朝日新聞が「焚きつけ、韓国国民を憤激させ」(盧泰愚大統領)、「宮沢首相が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」と誇った92年の末、米国において初めて在米韓国人による「慰安婦問題連合」が発足。以後、息の長い反日活動を活発に続けていく。
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《【歴史戦 第6部 「主戦場」米国(2)】
朝日報道後に米国でも火が付いた慰安婦問題》
2014.08.31 産経新聞
慰安婦問題など歴史認識での日本に対する韓国や中国からの不当な非難の主舞台はいまや米国に移った。超大国、そして同盟国である米国での動きは日本にとって特別の重みを持つ。米国内で勢いを増す日本糾弾はどう始まり、拡大してきたのか。その軌跡をたどることは日本側の今後の対策への有力な指針となろう。
■ 「慰安婦連合」を組織
米国内で慰安婦問題を公開の場で最初に提起したのは「ワシントン慰安婦問題連合」(慰安婦連合)という組織だった。活動家タイプの少数の在米韓国人らが主体となり、1992年12月に創設された。
この年は慰安婦問題で大きな動きがあった。朝日新聞による「強制連行」報道で火が付き、官房長官、加藤紘一が「従軍慰安婦として筆舌に尽くしがたい辛苦をなめられた方々に衷心よりおわびの気持ちと反省の気持ち」を表明する談話を発表。首相、宮沢喜一は同年1月に訪韓した際、8回にわたり謝罪した。
慰安婦連合は日本国内での盛り上がりに連動するように、活動目標に「日本政府に慰安婦に対する犯罪への責任を取らせ、公式の謝罪と賠償を求める」ことを掲げた。そのために当面は「日本の犯罪についての一般への教育を広める」と宣言した。活動の大前提も「日本軍が朝鮮半島などの女性を組織的に強制連行して、約20万人の性的奴隷にし、虐待した」という主張だった。
■ 議員の陰に韓国女性
慰安婦連合は議会や教育機関へのアプローチを着実に広げていった。このプロセスに深く関わったのが当時の米下院議員のレイン・エバンズ(民主党・イリノイ州選出)だ。
エバンズは同連合の会長となったワシントン近郊にある大学の教授、徐玉子(ソ・オクジャ)と交際。2人は公の場にもパートナーとして頻繁に顔を出した。ホワイトハウスでの夕食会にも招かれ、あでやかな民族衣装チマチョゴリ姿の徐とタキシード姿のエバンズが、当時のクリントン大統領夫妻とともに親しげに並んだ写真は同連合の活動にも利用された。
リベラル派とはいえエバンズは過去の戦争にも韓国にも特に関係はなかったが、徐らの意向を反映する形で93年11月、連邦議員24人から当時の首相、細川護煕に「日本軍の性的奴隷の詳しい調査」を要求する主唱者の一人となった。その後、エバンズらは日本政府に慰安婦への謝罪を要求する活動を米議会で強めていく。
■ 中韓の組織連携で反日拡大
韓国系を中心とする「ワシントン慰安婦問題連合」(慰安婦連合)は発足後2年余こそ静かだったがその後、中国系団体の協力を得て、勢いを増し、反日の活動を広げる。中国系団体とは、1994年にカリフォルニア州で創設された「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)である。表向きには中国系米国人らにより組織され、同州クパチーノ市に本部を置いた。
■ 河野談話追い風に
設立の前年、日本では官房長官、河野洋平の談話が発表された。慰安婦募集の強制性を認めた河野談話は、米国内で「性的奴隷」攻撃を始めた韓国、中国の組織を勢いづけた。「強制連行は日本政府も認めたではないか」という主張だ。その基になったのは、朝日新聞の一連の「強制連行」報道だった。
抗日連合会はその使命として「日本に戦争での犯罪と残虐行為を率直かつ明白に謝罪させ、公正な賠償をさせる」ことをうたった。具体的には「南京大虐殺、米兵捕虜虐待、731細菌部隊、性的奴隷」などを糾弾するとした。日本の戦犯裁判や講和条約、戦時賠償など戦後の処理や清算を一切、認めないのだから「反日団体」と呼ぶほかない。
慰安婦連合は河野談話を追い風に一気に攻勢を強めた。95年から真偽の不確実な慰安婦たちの映像や資料を公開する「慰安婦展」を首都ワシントンの教会や、ジョージタウン大学の構内で開くようになった。ワシントンやペンシルベニア州最大都市のフィラデルフィアの公立図書館、さらには連邦議会の下院議員会館のロビーでも開催した。
在米日本人や留学生から反対の声も出たが、「日本政府も河野談話で非を認めた残虐行為への批判だ」という主張に圧せられた。
慰安婦連合はその後、抗日連合会との連帯をさらに強め、息の長い反日活動を続けていく。国連へのロビー活動も進める。2014年5月のバージニア州フェアファクス郡の慰安婦碑設置でも中心として動くなど、今も活発である。
1990年代後半からは、米国内で日本の戦時の行動を材料に現在の日本を糾弾しようとする動きの主役は抗日連合会に代わった。主体が代わっても、慰安婦は「性的奴隷」としていつも糾弾対象に含まれていた。
■ 大学でシンポ開催
活動も多様となる。抗日連合会は96年12月、カリフォルニア州のスタンフォード大学で「第二次大戦での日本の残虐行為への責任」と題する大規模なシンポジウムを3日にわたり開いた。慰安婦問題も主要議題だった。戦争当事国などから多数の学者や活動家が集まったが、中国系が最も多く、日本人参加者も日本の戦時の行動を全て非難する「自虐派」だった。
この集まりで発言の機会を多く与えられた人物が中国系米国人の女性ジャーナリスト、アイリス・チャンだった。「日本軍が最高司令部からの命令で中国民間人30万以上を殺した」などと誇張した97年の彼女の著作『ザ・レイプ・オブ・南京』は、抗日連合会が全組織を挙げて宣伝し、販売することとなった。その結果、米国各地の大学や図書館、そしてマスコミと、「日本軍の残虐さ」が着実に広まった。
抗日連合会と慰安婦連合が連携しての議会への働きかけも始まった。97年7月には、米下院議員のレイン・エバンズが下院に元慰安婦など「日本軍の戦争犯罪の犠牲者全てへの公式謝罪」を日本政府に求める決議案を提出した。
この中韓両組織は2000年12月の東京での悪名高い「女性国際戦犯裁判」(英語の原題は「日本軍性的奴隷制に対する女性国際戦争犯罪裁判」)にも関与した。
両組織を中心に事実に基づかない反日宣伝が広まるなかで、日本側は反論することもなかった。河野談話が旧日本軍の非を認め、「心からのお詫びと反省の気持ち」だけを強調したことも、沈黙の主要な理由だったといえよう。(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140831/amr14083114150003-n1.htm