安部氏は、琉球の明への冊封は、明が琉球から戦争用の軍需物資を貢納させる為であり、それが得られなくなった清は冊封を必要とせず、琉球は島津藩の命令で清の冊封を受け、島津藩から下賜された銀を貢納した、と指摘しています。
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《沖縄・翁長雄志知事が李克強首相にした驚きの媚中発言とは… 朝鮮半島問題研究家・元通産省技官 安部南牛【月刊正論3月号】》
2017.03.18 産経新聞
■ 「奄美・琉球」の世界自然遺産登録に中国が反対
日本が世界自然遺産登録を目指す国内候補の一覧表「暫定リスト」に「奄美・琉球」を入れたことについて、中国が昨年10月下旬にあったユネスコの世界遺産委員会で激しく反対する一幕があった、と昨年11月12日付の『朝日新聞』が報じていた。
その記事によれば、中国の反対は「奄美・琉球」の範囲が尖閣諸島に拡張される可能性があるという理由だったという。この記事を書いた守真弓記者は「尖閣諸島をめぐる日中対立が世界遺産の場にも波及した形だ」と解説している。果たして中国の反対理由はそれだけなのだろうか? もっと、深い理由に基づいて反対しているのではなかろうか。
その「深い理由」とは、中国は尖閣諸島を自国領だと主張するだけではなく「奄美・琉球」を含めて、南西諸島全域を中国領土だと主張する「真意」を持って反対している、のではなかろうか。中国の領土主張は、明・清の時代の冊封体制を根拠に発言されている。このことは本誌1月号の「中国は、沖縄を“特別自治区”と思っている!?」という仲村覚氏の論文でも明らかにされている。
沖縄の基地を巡る問題では、昨年4月12日付の『産経新聞』に「普天間基地返還合意20年」との詳細な解説記事が1面を費やして掲載された。この『産経新聞』の記事が掲載された時、翁長雄志知事は日本国際貿易促進協会(会長・河野洋平元衆議院議長)訪中団の「団顧問」として北京に飛んでいた。同協会は、日本が中国との国交正常化以前に創立されて以来60年の間、日中経済関係に尽力してきた団体である。そして協会訪中団は中共首脳である汪洋・副首相との会談に臨んでいた。
その席上で、翁長雄志知事は「沖縄は600年前から日本・中国・アジアの架け橋として、特に福建省との貿易を中心に交易時代を謳歌した。アジアをつなぐ国際物流拠点、世界水準の観光リゾート地として、アジアをターゲットに大きく発展している」と語っている。それは汪洋副首相に対し、あたかも沖縄は独立した存在であるかのように響かせる発言であり沖縄が日本の一地方に過ぎないことを失念した発言でもあった。
そして、さらに「昨年4月の訪中以降、福建省とは“福建・沖縄ウィーク”の開催など、経済交流が活発化しつつある。経済特区間では連携し共に発展するために、沖縄県産・日本産食品を輸出する際の福建省自由貿易試験区における通関・検疫の簡素化、迅速化について、中国政府のご理解をいただきたい」と述べて、沖縄県が中国の版図に入っているかのような雰囲気を匂わせた。
■ 李克強首相の説く歴史認識
先の発言中で言及されていたように、翁長知事は2015年の4月にも訪中していたのである。その際、人民大会堂「東大庁」での協会訪中団との会見冒頭、李克強首相は「ここ2年、中日関係は困難な状況に直面した。しかし、双方ともこれを改善する意志を持っている」と述べた。さらに日中関係の悪化の原因を「その根っこは歴史問題である」と言及した。
歴史を直視することを強調し、世紀を越しても変わらず「また過去、中国人民に多大な損害をもたらした戦争」と強調し、日本側に反省を促す。先の大戦後の1949年に中共政権が中原に成立してから、朝鮮半島やベトナムに中共政権が軍隊を派遣して戦争を積極的に行ったことを失念したかのような言辞であった。中原に漢族を主体とする政権が成立すると周辺諸国に軍を進めた歴史を無視した「歴史認識」であった。
李克強首相は協会訪中団を前に「70年前にファシストが発動した中国への戦争を含む世界規模の戦争は中国人民に多大な災難をもたらした」と述べ、一方では「この70年間は世界規模の戦争は発生しなかった」と言い切った。自国の軍隊が行ったこの70年間の幾多の戦争、北は旧ソ連に西はインド、南のベトナムに東の朝鮮半島へと、軍隊を進めて砲火を交えた過去はどこへやら、である。
そして中国共産党の煽った反日暴動が大きく響いて「困難な状況に直面」させたことも、東南へ進出する国内世論の形成の一環などとは思わないのだろう。尖閣諸島の領有を目指す軍事的威圧、東シナ海上の中間線域での一方的なガス田開発、小笠原諸島沖の赤サンゴの採掘など近年、中共側が「困難な状況」を作ってきたのは、日本周辺の資源を求めての行為であり、それらは歴史的に中原に政権が成立してからの漢族が取ってきた行為の継承そのものである。
これらは、李克強首相が「歴史認識」として強固にかつての「冊封体制」意識を持っていることを示すものではなかろうか?
