しない。国連加盟は71年である。  大戦時の「中国」とは、蒋介石率いる中華民国(国民党政府)である。だから貴重な文化財は現在も台湾の国立故宮博物院にある。PRCを建国した毛沢東率いる中国共産党軍(八路軍)は当時、ゲリラ組織のようなもので、国民党軍と国共内戦を戦っていた。  PRCの歴史はわずか65年、米国の3割未満だ。世界一歴史の古い日本と比べるとかわいそうだが、3%未満になる。  そんな短い歴史の中でチベットとウイグルに侵攻し、朝鮮戦争と中印戦争にも参戦した。国内では大躍進政策、空中核実験、文化大革命や天安門事件などで甚大な犠牲者を出したとされる。  米国人の1人として、PRCに戦勝国を自称されると腹が立つ。米英仏ソ4カ国は、日本やドイツと戦い、多大な犠牲を払って戦勝国になった。ところが、中国大陸の国民党軍は非武装の日本人居留民は殺しても、日本軍からは逃げ回った。同胞の中国人を殺し、日本軍の仕業にしたものも多いという。共産党軍は散発的なゲリラ戦だけだ。  まともに日本軍と戦うことなく中華民国は政治的理由で戦勝国扱いされた。その後、PRCはロビー活動の巧みさで中華民国を国連から追い出し、常任理事国の地位を得た。中国4000年の謀略史は侮れない。  ところで、ゲリラ組織だった共産党軍が大戦後に軍隊らしく整備され、国共内戦に勝てた理由が意外と知られていない。  中国大陸の日本軍(関東軍)は敗戦で武装解除され、ソ連に全装備を接収された。ソ連はこの装備を共産党軍に与えたのだ。残留日本人のうち、軍人や医師、看護婦らが強制連行され、軍事戦略や飛行機の操縦技術、医療などを教えた。これによって共産党軍は航空隊や砲兵隊、医療班を持つ近代的軍隊になり、国民党軍に勝った。  PRCは建国時から日本人の世話になり、後に日本のODAと民間投資を得て発展した。ところが、今は最大の恩人である日本をプロパガンダで貶め、自然を破壊し、軍事的に脅かしている。  私が、日本人の歴史認識に不満があると言った理由が、ご理解いただけただろうか。 ■ ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150212/dms1502121550003-n1.htm

2015/02/13 13:28

2015/02/13

「偽造カードは、中国のインターネットの掲示板で1枚5万円前後で購入」。「在留カードに切り替われば不法滞在・不法就労は無くなる」という人に、「偽造されますよ」と説明しても理解して貰えませんでしたが、これが現実です。—《偽造の在留カードで、中国人が「永住者」で集団就職》2015.02.12 テレ朝news  偽造された在留カードを所持していたとして、中国人の男3人が逮捕されました。男らは、このカードを使って建築現場で働いていました。  林海容疑者(36)ら3人は10日、横浜市の自宅などで、偽造された在留カードを所持していた疑いが持たれています。警視庁によりますと、林容疑者らの在留資格は日本で働くことができないものでしたが、「永住者」と書かれた偽造カードを使って東京都内の建築現場で働いていました。この現場で働いていた外国人18人のうち、林容疑者を含む10人が偽造カードを使っていたとみられています。偽造カードは、中国のインターネットの掲示板で1枚5万円前後で購入されていました。 http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000044334.html

