01/04/2016 03:41:51 AM

済州島における吉田清治の「朝鮮人従軍慰安婦強制連行」は全くの捏造で、朝日新聞も謝罪しました。

しかし、韓国政府が1947年~57年に起こした一連の「済州島民虐殺事件」は、島民28万人のうち8万人を虐殺、村々の70%が焼き尽くされた実際の事件でした。韓国軍は島民の住む村を襲うと若者達を連れ出して殺害するとともに、少女達を連れ出しては2週間に渡って輪姦、虐待を繰り返した後に惨殺したと言われています。この時に多くの島民が日本に逃れて在日韓国・朝鮮人となりました。事件前に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされます。

韓国人が自国の歴史の汚点を隠蔽し日本に罪をなすりつけようとするのは、許せないが動機は推測できる。しかし、日本人にこの行為を行う者がいるのは、頭がおかしいとしか言いようがない。

《韓国・済州島に「慰安婦像」 日本史捏造でも、消し去れぬ島の数万人虐殺史》
2015.10.19 SANKEI EXPRESS 野口裕之

 「島民や国内外の観光客にとって、平和と歴史教育の象徴の場になる」

 韓国・済州(チェジュ)島の大学生組織《平和碑建立推進委員会》の決意を知り、韓国の「民主国家入り」が近いと感じた。闇に埋もれる「血塗られた島」の歴史を調べ、内外に真実を訴える覚悟だと。でも、やっぱり過剰な期待だった。島内の日本総領事館前の広場に“慰安婦問題”を象徴する少女像を設置する計画宣言に過ぎなかったのだ。観光地として名高い済州島だが、武力闘争と鎮圧でおびただしい数の人々が虐殺された。2003年の政府報告書は2万5000~3万人と記すが、4万~6万~8万人の研究結果も存在する。虐殺前の島民は28万人だから人間の所業とは思えない。

 朝鮮戦争(1950~53年休戦)前の1948年4月3日、現・朝鮮労働党の前身の一つ北朝鮮労働党の南部組織=南朝鮮労働党が起こした武装蜂起が発端で《済州島四・三事件》と呼ばれる。といっても、韓国歴代保守系政府はじめ恐怖を引きずる被害者や過去の暴露を恐れる加害者…、それぞれの姿勢が複雑に絡み合い、大半の真相は死者とともに葬られている。そこで提案が有る。不都合な狂気の殺戮史解明にまともに取り組めば、大日本帝國陸軍による「朝鮮人従軍慰安婦の強制連行」などと日本史偽造に耽るヒマはなくなる。何より、事件で大量の密航難民が日本に押し寄せ、居座った正史も知るところとなろう。

■ 120万人?耳を疑う数

 朝鮮戦争をはさみ、済州島を皮切りに本土でも虐殺事件が頻発した。とりわけ、開戦2日後以降続く《保導連盟事件》は10万~120万人とばらつきはあるものの惨殺数には耳を疑う。南朝鮮労働党(南労党)といった親北朝鮮共産主義者が勃興→武装闘争やストライキが広まり→反共の韓国・李承晩(イ・スンマン)政権(48~60年)が無辜の民もろとも弾圧…と、対立の構図は済州島事件に似る。日本人の理解をはるかに超える残虐な諸事件の背景には一義的に▽共産主義者の凶暴性▽共産主義に対する強い警戒▽人権無視▽防共も目的とした戦争…などが横たわる。ただ、それだけでは説明できぬ。

 朝鮮民族特有の精神構造《火病(ファッピョン)=憤怒症候群》とは、どう関係するのだろう。一部の人は「朝鮮民族特有の有り得ない激高」と“異訳”をするが、正確には「怒りの抑制に因る各種障害」だという。原因には諸説在り、総合すると《度重なる戦争・政変・略奪・復讐…など、過去の体験で生まれた『恨(ハン)』に根ざす永続的悲哀》との定義も可能だ。複数の論文には、幾つかの症状が紹介されていた。症状を《切迫した死への恐怖》→《パニック》→《生存本能が込み上げる》と並べると、虐殺に至る心理状態の推移が、おぼろげながら“理解”できる。

