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2015/03/28 9:17

2015/03/28

中国主導でまともな運営も審査も期待できず国際経済・金融に混乱をもたらす「ヤクザな金貸し」になる恐れの高いAIIBへの不参加は正しい判断ですし、この機関の行動を厳しくチェックする必要があります。 — 《中国はAIIBで何を狙うのか 拓殖大学総長・渡辺利夫》 2015.03.27 産経新聞  現在の中国経済のありようを端的に表現する用語法は「国家資本主義」(ステートキャピタリズム)である。これを担う主体の一つが、中央政府の直接的管轄下の国有企業群である。「央企」と呼ばれる。120社に満たないこの央企が国有企業15万社の利潤総額ならびに納税総額の6割前後を占め、国家と共産党独裁のための財政的基盤を形成する。  《高い投資依存と過剰生産》  央企の経営幹部には共産党指導部に連なる人々が座し、厚い財政・金融支援を受けて投資拡大を継続する特権的企業集団である。中国が圧倒的な投資依存経済となったのも央企の投資のゆえである。  もう1つの投資主体が地方政府である。中国の地方政府は単なる行政単位ではない。傘下の国有企業、銀行、開発業者を束ねる利益共同体である。地方政府は企業投資やインフラ投資、銀行融資に関与し、外資系企業の導入にも大いなる力を発揮している。シャドーバンキングとして知られる理財商品を開発して大量の資金を吸収し、これを不動産・インフラ投資に回すのも地方政府である。  資源、エネルギー、通信、鉄道、金融などの基幹部門における央企の投資に地方政府による不動産・インフラ投資が加わって、中国は先進国のいずれもが過去に達成したことのない極度に高い投資依存率の国となった。  その半面が家計消費という最終需要の低迷である。最終需要の裏付けのない投資拡大はいずれ限界を迎える。中国は所得分配の最も不平等な国の一つである。可処分所得に占める最終消費比率の高い低所得者層に所得が薄くしか分配されないために家計消費が盛り上がらないのである。胡錦濤政権は階層間で均衡の取れた「和諧社会」の実現を求めたものの、この間、所得分配は逆に不平等化してしまった。  高い投資依存の帰結が過剰生産能力の顕在化である。とりわけリーマン・ショック後の大規模な景気刺激策は深刻化していた鉄鋼、電解アルミ、鉄合金、コークス、自動車などの過剰生産をもはや放置できない状態としてしまった。  《窮地脱出のための海外戦略》  指導部もこの事態を憂慮し「発展方式の転換」が胡政権以来のスローガンとなった。3月15日に閉幕した全人代(全国人民代表大会)で李克強首相が表明した「新常態」とは、要するに投資依存型の経済成長のこれ以上の追求は不可能であり、7%という近年の中国には例のない低成長率を「常態」(ノーマル)だと認識しようという提案である。記者会見で李首相はしかし、7%といえども実現は容易ではない旨を発言した。  その意味するところは、一方には、央企と地方政府という強固な利益集団の投資拡大衝動を抑制することは難しく、また成長鈍化にともなう雇用機会減少への国民の不満に火を点けてはならないという事情がある。他方には、投資依存経済をこれ以上放置すれば、資本ストック調整という反動不況リスクがますます高まることへの恐れが強い。ぎりぎりの妥協が7%なのであろう。  窮地を脱するための方途が、習近平政権によって打ち出された海外戦略である。輸出と外資導入によって積み上げられた4兆ドルという突出した外貨準備を原資として、拡大の一途を辿るアジアのインフラ建設需要に応じるための国際投資銀行の創設を図り、これを中国の過剰生産能力のはけ口とし、併せて中国企業の海外進出への道を開こうという戦略である。  「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)の設立が急がれた理由である。昨年7月に合意された、BRICS銀行と通称される「新開発銀行」(NDB)も同様である。  AIIBの資本規模は1000億ドル、出資額は参加国の経済規模に応じるとされ、中国の出資規模と発言権が際だって大きいものとなろう。AIIBには、東南アジア、中央アジア、中東の国々に加えて、先進7カ国(G7)からも英国に続いて独仏伊が参加を表明した。国内的矛盾の解消という不可避の政策課題の解決策を、中国の勢力圏の拡大につなげるというしたたかさを習近平政権はみせつけたのである。  世界銀行やアジア開発銀行(ADB)の高いハードルの融資基準に「中国基準」をもって臨み、周辺諸国のインフラ建設需要に迅速に対応することをもって旧来の国際金融秩序に挑戦するという戦略があらわである。  環境劣化と所得分配の不平等化を続ける中国が、巨大な「国家資本」をもって新たな秩序形成者として登場するというのも奇妙な構図だが、それゆえにこそ中国の力量を軽視してはならない。  中国の膨張、日米の力量の相対的減衰をこれほど端的に示した事例は近年ない。オバマ政権の「内向き志向」、遅すぎた安倍晋三政権の登場のスキをみごとに突かれてしまったのである。かかる帰結にいたらしめた日米の指導者の自省は徹底的でなければなるまい。(わたなべ としお) http://www.sankei.com/column/news/150327/clm1503270001-n1.html

