2014/08/19 7:49

江戸時代の日本の測量技術の高さを世界に示した伊能図、蝦夷地全体が伊能忠敬の弟子で後に間宮海峡(樺太と沿海州を分かつ海峡)の世界史的発見で知られる探検家、間宮林蔵のデータに基づくことが明らかに。

《伊能忠敬の蝦夷地図、間宮林蔵のデータで描く?》
2014.08.19 読売新聞

 江戸時代後期、伊能忠敬(いのうただたか)(1745~1818年)が作製した日本全国測量地図の蝦夷地(えぞち)(北海道)全体が、忠敬の弟子で探検家の間宮林蔵(1780?~1844年)の測量データに基づいて描かれたと考えられると、伊能忠敬研究会が18日、発表した。

 定説では、忠敬が未測量の北海道北側部分のみを林蔵のデータで補足したとされていた。

 同会は、1800年の第1次測量で測った函館付近から厚岸(あっけし)付近まで南側の海岸線について忠敬が作った測量図と、1821年の最終版「大日本沿海輿地(よち)全図」のデジタル画像を重ね合わせて比較。その結果、両図で海岸線が最大数キロ離れていることを確認した。

 同会によると、忠敬は第1次測量で南側だけを測って以後、蝦夷地を訪れていない。一方、林蔵は蝦夷地を測量したデータを1817年に忠敬に引き継いだとされる。忠敬は、弟子以外のデータを用いない方針だったという。同会の渡辺一郎・名誉代表は「最初の測量で自信がなかった第1次のデータでなく、林蔵のデータを用いて正確な地図を作ろうとしたのでは」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20140818-OYT1T50100.html