預ける・預けないに平等な「育児手当」

平成17年、初当選した私の都議会本会議における最初の質問が、「子育て東京革命を」というものでした。

当時、欧州諸国が我が国の4倍の育児分野予算を投じ、出生率が回復する中、我が国は無為無策のまま出生率が回復せず、平成30年になった今も、申し訳程度にしか育児支援は改善しておらず、人口減少社会に突入しています。

高齢者分野予算は欧州諸国に匹敵、あるいは凌駕していますが、人口減少への対策はあまりにお粗末であり、我が国は消滅に向かっています。

今、待機児童が問題として注目され、保育所の定員増に予算が投じられていますが、保育所の定員増だけに予算を投ずるのでは、保育所に預けず自分で育てる親に対する支援がなく、「預ける事を奨励する」事となってしまいます。

育児方法の選択に中立的な支援とするには、預ける・預けないに関わらず育児手当を支給し、その手当を、自ら育てる費用に充てても、保育所の費用に充てても良い、とする必要があります。

私は、国全体の施策が不足している中、何とか財源を捻出し、中野区独自の育児手当を実施したいと考えています。

◇ ◇ ◇

《平成17年(2005年)12月8日 東京都議会本会議一般質問における吉田康一郎質疑》

◯五十二番(吉田康一郎君)
まず初めに、少子化対策・子育て支援について伺います。
我が国の合計特殊出生率の低下は歯どめがかからず、昨年も一・二九と戦後最低であり、東京も一・〇一と全国で最低の値となっています。

国立社会保障・人口問題研究所による我が国の総人口の推計、中位推計は常に外れて下方修正されますが、低位推計、すなわち最も悲観的な場合には、このままいけば、二一〇〇年には、我が国人口は現在の三分の一の四千六百四十五万人、そしてそこで人口減少がとまると勘違いをしている人もいるようですが、そんな生半可なことではありません。その後も人口は、高齢者ばかりの逆ピラミッドのまま、四分の一、八分の一と減っていくことになります。

現在、我が国の借金は、国、地方合わせて一千兆円に及びます。この借金が、人口が三分の一になったときに一緒に三分の一に棒引きになるのかといえば、そのようなことはありません。生まれたばかりの赤ん坊から介護を受けている高齢者まで、一人当たり、今の三倍の三千万円近い借金を背負うことになる。しかし、そんなことは不可能です。経済は破綻し、財政も年金も破綻し、国民の生活も破壊される、介護の人手すらなくなる、そういうまさに国家存亡の瀬戸際にある、こういう危機感を為政者は持たなければいけないと考えております。

そして、その中で迫ってくる大変な問題の一つとして、経済あるいは労働力の担い手としての膨大な外国人の流入と、これへの依存の構造化ということがあります。

言論も政治も、国外からの軍事的圧力や経済依存のみならず、国内においても外国人居住者が巨大な社会的勢力となる中で、外国による不当な圧力や暴挙に対して、ノーということすら不可能になる。そういう悲惨な将来の姿が絵そらごとではないわけであります。

我々は、この我々の時代に、先祖から受け継いできた遺産を食いつぶすのではなく、この国のよき文化と伝統を将来にわたって受け継ぎ、誇りある日本人が国際社会の中で、次の世紀も、その次の世紀も活躍し続けられる、そういう国のあり方、そのための制度をつくり、残す責務があります。

少子化対策・子育て支援はまさに日本の将来の根幹にかかわる課題であり、現在、政治が取り組むべき最重要の課題であると考えます。
知事は、少子化対策について、フランスの事例などを参考にしたい旨を本会議で表明されました。まさしく炯眼であります。私が少し調べた範囲でも、フランスを初め欧州の先進国では、日本と同じように少子化に悩んだ末、子育てへの手厚い経済的支援を行っています。フランス、イギリス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークなどでは、それぞれ子ども一人につき月額約一万四千円あるいは二万一千円の家族手当を十五歳あるいは十九歳まで出しており、その多くの国で、子どもの数がふえると手当の額をふやしています。例えばスウェーデンでは、第五子以降は約二万九千円の手当が出ます。

