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著名な米ジャーナリストであるマイケル・ヨン氏が、歴史捏造映画「アンブロークン」の原作の嘘に、一万ドルの懸賞金を懸けて真実を問うています。氏のジャーナリストとしての姿勢に、心より尊敬と感謝の意を表します。
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《求む 真実!:賞金 一万ドル 進呈 「1944年にティニアン島で日本軍が五千人の朝鮮人を殺害した」というローラ・ヒレンブランドの主張を立証できた方には一万ドルを進呈しよう。》
2015.11.14 マイケル・ヨン
(写真:ローラ・ヒレンブランド著「アンブロークン」)
1944年のティニアン島での出来事について書いた部分
(写真:同書抜粋)
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日本軍はこの島で5千人の朝鮮人を労働者として働かせていた。米軍が侵攻して朝鮮人達が敵に寝返ることを恐れた日本軍は、「皆殺しの原則」を実行した。5千人の朝鮮人全員を殺害したのだ。
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ベストセラー作家のローラ・ヒレンブランドは、その著書の中で、1944年、日本軍がティ二アン島で5千人もの韓国人を殺した、と二度も書いている。出版社にも連絡を取ったが、私の質問に対する回答はなしのつぶて だ。 ヒレンブランドへの取材も拒否された。10年ほど前、別件で彼女に取材したことがある。そのときのヒレンブランド女史には好感を持ったのだが。
事の次第はこうである。我々のチームが関連した別の件を調べているとき、偶然、ヒレンブランドの誤りを見つけた。
(写真:同書抜粋)
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全員殺害しろとの命令に従い、日本軍はティニアン島に徴用されていた5千人の朝鮮人全員を大虐殺した。
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戦闘は当時、熾烈を極め、多くの日本人と一般市民が自害した。子供たちと一緒に崖から飛び降りる者や、日本兵によって殺害された例もあった。多くが崖から飛び降りたり洞穴に逃げ込んだ。
後に降伏した者も多かったが、頑として抵抗を続け、洞穴から出てこないと、火を入れられ入り口を封鎖された。
しばらくしてティニアン島はすぐに、世界で最も離発着機の多い空港となった。焼夷弾や原爆を積んだ爆撃機はこの島から日本へ 飛び立っていった。島は米軍の部隊で溢れていた。しかし侵攻前に大規模な殺人が行われた、との報告は一切無い。
当時 島には2千4百人の朝鮮人を含めて総計数千人の市民がいたとの報告がある。ヒレンブランドは、その2千4百人の倍以上の人々が殺害されたと書いているのだ。
第二次大戦直後のティ二アン島の記録。
(写真)
http://catalog.hathitrust.org/Record/001150096
1957年に書かれた上記のレポートは、2015年現在における政治的・社会的圧力とは一切無縁であることに注意してほしい。戦時中の日本軍に関する中国の「言いがかり」は、戦後 数十年たってから始まった。
1944年(米軍が侵攻する前) のティニアン島の人口推計。
(写真)
http://catalog.hathitrust.org/Record/001150096
我々の侵攻後に調査した人口。
(写真)
ニューヨークタイムズの記事によると、当時島にはまだ多くの朝鮮人が居住していて、皆で募金した $666.35を米軍に寄付した、とある。我々はニューヨークタイムズのアーカイブを調べた。
下は1945年の報道。
(写真)
ヒレンブランド女史は現実と向き合うべきだ。
彼女の本は 実話と銘打って「ノンフィクション」のカテゴリーに分類され、アンジョリーナ・ジョリーが監督した映画の原作本にもなっている。ところがその本には作り話が含まれている。そんないい加減な本はとるに足らない、と切って捨てることもできたが、一応この記述の誤りについて出版社に知らせた。しかし驚くべき事に出版社は我々の警告を一切無視している。
我々は巻末にあったヒレンブランドの参考文献や情報源リストをチェックした。
すると、一つの情報源は出鱈目であった。情報源であるとされた会社にコンタクトをとったところ、その会社はヒレンブランドのあげたレポートに関与していないと回答してきた。ヒレンブランドは「情報源」について確認を取ることをしていなかったことがわかった。
もう一つのニュースソースはただの伝聞に過ぎない。