2015/03/27 12:09

2015/03/27

《【歴史戦WEST】「南京大虐殺30万人説」 日本にも歴史〝ねじ曲げ〟放置した重い責任 元兵士証言から浮かぶ歴史の真実》 2015.03.27 産経新聞 日中戦争に参加した元陸軍第5師団歩兵第21連隊の下垣定信さんが残した軍隊手帳(手前)とメモ帳。軍規が厳しかった日本軍の一面が浮かび、いわゆる「南京大虐殺」のような無秩序な殺戮行為を下垣さんは戦後も否定していた  昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、約6週間から2カ月間にわたって多数の敗残兵や住民らを殺害したとされる「南京事件」。犠牲者の規模や事件の存否を含めて論争があるが、中国は犠牲者数を30万人と主張、日本軍の〝蛮行〟として声高に喧伝している。しかし、陥落直後の南京にいた日本軍の元兵士に取材すると、「南京大虐殺30万人説」とは異なる様相が浮かび上がる。「陥落後の南京は和やかだった」「虐殺はでっち上げ」-。「反日」という政治的思惑を帯びた中国の攻勢に負けず、元兵士らの証言をはじめ当時の史料や状況を冷静に検証し、歪曲(わいきょく)・誇張に満ちた歴史を是正する必要がある。「日本を取り戻す」を旗印に政権を奪還した安倍晋三首相は2月、南京事件に対する海外からの誤った批判に正当な理解を得るよう発信していくと明言した。この「歴史戦」に敗れれば、日本の名誉は永遠に汚され続ける。(歴史戦WEST取材班) ■ 「城内に遺体はなかった」  「城内は空っぽでした」。昭和12年12月13日の南京陥落後、南京城に入った城光宣(じょうこうせん)さん(99)に昨秋、城内の様子を尋ねた際の第一声だ。  兵士はおろか、住民の姿さえいない無人地帯だったというのだ。住民たちは、欧米人らでつくる国際委員会が城内に設けた非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。  城さんは熊本で編成された陸軍第6師団歩兵第47連隊に所属する獣医務曹長。第6師団も加わった南京攻略戦の戦闘には直接参加していないが、戦闘部隊と行動をともにし、間近で様子を見てきた。南京は他地域と同様に外敵の侵入を防ぐ目的で周囲を堅固な城壁で囲まれていた。城内の面積は約40平方キロメートルと広大だった。  12年12月10日に始まった南京総攻撃。第6師団は南京城南側から攻撃に加わった。「砲で徹底的に敵をたたいて、収まったころ、壁にはしごをかけて日本の兵隊がよじのぼって占領していったとです」  城さんは77年前の様子を克明に語った。城内で中国軍の遺体を目撃したかどうか尋ねると、首を横に振って否定した。それでも上海から南京まで進軍する途中では道端で中国軍の遺体を目にしたという。「そりゃ交戦しながら進むけん、こっちもあっちにも遺体はありました」  南京への進軍途中にも「日本軍は虐殺行為を働いた」とも言われるが、城さんは「女や子供、年寄りの遺体はみたことはなか」と明確に否定した。  南京攻略時の師団長は戦後の南京軍事法廷で、「南京虐殺の責任者」との罪で戦犯となり、処刑された。虐殺はあったのか否か。同様の質問を繰り返したが城さんは憤りを交え、同じ答えを繰り返した。  「30万人も虐殺したというのはでっち上げですたい。人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」 ■ 日本兵相手に商売も  《日本軍は南京占領直後から1カ月で2万の強姦事件を起こし、6週間で20万人を虐殺し、暴行や略奪の限りを尽くした》  戦後の東京裁判判決はこう認定した。さらにこうも断定した。  《何ら口実もないのに中国人男女や子供少なくとも1万2千人を最初の2、3日で殺害し、死体は大通りに散乱した》  元兵士が見た南京はどんな様子だったのか。  「とても戦争中とは思えなかった。南京は誠に和やかに尽きるという印象でした」。占領後最初の6週間の一時期を城内で過ごした元海軍第12航空隊の3等航空兵曹、原田要さん(98)はこう振り返った。  陥落後、城内の飛行場に降り立った原田さんの印象に残るのは、日本兵を相手に露店で商売を始めるなど日常の生活を営む住民らの姿だった。  この証言には重要なポイントがある。陥落後間もない城内では、すでに住民による露店が立っていたという点だ。  南京攻略戦で城内に残った住民らは一時、非武装中立地帯の「安全区」に逃げ込んだが、日がたつにつれ安全区から出てきて平穏さを取り戻している。原田さんの目にはそう映った。  