2015/02/13 13:05

2015/02/13

総額十数億円の被害。日本の数々の大企業が、中国で同様の被害に遭っているが、ほとんど公にはされない。技術を盗まれ、特許を取られたなどと言えば、会社の恥になるから。しかし、情報を隠せば被害を受ける企業は増える一方だ。 — 《中国人産業スパイに遭った…バイオジェニック株式会社の社長が告白》 2015.02.13 livedoor ざっくり言うと ・バイオジェニック株式会社の渡部政博社長が中国人スパイの被害を明かした ・何年もかけて開発した製造技術を、自社の中国人社員に丸ごと盗まれたという ・中国にコピー工場が作られ、同社よりも安価で商品が売られていた 《スクープ! 中国人の「産業スパイ」被害に遭った社長が実名告白「我が社はこうして機密を盗まれた」》  2015.02.13 現代ビジネス 華麗な経歴で家柄も人柄もよく、仕事もできる。いい中国人の人材を採用したと喜んでいたら、それはスパイだった-被害を受ける日本企業が急増している。彼らはどんな手口で入り込んでくるのか。 ■ 一橋大出身の才女 中国でビジネスを始めるに当たってそれなりに勉強して臨んだつもりだったのですが、やられてしまいました。 何年もかけて開発した製造技術を、自社の中国人社員に丸ごと盗まれてしまったんです。そして、知らないうちに中国国内でコピー工場が作られていた。そこの製品が我が社より安価で販売されていて、一時は顧客も奪われてしまいました。 バイオジェニック株式会社の渡部政博社長(56歳)はこう語る。同社は、健康食品などの原料の生産・販売を行うバイオ企業。東京と中国に拠点を構え、従業員は50名。現在は年商約6億円で、健康食品の需要増加と共に業績を伸ばしている。今回、中国人の「産業スパイ」に機密情報を盗まれた経緯をすべて明かしてくれた。 最初のきっかけは、'03年、一人の中国人女性A(当時36歳)を採用したことでした。弊社が扱う製品の一つ、アスタキサンチンの世界市場が拡大する見込みが立ったので、中国に工場を作ろうとしていたのです。ちなみにアスタキサンチンとは、エビやカニ、鮭などに含まれる赤橙色の色素です。強い抗酸化作用があり、アンチエイジングのための化粧品や健康食品の原料として使われています。 中国進出は初めてだったので、地元に広い人脈があって日本語も堪能な人を探していました。そんなとき、古くからの知人(日本人)から紹介されたのがAでした。Aは一橋大学出身で、当時、東京の証券会社で働いていた。「もっとやりがいのある仕事がしたい」と、転職先を探していたそうです。ハキハキとしていて、面接の印象は良かったですね。 経歴だけでなく、出自も申し分なかった。Aの父親は元サッカー選手で、国会議員として30年近く活躍していた人物。母親も、中国の有名なバレーボール選手でした。 両親がそんな有力者ですから、彼女にはスポーツ界だけでなく中国の政財界に幅広い人脈があるんです。中国で工場を立ち上げるときには、Aは大車輪の活躍でしたよ。おかげで国有企業が持っていた遊休地を借りることができましたし、すべて順調に進みました。 そして、中国・雲南省の昆明に工場を設立し、Aを現地法人の取締役副社長に抜擢。'05年に操業を開始しました。そのとき、Aの紹介で現地採用したのがBという男性です。四川大学の生物科学科を卒業し、当時23歳。その翌年、Bの紹介で同級生の男性Cも入社します。二人とも人あたりがよく非常に仕事熱心だったので、信頼していました。とくにBは、中国の工場長に育てようと考えて教育していたんです。 彼らの直属の上司として、現地の工場で仕事を共にしていた同社研究開発部部長の長瀬俊哉氏は、Bの印象をこう話す。 「真面目に仕事に取り組み、人柄もいい男でしたね。細かいところまで自分がきちんと理解するまで質問に来るし、夜遅くまで残って実験をすることもしょっちゅうでした。そのため非常に可愛がっていて、自分が知っていることはすべて教えました。いま思えば、バカでしたね……。でも当時は、不信感を抱くことは一切ありませんでした。月に1度はBの自宅に招かれて食事をごちそうになったり、家族ぐるみの付き合いをするほどの仲だったんです」 それから数年が経過し、工場が軌道に乗ってきた'09年。Aから、突然「会社を辞めたい」と言われました。理由を聞くと、「会社の将来に不安を感じる」と。引き留めましたが、辞めていきました。4ヵ月後、今度は中国工場で働くBも、転職すると言い出した。部長の長瀬と必死で止めたのですが、給料の折り合いがつかなかった。転職先は、うちより1万元(約19万円)ほどいいと言っていた。結局、最後は盛大な送別会をして快く送り出しました。 ■ 裁判当日に裏切られた その翌年、同じ業界の知人から衝撃的な話を聞きました。昆明の郊外に、うちの会社と同じような工場が操業していて、アスタキサンチンを製造しているというんです。しかも、その製品を日本の企業に販売している、と。 すぐに調査に行くと、たしかにそのコピー工場は存在しました。外観は、うちの工場と瓜二つ。企業のホームページには、アスタキサンチンの製造技術で4件の実用新案を申請していると記されていました。内容を調べると、うちが開発した技術そのもの。