林智裕氏によるテレ朝「ビキニ事件とフクシマ」番組の検証。
ネットの言論とテレビ局の報道、どちらに信憑性があるか、ご判断下さい。
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《大炎上したテレビ朝日「ビキニ事件とフクシマ」番組を冷静に検証する 悲劇を報道に「利用」するのではなく》
2017.08.10 現代ビジネス 林智裕 フリーランスライター
■ そもそもなぜ「炎上」したか
『ビキニ事件63年目の真実~フクシマの未来予想図』
テレビ朝日は8月6日、かつて広島に原爆が投下されたこの日に放送した特別番組『ザ・スクープ スペシャル』に、放送前の段階で、当初このようなタイトルを付けていました。
番組の予告を見ると、戦後、米軍による度重なる核実験・水爆実験にさらされたビキニ環礁近傍の住民に関して、以下のような解説がなされていました。
〈(住民は、水爆実験後)除染が済んだというアメリカの指示に従って帰島。しかし、その後甲状腺がんや乳がんなどを患う島民が相次ぎ、女性は流産や死産が続いたそうです。体に異常のある子供が生まれるということも〉
福島では現在、除染の完了などによる避難指示解除に伴って、「帰福島」が進みつつあリます。しかし、このような内容の番組のタイトルに「フクシマ」を冠することは、明らかに被災地への当てこすりであり、「政府を信じて帰還したら、お前たち福島県民もこういう運命になる」という「呪い」をかけようとする意図があったことは明らかです。
そうでなければ、「ビキニ環礁と福島では、放射性物質による被曝量がケタ違いに異なる」といった前提条件を無視してまで、この文脈で「フクシマの未来予想図」などというサブタイトルを付ける理由はないでしょう。
番組には、予告の時点で多数の批判が寄せられました。その結果、番組のタイトル、また番組HPから何の告知もなく「フクシマの未来予想図」などの文言が削除される事態となったことは、ご存知の読者も多いかもしれません。
削除の理由については、報道によると「誤解を生じかねないと考え削除することにした」というテレビ朝日のコメントのみが出されており、何故このようなサブタイトルを付けたかなどの説明はもちろん、福島県民に対する謝罪も一切ありませんでした。
そもそも「誤解を生じる」とは、何に対する「誤解」なのでしょう?
視聴者は、なんら「誤解」などしていません。テレビ朝日は、前提条件が全く異なる二つの問題を並べて視聴者の誤解を誘い、被災地への「呪い」をかけようとした──。そのような番組の意図を誰もが正確に読み取ったからこそ、このような騒動を招いたのです。
この経緯は、実際の放送前から福島の地元紙福島民友新聞でも社説で批判的に言及されました(http://www.minyu-net.com/shasetsu/shasetsu/FM20170803-193215.php)。
本当に「誤解」があるというのなら、テレビ朝日は何がどう誤解されているのか、説明責任を果たすべきでした。都合の悪い部分だけをこっそりと改竄してダンマリを続けた同社の対応を見れば、寄せられた多くの批判が的を射ており、反論すら出来ないのだと見なされるのは当然と言えます。
■ では、番組の内容はどうだった ?