これにあわせて税負担の軽減を実施することにより、多くの国で出生率の低下に歯どめがかかり、あるいは出生率回復に効果を上げています。フランスでは、出生率は一・九二まで回復しています。

平成十七年版国民生活白書によれば、我が国においては、大卒の女性が定年まで就業を中断せずに働き続けた場合に比べ、二十八歳で退職して第一子を産み、三十一歳で第二子を産んで、一年後にパート・アルバイトとして再就職した場合、生涯所得の格差は総額二億二千百万円に上ります。この経済的損失は、無意識に認識が広がって、多くの若い女性にとって出産、育児を選択する制約になっていると考えられます。二人の子どもが生涯で仮に三億円ずつ、計六億円稼ぐとして、子育てによる機会費用を個人に押しつけていることで、社会全体としてはより多くの損失を招いている、こういうことになります。

また、出生動向基本調査によれば、夫婦にとっての理想の子どもの数より実際の子どもの数が少ない最大の理由として、六三%の女性が子育てや教育にお金がかかり過ぎると答えています。

さらに、少子化社会対策に関する子育て女性の意識調査によれば、二十代前半は現金給付の拡大、二十代後半は医療費の無料化、同じ二十代後半から三十代後半は保育、教育費の軽減といった、子どもの成長に合わせた経済的支援を求める姿が明確です。まさに我が国では、子育ては損だ、報われないと感じて、子育てという選択をしづらくなる、あるいは三人目、四人目は無理だと思う、実際に育てている人は大きな負担を感じている、こういう現状にあります。

出産は、個人にとっては個人的な問題ですが、政治にとっては社会の仕組みをどうつくるかという問題です。子育てをする人の経済的な損失を縮小し、選択の幅をふやすことが重要であり、次の社会を担う次の世代を産み育てている人たちが不利にならないよう、社会全体として仕組みを整えていくことは当然のことだと考えます。

我が国においては、子育てへの現金給付のみならず、保育サービスを初めとする現物給付をあわせた子育て分野全体に対する国の予算が余りに少ない状況があります。OECDの基準による家族分野の社会支出の国際比較調査二〇〇一年によれば、我が国の家族分野への支出は、対GDP比で〇・六%しかないのに対し、フランスは二・八一%、スウェーデンは二・九二%、イギリスで二・二三%と、約四倍の格差があります。

我が国の児童手当については、去る五日の新聞報道によれば、自公与党が十二歳まで支給を拡大することで合意したとのことであり、私は歓迎いたします。

十一月二十九日、政府・与党は、三位一体の改革について、児童手当、児童扶養手当の国の負担をそれぞれ三分の一に引き下げました。理念なき数字合わせに終始したもので、国として責任を負うべき子育て支援をほうり出そうとしているものだと思います。

しかし、都としては、これを奇禍として前向きに取り組むべきだと考えます。都は、国に先駆けて、これまでさまざまな取り組みを実施してきました。児童手当制度も、歴史をひもとけば、一九七〇年代に都が先行実施したものを国が後追いで制度化したものです。知事も、認証保育所制度の創設を初め、区市町村の子ども家庭支援センターの設置促進など、時代に即応した施策を次々に講じてこられました。

今、我が国で、借金漬けで無責任かつ理念なき政府にかわって子育て支援に取り組めるのは、都しかないと考えます。幸い、各党の公約を拝見しますに、子育てへの経済的支援の抜本的拡充に前向きだと認識しております。国を愛し、国民を思うすべての人が協力し、この実現に取り組むことを念願するものであります。

知事がフランスに視察されるときは、ぜひ我々も同行させていただきたい。明治の岩倉遣欧使節団のように、欧州諸国のよい制度をすべて学びとり、国の形を変えるような改革を行う。あれをやるからこれをやらないということではなくて、有効な施策はすべて打つ。これは人への投資であります。人への投資が、この国の命運を握ります。国ができないのであれば、国に追随して滅びるのではなく、都がリードすべきであります。子育て東京革命、そういう意気込みが必要だと考えます。

(以下略)