日韓併合後の日本と朝鮮の関係について、アンシュルス(独墺合邦)以降の独墺関係との類似性が指摘されます。頷けますが、言語の違いを考えると、私は連合王国成立以降のイングランド・スコットランド関係との比較が示唆に富むと考えています。以下、記事抜粋。
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《被害者に成りすました加害者 韓国がおびえるオーストリア正史》
オーストリアは「ナチス・ドイツに併合された、ナチスによる最初の犠牲国」と、先頃まで言い張った。韓国の朴槿恵大統領(62)も「日本が加害者で、韓国が被害者」と、繰り返し強弁する。教科書では「対日戦争」を教えてもいる。しかし、史実は全く違う。近代に入り、朝鮮と本格的に戈を交えてはいない。10年に大日本帝國が併合し、日本と成った朝鮮は、欧州・植民地兵のようにではなく枢軸国・日本の将兵として大戦を戦った。朝鮮人の軍人・軍属は24万2000人以上。志願兵の競争率は62倍強に沸騰した。2万1000柱の英霊が靖国神社に祀られる。
オーストリアは38年、ナチス・ドイツが併合。独総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)を歓迎する国民も多かった。ドイツとして将兵80万人を動員し、30万人前後が戦死した。従って1945年のポツダム会談で、ソ連/米国/英国/フランスが墺全土とウィーンを、それぞれ分割統治する方針が決まる。4地区には軍政が敷かれ、各国の主権が保障された。
オーストリアは55年に主権回復し永世中立国と成るが、ドイツのように国家分断の悲劇は回避できた。米英ソ首脳発信の《モスクワ宣言=43年》が影響している。宣言では、大戦中の残虐行為を戦争犯罪と指定し、主に独軍将兵とナチス党員を該当者と明記。その際、墺併合は無効と認定された。以来、オーストリアは宣言にすがり、万人単位のユダヤ人虐殺の暗部を覆い隠す。ところが、国連事務総長を経て大統領に就任したクルト・ワルトハイム(1918~2007年)の独軍突撃隊将校という軍歴が暴かれ、自身は残虐行為を否定したが、大統領再選(1992年)を断念。それでも、ユダヤ社会や国際社会は墺非難を高めていく。結局、首相がイスラエルを訪問し、初めて謝罪する。
オーストリアの「連合国気取り」は終わった。
45年8月15日、最後の朝鮮総督は日章旗を降ろし、太極旗掲揚を命じたのも束の間。9月、軍政施行に向け半島に上陸した米軍は太極旗を降下させ、再び日章旗を揚げさせる。以後3年間軍政を実施し、臨時政府樹立など論外であった。臨時政府の金(キム)九(グ)主席(1876~1949年)は個人資格で“故国”に帰り、光復軍も武装解除された。韓国は日本を打ち負かして独立したのではない。米国より棚ぼた式に独立を譲ってもらっただけ。金も自伝で憂いた。
《心配だったのは、この戦争で何の役割を果たしていないために、将来の国際関係においての発言権が弱くなること》
《何の役割も果たしていない》韓国が戦争責任をすり抜けられた理由の一つは、オーストリアのように“ユダヤによる追及の構図”がなかった幸運。ナチスと「喧嘩」しながらもユダヤ人を守った日本の役割は小さくない。だのに、韓国人は被害者たる“ユダヤ人”を装う。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140522/kor14052212150002-n1.htm