前述した通り、この番組は本編内容の是非以前に、タイトルと番組予告の時点で福島への偏見を招くものであったため、多くの批判にさらされ炎上しました。ただ、中には「番組を見てもいないうちから批判するな」「言論の弾圧だ」などという声も同時に挙がりました。
それでは、実際の番組内容はどのようなものだったのでしょうか。
まず、本編を通して見た際に、少なからぬ視聴者が「扇情的な番組だ」と感じたのではないかと思います。全編を通じて、「情報工作」「隠蔽」「陰謀」「人体実験」といったおどろおどろしいキーワードが強調され、レポーターも不安を煽るかのようにむやみに大声を出すなど、感情に訴えかけようとするシーンが目立ちました。
反面、数値的な事実や根拠の提示は弱い。これは、今まで福島関連の報道についても散々指摘されてきた傾向です。以下、番組の内容をひとつひとつ具体的に検証してゆきたいと思います。
■(1)証言ばかりで客観的根拠に乏しい
番組では、水爆実験が行われたビキニ環礁から約180km離れたロンゲラップ島に取材に赴き、「1957年、米国が発した安全宣言によって島民たちは帰島を始めたが、そこから新たに悲劇が始まった」としたうえで、「島の環境は放射能によって汚染されたままで、若者は白血病で亡くなり、女性は死産や流産を繰り返した」という島民の証言を取り上げました。
しかし、汚染や健康被害の度合いに関する具体的なデータは提示されず、因果関係が明確ではない事実を羅列しての「こうだと思う」といった推測や証言が続くばかりで、「裏取り」の形跡も番組中ではみられませんでした。
もちろん、水爆実験による汚染や健康被害があったことそのものは否定しません。しかし、それを番組で取り上げる以上は、本来ならば具体的な被害状況や被曝線量などの根拠が必要不可欠です。何故、具体的な数値やデータを示さず、証言のみで番組を構成しようとしたのでしょうか。
福島に関しても、たとえば東日本震災直後に週刊誌『AERA』の「放射能がくる」特集や、東京新聞特報部の「子供に体調異変、じわり」と題する記事などのような、恐怖と不安だけを煽る報道が溢れたことを思い出します。2014年には、漫画『美味しんぼ』で、実際の被曝量から見れば到底有り得ない「放射能で鼻血が出る」という現象が科学的根拠を無視して描かれ、大騒ぎになったことを覚えている方も多いと思います。
これらについても、体調不良や鼻血そのものがあったこと自体は事実なのでしょう。しかし、身の回りに起こり得る一般的な事象の原因を、全て無根拠に放射能に結びつけるべきではありません。
たとえば被曝によって鼻血を出すには、一般的な空間線量の数千万倍レベルの大量被曝を一気にしなければなりません。しかも、本当にそのような大量被曝をした場合には、鼻以外のあらゆる粘膜からも同時に出血が止まらなくなり、命にかかわる事態になっているでしょう。
福島での原発事故でそのような被曝をした人はいませんし、当然そうした出血の症例も報告されていません。「福島県内のいくつかの病院を調べたかぎり、震災後にも鼻血による受診者数は変化していない」という調査結果も複数あります。「命にかかわる深刻な被曝」であるならば、ほとんどの人が病院に行きもしなかったとは、おかしな話です。
「水爆実験による深刻な健康被害は、鼻血のような身近な事例とは全く違う」という指摘もあるでしょう。その通りです。しかし、起こった事実に対してある「原因」を仮定し、それに説得力を持たせるためには、具体的な数字や根拠が必要です。本来は科学的見地から捉えるべきものごとの因果関係を、「証言」と「情緒」をもとに推測するのは、結局はビキニ事件の歴史を「『美味しんぼ』鼻血騒動」と同じ構図に貶めてしまうことになるのです。
それは水爆実験による被害者や、そこに存在した事実に対して失礼な姿勢ですし、また世界にそれを伝えようとする報道のあり方としても、不誠実ではないでしょうか。
■(2)線量計を地面に「直置き」
番組の中盤では、ロンゲラップ島へ帰島した住民に「放射能の除染が十分ではないという指摘があるが、心配ではないのか?」と問いかけ、住民がそれに対して「その意見は正しいんですか? 私はここで生活していても何の影響もない」とコメントする様子が紹介されます。
(写真:番組中で紹介されたロンゲラップ島住民の証言)
その後に場面が変わり、日本原子力研究開発機構元研究員の加藤岑生氏(現・原水爆禁止茨城県協議会会長)が、線量計を島の地表に「直置き」する様子が映し出されます。線量計は0.042μSv/hという数値を示し、加藤氏はこれを「高い」と指摘します。
この一連のシーンは、いったい何を表現したいのでしょうか。「帰島した住民は騙されている、汚染の実態を何も知らない」と言いたかったのでしょうか。だとすれば、あまりにも現地の住民に失礼ではないかと思います。
(写真:番組より、地面に「直置き」される線量計)