前置きで日本側を牽制した後、李克強首相は本題に入った。
「中日経済関係には非常に大きな相互補完性がある。日本は多くの分野とりわけ技術において先進的で、先進的な管理システムがある。中国はそれらを求めている」
李克強首相は「経済関係には相互補完性がある」と述べて、その直後に「先進的技術を中国は求めている」と本音をのぞかせる。ここに中共側の深刻な課題が垣間見える。毎年6億トン以上も生産する「鉄」が累積されて、中共政権支配地域にあふれている。古来、漢族は「鉄」を積み上げて財としてきた。今もその伝統は生きていて、地方政府も含めて蓄財ならぬ「蓄鉄」が常態化している。
「日本の技術と中国の市場がしっかりと結びつけば、非常に大きなエネルギーを引き出すことができると思う」と、李克強首相は日本の技術へのこだわりをみせる。この場合の技術の第一は「鉄」の質を向上させる技術であろう。それは軍事技術の向上に直結する。今の中共政権下の「鉄」では、作れない兵器が多すぎるのだ。
この後、李克強首相はAIIB(アジアインフラ投資銀行)について、「国際金融危機が勃発して以来、既存の国際金融システムに欠陥が現れた。中国はG20及び他国と努力して、既存の国際金融システムを改革し、それを更に完全なものにし、公平、合理的でバランスの取れる方向で発展させていきたい」と説明する。
ある意味で、李克強首相の説明は正直である。すでに、AIIBが中共政権下で余剰に生産されている鉄(粗鋼)を、インフラ整備の支援をお題目にしてバラまく為に設立された、という見方は広がっているからだ。中共政権下での粗鋼生産量は7億トンを超え世界一(2013年)であり、2位の日本の7倍、3位の米国の9倍に達している。
漢族のいう「カネ」は歴史的には「鉄」を指すのだ。「バランスの取れる方向」とは、その「鉄」を出すから、代金を払えということに他ならない。代金の「カネ」は先進資本主義諸国の「カネ」、ドルとユーロであろうか。ドルとユーロには技術が付いてくる。
李克強首相の言動は徹頭徹尾、価値判断の基準は漢族の中共政権にありとするものであり、歴史的な冊封体制的価値観そのものだ。その冊封体制とは、中国史学者の西島定生東大名誉教授の分析に沿って述べると、キーワードは「中華」(特別地域)、「夷荻」(野蛮の地)であり、伝統的には皇帝は天子として夷荻に臨む存在であった。そして今の中共は、マルクス・レーニン主義教典を使って漢族の共産党の支配地域を「中華」とし、共産主義世界の拡大を図ろうとしている。
天子が近隣の蛮族の王(首長)と君臣関係を結ぶことが「冊封体制」であった。天子の直接支配圏が宗主国となり、天子は周辺蛮族から朝貢を受けた。蛮族支配地域の産物が天子へ献上され、絹布や陶磁器・漆工品などが下賜されている。むろん、冊封を受ければ蛮族扱いを免れ、「中華」からの軍事的圧力も免れた。
李克強首相の冊封体制とは、中共政権に額ずく周辺諸国へ「鉄」「セメント」を下賜するから、代わりに不足している原料(北朝鮮の場合には無煙炭など)を、韓国の場合には知的財産権を主張せずに「技術」を寄越せ、ということになろう。
AIIBの説明に次いで李克強首相は、日中の戦略的互恵関係の種は民間にありと述べて「昨年、中国は海外からの観光者が1億人を突破した」と強調した。それを受けて、協会訪中団の河野洋平団長は「中国の観光客をもっと受け入れたいと沖縄は考えている。同県の知事が参加しており、一言発言をお願いする」と、翁長雄志沖縄県知事の発言を促した。
■ 冊封体制を理解しない翁長知事の姿勢
翁長雄志知事は、李克強首相と会えたことに感激の「言葉」を口にして「沖縄はかつて琉球王国として中国をはじめ広くアジア諸国との交流の中で栄えてきた歴史がある。中国とは冊封制度をしてきた」と、冊封体制に言及した。
ここで翁長雄志知事は、沖縄の歴史を正しく認識できていないことを露呈した。それは、琉球王国に明王朝が何故に冊封体制を求めたのか、という史実である。
黒色火薬は漢族の三大発明の一つに挙げられている。その黒色火薬の製造原料は、木炭、硝石、硫黄であった。混合比率は木炭が10~20%、硝石が60~70%であり、硫黄の比率はおおよそ木炭と同じであった。漢族居住地域で黒色火薬が発明されたのは硝石を豊富に産出したからだ。しかし硫黄の産出は少なく、明は琉球王国の版図内から供給を受ける必要があった。
