2014/06/27 8:05

中国が、米国を舞台に「慰安婦」戦を開始しました。「慰安婦の大半は20万人の朝鮮人と考えられてきたが、同数の中国人慰安婦が存在」「旧日本軍は占領地域から数多くの女性を誘拐し、軍の『慰安所』に収容。家族が拷問、殺害」。捏造の更なる拡大を進めています。
そもそも慰安婦の多くは日本人であり、軍ではなく民間業者が高給で募集。本人の誘拐や家族の拷問、殺害など有り得ませんでした。

《「中国人慰安婦」著者に聞く―共謀者扱いされた女性たち/WSJ》

 日本政府が1993年の河野洋平官房長官談話を有識者に検証させたことで、旧日本軍が生んだ「慰安婦」という耐え難い問題にあらためて焦点が当たっている。

 米バッサー大学アジア研究学部の丘培培(Qiu Peipei)教授は近著「Chinese Comfort Women(中国人慰安婦)」で、第二次世界大戦中の日本による侵略の中で最もトラウマに満ちた側面に新たな視点を提供した。この本の執筆には上海師範大学の蘇智良教授と陳麗菲教授も共著者として加わっている。

 これまで研究者らは慰安婦の総数が最大で20万人に上り、大半が朝鮮人だったと見ていた。だが、丘教授の著書によるとアジア全体で40万人の慰安婦が存在し、少なくともその半数が中国人だった可能性があるという。

 慰安婦問題はすでに日韓関係を深く傷つけているが、中国でこの野蛮な歴史の一幕に関する研究が進むにつれて中国政府が独自の主張を強める可能性がある。しかし丘教授の著書によると、中国の慰安婦は2度犠牲になることが多かったという。最初は日本軍の、戦後は中国共産党の官僚たちの犠牲になったというのだ。共産党は慰安婦に対し、日本の共謀者というレッテルを貼っていた。

 ウォール・ストリート・ジャーナルは電子メールで丘教授に話を聞いた。

 Q:慰安婦の大部分は朝鮮人だったと長く考えられてきた。教授の研究では同数の中国人慰安婦が存在した可能性が示唆されている。なぜ今になってこれが明るみに出たのか。

 A:中国では戦後長い間、このことが表面化しなかった。レイプ被害者は恥ずべき存在と見られ、時には「敵国支援」の共謀者と見なされる場合があったからだ。旧日本軍が戦時中に設置した「慰安所」には膨大な数の中国人女性が収容されていたが、これに関する情報が最初に出たのは1990年代後半になってからだ。当時は韓国と日本で「慰安婦」への補償を求める運動が起こっており、中国でも旧日本軍の慰安所に対する調査が全国規模で広まった。ただ、この研究結果を英語で得られるようになったのは最近のことで、中国以外での認知度は低かった。私はこうした情報格差を埋めることで、この問題についての理解を一段と深めることに寄与したいと思う。

 Q:生存している元中国人慰安婦は何人いるのか。

 A:これまで証言を行った女性の中で、生きているのは23人しかいない。今は全員が80代か90代だ。

 Q:中国人の慰安婦は特にひどい仕打ちを受けていたのか。当時の日本にとって中国は敵国で、朝鮮は植民地だった。

 A:旧日本軍の「慰安婦」制度でどの民族集団がひどい仕打ちを受けたかを比べるのはやめよう。民族にかかわらず、全ての犠牲者が「慰安婦」制度で恐ろしい虐待を受けたという点を私は強調したい。それと同時に、歴史と未来のために、旧日本軍が敵国の女性や市民を言葉にならないほど残忍に扱ったという点を指摘することも重要だ。旧日本軍は占領地域から数多くの女性を誘拐し、軍の「慰安所」に収容した。誘拐された女性の家族が拷問されたり殺害されたりする場合もしばしばあった。

