大韓帝国が外交権を有していた1899年の『大韓地誌』は、「大韓帝国の領域は北緯33度15分~42度25分、東経124度30分~130度35分」としています。竹島の位置は東経131度52分。つまり、「韓国の領域は鬱陵島まで」と明記しています。以下、記事要約。
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《消したくても消せない真実。韓国の最初の教科書が断言!韓国の領土は鬱陵島まで》
大日本帝国は、1905年の第二次日韓協約(乙巳保護条約)により大韓帝国の外交権を接収しました。1899年には、韓国には外交権がありました。その時期の大韓帝国の最初の地理の教科書『大韓地誌』に、「大韓帝国の領域は、北緯33度15分~42度25分、東経124度30分~130度35分」、即ち、東経131度52分の竹島は領域外、と記載しているのです。そして、「日本海」と何度も記述しています。
更に、日本の敗戦後(1945年以降)の史料においても、
■ 1947年『朝鮮常識問答』(韓国の常識Q&A)
韓国の領域は、東経124度11分~130度56分23秒と記載。
竹島は東経131度52分。
■ 1948年『朝鮮常識』(韓国の常識)
「韓国の極東の島は東経130度56分23秒の竹島(竹嶼、チュクド)だ」と記載。
※チュクド(Chukdo)は鬱陵島の北東に付属する小島。この「竹島(チュクド)」は「独島(ドクド)」ではありません。
竹島(独島)は、東経131度52分。
http://koreanworld3.web.fc2.com/enjoylogs2/2007-12/20071211-192940.html
(関連)
《Dokdo-or-Takeshima?》
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.jp/2007/11/1894-1948-korean-territory.html
1894(明治二七)年 – 大田才次郎「新撰朝鮮地理誌」:130度35分
1894(明治ニ七)年11月 – 水路部(現・水産庁)「朝鮮水路誌」:130度35分
1901(明治三四)年 – 恒屋盛服「朝鮮開化史」:130度35分
1903(明治三六)年1月 – 東京 黒龍会 葛生修吉「韓海通漁指針」:130度35分
1904(明治三七)年7月 – 岩永重華「最新韓国実業指針」:130度35分
1905(明治三八)年 – 岡部福蔵「日本民族の新發展場萬韓露領地誌」:130度35分
1905(明治三八)年 – 博文館「韓国新地理」:130度58分
1907(明治四〇)年 – 安鍾和「初等大韓地誌」:130度58分
1907(明治四〇)年 – 張志淵「大韓新地志」:130度58分
1908(明治四一)年 – 安鍾和 柳瑾「初等大韓地誌」:130度58分
1909(明治四ニ)年 – 「韓国水産誌」:130度42分