中国が喧伝する「南京大虐殺30万人説」が事実ならば、当時は城内で日本軍による住民への虐殺や暴行、強姦が繰り広げられていたはず。そんな阿鼻叫喚の現場で、和やかに敵兵相手に商売をすることがあり得るだろうか。  平成19年12月、東京で開かれた「南京陥落70年国民の集い 参戦勇士の語る『南京事件』の真実」でも、8人の元将兵が同様の証言をしている。  「敵兵は1人もおらず、城内はガランとして人影がなかった。100メートルほど行くと、1人の老婆が紙で作った手製の日の丸でわれわれを歓迎してくれた」(12年12月14日に入城し、すぐに城外で宿営した元陸軍第6師団歩兵第13連隊の伍長、古沢智氏)  「入城して2~3日後、住民の姿をみかけるようになり、時計の修理のため時計屋を訪れた」「3回ほどサイドカーで城内をくまなく見て回ったが、遺体や虐殺の痕跡は目にしなかった」(12月16日に入城した元陸軍第16師団の獣医少尉、稲垣清氏)  「12月14日ごろには(城内に)散髪屋や立ち食いそば屋など、早くも住民が商売を始めていた」(安全区で掃討・警備を担当した元陸軍第9師団歩兵第7連隊の伍長、喜多留治氏) ■ 日本兵を悩ませた「便衣兵」  平穏を取り戻した城内でも、日本兵にとって掃討すべき〝脅威〟があった。民間人に偽装し、隠れ戦闘員として日本兵らを襲った中国の「便衣兵」だ。  3等航空兵曹の原田さんは、便衣兵を処刑する場面を見たことがあった。  休暇で南京城の北を流れる長江(揚子江)の河畔に行ったとき、日本陸軍の兵士らがトラックに乗せてきた中国人の男10人ほどを銃剣で突いたりした。川の中に逃げ込んで撃たれたり、泣きながら命ごいしたりする男もいた。  原田さんは言う。「虐殺と言われれば虐殺かもしれない。でも便衣兵はゲリラだ。日本兵がやられる可能性もあった」  当時、日本軍は南京だけでなく、各地で便衣兵に悩まされた。堺市在住の元海寿祐さん(51)は、日中戦争で出征した父、寿一さん=平成2年に72歳で死去=から便衣兵に出くわした体験談を聞いたことがある。  寿一さんが出征先で仲間と歩いていて、怪しい中国人の男を呼び止めた。男は便衣兵だった。走りながら腋の下から銃口を向け、仲間が撃たれて負傷した-。  元海さんは「父は戦場の現実は悲惨なものだと言っていた」と振り返り、南京事件についてこう話した。  「『大虐殺』で言われるようなことをやればすぐ情報が広まる。(将兵は)処分されるはず、と大虐殺説を否定していた」 ■ 「ギャクサツヲ禁ズ」  「南京大虐殺30万人説」で言及される日本軍の残虐性。しかし、軍には厳しい規律があったという数々の証言もある。  「十月五日 大隊長注意 リャクダツ、ザンサツ禁ズ」  昭和12年に日中戦争に参加した元陸軍第5師団歩兵第21連隊の下垣定信さん=平成8年に83歳で死去=が所持していた手帳には、上官からの命令が日付とともに記されている。  「上官も厳しかったし、軍紀も厳しかった。自分勝手は許されなかった」。生前、下垣さんは長男(75)にこう話したという。南京攻略戦には参加していないが、日中戦争勃発直後に出征した際の体験談だ。  北京近郊の河北省のある城内に駐留していたと思われる同年9月2日の記述がある。「将校注意 便衣隊(兵)ニ注意 衛兵務ム者ハ城門出入者ノ身体検査、但婦人ヲ除ク」  10月1日には、「自ノ銃ヲ以テブタ、ニハトリ等ヲ射殺モ他ニキガイヲオヨボスノオソレアルヲ以テ厳ニ注意ヲ要ス」。  同月4日は「連隊注意 一、現在地付近ハ住民居存有ルニ付キギャクサツヲ禁ズ…」と記されている。  長男は「手帳を見ていると、日本軍は決して無秩序な軍隊ではなかった。父も戦後、『南京大虐殺』を否定していた。今の状況は悔しい」と語る。  中国は毎年12月13日、南京市の南京大虐殺記念館で犠牲者の追悼式典を行ってきたが、習近平政権は昨年、「国家哀悼日」に〝格上げ〟。米国の公立高校の世界史の教科書では、南京事件の犠牲者を「40万人虐殺」と歪曲されていることも明らかになっている。 ■ 東京裁判で「自虐史観」すり込まれ  南京攻略戦は東京裁判で突如として「南京大虐殺」に変貌した。その後、中国側は「30万人を虐殺した」と世界に向けて喧伝し、今も日本をおとしめる格好の材料としている。日本国内で30万人説を支持する声は極めて少ないものの、「虐殺があった」とする説は多く、数百~20万人と幅がある。事件の存在すらないという「否定説」もある。  拓殖大の藤岡信勝客員教授は「当時の記録にもあるように一部の非行兵士による犯罪行為はあったが、日本軍が組織的に民間人らを虐殺したということは事実として確認できていない」と語る。 […]

