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2015/05/16 5:59
《韓国が非公開で竹島防衛訓練 日本に配慮? 予想される“弱腰”との批判》 2015.05.15 産経新聞 韓国国防省関係者は15日、韓国海軍などが14日から、島根県の竹島(韓国名・独島)周辺海域で非公開の防衛訓練を実施し、15日午前に終了したことを明らかにした。 韓国は近年、半年に1度のペースで同様の訓練を行っており、昨年11月の訓練は公開された。今回は日本側を過度に刺激することを避け、非公開とした可能性がある。 聯合ニュースによると、哨戒艦や駆逐艦など約10隻やP3C哨戒機などのほか、海軍の特殊部隊や海兵隊も参加し、島に接近した外部勢力の排除を想定して訓練を行った。悪天候のため、予定していたヘリコプターで島に上陸する訓練は行わなかった。 聯合ニュースは、軍当局は当初、対外的に強硬姿勢を示していたと指摘。非公開としたことで“弱腰”との批判が予想されると伝えた。(共同) http://www.sankei.com/affairs/news/150515/afr1505150026-n1.html
2015/05/16 5:47
《東証1部企業の利益20兆円超、過去最高に》2015.05.15 読売新聞 東京証券取引所1部に上場する企業の2015年3月期決算が15日、ほぼ出そろった。 SMBC日興証券の14日時点の集計によると、金融を除く企業の税引き後利益は合計で19兆4330億円に達し、リーマン・ショック前の08年3月期を上回って過去最高になった。最終的に初めて20兆円を超えるのは確実で、16年3月期も最高益の更新が見込まれている。 ただ、全体的に海外市場頼みの構図で、国内の消費はふるわない。日本経済が力強く回復するには、企業のもうけが本格的な賃上げにつながり、消費が伸びていくかどうかがカギとなる。 15日までに全体の99%にあたる約1400社が決算発表を終えた。SMBC日興証券の集計では、14日までに発表した1124社(金融を除く)の売上高は前期比4・5%増、本業のもうけを示す営業利益は8・6%増、税引き後利益は8・9%増だった。 http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150515-OYT1T50167.html
2015/05/14 20:32
トゥール・ムハメット 世界ウイグル会議日本・東アジア全権代表『万が一、沖縄が「琉球自治区」になれば、沖縄の人々は私たちと同じ運命をたどるだろう。漢民族は甘くはない。「日本を裏切る沖縄は、中国をも裏切る」と必ず考えるはずだ。』 — 《【ウイグルの真実】領土拡張主義の矛先は沖縄にも 「テロとの戦い」口実に少数民族排除する中国》 2015.05.09 ZAKZAK ★(下) 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は4月上旬、2014年の世界の死刑に関する報告書を発表した。これによると、中国が国・地域別では突出しており、「数千人に上る可能性がある」と指摘。新疆ウイグル自治区で頻発する暴力行為に対し、「テロとの戦い」を口実に弾圧手段として死刑を利用していると批判した。 前回の連載で、ウイグル人は「この世の地獄で生きている」と書いたが、漢民族の支配は非常に巧みで、差別と弾圧は広範囲にわたっている。 「国家統合」の名の下、漢民族の生活様式がウイグル人に押し付けられている。中国語教育が強制され、学校ではウイグル語の使用が制限されている。ウイグル人はイスラム教徒なのに、イスラム的な教育や服装、例えば、男性のあごひげや、女性の顔隠しスカーフは取り締まりの対象になっている。就職でも差別を受け、経済発展から取り残されている。 習近平国家主席率いる中国政府は、どうして、ここまで苛烈なのか。 私には、ウイグル人を民族として抹殺しようとしているとしか思えない。