韓国人と中国人は事実ではない歴史を事実と思い込ませる為に、世界中に記念碑を建て続けている。我々は中国の仕掛ける、日本・米国をはじめとする国々への大規模な情報戦争のまっただ中にいて、記念碑や石碑は中韓の武器の一つだ。ヒレンブランド女史は罠に落ちた。彼女は騙されたのだ。しかし出版社はそのことを認めようとしない。
それは、あたかも、米国海兵隊が行った、戦後の戦争捕虜や収容市民の調査に大規模な隠蔽工作があったとか、致命的な怠慢があった、と言っているのに等しい。
つまりヒレンブランドは、小さな島での五千人の大量虐殺を、米国海事委員会と米国海軍が共謀して隠蔽した、あるいはこの大量虐殺という戦争犯罪を知ることができないほど無能だった、と、言っているようなものだ。
また、日本への空襲と原爆投下の爆撃機はティニアン島から発進していったことを憶えておきたい。もしも当時、ティニアン島で五千人もの朝鮮人が日本兵に殺害されたと知っていたならば、アメリカは爆撃を正当化するために喜んで宣伝に使っていただろう。しかし、当時、米軍はそれについてなにも宣伝していない。
驚くべきことに、ヒレンブランド女史は情報の元となる書類をあげておらず、インチキと伝聞を元に、まことしやかに書いている。我々はヒレンブランドの言っていることを支持する記事を見つけることはできなかった。
1945年、ティニアン島で書かれてニューヨークタイムズに掲載された記事は、ヒレンブランドの記述に対するストレートな反論である。
無罪を立証する証拠を示す責任は責められる側(この場合は日本軍)にある、という者もいる。だがそういう理屈はまるで昔の東ドイツか北朝鮮のようでナンセンスだ。
もしも米軍がアフガニスタンで5千人を殺したと誰かが非難したならば、私はアフガニスタンに飛んでいって、その申し立てが本当かどうか確かめるだろう。もしもそれが事実であったならば我々はあまんじてその罪を認めよう。もしもその情報が違っていたら、我々はいわれの無い罪をきるべきではない。
ヒレンブランド女史は本に出てくる場所に行ったこともないし、出版されるまで、その本の「英雄的な主人公」に会ったことすらなかった。
ここで大きな疑問が湧いてくる。なぜルイス・ザンペリー二本人の自伝が出版されなかったのか。当時、彼は生きていたのだから、正真正銘の自伝を出版することができたはずだ。
今年、私はバターンと死の鉄道に行き、日本軍による戦争犯罪を調査してきた。それは確かにあった。証拠もある。
ビルマでは戦争犯罪の証拠を発見した。日本人に好意を持っている当時の目撃者にも取材をした。そのほか今年は、調査のためにインドネシアやマレーシアにも行った。今後はタイ国、日本、その他へも行くつもりでいる。
だが、信じる信じないに関わらず、日本人は多くの国で尊敬されている。これまでアジア各国の老人を取材をした。老人達は皆、一様に、第二次大戦中の日本人に好意を持っていた。フィリピン、ビルマ、タイでも同じ質問を聞した。その答えは「日本軍は、我々をまるで兄弟か姉妹のように扱ってくれた」であった。(異なる文化の人々が当時の日本軍のことを同じように言っているのは興味深い。)
これはまるで土質のサンプルを取るようなものだ。 あるところでは日本人は尊敬されていて、別の場所では日本軍の戦争犯罪があった。当時同じような戦争犯罪が起こったことは よく知られている。つまり我々アメリカについても同じようなことが言えるのだ。
米国では正義と真実が重んじられる。我々は北朝鮮ではない。我々はアメリカ人だ。現在の敵でも昔の敵でも、よいところは認めなければならない。真実を持ってこそ正義がなされる。
五千人が殺されたということは五千もの戦争犯罪に匹敵する。戦争犯罪に時効は無い。
こんなことを言うと「お前はホロコースト否定論者か?」などと言ってくる者もいる。実際、中国の罠に引っかかった著述家兼ジャーナリストが私に難癖をつけに来た。
ナチの戦時残虐行為について証明する記録や証拠は一立方マイル四方の空間を埋め尽くすほど存在し、それを読むのに世界で最も速読できる人でも、一生かかっても読み尽くせないくらいだ。しかし日本兵が五千人の朝鮮人を殺害したとの証拠は何も無い。根本的に異なる話だ。
「金を出して口も出すか、さもなければ黙るか」 どちらにするか決めるときだ。私は金を出して口も出す方を選ぶ。
もしも誰か、米国公文書館や同等の信頼できる情報源からの証拠を発見できたら、私のポケットマネーからヒレンブランド女史の無実を晴らすために一万ドル 進呈しよう。
本にはまだ問題があるが、今は上記の二点についてだけ指摘しておく。
さあ、テーブルに一万ドルある。
挑戦者を待っている。
現金、ペイパル、マネーオーダー、どれでもいい。
やってみないか?
(英文HP)
http://www.michaelyon-online.com/truth-wanted-10-000-reward…
(和文HP)
http://michaelyonjp.blogspot.jp/2015/11/blog-post_14.html
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