《【2014/3/24】「台湾の天安門事件」-馬英九政権、学生・市民を血の弾圧-【写真記録】》
写真をご覧下さい。
以下、記事。
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本日(24日)深夜、馬英九中国国民党(KMT)政権が、行政院前で座り込みを続けていた非暴力の学生達に対して極めて暴力的な方法で弾圧をおこなった。
李登輝時代から延々と築かれた台湾の民主社会が暗黒時代へと後退した瞬間である。馬英九は一時的に行政院附近の学生等の排除に成功したかもしれないが、勝利ではなく確実に敗北への第一歩である。
今月18日、大学生らが中心なり立法院(=国会)議場を占拠するという事件が有った。それから5日後の昨日(3/23夜)に、学生数百人(一千数百名と も、彼等の行動を立法院占拠組の指導者達は関知していなかったとされている)が行政院(内閣)を包囲する警察が構築した防衛線を突如突破して、そのまま行 政院周辺を学生や市民らが包囲占拠するという事態となっていた。
また台湾時間の22時頃に原住民青年団が監察院を「攻占」したという情報が流れるとfacebookでは興奮と共に好意的に取り上げられていた。しかしその後の状況は不明↓
そして一部の学生等によって行政院長執務室も一時占拠、そのタイミングを見計らった様に二千名の鎮暴警察(機動隊)が二十四日未明、警棒、楯そして放水車を使用して学生を暴力的に排除したのである。この時警察隊に強制排除されたなかには、謝長廷 元行政院長(民進党政権時)がおり、TV影像でも確認されていたそうで、また御自身がその時の写真をfacebookに掲載している。単なる暴徒等では無く、野党民進党や台湾団結連盟もが動員をかけた政治的な行動であった訳である。その為安心して参加した学生市民が多かったであろう。
この時にfacebookでは一人若者が衝突により死亡したという情報が流れていた(日本時間深夜零時頃)。そして時間が前後するが日本時間22時頃には「国防部が緊急に憲兵三千名を招集」という情報が流れていた。「学生達は24日の授業をボイコット、社会人にはストライキを呼び掛けており、馬英九総統は二十四日、全日程をキャンセルし総統府に詰め、対応策を協議する。総統府の周辺道路はバリケードで封鎖され、車の通行も規制されている。軍は総統府を警護するため憲兵隊三千人に待機命令を出している(東京新聞報道)」という。
恐らくこれは彼の政治生命の終焉の始まりと考えるべきであろう。
台湾の民主社会は日本人が考えるほど弱くは無い。台湾人は自ら、自由と民主主義を勝ち取ってきた歴史がある。今回の「サービス貿易協定」の締結の結果、そして本日深夜の暴力的弾圧によって台湾青年(大学生を主とする)の反馬英九感情は最大限に燃え盛ってしまった。愚かな馬英九、彼の行状は永遠に台湾史に記録される事となったのである。
これにより馬英九は国民党支持者(9%程度と聞く)からの支持をも失う。彼の政治生命終わりの始まりなのである。
事実だとすれば馬英九政権の見境のない暴力性はすさまじい。そして警察は、報道記者を追い払った後に学生を殴り始めていたという。それでも多くの動画、写真による警察隊の学生達への暴行の記録を筆者もライブ中継(臺新聞/http://www.ustream.tv/channel/ptstv/theater)で注視していたが、まぎれもなく暴力をいとわない方法をとっていた。深夜にである。
それにしても、今回の台湾の歴史的重大事件に関して日本の報道機関の扱いは不当に小さな扱いとなっている様に思う。「学生と警察双方の130人以上が負傷し、学生ら32人が現行犯逮捕された(産経新聞報道)」台灣史上に記録される大事件がである。