豊臣秀吉の朝鮮への軍事進出(文禄・慶長の役)に対して、宗主国の明は軍事支援を行うが、その時の主要武器は大砲であった。秀吉軍の武器は火縄銃であり、火薬の使用量が異なった。秀吉軍の朝鮮半島支配が成就しなかったのは、明に対して火薬の使用量で劣ったからでもある。 その明王朝の火薬製造が九州南端の火山島に依拠していることに気付いた薩摩の島津家久は徳川家康の許可を得て、薩摩武士団を沖縄へ派遣する。その際に奄美5島を割譲させ、与論島以北を琉球王朝から引き離して島津氏の直接支配地域とした。硫黄の産地を琉球王朝から引き離したのであった。
秀吉の野望を阻止できたのは琉球王朝から貢納される硫黄に負うところが大きかった明だが、その火薬の原料・硫黄の供給地である火山島が島津氏に領有されると、明の軍事力は低下していき、ついには明王朝は滅亡、漢族を支配下に置いた清王朝が成立する。
硫黄を産出しない琉球など清はお呼びでなかったが、島津藩の命令で琉球は清の冊封体制に入る。唐物(絹・漢方薬材など)を島津藩が欲したのである。今度は島津藩が清の必要とする物産を仕立てて、琉球経由で輸出入を行った。これがいわゆる「進貢貿易」であった。清の要望する物産は琉球に産出しなかったので、島津藩の指示下で琉球は貿易した。その結果、琉球に対する島津藩の影響するところが大きく響き、実質的に琉球は清の冊封体制から外れて日本化していく。それは幕末に琉球を訪れた外国人には、日本の一部だと認識させるに十分だった。その事情は、本誌昨年11月号の惠隆之介氏「ペリー文書発掘スクープ!」論文に示されている。
実質的に冊封体制から外れたのは、琉球に清の欲する物がなかったからだ。だから、同じく「冊封体制」に入ったからといっても、明と清では大きく内容が異なる。明は琉球王朝へ冊封を求めたが、清の場合は島津藩の指示に従って入ったのであった。
そこで次の翁長雄志知事の発言が気掛かりとなる。
「福建からは500名、600名が琉球に渡ってきて帰化し、たくさんの技術と文化を伝えた。福州市内には志半ばで亡くなった琉球人の墓がある。それを地元の人々が今日までずっと管理している。当時、琉球人が宿舎に使用していた建物も残っている」
何で李克強首相の前で、日本人と言わずに琉球人と表現したのだろう。その発言からも翁長雄志知事の日本の近代を受け入れない認識がうかがえる。さらに、「科挙制度のために全国各地から集まって来た人のために“国子監”が北京にはある。琉球人の先祖もオブザーバーとして学んだ。彼らは帰国後、大臣になったり、大きな力を発揮して頑張った」と述べているが、それは何時の時代なのか?
少なくとも清ではない。明の時代に琉球からの留学生を受け入れ厚遇したのは硫黄の産出地であったからだ。
なにしろ翁長雄志知事は徳川幕藩体制下の「琉球」意識は全くなく、琉球は「小さな国であったが、アジアとの交流を通じて栄え、独自の文化を作り上げた。今日、アジア経済の著しい成長が沖縄を覆うようになった」と述べて「今までは日本の辺境、アジアのはずれといわれていた沖縄が大きな活力を持つようになった」と、中共政権下の経済発展が沖縄を日本の辺境からアジアの中心にしているとする認識を披露する。
沖縄独自の文化が薩摩・島津氏の影響の下で育まれた史実も消去している。明の時代には硫黄を運び、清の時代には銀を運ぶ「進貢貿易」としての大陸との交流であったが、その清の時代に運んだ銀の大半は薩摩・島津氏から下賜されたものだったのだ。
■ 今、中共政権の欲する物
昨年7月12日付『産経新聞』は1面トップ記事で、東シナ海ガス田開発を巡って「海上施設 習主席に抗議」と報じた。その記事中に、ガス採掘用の「プラットフォームが軍事拠点化される恐れも否定できず」とあった。南シナ海の岩礁埋め立てや滑走路の建設は軍事拠点化の現れだ。中共はまさに今、海上に“万里の長城”を建設しようとしている。
冊封体制下の李氏朝鮮は清からの領土の割譲要求を警戒した。冊封体制に組み入れられた周辺少数民族の王朝は、貢納すればそれ以上の下付があった、とされているが、本当だろうか? 李氏朝鮮では、わざわざ金を輸入して清に「貢納」していた。国内の平安北道にある金山を隠したのである。
今も北朝鮮の金正恩政権が中国の習近平政権とぎくしゃくしているのは、中国側から地下資源を簒奪されることを警戒しているからだ。中国にとって、マグネシウムやタンタルなど、自国に不足しているレアメタルを豊富に埋蔵する北朝鮮を影響下に置きたいのだ。金正日死後の権力闘争の背景にはそうした事情がある。
