刺青(入れ墨)・タトゥーについて

刺青(入れ墨)・タトゥーについてどう思うか、とのご質問を頂きました。

最近、話題になった関連のニュースを受けてのご質問だと思います。

 

りゅうちぇる、タトゥー批判に反論「僕は変えていきたい」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180822-00010002-bfj-ent
山口組系組長(49)、コンビニの駐車場でトラブルになった男子大学生(19)に入れ墨を見せ「おまえらかたぎがなんや。俺はや◯ざやぞ」→ 逮捕
https://snjpn.net/archives/69382

 

実は私には、刺青をした知人・友人が結構います。
勿論、暴力団ではなく、地域のとび職などの仕事をされている方々です。
とても気持ちの良い方々です。

その方々と旅行にご一緒させて頂ける事もあり、そうすると、行先の温泉などは、当然、刺青の人が入浴可、という所に限られます。

そして一緒に入浴している時に、やはり刺青が目立ちますから、
その人達の人柄を知っている私は良いのですが、
周りの人達が怖くないかな、と心配にもなり、
「この人達、いい人達なんですよ~」と知らせたくもなります。
そもそも、刺青について、何故色々な見方がされ、議論となるのでしょうか。

刺青の歴史は大変に古いですが、大きく分けて、2つの用途・目的に分けられると考えます。

それは、装飾としての「彫り物」と刑罰としての「入れ墨」です。

このどちらも、大変に歴史が古いですが、
我が国では、既に縄文時代、世界でも有数の入墨文化がありました。
この入墨は、装飾的な文様であり、狩猟・漁撈をはじめとする生活における危険を避けるための呪術的目的があったのではないかとも考えられています。
この様な入墨は、ポリネシア系の諸民族でも広く行なわれてきました。

他方、支那では古代から、「黥」という入墨を罪人の顔に入れる刑罰があり、その影響でしょう、朝鮮にも罪人に額に入墨を刻む刑罰がありました。
入墨が犯罪者を想起させる文化の起源の一つは、支那にあります。

我が国では、弥生時代の倭人は、『魏志倭人伝』、『後漢書東夷伝』に、男は皆、顔や身体に入墨をしていた、と記されている一方、大和朝廷の時代の畿内では入墨の習俗がなかったともされています。

大陸から、「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」とする儒教が伝来し、律令制の整備により、刑罰としての入墨刑が行なわれる様になると、我が国においても入墨は、装飾としてのものではなく、刑罰によるものへと認識が変わっていき、一般社会では行なわれなくなっていった様です。

しかし、海の民や蝦夷、琉球、また密教の僧侶といった「中央」の力の及ばない人々の中で入墨の文化と技術は維持・継承されました。

江戸時代に入ると、改めて刑罰としての入墨刑が行なわれる様になった一方、装飾としての「彫り物」(刺青)も盛んになり、世界でも類例を見ない高度に洗練された技術と文化が発展しました。
博徒・火消し・鳶・飛脚などの「粋」の刺青文化の系譜が現代に続いているのが、冒頭に紹介した私の知人・友人の皆さんの刺青である訳です。

ところが明治に入ると、西洋に倣えという事で、入墨刑を廃止するとともに、装飾用途の「彫り物」を入れる行為を禁止しました。
後に禁令は緩められましたが、こうした経緯から、刺青は、
「してはいけないもの」
「犯罪を犯した証拠」
「犯罪を犯す事を恐れない無法者である意思表示」
「刺青を入れる痛みに耐えた強い者である誇示」
等の意味を持つ記号となりました。

そして残念な事に、かつての任侠、極道、今の暴力団の構成員や関係者が、この様な刺青を「堅気でない事の象徴」として使い、刺青を見せて凄む事を、一般人に対する威嚇の手段としてきました。
刺青が極道の象徴である事は、我が国社会の常識となっており、任侠・ヤクザ映画でもその様に描写されてきました。

その為、警察は、例えばシャツの前ボタンを一つ余計に開けて刺青をちらつかせた上で脅迫等をした場合、暴力団の威力を示したとして暴対法の適用としています。
「しらべぇ」というニュースサイトの編集部が、2016年6月に
「刺青やタトゥーに恐怖を覚える人の割合」
という調査をしています。
全国20~60代の男女1,358名(有効回答数)に調査したところ、男性の47.0%、女性の48.6%、と約半数の人が「刺青やタトゥーに恐怖を覚える」と回答しています。

実際、最近でも、暴力団関係者が入れ墨を見せて一般人に対し脅迫や恐喝を行ない、逮捕される事件が起き続けています。

この様な社会の状況では、いかに一部の人が
「タトゥーは文化だ」「ファッションだ」「芸術だ」と主張し、
「グローバル化だ」「国際化だ」と宣伝しても、
社会から入墨に対する恐怖心が無くなる訳がありません。

そして国外に目を向けても、
中国、韓国においても、現在に至るまで、
「刺青をする人」=「悪い人」「不道徳な人」という認識があります。
中国では、刺青をしている人は、国営企業、政府の管理職、軍隊に入れません。
韓国では、刺青をしている人は、公安、軍隊に入れません。
その為、「兵役逃れ」というイメージもあります。
そして実際、中華系の幇や韓国のヤクザ等の反社会的な組織の構成員の多くが入墨を入れています。

欧米においても、ロシアのマフィアや米国の白人至上主義団体が入墨を構成員の象徴として用いています。
「外国人の刺青は、日本人の刺青と違って反社会性・暴力性はない」
との言説は、一概にそうだとは言えません。

ちなみに、日本赤十字社は、「入れ墨の大小に関係なく」
「6か月以内に入れ墨をした方からは献血をご遠慮いただいております」
としています。その理由は、
「入れ墨を入れる際に、血液の付着など消毒が十分に行われていない器具が使用されることがあり、その場合、肝炎等のウイルスに感染する危険性があり」、
「血液中の肝炎等のウイルスは現在の検査感度では、感染ごく初期の段階では検出できない」
からだとの事です。

これらの事実と状況を踏まえて、私としては、
我が国社会に、刺青を悪用しての犯罪行為と恐怖が現に存在し続けている以上、
・刺青をしている人に施設の入場制限等、制限が掛かる事は仕方がない。
・衛生・厚生上の観点から、気軽に刺青をいれる事を煽るのも望ましくはない。
他方、
・刺青には高い芸術性もある。特に我が国の刺青文化は高度に洗練されている。

と考えています。