歴史を振り返れば、ウイグル人は侵略者に屈服したことがない。武力で制圧されて一時は従属しても、独立を勝ち取ってきた。「中華民族の偉大なる復興が、中国の夢」だと公言する習主席にとって、ウイグル人の「独立」という悲願は障害でしかないのだろう。 チベット自治区への対応もそうだが、中国の「自治区」は決して自治権を与えるものではない。単に、独立の夢を摘み取る「罠」に過ぎない。中国の究極の目的は、ウイグル人やチベット人など、少数民族のアイデンティティーを抹殺して、漢民族に同化させることだ。これを受け入れる者は生かすが、抵抗すれば「テロとの戦い」などを口実に排除する。単純明快である。 中国は壮大な野望を持っている。アジアにおける覇権の樹立だ。軍事費を増大させ、東シナ海や南シナ海で力による領土変更を強行しようとしている。こうした領土拡張主義の矛先は日本にも向かっており、沖縄が狙われている。 中国共産党機関紙・人民日報は13年5月、沖縄を「明・清両朝の時期には中国の藩属国」「(帰属が)未解決の問題」とする論文を掲載。中国メディアは沖縄での「琉球独立論」にエールを送っている。 ところが、沖縄県の翁長雄志知事は4月に訪中し、「アジアの発展が著しいなか、沖縄が注目されていることを、ぜひご認識いただきたい」「琉球王国はアジアの懸け橋となった」などと語ったという。中国に“屈服”するつもりなのか。 沖縄県民の方々には、ウイグルの悲惨な現状を知ってほしい。万が一、沖縄が「琉球自治区」になれば、沖縄の人々は私たちと同じ運命をたどるだろう。漢民族は甘くはない。「日本を裏切る沖縄は、中国をも裏切る」と必ず考えるはずだ。 沖縄の未来は日本にあり、ウイグルの未来は独立にある。 =おわり ■ トゥール ムハメット 農学博士。ウイグル人権活動家。1963年、ウイグル生まれ。85年、中国農業大学卒。99年、九州大学大学院博士課程修了。新疆農業大学講師、九州大学外国人研究員など歴任し、2000年から民間会社勤務。13年、国際ウイグル人権民主財団日本全権代表、15年、世界ウイグル会議日本・東アジア全権代表。月刊誌『WiLL』などに、ウイグル問題で寄稿。 http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150509/frn1505091000001-n1.htm
2015/05/14 20:24
《沖縄非武装論 宮崎駿氏らに覚悟と戦略はあるのか H・S・ストークス氏緊急激白》 2015.05.14 ZAKZAK 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する動きが目立っている。国内外に移設反対を発信する「辺野古基金」の共同代表に、アニメ映画監督の宮崎駿氏らが就任。沖縄県の翁長雄志知事は今月末から、ワシントンを訪問して米政府に反対意向を直接伝えるという。米紙ニューヨーク・タイムズや、英紙フィナンシャル・タイムズの東京支局長を歴任した、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏が緊急激白した。 辺野古基金の共同代表に、あの有名な宮崎氏が就任したというニュースを聞き、私は「なるほど…」と思った。宮崎氏は「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」との直筆メッセージを寄せたというが、まさに空想アニメか小説次元の絵空事でしかないからだ。 安全保障を少しでも学んだ者なら、沖縄の地政学的重要性は簡単に理解できる。沖縄から半径2000キロ以内に、東京や北京、上海、ソウル、台北、香港、マニラといった東アジアの主要都市が入る。日本を筆頭に、東アジア諸国のエネルギー確保に死活的な「シーレーン」にも近い。 「極東最大の空軍基地」である米軍嘉手納飛行場をはじめ、米国にとって、アジアから中東までの安全保障のベースが沖縄にある。日本のシーレーンは主に米軍が守っている。