日本政府、外務省は、在外邦人や日系人に甘え頼る事はしますが、他国政府に見られる戦略的支援は殆どしません。国民の関心も薄い。先達の血と涙と努力の結果が失われつつある。変えなければなりません。
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《西海岸から 薄れゆく「日本」に寂しさ》
3年ぶりに南米ブラジルに行った。ブラジルといえば世界最大の日系人社会がある。1900年代初頭から移住が始まり、今でも子孫ら約150万人が暮らす。その約70%がサンパウロで生活しているという。
真っ赤な鳥居やちょうちんが連なり、日本の橋が街の入り口にかかるリベルダージ地区。橋は大阪市とサンパウロ市の姉妹都市提携を記念して「大阪橋」と命名された。食料品店や土産物店、飲食店、菓子店など一昔前の日本の都市を再現したような街並みが続く。
だが、店に足を踏み入れると中国語や韓国語が使われていることに気づく。経営権を取得した中国人や韓国人らが「○○屋」「××商店」といった屋号のまま商売をしているのだ。店員も中国系や韓国系が多い。こうした店が急増していると聞いて行ってみると、3年前以上に増えていることを実感させられた。
以前は「日本人街」と呼ばれていたが、「10年ぐらい前からですかね。いつの間にか公式的にも『東洋人街』になっちゃって…」と旅行業の日系人男性が教えてくれた。
ブラジルへの投資で中国は今や米国などと並ぶ上位国。大量流通する家電はかつての日本製品に代わって韓国製品が席巻している。最大の日系社会から「日本」が薄れていく。急に寂しくなった。