発明者には、辞めていったBの名前が入っていました。 驚くべきは、出願した日が、Bが辞める3ヵ月前だったことです。Bは在籍中に情報を盗み、実用新案を申請していたわけです。うちの中国工場のパソコンを調べると、新工場を立ち上げるための企画書などが大量に出てきました。残業していると思っていたら、こうした資料を社内で夜ごと作っていたようです。 さらに、コピー工場で作られたアスタキサンチンを日本で販売しているD社(中国企業の日本法人)は、Aが社長を務めていたんです。我が社の得意先にも、うちより安く製品を卸していました。向こうは研究開発費がかかっていないのですから、どう頑張っても価格では勝てるわけがありません。AとBはグルになっていたのです。愕然としました。 アスタキサンチンの培養技術について、我が社はあえて実用新案の申請をしていませんでした。なぜなら中国では、特許や実用新案を取得すると、その技術は誰でも閲覧できるWeb上に公開されてしまうんです。申請者が権利を持っていても、中国では無断で真似されるのがオチですから、技術は秘匿しておこうと判断しました。もちろん、AやBが入社する際には秘密保持契約を結んでいましたが、まったく意味はなかった。 我々は弁護士に相談して、裁判を起こすことにしました。訴えは、昆明市の中級人民法院(地裁)に受理されましたが、正直、勝てる自信はありませんでした。人治国家の中国では正義が勝つとは限りませんから。しかも、コピー工場のある昆明市近郊の石林という地域は観光以外に産業がなく、工場が地元の雇用創出に一役買っていた。石林当局も工場は無くしたくないと思うはずです。 その時期、Bの紹介で入社したCはまだ弊社に在籍していました。裁判に備えて、法律事務所でCの調書も取っていて、Bが新工場の設立を計画していたことなどを証言しています。それは正式な証拠として裁判所に採用されていた。 ところが、裁判の当日に裏切られました。朝8時に私が宿泊していたホテルに車で迎えに来るように、Cに指示していたのですが、何分待っても来ない。仕方なく自分で裁判所まで行くと、なんとCは被告人らと一緒にやって来たんです。前日の夜にBから言いくるめられたようでした。Cをその日に解雇しました。 ■ 日本人とは感覚が全く違う 日本人には理解できない行動だらけですが、彼らは自分たちが悪いことをやっていると思っていないんです。騙されるほうが悪い、という感覚。先方を告訴すると決めたとき、Bから「自分たちの工場に出資してほしい、儲かるから一緒にやろう」という呼びかけがあったほどです。 裁判の直前、Bは我々のところへ来て、「ごめんなさい!」とつたない日本語で必死に謝ってきました。ですが、法廷が開かれると手のひらを返したように言いたい放題。閉廷後、裁判官がいなくなってからまた寄ってきて、「ごめんなさい」と頭を下げる。こいつらは裁判の意味が分かってるのか!?と血管がキレそうでしたよ。 結局、裁判は我々が勝利しました。申請した実用新案の権利は我が社に帰属し、案件受理費用の1000元(約1万9000円)は被告側が負担するように、と判決が出た。被告らは控訴しましたが、高級人民法院(高裁)でも判決は覆りませんでした。裁判官は正当な判決を下してくれたと思います。ただ、日本に有利な判決をしたことで、かなり叩かれたようですが……。 裁判には勝ちましたが、申請された技術は、情報がすでに公開されてしまっています。その結果、また新たなコピー工場が別の者の手によって作られ、稼働しているんです。それはもう止められません。Aも、相変わらず日本でD社の社長をしていて、アスタキサンチンの販売をしています。我が社の被害額は、総額にすれば十数億円になるのではないでしょうか。 今回の事件は、Aが首謀者となりBやCに指示していたようですが、いま思えば、Aにはちょっとおかしい点が数々ありました。 たとえば'08年頃、うちの会社の事業の一部を中国企業に売却するという話が持ち上がったときのこと。中国語での契約書をAに作らせたのですが、相手の中国企業に有利な条件に勝手に書き換えていたんです。結局、売却の話はなくなりました。Aは、その企業と裏で何か取引をしていたのかもしれません。 よく私はAから「社長は騙されやすいから気をつけてください」と言われていたんです。でも、まさかその本人から騙されるとは思ってもいませんでした。 でも、彼女らが最初から技術を盗むつもりで入社してきたのではなかったと思いたいですね。アスタキサンチンの需要が伸びて、「これは儲かる」と思ったから、商売欲が出たのではないでしょうか。私は、中国人が嫌いなわけではありません。被害に遭った我々を応援してくれる中国人もたくさんいました。ただ、日本人とは感覚が全く違うということを知っておくべきでした。 じつは日本の数々の大企業が、中国でこうした被害に遭っているのですが、ほとんど公にはされていません。技術を盗まれ、特許を取られたなどと言えば、会社の恥になりますから。でも、情報を隠せば痛い目に遭う企業は増える一方です。私たちの事例が他の企業に通用するかはわかりませんが、少しでも参考になればいいと思っています。 「週刊現代」2015年2月14日号より http://news.livedoor.com/article/detail/9779537/