 Q:戦後、中国人慰安婦の多くが共謀者という汚名を着せられ、虐げられた。現在、こうした女性に対する中国政府の公式見解はどのようなものか。

 A:アジア各国で「慰安婦」への補償を求める運動が起きて以来、中国政府は日本が戦争犯罪の責任を回避してきたと公に非難してきた。中国側の主張は、(国交が正常化した)1972年の日中共同声明で日本政府への賠償請求権を破棄したのは中国政府のみで、市民が個人で補償を求めることを中国政府は禁止しないというものだ。

 だが、中国政府は個々の犠牲者に実質的な支援を与えることはなかった。あったとしても、通常の社会福祉政策の一環として、一部の生存者が地方政府から限定的な財政援助を受ける程度だった。草の根レベルでは、特定された「慰安所」に収容されていた生存者が地元住民から手厚い支援を受けたほか、個人から集まった寄付金は中国「慰安婦」問題研究センターを通じて少額ながらも毎月犠牲者に支払われた。

 Q:「慰安所」の実態については、いくつかの議論がある。少なくとも従来は、一部は普通の売春宿に似たものだったとされている。教授の著作ではこの違いが描写されていないが、なぜか。

 A:中国人「慰安婦」の証言から明らかになった「慰安所」制度の隠された一面とは、旧日本軍の大部隊や売春宿経営者らによって設立された公式の「慰安所」に加え、小部隊が即席でこしらえた「慰安施設」が非常に多く存在したことだ。小隊や分隊でさえ、性の奴隷として女性を監禁することが多かった。戦時中を通じ、当座しのぎとも言えるこうした施設が正式に認可された軍慰安所と併存し、極端に野蛮な行為や殺害が行われていた。中国人「慰安婦」の大部分はこの簡易「慰安施設」に入れられたため、中国人生存者の証言は自然と現実を映し出している。

 中国人「慰安婦」の経験を客観的に捉えるため、私たちはさまざまな「慰安所」に収容された生存者から証言を集める努力をした。例えば、本に登場する雷桂英さんは海外に住む日本人夫婦が経営する「慰安所」に閉じ込められた。民間人が経営する売春宿だが、雷さんが受けた仕打ちは犯罪的な暴力に等しかった。抵抗する雷さんに対し、日本兵は暴行をふるったうえ銃剣で刺し、片足の不具合は今でも残っている。

 Q:中国での慰安婦制度は女性を集める中国人仲介者に依存していた。法の裁きを受けた者はいるのか?

 A:地元民と占領者との共謀の仕方は状況によって異なる。旧日本軍と積極的に共謀して慰安所を設置し、その経営に参加した者もいる。一方、女性を集めるのを拒めば占領軍が住民を殺すと公に脅していたため、そうせざるを得なかった地方公務員もいる。こうした仲介者の行動は、占領軍からの圧力が原因だったとして完全に正当化することはできない。ただ、旧日本軍が占領地で広範な殺りく行為を犯していたことを考えると、占領者の命令を断れば多くの地元民の安全が危険にさらされたのは明らかだった。

 私は著書の中でさまざまな共謀について議論している。その一つがQiao Hongnian氏のケースで、同氏は南京で女性に売春を強要して旧日本軍を積極的に支援していた。Qiao氏は戦後、中国の法廷で裁判にかけられた。

 Q:中国では国粋主義的な感情が強すぎるため、日本の侵略に関する研究の独自性を疑う声がある。これについてどう思うか。

 A:戦時中の日本の「慰安所」に関する研究は、中国では草の根活動に端を発している。私が共同作業をしてきた研究者たちは、長らく金銭的支援を受けたことがなく、調査を続けるために貯金を崩さざるを得なかったという。本の執筆中に意見を聞いた中国と日本の研究者および専門家は、全員が「基本的人権」と「本当の意味での人々の和解」に対する深い憂慮からこの研究テーマに身をささげている。

 私もこうした憂慮から本を書いた。この本を出すことで、こうした女性の苦しみに対する理解が世界的に広まることを希望する。「慰安婦」に起こったことを理解するために、私たちは国民国家という境界を乗り越える必要がある。「慰安婦」の悲劇に立ち向かうことは政治や国益のためではなく、人間のためだということを私は示したい。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304057704579647283156181394