11/18/2017 01:33:42 AM

日本政府のこれまでの怠慢もあり、ユネスコの運営が中韓に偏し公正中立になっていない事は、大変な問題です。日本側は、躊躇せず徹底的に声を上げていかねばなりません。

《「世界の記憶」は不公正? 却下される日本側申請→「南京」◎「通州・チベット」×》
2017.11.18 産経新聞

北京郊外通州で日本人を狙撃した後、フランス租界のフランス警察に武器を引き渡す中国人保安隊員=1937年8月(ACME)

 「二重基準」「不公正」。10月末に結果が公表された国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)の審査に対し、「南京大虐殺文書」を登録した前回との整合性を問う声が申請者から相次いでいる。「南京」としばしば対比される通州事件や、憲法9条関連の申請案件が政治的として、審査前に事実上の“却下”とされたためだ。審査の透明性が依然として確保されておらず、登録・不登録の理由すら開示されない現状が背景にある。(社会部 寺田理恵)

■ チベットと共同申請

 「人権侵害事件-チベットと通州の事例」を申請していた民間団体「通州事件アーカイブズ設立基金」(東京)は10月31日、審査結果公表を受け、「ユネスコが申請を却下したことが判明した」などとする抗議声明を出した。

 世界の記憶は、誰でも申請できる。同基金は昨年5月、チベット亡命政府元議員と共同申請を行った。

 内容は、日中戦争開始直後に北京郊外で多くの日本人居留民が中国人部隊に殺害された「通州事件」と中国による「チベット弾圧」の資料で構成。当初は名称を「20世紀中国大陸における政治暴力の記録-チベット、日本」としていた。

 だが今年4月、事前審査を担う登録小委員会(RSC)から「歴史の新解釈を提示するのは事業の趣旨に合わない」などとする暫定意見の通知を受け、タイトルを改めるなど申請書を修正。定められた期限までに再提出したが、その後は連絡がないという。

■ 「南京登録と二重基準だ」

 審査結果は新規登録リストのみが公表され、「チベットと通州」がリストに含まれなかったことで不登録と判明した。文書管理の専門家で構成される審査機関・国際諮問委員会(IAC)の会合が10月24~27日にパリで開かれたが、審査が非公開のため、どのように扱われたかは不明だ。

 同基金は「RSCの暫定意見は事実上の却下通知。言い分は審査機関のIACに取り次ぐとのことだったが、何の連絡もないまま公表に至った」と一連の手続きを批判した上で、「なぜ南京は認められたのか。二重基準の説明を求める」と疑問を呈している。

 「世界の記憶」をめぐっては、2年前の前回審査で、犠牲者数や存否をめぐって議論のある「南京大虐殺文書」が中国側の主張のまま一方的に登録された。これに反発した日本政府が分担金拠出を留保するなどして、ユネスコに制度改革を求めてきた経緯がある。

 今回は、「慰安婦」をめぐり意見の対立する2つの申請案件が出され、ユネスコ側が申請者間の対話を促すという一定の改善がなされた。ユネスコ執行委員会(58カ国で構成)が10月18日、「政治的緊張の回避」を事務局長らに求めた決議を採択しており、審査に反映されたとみられる。登録制度の改善方針も決定されたが、新制度の正式適用は次回の2019年度からで、審査のプロセスは今回も不透明なままだった。

■ 9条関連「審査しない」

 却下扱いされた案件は、ほかにもある。

 「明文化されていないルールで門前払いされた」とする代表者コメントを報道機関に出したのは、「憲法9条の発案者を幣原喜重郎元首相とする資料」の共同申請者(事務局・東京)だ。4月の暫定意見で政治的主張に当たるとされ、「審査しない」と通知されたとしている。

 現行憲法は連合国軍総司令部(GHQ)によって草案が作成されたが、戦争放棄と戦力の不保持を規定した9条をめぐっては、発案者を幣原とする説を唱える人もいる。今回の申請案件は、日米など3カ国計169人が「9条の発案者はGHQではなく日本人だったことを示す資料」として、日米の公文書館などの所蔵文書を共同申請した。

 申請者側によると、登録申請書を提出した際も、現行基準では添付を求められていない公文書館の同意書を、6日以内に提出するようにとの無理な要請をユネスコ側から受けたという。

 申請者側は「(現行基準は)『南京大虐殺』の資料が問題なく審査対象となったのと同じもの。審査しないのは不公正・不公平。日本政府の圧力を受けたユネスコの苦肉の策だ」と指摘している。批判の矛先を政府に向けているものの、ユネスコの審査に疑問を投げている点では同様だ。

■ 政府推薦でも不登録

 今回は、日本政府が推薦した案件が初めて不登録とされ、「理由が全く分からない。再挑戦できるのか」などと関係者に波紋を広げている。

 登録が見送られたのは、外交官、杉原千畝(ちうね)に関する資料「杉原リスト」。第2次大戦中、駐リトアニア領事代理だった杉原は、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系難民に独断で査証(ビザ)を発給し、約6000人の命を救った“命のビザ”で知られる。

 資料は、ビザ発給記録を含む外務省公信・公電やビザが記載されたパスポートなどで構成される。申請者は、杉原の出身地である岐阜県八百津町(やおつちょう)。日本ユネスコ国内委員会が1国2件の推薦案件を公募の上、選定していた。同町によると、可否に関わる指摘は事前にはなかったという。

 ユネスコは登録・不登録の理由を開示しておらず、林芳正文部科学相は「制度改善の動向を注視しながら対応を考えたい」と述べた。

 世界の記憶(世界記憶遺産)=重要な歴史文書や映像フィルムなどを登録する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の事業。登録審査は2年に1回で民間団体や個人も申請でき、複数国にまたがる共同申請は1国2件の申請枠外で可能。条約に基づき政府代表が公開で審議するユネスコ世界遺産と異なり、文書管理の専門家で構成される国際諮問委員会(IAC)が非公開で審査、ユネスコ事務局長が追認する。登録件数は2017年10月時点で427件。

 通州事件=日中戦争開始直後の1937年7月29日、中国・北京郊外の通州(現・北京市通州区)で、駐屯日本軍が不在の間に親日地方政権の中国人部隊「保安隊」が蜂起した事件。朝鮮半島出身者を含む200人以上の日本人居留民が殺害された。多くの女性や子供がきわめて残虐な方法で殺害されたことで、日本国内の世論に大きな影響を与えた。

 幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう、1872~1951年)=外交官、政治家。両大戦間の大正末期から昭和初期にかけ協調外交を推進した“幣原外交”で知られる。先の大戦後の昭和20年10月に首相に就任し、憲法改正にかかわった。

 杉原千畝(すぎはら・ちうね、1900~86年)=外交官。第2次大戦中の1940年7月から9月にかけ、駐リトアニア・カナウス領事代理だった杉原は、ナチスの迫害を逃れたユダヤ系難民に独断で査証(ビザ)を発給。約6000人の命を救ったとされる。当時、ドイツの侵攻を受けたポーランドからリトアニアに逃げ込んだ避難民は、米国方面への出国手続きに日本通過ビザを必要としていた。

http://www.sankei.com/premium/news/171118/prm1711180005-n1.html

写真:東京日日新聞 昭和12年7月30日

https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/874190276081843