慰安婦に関する根拠のない出鱈目が、米国で非難決議の文言となり、国連の報告書となり、我が国外務官僚は勉強もせず誤解を解く努力もしない。
しかし、なぜそうなるのか。捏造を解く正しい歴史的事実を言おうものなら、偏向左翼メディアが「軍国主義」と攻撃し血祭りにあげて、その人物を社会的に抹殺しようとし、「自分は良識的だ」と思い込んでいる国民が、ぼ~っとそれを是認してきたからです。
以下、記事抜粋。
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《【歴史戦 第1部 河野談話の罪(3)後半】
外交官さえ「談話がすべて」 弱すぎる海外発信、「誤解」野放し》
2006年9月、米下院国際関係委員会で、史上初めてとなる慰安婦問題での対日非難決議が採択されたが、そのなかには、日本の研究者の間では「根拠がない」として決着済みの文言も書き連ねられていた。
「日本政府は性的な苦役という目的のためだけに若い女性を組織的に誘拐した」「慰安婦にはわずか13歳の少女や子供から引き離された女性らがいた」「20万人もの女性が奴隷にされ、そのほとんどが今日、生存していない」
こうした表現は96年に国連人権委員会(現・人権理事会)に提出された特別報告官、ラディカ・クマラスワミによる報告書に盛り込まれた内容と重なる。クマラスワミ報告書は、「奴隷狩り」で慰安婦を集めたと虚偽証言した吉田清治の著作などが多用されていたほか、河野談話を根拠として慰安婦を「性奴隷」と認定した。
下院委員会決議の基になったとみられる米議会調査局の06年4月の報告には「慰安所の女性は通常、死亡または終戦まで、強制的に長期にわたって留め置かれた」などと、出典の引用もなしに確定された“事実”として記されている。
慰安婦問題に詳しい東京基督教大学教授の西岡力は「報告を作成した議会調査局の担当者は日本語も韓国語もできない。ロビー団体が準備した英文資料をそのまま引用したのだろう」と推測する。
この決議を踏まえ、07年には下院本会議でも対日非難決議が可決された。これらの決議文は現在も議会のホームページ(HP)で閲覧することができ、米議会が認定した“事実”として発信され続けている。
これに対し、日本政府は有効な反論を発信していない。外務省の英語版HPには「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」など数件の英訳文が掲載されているが、01年11月以降、更新されていない。
HPに掲載された文書は慰安婦問題を取材する外国人記者にも渡される。海外からの問い合わせだと、HPのリンクを送るだけの対応もあるようだ。
海外に駐在する日本外交官でさえ、慰安婦問題について問われると、「『河野談話に書いてあることがすべてです』と談話を盾にとって逃げることがある」(外務省筋)という。これでは、反論どころか談話の説明さえおぼつかない。というのも、河野談話の文言は「解説」なしには外国人はおろか日本人にも正確に理解できないからだ。
河野談話では、慰安婦の募集について「甘言、強圧」による事例が「数多く」あり、「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」としている。素直に読めば軍や政府による強制的な「募集」事例が多数あったと取れ、英文では「at times(時には)」とある。だが、読み手にとって「at times」はそれほど重みを持たない。
平成9年3月、自民党の保守系有志議員「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)が行った会合でのこと。「強制性」の証拠の有無を問われた当時の内閣外政審議室審議官、東良信は、韓国政府が行ったという元慰安婦の証言以外には「バタビアの事件が1つあった」だけだと説明した。
この事件は日本占領下のインドネシア中部スマラン市で昭和19年初頭、現地の部隊が抑留所からオランダ人女性ら35人を連行して慰安婦としたものだ。「女性が自分の意思で働いていない」ことが判明、現地の日本軍司令部の命令で慰安所は約2カ月で閉鎖。戦後、国際軍事裁判で事件にからんだ軍関係者11人が死刑を含む有罪判決を受けた。
説明を聞いた議員からは、事実が確認できた事例がインドネシアの戦地での1件だけだったことに驚きの声が上がった。一方で、「(慰安所を)解散させたのなら、軍が命令で強制的にやったのではないことを逆に証明するのではないか」との指摘が出た。
河野談話については当時も今も、日本政府は誤解を解く努力をしていない。