では、中共政権は沖縄県に何を求めているのだろう。注目すべきなのは中共政権支配海域ではメタンハイドレートの存在が確認されていないことだ。水深600~800メートルよりも深い海域に埋蔵しているメタンハイドレートは、尖閣さらには沖縄を版図に入れれば開発が可能になる、中国にとってはノドから手が出るほど欲しいエネルギー資源である。
李克強首相との会談の前に開催された「中日企業協力の展望」と題されたシンポジウムにおいて、沖縄県アジア経済戦略構想策定委員会の富川盛武会長は「沖縄は日本の辺境ではなく、アジアの中心である。人口減少に転じた日本経済は、国内市場に依存していては縮小していく。それゆえに成長が著しいアジアに市場を求めて展開せざるを得ない状況にある」と発言している。この策定委員会なるものは、翁長雄志知事が掲げる「沖縄県の自立」へ向けての構想を作っている組織だ。
富川会長はさらに、「明の時代より琉球は中国と友好関係を構築し、福建省などから官僚や技術者が琉球を訪れ、琉球王朝を支えたと言われている。沖縄は“万国の津梁”として、アジアの橋頭堡として位置づけられ、日中の友好と発展に大きく貢献できる」と発言した。しかし、問題は中共政権とどういう友好を図るのか、だ。沖縄島嶼群へ軍事的圧力を掛けてくる中共の人民解放軍、日中中間線上に軍事基地の建設を図る中共政権と、どのように友好関係を築こうというのか。まさか「歴史を鑑にして」、硫黄を求めた明の冊封体制へ戻ろうというのだろうか?
敗戦による大日本帝国崩壊後には沖縄島嶼群を軍事占領した米軍が、中国に睨みをきかせている。『週刊朝日』誌には、翁長雄志知事の「いまや米軍基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因」という言葉が紹介されていたが、本当にそうなのだろうか。自由や民主主義を価値観の基礎に置く米軍が沖縄にいることが、中共政権の進出を抑えているのが実情ではないのか。
『週刊朝日』は「翁長が目指す経済自立」と、普天間飛行場の辺野古移設をめぐり安倍政権と対立する翁長雄志知事を持ち上げているが、同誌は冊封体制が大陸・中原に覇を唱えた政権が周辺地域に、自らの支配地域に産出しない産物を求める政策だと認識しているのであろうか。
中共政権にとって都合の良いことに、米軍が過度に中東問題に力を注ぎ、その威勢が衰えてきた。さらに福州市の名誉市民・翁長雄志知事が誕生し、千載一遇のチャンス到来だと受け止めたのだ。
翁長雄志知事は2年前「思いがけず、李克強総理とお会いできたことを嬉しく思う」と述べたが、それは思いも掛けずではなく、工作し、包摂する為に会ったのだ。中共にとって沖縄は日本の辺境ではなく、大陸の縁辺であり、メタンハイドレート開発の拠点を築く予定地なのである。その李克強首相へ翁長雄志知事は「福建省に自由貿易区ができると聞いている。沖縄にも様々な特区がある。ぜひ、交流を促進していきたい。福建省との定期便が就航することを願っている」と陳情した。
これに李克強首相は「両国の地方政府の交流を支持している。福建省の自由貿易試験区は沖縄を含め日本にも開放している」と応じた。ここで李克強首相は沖縄県の名前をまず挙げて、次に「日本にも」と付け加えた。
果たして翁長知事は、沖縄県が目指す経済自立が日本の安全保障を害するに至る可能性を感じているのだろうか。ことは相当に深刻といえそうだ。
参考文献 ▽新里恵二『沖縄県の歴史』(山川出版社、1972年刊) ▽日本国際貿易促進会『報告書』(第41回訪中代表団、2015年4月派遣/第42回訪中代表団、2016年4月派遣) ▽『週刊朝日』(2015年8月14日号)
■ 安部南牛(あべ・なんぎゅう) 昭和14年、福岡県生まれ。工学院大学卒業。旧通産省工業技術院、化学技術研究所主任研究官を歴任。平成12年に定年後、15年まで化学技術戦略推進機構つくば管理事務所長。専攻は鉱工害処理技術。著書に『筑波研究学園都市の概成』、共著に『北朝鮮の軍事工業化』『戦後日朝関係の研究』など。
※この記事は、月刊「正論3月号」から転載しました。
http://www.sankei.com/premium/news/170318/prm1703180024-n1.html
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