そもそも、線量計を地面に「直置き」するという測定方法からして間違っています。たとえるならば、室温を測ろうとするときに、部屋のストーブに温度計を直接当てて「この部屋は暑い」と言ったところで、何の役にも立たないことと同じです。室温がストーブの直近で出てくる数字を前提としないように、健康への影響を考えるための放射線基準値は、そのように恣意的で杜撰な測定方法で出てくる数字を前提としていません。
さらに加藤氏は、周辺の空間線量を「空間はだいたい25(0.025μSv/h)くらい」としたうえで、スタッフの「倍くらい?」という問いかけに対し「ここはそのくらい」と答えています。「本来の空間線量は0.025μSv/h程度なのに、地表で測ると0.042μSv/hもあった」ということを伝えたかったのでしょうか。
このシーンには視聴者に対する補足説明が全くないので、もしかすると「なんとなくこの島では、放射線量が高い」という印象以外、伝える気がなかったのかもしれません。
しかも、そこまでして得た「高い数値」でさえも0.042μSv/hなのです。参考比較として、2017年8月6日の東京での平均値は0.035μSv/hとなっていました。こうした数値が世界的にみてもまったく高くないということは、たとえば福島県民であれば、いまや知らない人の方が少ないのではないでしょうか。
ちなみに、下記の文部省による中学生用教材にも書いてありますが、日本人が1年間に自然界から受ける平均放射線量(1.5mSv)は世界の平均(2.4mSv)よりも低く(https://www.kankyo.metro.tokyo.jp/policy_others/radiation/about/sekaitonihon.html)、仮に普段から空間線量が0.042μSv/hの地域に住んでいたところで、被曝量は世界平均を下回ります。間違いなく、番組スタッフがビキニ環礁へ向かうために乗った飛行機での移動中の方が、桁違いに被曝しているはずです。
たとえ具体的な数値を示しても、それがどんな意味を持つのか比較対象を用いた解説も用意せず、ただ「高い」と言うだけでは、単なる「印象操作」だと言われても仕方がありません。
そもそも、被曝による健康被害そのものが「100mSv未満の低線量による放射線の影響は、科学的に確かめることができないほど小さなものと考えられています」とされている(http://www.mhlw.go.jp/shinsai_jouhou/shokuhin_qa.html#ans01)中で、それよりも桁違いに小さい被曝量での誤差を取り上げることに何の意味があったのか、全く理解できません。実際に健康被害を起こしたという、除染前の島の線量などとの比較が無ければ意味が無いのではないでしょうか。
前述した番組スタッフと島民とのやりとりと同様のことは、福島でもありました。
いくら現地の住民が外からの無思慮な意見に対して「きちんと自分達で放射線量を測り、リスクがないことも理解しているから、大丈夫です。危険だというその意見は正しいんですか?」と声を上げたところで、「フクシマの住民は騙されている」「避難しない奴は馬鹿だ」「(福島から避難しないことは)大人の無理心中に子供を付き合わせることだ」(震災直後に山本太郎・現参議院議員が述べた発言)などと馬鹿にされたり、誹謗中傷されたりしてきました。
そればかりか、過激な「活動家」が福島に来ては、線量計を地面に「直置き」して大騒ぎしたり、わざわざ側溝の中まで降りて少しでも高い数値を出そうと測定を繰り返し、数字を独り歩きさせたのです。
特に震災直後には、テレビのドキュメンタリー番組でこうした誤った測定の様子がしばしば放映されており、どこがどう誤っているかについては、すでにインターネット上などで指摘され尽くした感があるほどです。そのような「周回遅れ」の内容の番組が2017年の今、この期に及んで放送されることに驚きます。
■(3)第五福竜丸乗組員の健康被害
第五福竜丸の乗組員が、ビキニ環礁付近で水爆実験に遭遇し、急性被曝症状を発症したのは事実です。ただし、急性被曝症状の治療中に亡くなったのは元無線長の久保山愛吉氏1人で、残りの乗組員22名はその後回復に向かいました(http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-03-02-16)。
また番組では、乗組員の多くがC型肝炎を発症し、亡くなっていることが指摘されていました。しかし、C型肝炎はウイルスによる感染症であり、放射線が原因の病気ではありません。
第五福竜丸の乗組員の場合、C型肝炎に感染した原因は急性被曝症状治療のための輸血だと考えられるので、水爆実験の間接的な影響で亡くなった方がいる、とは言えます。急性被曝症状が回復した方々の中でも、後遺障害に苦しんだケースもあります。
C型肝炎の原因であるC型肝炎ウイルスの存在が証明されたのは1989年のことです。それ以前はウイルスの存在がわからなかったために、輸血や注射などの医療行為を介して大勢の人がC型肝炎にかかったと考えられています。
ただし、感染症と被曝症状そのものを混同させるような演出をしてしまっては、視聴者に誤解を与える可能性が高いでしょう。もしかすると、意図的な「ミスリード」だったのでしょうか?