米軍の沖縄駐留は日米同盟の実効性を確かなものにし、日本の抑止力を高めている。「防衛義務」と「基地の提供」。これが、日米安保条約の双務性だ。 ただ、戦後70年経っても米軍が駐留し、日本の国防を米軍に依存していることが、本当に独立主権国家として日本のあるべき姿なのか、本質的な議論が求められる。占領の呪縛を克服し、日米の同盟をより強化するうえでも必要なプロセスだ。 日本人が本気で、沖縄などから米軍基地を撤退させるというなら、相当の覚悟と戦略が必要だ。米国には、沖縄の基地について「若い米国兵士が血を流して獲得した」という思いがある。映画監督や地方の知事が反対したぐらいで、簡単に手放すとは思えない。 米軍基地撤退には、「自由」「民主主義」「人権」「法の支配」といった普遍的価値観を共有する米国との同盟関係が壊れる懸念や、自国の防衛力を強化するために、現状をはるかに超える防衛経費の捻出を覚悟しなければならない。日本経済にもかなりの負担となる。当然、「戦力の不保持」を定めた憲法の改正も不可欠だ。 宮崎氏や翁長氏らに、そうした覚悟と戦略があるのか。単に「基地反対」「非武装地域化」と唱えているだけでは、沖縄や日本の平和と安全を守ることはできない。 現に、中国は沖縄・尖閣諸島周辺に艦船を連日侵入させて、「尖閣は中国領」「琉球独立を支持する」と主張している。チベットや東トルキスタン(新疆ウイグル)などの周辺国を自治区として取り込んだように、沖縄をも狙っている。 フィリピンでは猛烈な反米運動を受けて、1991年に米軍基地が撤退した。この直後、中国軍はフィリピンが領有権を主張していた南シナ海・ミスチーフ礁などを軍事占拠した。フィリピンでの反米運動は中国に近い華僑が中心になっていたという話もある。こうした歴史的事実を忘れてはならない。 (取材・構成 藤田裕行) ■ ヘンリー・S・ストークス 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。三島由紀夫と最も親しかった外国人記者としても知られる。著書に『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)、共著に『目覚めよ! 日本』(日新報道)など。 http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150514/dms1505141140007-n1.htm
2015/05/14 18:51
《【歴史戦WEST】南京事件「虐殺30万人」に疑念 日本軍元少尉の日記が明かす「士気」と「規律」、中国匪賊の「蛮行」》 2015.05.11 産経新聞 「南京事件」はあったのか、なかったのか-。昭和12(1937)年、当時の中華民国の首都・南京を占領した日本軍が、約6週間から2カ月間にわたって多数の敗残兵や住民らを殺害したとされ、いまだに犠牲者数や存否をめぐって論争が続く南京事件。中国側が「30万人」と主張する犠牲者数は、日本国内では支持する有識者はほとんどいないものの、国を挙げた中国側の執拗な取り組みによって30万人説が国際的に一人歩きしている側面もある。事実はどうだったのか。南京攻略戦から78年を経て、新たに明らかになった元将校の日記や手紙からは規律に満ちた日本軍の様相が浮かび上がる。反日姿勢を強める中国側の喧伝にはますます疑念を抱かざるを得ない。(歴史戦WEST取材班) ■ 「泥の兵隊」日本軍を苦しめた南京への道 歳月の長さを感じさせる黄ばんだ手帳や、封書の束、モノクロ写真…。その数はざっと50点以上はあるだろうか。いずれも約80年前に上海、南京攻略戦を皮切りに日中戦争を戦った陸軍少尉、西山源次郎さんが残した貴重な記録だ。 《毎日十里(約40キロ)余り歩いて、毎朝腰が上がらない。(中略)南京が近くなったので毎日、遊軍機は飛び、攻略戦に早く参加すべく兵の士気があがった》 源次郎さんが手帳に鉛筆でつづった文章からは、昭和12年初冬、当時の中華民国の首都、南京の攻略に向かう日本軍将兵らの息づかいが聞こえてくるようだ。 