■ 朝鮮民族特有の「火病」

 済州島事件も、火病の側面ナシとは言い切れない。48年に入り、米陸軍司令部軍政庁が軍政を敷く南朝鮮は単独政権樹立に向け、共産主義の北朝鮮抜きで代議員選挙を決める。だが選挙の前後、済州島でも、北朝鮮の細胞や細胞に扇動された共産主義派島民が武装蜂起したため、警察や南朝鮮派民間人、《警備隊=後の韓国陸軍》が鎮圧する。ところが、共産主義派は山岳部に潜伏してゲリラ戦で対抗し、韓国独立=李承晩政権になっても山狩りが続く。朝鮮戦争開戦後も惨劇は治まらず、共産主義に同調する?島民の処刑・粛清も続発。結局、勃発~完全掃討まで6年半近く要した。

 いずれの大量殺戮事件でも、理由も分からず人を殺した者が少なくない。特に済州島事件のエスカレートぶりは筆頭格で、火病を想起させる。赤色テロを敢行する共産主義派におびえる南朝鮮派VS報復や反共を理由とする白色テロにおびえる共産主義派の、双方の《切迫した死への恐怖》は《パニック》→《生存本能が込み上げる》と、火病の症状をたどったかもしれない。

 済州島事件に関しては2000年に特別法が整備され、被害認定/名誉回復/調査報告書発行などが行われた。4.3平和公園に▽記念館▽慰霊館▽犠牲者発掘遺骨奉安館が建てられ、慰霊碑や犠牲者刻銘碑も悲しみを誘う。しかし、真相究明は2000年代半ば以降、保守派と非保守派の「政治的歴史観」の違いも在り、進展していない。実際、地元知事らの出席を請う陳情を受けた4月3日の67周年追悼式に、保守派の朴槿恵(パク・クネ)大統領(63)は昨年に続き欠席した。日韓関係史ばかりか、国史も正視ができぬらしい。

■ 像設置の前に真実を学べ

 もっとも、朴大統領にはもう一つ「知られたくない歴史」がある。済州島事件制圧の出動命令が下った韓国軍部隊が部隊ぐるみで決起。他部隊と呼応し警察官や市民らを殺す《麗水(スヨ)・順天(スンチョン)事件》を起こす。彼我両側の将兵を含め8000人の軍民犠牲者を出して鎮圧されたが、軍内の南労党細胞が仕組んだ陰謀だった。徹底した粛軍が断行され、朴氏の父君・朴正煕(チョンヒ、1917~79年/後に大統領)も細胞として摘発。軍歴評価が高く死刑は免れ無期懲役となり、朝鮮戦争で軍に早々復帰している。

 ところで、「慰安婦像」建立計画を進める済州島内の大学生に学んだか否かを問う。遺族証言が正しければ、一部島民が「裁判なしの即決」で、石に縛られ生きながら海に「廃棄」され→被害者の可能性が濃厚な朝鮮民族多数が長崎県・対馬に漂着→地元民が引き上げ→寺院に丁重に葬った…経緯を。膨大な数の在日韓国・朝鮮人の中で、済州島出身者が圧倒的な割合を占めるのは事件後、難民となり日本に逃れ、そのまま居座った非合法・合法の人々数千人(数万人説アリ)が原因である現実を。

 済州島内の大学生がやるべき研究・運動は「慰安婦像」設置ではない。島内のいたる所にいまだ埋まる遺体だけでなく、事件も発掘し、真実を闇から引きずり出すことだ。

 やるべきことを怠る一方で「慰安婦」の「虚像」を建てる意図は奈辺に在るのか。済州島をウソと闇で塗り固めた不気味な観光地にしたいのか。あるいは「慰安婦」も済州島事件も、一緒くたに日本の仕業にでっち上げるつもりなのか。でなければ、なぜ「慰安婦像の台座に済州島事件を象徴するツバキの花を彫り込む」のか。

 火病は「恨」に根ざすという研究も目にしたが、「逆恨み」は哀れだ。

(政治部専門委員 野口裕之/>SANKEI EXPRESS)

http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/151019/wor15101909140011-n1.html

https://www.facebook.com/koichiro.yoshida.jp/posts/532733013560906