こうした誹謗中傷のパターンも、福島では数多く起こりました。著名人が病気になったり、亡くなったりするたびに「(福島の食材を)『食べて応援』していたせいだ」「被曝が原因だ」などと、全く根拠の無い言いがかりをつける人がインターネット上に数多く現れたのです。
■(4)温暖化による海水面上昇の被害
番組の後半では、水爆実験の影響で別の島に移住した住民が、移住先の島で海水面の上昇による水没に遭い、困惑する姿が報じられます。水爆実験さえなければそもそも移住する必要さえなかったのに、温暖化という思わぬ事態によって、移住先でも再び生活が脅かされている。その住民の悲痛は痛いほど伝わってきます。
しかし、ここでは敢えて感情を抑えて論点を整理しましょう。水爆実験は地球温暖化そのものとは直接関係ありません。これらの別々の問題を情緒的に混同させてしまっては、問題の本質がぼやけてしまうのではないでしょうか。
さらに言えば、まさにこの番組そのものが当初、「ビキニ環礁水爆実験」と「福島第一原発事故」という二つのまったく異なる問題を、「放射能」という共通項だけをもって強引かつ情緒的に混同させ、問題の本質をぼやけさせようとしていました。そればかりか、根拠を示さずおどろおどろしい「印象操作」を繰り返すことで、誤解や風評を助長しているわけです。
放送前に起きたタイトルの炎上騒動も含めて、マスコミが作り出す身勝手な「物語」に毎回毎回振り回される住民は、たまったものではありません。
■(5)「島民の被曝は人体実験だった」ことを示す文書
番組のクライマックスで、1956年1月にワシントンで行われた米原子力委員会の議事録が紹介されます。その中には、このような記述があります。
<世界で最も汚染された場所に住む彼らからは良好なデータを得ることができる。しかも彼らはネズミより我々人間に近い>
その後、放射能検査を行わないまま安全宣言が出され、ロンゲラップ島民たちは帰島した。しかし、島に残留する放射能が直接の被曝を免れた人の体をも蝕み、生まれてくる子供たちには先天性異常が続出した——このように解説は続きます。
「人体実験」の意図が米国にあったとすれば、許されざることであり、それはそれとしてきちんと追及されるべきでしょう。もしテレビ朝日がこの問題にテーマを絞った上で、客観的な根拠を明らかにしながら番組作りを進めていれば、良い番組が出来たのかもしれません。
しかし、ここまで説明してきたように、番組に当初は「フクシマの未来予想図」というサブタイトルがつけられていた以上、テレビ朝日には「福島でも政府が住民を使った人体実験をしようとしている」「福島に帰還すれば重大な健康被害が出る」と仄めかす意図があったのではないか、と疑わざるを得ません。
テレビ朝日が、これほど多くの指摘を受けてもまったく説明責任を果たそうとしない以上、正確な狙いは判りかねますが、たとえ番組にどのような意図があったにせよ、福島に帰還した一般住民に「呪い」をかけるような行為は正当化出来ません。
もしそれを正当化してしまったら、それはこの番組で批判している、水爆実験のために罪のない現地の住民を巻き込んだ米軍の行為と、番組自体も何ら変わらなくなってしまうのではないでしょうか。
■(6)ロンゲラップ島に帰島している人は少ない
冒頭でも書いたように、これも福島への帰還、「帰福島」が進みつつある被災地への当てこすりではないか、と受け止められても仕方がありません。「除染しても無駄」「戻ったら健康被害が出る」「公的支援が打ち切られる」——こうした言葉も、福島からの自主避難者をめぐって何度も耳にしたフレーズでした。
もちろん日本には居住地の自由が保障されている以上、帰還が強制されるべきではありません。今なお避難生活を続けている人へのケアは、手厚く行われるべきです。
しかし、避難者の尊重を訴えるならば、同時に故郷への帰還を望む人の尊厳、意志もまた、ないがしろにしてはならないのです。
この番組で紹介された「帰島した住民の声」は、番組から尊重されていたでしょうか? 同様に、福島に留まった人、あるいは帰還した人の声や生活を、報道はこれまで尊重してきたでしょうか?