「父が南京攻略戦に参加していると知っていれば…」。源次郎さんの長男、邦夫さん(78)は父の遺品を手に語る。源次郎さんは平成5年、87歳で死去。18年に母も亡くなり、遺品を整理していた際、父の日記や戦地から母に送った手紙など膨大な資料を見つけた。資料を見て初めて、父が南京攻略戦に参加していたことを知った。 源次郎さんは、慶應大を卒業後、帝国生命(現朝日生命)に勤務していた昭和12年9月に召集された。この年の7月、日中戦争が勃発しており、源次郎さんは陸軍第114師団歩兵第115連隊の小隊長として中国大陸に向かった。 同年12月10日から始まった南京総攻撃。当時の源次郎さんの日記には、鉛筆書きで南京城が陥落した同月13日までの出来事が1~2行、簡潔に記されているだけだが、時折次のような記述もある。 《道がよければ二日か三日で来られる距離と思うに、悪路のため二十日もかかり兵の苦労たるや何とも言いようもなく、泥んこで休憩する場所もなく立ちっ放し。体中どろどろで土の付いていないのは眼だけで、顔をなでると泥が手に一杯取れるほど、正に泥の兵隊であった》 南京への道が、日本軍将兵を悩ませた様子が浮かび上がる。攻略戦に参加した別の元兵士によると、上海から南京への道は主に田園地帯で、悪路を進軍したという。 ■ 南京城…「随分馬鹿げたものを作った」 さらに南京では厳しい戦いを迫られた。戦後に書いたと思われる源次郎さんの手記は、戦闘の激しさを物語る。 《南京南方六里(約24キロ)の秣陵関に到着した。南京城は火災を起こして紅く夜空を染め、砲声も聞こえる。秣陵関を出発すると、野戦病院が仮設されており、多くの将兵が収容されていた。第三大隊だけで三百名が戦死傷した》 源次郎さんらは南京城の南側にある雨花門から迫る。《西山隊も早く第一線に行け、南京もまもなく落ちるだろうと言われ、猛進を続け、吾々のいた壕にも敵弾が盛んに飛んでくる。ここからクリークを渡ると、城壁まで三百米(メートル)、城壁の高さは二十米あり、千二百発の砲弾で城壁を崩し、西山隊も十二日夜城壁をよじ登って突入した。残敵掃討をするが、城内は火災と銃声で声も聞こえない。夜中になって銃声も止み、民家で休憩する》 手記によれば、源次郎さんらが南京城に入ったのは陥落の前日だ。その後、城壁上での警備を命じられ、夜を明かす。空が白み始め、眼下に広大な南京城内が姿を現す。 《南京城は周囲十二里、汽車の線路もありその巨大さに驚くとともに、随分馬鹿げたものを作ったものと呆れる》と心情を記している。 ■ 踏み荒らされた家屋に「惜しい」 日記は数日途絶え、16日から再開する。 この日、雨花門周辺の警備を担当していた源次郎さんは、部下を率いて城壁上を移動。《支那兵の弾薬、迫撃砲弾など夥く、死体も数十ありたり》という状況だった。 午後11時ごろまで任務に就いたが、その間、大隊長から、部隊の団結とともに規律の維持を求められたという。 17日には《午前九時半集合、正午南門を発する予定…(中略)十時には早くも出発》。次の任務地に向かうため南京城を離れた。 自らも航空自衛隊で空将補を務めた邦夫さんは、自身の経験を踏まえ、17日の記述に着目するのだ。 「師団であれば万単位、連隊でも何千人単位で構成されている。部隊は前夜遅くまで警備を行っていたにもかかわらず、急な移動命令でもただちに出発できる態勢を確保していた。このように迅速に行動できるのは、高い士気と規律を維持していたからに違いない」 日記や手記だけでなく、源次郎さんは妻にあてた私信の中でも南京城内の様子について触れている。南京陥落から約1カ月半後の昭和13年1月25日付の手紙にはこうある。 《南京城では千円もするような毛筆を見つけた者や、銀狐や時計、双眼鏡、拳銃、首飾り等々金目の物を大分見つけた者もあるやうです。残幣を何万円も見つけた者があって、将校はいちいち取り締まらなければならないので、困りました》 当時、南京城内にいた住民らは、欧米人らでつくる国際委員会が設けた非武装中立地帯「安全区」に逃げ込んでいた。