2015/03/26 15:27

2015/03/26

私も、スピーチをさせて頂く事になっております。是非、お越し下さい。

2015/03/25 19:32

2015/03/25

《【ニッポンの新常識】日本の学校で量産している「国歌を歌えない国民」は恥 K・ギルバート氏》 2015.03.18 ZAKZAK  「東京マラソン2015」(2月22日開催)で、私が所属する六本木男声合唱団倶楽部(六男)は、毎年恒例の「君が代斉唱」を行った。  ときどき、「米国人なのに君が代を歌えるんですか?」と聞かれるが、トータルで37年も日本に住んでいたら、歌えて当然だと思う。各種イベントの国歌斉唱で、自分だけ歌えなかったら恥ずかしいではないか。  ところで、君が代の変遷をご存じだろうか。  六男の団長でもある作曲家の三枝成彰氏によれば、明治3(1870)年に英国人のフェントンが作曲した初代は、日本語になじまず6年後に廃止された。  明治13(80)年に、宮内省式部職雅楽課と海軍省で作った2代目が現在の君が代だが、邪魔が入る。  文部大臣の森有礼(ありのり)が、米国人のメーソンに賛美歌(英国人ウェッベ作曲)ベースの3代目を作らせ、文部省唱歌として推奨したのだ。明治22(89)年の大日本帝国憲法発布の際は、3代目が歌われた。  しかし、森大臣が暗殺されて3代目は後ろ盾を失い、2代目が復権したのである。  明治36(1903)年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で1等を受賞しただけあって、完成度は2代目が最高である。  六男はコンサートで全部を歌うことがあり、私は当然3つとも歌える。  さて、米国人の私が歴代の君が代を全部歌えるのに、日本にずっと住む日本人に君が代を歌えない国民が相当いる。この現状は、はっきり言って日本の恥である。  そうなった理由を私はよく知っている。君が代は「先の戦争における軍国主義の象徴だから歌うべきではない」「国歌として認めたくない」などと、子供じみたワガママを言う教師が全国に存在するからである。  税金から給料をもらう公務員たる教師が、憎国的な個人感情やゆがんだ思想を教え子に強制している。「日の丸・君が代をおしつけないで!」と被害者顔で活動しているが、彼らこそ、身勝手な思想信条を子供や地域社会に押し付ける加害者である。  君が代の「君」は天皇を意味し、天皇賛美の歌は良くないという議論もある。ちなみに「君」の意味は複数の説がある。  ところで、英国国歌の題名は『God Save the Queen』。英国女王や王室を賛美し、大絶賛する歌なのだが、日本の国歌に天皇賛美の意味が込められていたとして、何が問題なのだろうか。  日本国憲法は第9条ばかりが話題になるが、第1条から第8条までは天皇に関する条文である。最も重要だから最初に規定がある。元首だろうが象徴だろうが、昔も今も日本国を天皇抜きで語ることは憲法上不可能だ。  余談だが「9条守れ!」と叫ぶ政党の中に、「天皇制をなくす立場に立つ」と掲げている党もある。有権者がこれを「護憲」政党と認識している理由が分からない。  日本の学校は、世界の常識から見たらまったく恥ずべき「国歌を歌えない国民」を意図的に量産している。この問題を政府や自治体は放置すべきではない。 ■ ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150318/dms1503181140003-n1.htm