福島では、幸いにも直接の被曝を原因として亡くなった方はいません。被曝線量が当初の想定よりずっと低かったため、放射線被曝によるリスクの議論以前に、「そもそも議論の前提となるほど大量の被曝をした人がいない」のです。現在、避難区域外の福島県内に暮らすことによる健康被害のリスクは、国内の他の地域と変わりません。
しかしその反面、無理な避難などに伴う「震災関連死」は、他県に比べて飛び抜けて高いのが現状です。「恐怖を煽って人を避難させることで、逆に死者を増やしている」という厳しい現実を、煽った側は決して認めようとはしません(http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20140526131634.html)。
たとえば、今回の番組を放送したテレビ朝日の報道番組『報道ステーション』では、2013年の時点ですでに国連科学委員会が「福島では、被曝を原因とする甲状腺ガンの多発は起こらない」と報告しているにもかかわらず、2014年、2015年、2016年と3年連続で、3月11日に「被曝の影響により、福島で甲状腺ガンが多発している」かのような誤解を与える特集を放送し、環境省が「事実関係に誤解を生ずるおそれもある」として注意喚起を出す事態となっています(http://www.env.go.jp/chemi/rhm/hodo_1403-1.html)。
2016年にも国連科学委員会から改めて報告書が出されているものの、あれだけ多くのメディアが「甲状腺ガン」と騒いだ反面、その多発を否定する国連の報告書が出ているという事実は、きちんと報道されたでしょうか。震災後になされてきた報道は、当事者を助けるためのものであったと言えるのでしょうか。
■ これは誰のための「報道」なのか
色々と厳しい意見を綴ってきましたが、最後に、この番組を見ての感想を一言で言うと、「もったいない」と思います。
ビキニ環礁の住民たちの受けた苦難は事実です。第五福竜丸の方々も、直接間接の原因を問わず、さまざまな苦難を味わったことでしょう。それを取材し、伝えるのは非常に意義のあることです。
それなのに、今回の番組はそうした事実を、たとえば誰かの主義主張やメッセージを補強する、あるいは悲劇のドラマを作るというような、「別の何か」に利用するための「踏み台」にしているのではないか、という印象が拭えませんでした。炎上する以前は、もしかすると、福島もその「踏み台」の一つにされそうになっていたのかもしれません。
もしマーシャル諸島の人々のために取材し番組を作ったのではなく、取材した内容を「別の何か」に利用することが目的だったのであれば、その行為は現地の人たちを傷つけてしまうのではないでしょうか。
震災後の福島でも、当初は、被災した人々が日常を取り戻すために「原発」「放射線」などの問題を避けて通ることができませんでした。その一方で「原発」や「放射線」の問題にしか関心がない方は、必ずしも福島の復興やそこに暮らす人々の日常に目を向けることなく、むしろそれらはないがしろにされて、原発や放射線の問題ばかりが福島、あるいはカタカナ書きの「フクシマ」の問題とされてきました。
福島を「踏み台」に、福島そのものとは直接的には無関係な原子力の是非を語る、政治を語る、経済を語る──。その陰には、ないがしろにされてきた住民の声や生活があり、またそこに根差した問題が山積しているのです。
「マーシャル諸島に暮らす人々=水爆実験の犠牲者」というアイコンではなく、政治的な喧噪や原子力の議論に翻弄されてきた彼らの日常を、もっと丁寧に伝えることが出来ていれば。あるいは、そこに暮らす彼ら自身のための報道になったのではないでしょうか。
同様に、福島に関する報道も、別の問題を語るための「踏み台」としての「フクシマ」を描くのではなく、福島に暮らす人々自身のためにもなるような報道が増えていくことを、私は心から望みます。
■ 林智裕(はやしともひろ)1979年生まれ。いわき市出身、福島市育ち。 シノドス主宰『福島関連デマを撲滅する!』プロジェクト立ち上げメンバーの一人。 『福島第一原発廃炉図鑑』(開沼博・編、太田出版)にて共著者としてデマ検証コラムを執筆した他、SYNODOS (シノドス) 、福島TRIPなどにて不定期共同連載中。ダイヤモンドオンライン、Wedgeなどでも記事を執筆。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52558
https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/826914654142739