長久保赤水作、「日本図」(1760年代)、「改製日本扶桑分里図」(1768年)は、竹島の日本領有を示す代表的な地図です。以下、記事抜粋。
—
《竹島問題は「論より証拠」 領有示す最古地図 江戸期学者の子孫を顕彰へ》
竹島(島根県隠岐の島町)を最初に記した日本地図の製作者で江戸時代の地理学者、長久保赤水(ながくぼ・せきすい 1717~1801年)を顕彰しようと、島根県などが22日に松江市で開く「竹島の日」式典で、資料提供した子孫を表彰することが分かった。赤水の地図は、日本が竹島領有を主張する根拠の一つになっており、関係者は「赤水を再評価する契機になれば」としている。
赤水の日本地図「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版、通称・赤水図)は、竹島を「松島」、鬱陵(うつりょう)島を「竹島」と記し地図に記載。外務省は赤水図を、日本領有を示す代表的な地図としている。
昨夏、茨城県高萩市に住む子孫の長久保甫(はしむ)さん(74)が持ち込んだ資料から、赤水図より前に赤水自身が作った「日本図」(1760年代)と「改製日本扶桑分里(ふそうぶんり)図」(1768年)を島根県の竹島問題研究会が確認。いずれも竹島が記され、赤水が早くから竹島を認識していたことが裏付けられた。