2015/03/25 19:25

2015/03/25

《【ニッポンの新常識】韓国、変わらなければ1000年経っても先進国ではない K・ギルバート氏》 2015.03.11 ZAKZAK  マーク・リッパート駐韓米国大使が、ソウル市内で開催された朝食会に出席中、刃物で襲われて顔や腕などを負傷した。  韓国人テロリストは、親韓米国人の代表を襲撃した。米国人はあきれると同時に、「韓国はまだ一人前ではない」と、在韓米軍の必要性を再認識した。米国世論は皮肉にも、犯人の思惑とは正反対に動いた。  韓国マスコミは「親北朝鮮主義者による凶行」として片付けようとしているが、私は、犯行の動機や組織的背景以外にも、論じるべき重要な点があると考える。  実行犯である政治団体代表、金基宗(キム・ギジョン)容疑者は前科6犯。2010年には駐韓日本大使にコンクリート片を投げつけた容疑で逮捕され、懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けている。  要するに、彼はテロの前科を持つ要注意人物で、顔も名前も有名な「活動家」だった。ところが、前回の事件後、韓国の反日マスコミは「英雄」のように扱った。  キム容疑者は、日本大使を襲ったおかげで、反日国家の英雄になった。本を出版して有名になり、支援者も増えた。「次は米大使を襲えばもっと英雄になれる!」とでも考えたのだろうか。「第2の安重根(アン・ジュングン)」として後世に名前を残せる可能性すらあると。  韓国世論に存在する「目的が正しければ暴力やウソも容認する」という風潮の中で、彼が妄想を膨らませたとしても不思議ではない。  キム容疑者は、拘束されてパトカーに乗る直前に「戦争反対」と叫んだらしい。戦争反対や平和を叫ぶ人間に限って暴力的であるという奇妙な法則は、日韓共通のようだ。彼らが単純な自己矛盾になぜ気が付かないのか、心から不思議でならない。  仮に、理想や目的が崇高なものだったとしても、無防備な人間を一方的に襲撃するテロ行為は絶対に許してはならない。まして認めたり褒めたりするのは論外だ。  欧米や日本などの先進国では当然とされるこの常識が、韓国社会にはまだ根付いていない。加えて、何かを主張する場合は感情論ではなく、事実や証拠に基づいて論じる必要があるという常識も根付いていない。  産経新聞の加藤達也前ソウル支局長の起訴や出国禁止措置を見る限り、韓国では、検察や裁判所という司法部門ですら、この先進国の常識を逸脱している。それでは「自由と民主主義の価値観」が共有できない未熟な発展途上国も同然である。  もし、私が米国大統領で、加藤前支局長が米国人だったならば、私は韓国に領事裁判権(治外法権)を要求する。  暴力犯罪者を英雄視したり、被害者や被疑者の国籍次第で、法律の適用や政府の対応、マスコミの論調が変化する現状が改善されない限り、韓国は1000年経っても先進国ではない。 ■ ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行っている。最新刊は『不死鳥の国・ニッポン』(日新報道)。 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150311/dms1503111140009-n1.htm