だが、多くは貧しい人々ばかりで、裕福な住民らは早々に南京を脱出している。 日本軍が富裕層の家から高級品を略奪したとする意見があるが、中国軍の仕業との見方もある。 源次郎さんの記述について、邦夫さんは「陥落直後の城内の掃討作戦中に目にした様子だろう」と推測した上で、「文面からは、部下の略奪を嘆いているのではなく、部下から発見の報告を受け、父はすべてに対応しなければならず困っていたのでしょう。こうした状況からも規律が守られていたことがうかがえる」と語る。 さらに、家の中は中国軍により《書籍や家宝となるやうなものが沢山荒し放題あらされて或いは踏み荒らされ》といった状況で、《惜しいと思いました》と無念さを記している。 ■ 「支那の兵隊」と同一視は「かなわない」 日本軍は南京城内で住民を殺し、ほかの地域でも残虐行為を行った-と中国側は主張する。 しかし、その後山東省や北京近郊などの戦線で任務に就いた源次郎さんが妻にあてた私信からは、日本兵と住民の異なる関係が浮かび上がる。 手紙では、中国人の匪賊(非正規武装集団)と住民の戦闘が絶えず、住民が殺されたり、子供が誘拐されたりする悲惨な出来事が繰り返されているとし、《いくら日本軍が討伐しても、三年や五年で尽きるものではない》と訴えている。 また、住民との関係について《支那では兵隊は良くない人間ばかりなので(住民は)日本軍も同じように考えているのです。兵隊は悪いことをするものという考えがあるからすぐ逃げる。支那の兵隊と一緒にみられてはかなわないね》 だが、日本兵に対する住民の見方は徐々に変化する。 《最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても皆出迎えてくれるほどなのです。日本軍は税金も取らないし、品物も買ってくれると…》 《支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を人質に取る。こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です》 「日中戦争時の日本軍の残虐性を示す」とされてきた当時の写真が、その後の検証で匪賊や中国側によるものと判明したケースもある。源次郎さんの記述からも、中国大陸であったとされる「蛮行」は、果たして日本軍による行為だったのかという疑念すら浮かんでくる。 ■ 日記に「虐殺」記述なし 戦後、源次郎さんは郷里に戻って中学校教員として家族を養った。邦夫さんらには戦場での話をしなかった。戦時中はひげを生やし、いかつい風貌だったが、家族には終始穏やかな態度で接していた。 「父が話したかったことは、残された日記や手紙にすべて収まっている。父らの世代が戦時中のことを語らないのは、言えば自己弁護になるし、語ることを潔しとしない世代だったからではないか」 邦夫さんは父の足跡を伝えようと、日記や手紙などを本にまとめ、子供や孫、親類に配った。 防衛大学校に4期生として入校した邦夫さんが、防大の講義やその後の自衛隊生活で常に求められたのは規律だったという。 「強い軍隊ほど規律の保持が徹底される。逆に軍紀が厳粛だからこそ、戦場という場で能力が発揮できる」と実感を込めて語る邦夫さん。戦後、突如として現れた「南京大虐殺」説に対して疑念をぬぐえず、悔しさをつのらせる。 「もし当時、虐殺といった不当行為を目撃していれば、父は真実を日記や手紙に書き残していただろう。日記からはそんなことはうかがえない。物理的に30万人を虐殺するのは無理なのに、戦後の大きな風潮のうねりの中で歴史の歪曲に染まってしまった」 勝者が敗者を裁き、勝者が主張する虚構と欺瞞に満ちた歴史観がまかり通る戦後の国際社会。歴史の真実を明らかにすることは、源次郎さんら多くの日本軍将兵らとともに日本の名誉を回復することにほかならない。 http://www.sankei.com/west/news/150511/wst1505110006-n1.html