2014/06/27 9:07

米WSJ紙が、完全な誤りに基づく「慰安婦」報道。「慰安婦は性奴隷」「大半は植民地だった朝鮮出身の女性。中国人も相当な数」「慰安婦は『摩耗』したり、病気になったり妊娠すると、即座に殺された」。明確に否定しなければなりません。否定を怠ってきたこれまでの日本政府の罪は重い。

《慰安婦問題、失われた正義―日本だけの問題ではない/WSJ》

 第二次世界大戦終了の直後、敗北した日本政府にとって喫緊の課題は、国内の女性たちを連合国占領軍の何十万人もの米兵からどう守るかということだった。

 解決策は「ianfu」(慰安婦)だった。

 ボランティア(自由意思)による慰安婦が募集された。RAA(the Recreation and Amusement Association=特殊慰安施設協会)として知られる政府公認の一連の売春所で働く仕事だ。

 何千人もの日本人女性が応募し、「広く社会のために」自らを犠牲にすると覚悟した。売春所は米兵たちの間で人気が沸騰。兵士たちの間で性病が広がり、数カ月後には閉鎖しなければならなくなった。

 今では日本のボランティア女性たちの犠牲に言及されることはほとんどないが、そうした犠牲は戦時の慰安婦に関する考え方を体現していた。慰安婦とは、太平洋戦争中に日本軍が性奴隷を指す言葉として生み出した言葉だ。戦時中の慰安婦の大半は、当時日本の植民地だった朝鮮出身の女性だった。しかし中国人も相当な数がいた。

 戦時中の女性の役割に対するこうした認識が、その後の米国主導の東京裁判が日本の最も極悪な一面を覆い隠した背景にあった、と主張する法律学者や女性権利擁護者もいる。東京裁判は性奴隷を戦争犯罪として認めることはなかった。

 終戦から70年たった今、韓国や中国などで元慰安婦の生存者が少なくなっているが、彼女たちは今なお正義を待ち望んでいる。政治家たちが責任の所在という問題で言い争っている中で、正義を待ち望んでいるのだ。

 安倍晋三首相は、アジア各地の元慰安婦に対する1993年の画期的な謝罪(河野洋平官房長官談話)を検証することで、この古傷を再び開いた。河野談話の謝罪は、「慰安所」の設置と慰安婦の募集で旧日本軍が果たした役割を認めたものだった。それは「心身にわたり癒やしがたい傷を負われた(犠牲者たち)」に対する自責の念を表明していた。

 日本政府は先週、河野談話の謝罪の作成過程を検証した結果、日本と韓国の当局者が文言調整で秘密裏に交渉していたことが判明したと発表した。これは、河野談話で純粋な自責の念のようにみえたものが、実際には外交上の産物であったことを示唆したことになる。

 安倍首相は、この謝罪を撤回するよう求めるナショナリスト(国粋主義)的な同志たちから圧力を受けているが、謝罪自体は撤回しないと述べている。しかし検証作業によって、ずっと責任回避的だった河野談話がさらにあいまいになった形だ。慰安婦を商業ベースの売春婦だったと表現し、日本は不当に非難されていると主張する右翼勢力は、今回の検証に勇気づけられている。

 日本の検証に反対していた韓国政府は23日、日本の駐韓大使を呼び、検証結果公表に抗議した。また中国外務省の報道官は、日本が「侵略の罪を覆そうとしている」と非難した。

 戦争終了後これほど多くの年月がたった今日、アジアの元慰安婦が今なお正義を求めているのに対し、政治家たちが技術的な詳細にこだわり続けるのは一体なぜなのだろうか。

 確かに、性犯罪への日本軍の直接関与に関する証拠を入手するのは困難だ。中国の公文書専門家は、日本軍が撤退の際に記録や文書を徹底的に破棄していたと述べている。

 慰安婦たちの一部は、自分たちの境遇を生前に一言も語ることがなかった。生存者たちによると、慰安婦はいったん「摩耗」したり、病気になったり妊娠すると、即座に殺され、時には銃剣で突き殺されたという。

 「慰安所」をどのように説明すべきかの議論が続いている。慰安婦のための正義を求める人々は、それが村々から拉致された女性や少女のあふれるレイプセンターだったと表現する。だが、この説明は大きな違いを見落としている。1937年に日本軍によって陥落した上海など中国の主要都市では、軍の「慰安所」は、日本の民間人向けの売春宿システムの中に設置され、規制も厳しかった。女性たちの扱いは、戦争の前線に近い臨時施設の方が悪かったようだ。中国人のブローカーが主要な役割を果たし、侵攻してくる日本軍のために女性たちを調達していた。

 このため日本の右翼勢力は、責任の所在が旧日本軍にあるとする画一的な議論を否定している。 

中国政府にも見捨てられた元慰安婦

 しかし、元慰安婦たちの消えない痛みの裏には、文化と政治に関する根深い問題が存在する。そうした問題は依然として完全に認知されているとは言えない。それは日本だけにとどまらない。

 戦時の女性たちの苦悩は、戦後も続いた。彼女たちは、純潔を重んじる男性優位社会からしばしば締め出された。慰安婦として働いた結果不妊になった女性たちは、結婚相手として認められなかった。これは女性の価値に関する田舎の価値観を浮き彫りにしていた。多くの女性たちは旧日本軍の協力者だとのレッテルを貼られた。

 最近出版された米バッサー大学の丘培培(Peipei Qiu)教授と中国在住の共著者2人(蘇智良氏と陳麗菲氏)の著書「Chinese Comfort Women(中国人慰安婦)」は、元慰安婦12人の痛ましい経験をつづり、この悲劇にあらためて光を当てている。

 元慰安婦のうちの1人、Yuan Zhulinさんは、初めて慰安所で働いた日に頑強な日本兵10人からレイプされたことを明かし、「下半身をナイフで刻まれているように感じた」と説明している。武漢生まれの彼女は、逃げようとしたら殴打され、そのため頭痛に生涯悩まされることとなったという。彼女の苦難は、法的な迫害でさらに増幅された。1958年、中国の裁判所は日本人相手の売春婦だったとして彼女に「重労働」の刑を言い渡した。彼女はその後17年間、極寒の中国東北部に追いやられた。

 またNan Erpuさんは1960年代の文化大革命の際、日本兵に性を提供した「守旧的な反革命主義者」という理由で投獄された。彼女は後に自殺した。

 屈辱は最近まで続いた。Li Lianchunさんは2000年に元慰安婦に関する会合に参加するため東京を訪れようとしたが、中国の地元当局者に渡航書類の発行を拒否された。この当局者は、彼女が国外で「恥ずべき過去」を語ることが不適切だと考えたためだった。

 これまで研究者たちは、アジア全域で最大20万人の慰安婦がいたとし、うち大半は朝鮮出身者だったと推定してきた。しかし丘教授らの著書によると、最近の中国の研究は、慰安婦の総数は40万人で、少なくともその半数が中国人だったと推定しているという。

 中国人慰安婦たちの苦難の責任は、一義的に旧日本軍にあった。しかし女性たちの政府(中国政府)もまた、彼女たちを見捨てていたのである。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304057704579645890629397988